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24.ケインの変化、レベッカの思い


 オベット公爵家がどうしようもないところまで落ちていることはわかっていた。このままでは本当に食べることさえできなくなる。


「ケイン、今日もワーリントン侯爵家に行くの?」

「ああ」


 ワーリントン侯爵家に行くということは、妻であるローズマリアに会うということ。

 それが嫌で嫌でたまらない。ケインはわたしのことを一番愛してくれているとわかっているのに、こうして嫌な人に頭を下げてまで教えを受けるのもオベット公爵家、ひいてはわたしたちのためであるのも分かっているのに。


 それでも、胸の中が苦しい。

 結婚式の日の、ケインとローズマリアの美しい姿が目の前をちらつく。


「レベッカ」


 わたしの様子がおかしいと思ったのだろう。ケインが優しく顔を包み込み、上向かせた。


「不安に思うことはない。オベット公爵家を立て直せれば、離婚することが決まっている」

「そうね、わかっているのよ」


 手に入れたい未来のためにケインが動いてくれていることは理解している。でもでもでも。心にどうしようもない気持ちが渦巻いて、そのことしか考えられなくなってしまう。


「正直、ローズマリアとは挨拶をする程度で、会話をすることもない」

「え?」

「彼女は彼女で好き勝手やっている。私のことなど、気にしていないよ」

「そうなの?」


 ケインを見つめれば、その言葉に嘘がないようだ。彼が嘘をつくと少しだけ視線が逸れるのだ。ようやく気持ちが落ち着いてきて、一度強く目をつぶった。そして、彼に抱き着く。


「早く帰ってきてね。夜は一緒に食べたいわ」

「そうだな。できる限り早く帰ってくるよ」


 そう約束すると、彼はわたしの唇に触れるだけのキスをした。



 広いオベット公爵家の屋敷で一人。

 まだ傾く前は気の合う使用人たちとおしゃべりをしていたが、使用人が減った後、そういう雑談はすることがなくなった。古くからオベット公爵家に仕えている使用人は数名しか残っておらず、最近はワーリントン侯爵家から紹介されてきた使用人たちが入ってきている。彼らはきちんと教育を受けているのか、とても質の高い仕事をする。


 古参の使用人たちは最初は反発したものの、彼らの仕事ぶりを見て、ケインからの説得もあって、受け入れていた。受け入れれば、次第に影響されて行き、今ではわたしと会話をするような暇な使用人はいない。


 ぼんやりとサロンでお茶を飲んでいれば、家令が入ってきた。珍しいこともあるものだと声をかけた。


「どうしたの?」

「レベッカ様も何か取り組まれてはいかがでしょうか?」


 取り組む?

 何を言われているのかわからず、首をかしげた。


「ローズマリア夫人はいずれ離婚して出て行きます。その時に、レベッカ様が旦那様と結婚するつもりがあるのなら、公爵夫人としての振る舞いを身に付けた方が良いかと思いまして」

「……わたしは平民だから」


 今更、公爵夫人の振る舞いと言われても困る。わたしは学校へ通っていた時は騎士科だったし、しかも途中で退学している。貴族令嬢としての振る舞いも、きちんと学んだのは両親が生きていた頃までだ。当然、お茶会での振る舞いも、夜会での振る舞いも知らない。


「今ならワーリントン侯爵家の支援があります。旦那様を通して教育をお願いすれば」

「嫌よ」


 反射的に拒絶した。ケインと同じようにワーリントン侯爵家、つまりローズマリアに頭を下げて教えてもらえと言っているのだ。そんなこと、できるわけがない。彼女はわたしにとっては見たくもない女なのだ。


「しかし」

「ケインは今のままのわたしでいいと言っているのよ。だったら、いいじゃない。何も問題はないわ」

「……左様ですか」


 家令は肩を落として、サロンを出て行った。その後ろ姿が見えなくなってから、だらしなく長椅子に体を預ける。

 ケインと結婚して、公爵夫人になっても社交などするつもりはない。社交なんてやったことはないし、きっとわたしなんて悪しざまに言われるだけだろう。そんな場所にケインもいけとは言わないはず。


 がりがりと親指の爪をかじった。


 ケインはわたしが嫌がることはしない。それはわかっているけれども、それでも落ち着かない。

 心のどこかで、悪魔が囁いた。


 本当に?

