22.画家たちのアパートにようこそ
トントン拍子に調整が進んで、ライラの家で会った時から一週間後、エドモンド様はアパートへと姿を現した。
不貞を疑われては困るから、今日はモリーだけでなく、お父さまから家令と護衛を借りている。彼らがいれば、家の繋がりだとわかるはずだ。
「王都の郊外になると随分と雰囲気が違うものだね」
「この辺りは、来たことはないの?」
「ああ。初めてだ」
興味深そうに馬車の中から辺りを見回す。主に裕福な平民が暮らすエリアは貴族の居住地であるエリアとはまた異なる趣がある。
雑談をしているうちに、馬車が止まった。
「ようこそ、卵たちのアトリエへ」
エドモンド様は目を輝かせて、アパートを見上げた。
◆
「彼女たちがわたしが支援している画家の卵なの」
エドモンド様に三人を紹介する。彼は小さく頷くと、人当たりの良い笑みを浮かべた。
「エドモンド・フォスターだ」
三人の中で、ハンナが一歩前に出て、奇麗なお辞儀をした。それは令嬢がするものではなく、使用人がするお辞儀だ。
「はじめまして、フォスター様。ハンナといいます。こちらがミリア、そして彼女がレナ。どうぞ、お見知りおきを」
ハンナが彼女たちの名前を呼ぶと、ちょこんと頭を下げる。ミリアに喋らせなかったのは英断だ。人によっては、媚を売っていると思われるだろうし、レナにいたっては喋るのは無理といって逃亡しそうだ。今だって、何やらブツブツと呟いている。
「早速で悪いんだが、作品を見せてもらえないだろうか」
「もちろんです。用意してありますので、どうぞこちらに」
ハンナが先に立ち、アトリエに案内する。いつもは散らかし放題の場所も、客人が来るからなのか、奇麗に整頓されていた。そして、それぞれが描いた絵が無造作に置いてある。
「これはすごい」
エドモンド様は驚きに目を見開いた。
「手に取ってみてもいいだろうか?」
「ええ、どうぞ」
ハンナが許可すると、エドモンドは手袋をはめて絵画を一枚持ち上げた。
「これのモチーフは……妖精の悪戯かな?」
「その通りです。レナの作品です」
レナは自分の作品に目を向けられたことで、すでに白目を剥いていた。ミリアが必死に倒れないように支えている。
「……すみません。レナが意識が飛んでしまったようなので説明はできないのですが」
「ああ、見ているだけでシーンが思い浮かぶから問題ないよ」
どうやら「妖精の悪戯」という本をすでに読んでいるようだ。わたしは読んでいないので、内容と一致しているのかはわからない。
「すごいね。色々なタイプの妖精が描かれている」
「パステルで描いています」
「彼女はパステルが専門?」
「いいえ。いつもは油絵ですね」
専門でなくても、ここにいる三人はお互いに自分の得意な手法を教え合っている。だからこそ、こうして描くことができる。
「他の絵も見せてもらっても?」
エドモンド様は何やら考え事をしながら、次々に作品に目を通した。さっと見るだけではなく、じっくりと。そして、どの本のモチーフになっているのかを考え、小説の内容を見てからもう一度見る。それを何度も繰り返して見ていた。
とても静かな時間だった。
いつもなら賑やかなミリアも真面目な顔をして沈黙している。レナは意識がないからいいとして、ハンナも特に口を挟むことなく。
不思議な空間であったが、居心地は悪くない。三人とは違い、わたしは描く人ではない。それでも、どんな感想を彼が持ったのか、とても気になって仕方がなかった。とはいえ、真剣な顔をしてじっくり見ている彼に感想を聞くのは憚られて。
「ローズマリア夫人」
「何かしら?」
「……挿絵ではない仕事でも問題ないだろうか?」
挿絵ではない仕事、と言われてもよくわからない。眉を寄せて首をかしげた。
「どういう意味?」
「まだ、思いついただけなのだが、挿絵にするにはもったいないと思って」
「そうでしょう! でも、それ以外の仕事は残念ながら」
どんなに素晴らしい絵を描いたとしても、彼女たちが女性である限り、受け入れられることはない。だからこそ今までも知り合いに買ってもらうぐらいしかなかった。小説の挿絵という今までとは違う仕事だからこそ、活路を見いだしたわけなのだが。
「この国ではそうかもしれない。でも、他国で仕掛けたら?」
「あの、他国では女性画家が活躍しているのでしょうか?」
気になっていたのか、ハンナが恐る恐る口を挟んだ。
「もちろん。とはいえ、僕が訪問した国のなかで、二ヶ国ほどだったが」
「二ヶ国、それでもあるんですね」
大小さまざまな国がある中で、二ヶ国。それはやはり少ない。その気持ちが表に出ていたのか、エドモンド様が安心させるように微笑んだ。
「たった二ヶ国と思うのか、二ヶ国もあると思うのか。僕は二ヶ国もあると思っているよ」
「でも」
反射的に否定的な言葉をハンナが吐いた。そんな彼女をエドモンド様は静かに見つめた。どこか面白そうな、そして何かにワクワクしていそうな。ハンナとは対照的な表情。
「すでに土壌が出来上がっている国があるんだ。その国の周辺では見えない変化が起こっているはずだ」
「……そういうものでしょうか?」
ハンナが苦しそうに呟く。彼女の気持ちはよくわかる。わたしはそっとハンナの背中を撫でた。
彼女たちはいつも否定されて、門前払いにされて。それでも好きだからと食らいついてきたけれども、どこか諦めている気持ちもあった。
変な話、わたしが保護している彼女たちは見目がいい。愛人になれば、援助は惜しまないという貴族だっている。そんな話にぐらついたことだって何度もあったと話していた。この国では女性が絵を描くということはそういうことなのだ。
だから、見えない変化が起こっているはずと言われても、素直に頷くことはできない。
「変化がないなら、起こせばいい。そう思うと、楽しくならないか?」
「流石にそれは彼女たちの立場では思えないわ」
無茶なことに同意を求めるエドモンド様にやんわりと断りを入れる。エドモンド様は困ったなと頬を掻いた。
「やっぱり難しいか」
「難しいですね。貴族令嬢ですら、決められた箱から出るのは大変ですもの。まして彼女たちは平民だから」
身分があってもなくても、女性には苦しい社会だ。
「……そうだった。しばらくこの国に近寄らなかったから、忘れていたよ」
「あの!」
ずっと黙って話を聞いていたミリアが突然大声を出した。
「何だい?」
「もし、他国に行ったら、わたしたちでも描くことができる環境があるということですか?」
「そうだね。すぐというわけにはいかないだろうけど、少なくとも女性だからと拒否されることはない」
「だったら、わたし、移住したいです!」
ミリアの能天気な希望に、あんぐりと口を開けた。
「ええ?」
「わたし、できれば絵を描いて生きていきたいんです。ここでは無理なら、可能性のある所に行きたい!」
「ミリア!」
ハンナが窘めるような声で彼女を呼ぶ。
「ハンナだってそう思うでしょう? いつまでもローズマリア様に面倒見てもらうだけだと心苦しくて」
「――わたしも賛成です」
「レナも!?」
どうやら保守的なのはハンナとわたしだけのようだ。