 ローズマリアの洗練された立ち居振る舞いを見ているケインがわたしを見てがっかりするんじゃないのか。そんな恐ろしい囁きがどこからか聞こえてくる。


 ローズマリアが立っているだけでも、空気が違う。高貴な生まれというのは、そこにいるだけでも違うものなのかと思ったほどだ。


 ローズマリアと自分を比較して、普段は隠れて見えない劣等感が疼き始める。

 ケインが彼女と離婚した後、ケインは間違いなくわたしを妻に、と言ってくれる。でも、公爵であるケインと結婚するにはわたしが貴族になる必要があった。きっとどこかに頭を下げて、養女にしてもらうのだ。そうすれば、結婚できる。


「……それってわたしにとって幸せ?」


 紙切れ上は唯一無二の妻になる。でも、そのために払う努力と苦難を考えれば、今のままの方がよほど幸せだ。


 ケインのことだけを考えて、彼とだけ過ごす。時折、二人で出かけて思い出を作って。お金の心配がなくなれば、子供を作ってもいい。もちろん跡取りにすることはできないし、庶子となってしまうけれども、それでも父親に愛されて、生活に困っていなければ幸せなはず。


「すでに世間には白い目で見られているのだから、今のままでいいのよ」


 現状を維持することを考えると、二人に離婚をしてもらいたくない。


「レベッカ様、お茶をお持ちしました」


 いつも世話をしてくれる侍女がワゴンを押して入ってきた。


「ありがとう」

「先ほど、家令が何か言いましたか?」

「ええ。公爵夫人になるための勉強をしたらどうかと」


 侍女はお茶を入れながらも、呆れたような顔をした。


「まあ、彼は随分と影響されているようですね。気にすることはありません」

「ねえ」

「なんでしょう?」


 お茶を入れたカップをわたしの前に置く。


「わたし……今のままでケインの一番愛する人でい続けることが幸せだと思うの」

「今のまま? つまり、坊ちゃまは結婚したままということですか?」

「ええ。変かしら?」


 侍女は難しい顔をして黙り込んだ。彼女の意見が聞きたいから、お茶を飲みながら待つ。お茶を半分ほど飲んだぐらいに、彼女がわたしを見た。


「いいのではないでしょうか? 貴族夫人たちは非常に冷酷ですからね。優しいレベッカ様では太刀打ちできないでしょう。そういう表向きの仕事は妻にやらせておけばいいのです」

「そうよね、そう思うわよね。何も、正式な結婚だけが幸せではないのよね」


 同意されて、嬉しくなる。

 わたしの考えは間違っていない。貴族夫人として生きることを定められているならまだしも、わたしはすでに貴族社会から落ちてしまった人間だ。だから、幸せのありかは違う。


「でも、ケインは離婚する気でいるのよね。どうしたらいいかしら?」


 ため息交じりにそう零せば、彼女はわたしの耳元に口を寄せた。


「既成事実で夫婦にしてしまえばよろしいのです」

「え?」

「レベッカ様には嫌なお話でしょうが、現状維持を求めているのなら、逃げられないように本当の妻にしてしまうのです」


 それはつまり、ケインとローズマリアが閨をともにするということ。

 体中がざわつく。

 それが嫌だから、初夜の邪魔をしたのに。許さないといけないのだろうか?

 もし肌を重ねたことで、彼の心が彼女に持っていかれてしまったら? そんなこと、耐えられない。


「一時の話ですよ。我慢できないのなら、仕方がありません。レベッカ様と結婚できなければ、別の貴族令嬢との縁談が持ち上がるでしょうから」

「どうして他の令嬢が出てくるの?」

「オベット公爵家が立て直した後、やはり後継問題が出てきます。庶子には継承権は与えられません」


 頭の中がぐちゃぐちゃしてきた。

 結局、離婚しても離婚しなくても、わたしが貴族になってケインと結婚しない限り同じ状態、ううん、下手をすればもっとひどい状態になる。


 それならば。


「丁度、オベット公爵家に奥さまをお呼びするように働きかけています。その時に二人きりにして閉じ込めてしまえば」

「そんなことでケインは他の女を抱いたりしないわ」

「ですから、ちょっとお薬を。奥さまに飲ませると後々問題になりますけど、坊ちゃまでしたらきっとレベッカ様の苦しい気持ちをわかってくださいますよ」


 とてもいい提案だ。

 薬は初夜の花嫁がつらくならないように用意してあると聞いたことがある。それを拝借して、ケインに飲ませてしまえばいい。

 きっと彼は傷つくし、わたしに対して申し訳ないと泣くだろう。

 でもそれは、ケインもわたしも幸せになる方法だから。


 きっと許してくれる。

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