21.離婚前提の夫婦関係
「やあ、ローズマリア。今日も邪魔するよ」
「ごきげんよう、オベット公爵」
オベット公爵は三日に一度、我が家にやってくるようになった。大量の資料を抱えて。
「お義父上は?」
「サロンで待っているわ」
「サロン?」
いつもは執務室に直行だから、驚いた顔をしている。
「ええ。新しく仕入れたお茶がとても美味しいので、あなたにも振る舞いたいそうよ。家令が案内するから」
「ローズマリアは一緒ではないのか?」
「これから友人宅でお茶会なの」
何でわたしのことを気にするのよ。
すっかり親しい仲のようになってしまっていることが何とも気持ち悪い。でも本音は心の中に奇麗に隠して笑みを浮かべる。
「では、失礼するわね」
「ああ。楽しんできてくれ」
オベット公爵を見送って、ため息をついた。
予想外というのか、なんというのか。
オベット公爵はプライドが山のように高いと思っていたが、やると決めたらそうでもないらしい。素直にお父さまの教育を受け始めていた。幼い子供ではないから、常に側に置いて連れまわすわけではない。三日に一度、我が家に出向き、三時間ほど話す。そして課題を出してそれを持ち帰る。それを繰り返すこと、すでに一カ月。
わたしとは訪問時の挨拶程度で、嬉しそうにお父さまと執務室に籠る。なんだろう、あの懐き方。お父さまも嬉しいのか、オベット公爵がやってくる日はいつもよりも笑顔が多い。丸投げした時には、不本意そうな顔をしていたというのに。
「人が変わったようです」
後ろに控えていたモリーがぼそりと呟く。
「本当ね」
「なんであんな自然に妻として扱っているのでしょう? 何もなかったことになっているのですかね?」
モリーのキツイ言い方に、笑ってしまった。
「今さら妻として扱ってほしいわけじゃないけど、どういうつもりかしら?」
「オベット公爵家の使用人たちも態度を改めているのでしょうか?」
「さあ、どうかしら? でも、彼女は応援していると言っていたわね」
彼が我が家に来るようになってから、オベット公爵家に行くことはなかった。彼の変化を好ましく思わない古参の使用人たちもいるだろう。そういう人たちに八つ当たりされるつもりもない。
「愛人が応援ですか? 本当に?」
疑わしいと言わんばかりのモリー。
「経済的に不安を感じてきて、苦渋の決断かもしれないわね」
「自分が出て行くという発想はないんでしょうか?」
「それはないんじゃない? 騎士科に属していたようだけど、女性らしい粘着質な性格だと思う」
男性のようにさっぱりとした性格だと本人は思っているだろうけど、わたしは違うと思っている。さっぱりしていたら、オベット公爵家の没落を見て、身を引かないなんてありえない。
自分の部屋に戻ると、すぐさまモリーが動き始めた。今日の茶会はライラの屋敷だ。気合を入れる必要ない、とモリーに言おうとしたが彼女はすでに衣装部屋に行ってしまっていた。
「お嬢さま、今日のお茶会のドレスはこれにしましょう」
モリーが衣装部屋から持ってきたのは、クリーム色の可愛らしいドレスだ。明らかに未婚女性が着るデザインで、結婚前に作ったものだった。
今流行りのふわふわしたスカートと細かな刺繍が施されている。首元は夜会服ほどではないが、デイドレスにしては広め。
可愛いから作ったのだが、今まで一度も袖を通していない。
「これ、今のわたしの立場では合わないでしょう?」
「そうでしょうか? 気にすることはないと思いますが」
「モリー、何をたくらんでいるの?」
常識に外れたことなどしないモリーがごり押ししてくるのだ。絶対に何かある。
「お嬢さまはいずれ離婚して令嬢に戻ります」
「そうね」
「でしたら、貴族夫人のような装いはしなくてもいいのではないでしょうか」
それは飛躍しすぎだ。わたしの周辺の人たちは知っていても、他は違う。いらぬ悪評は立てたくない。
「離婚が決まってからにするわ。今日は首まである落ち着いたドレスにして」
「わかりました」
モリーは残念そうな表情を隠さず、衣装部屋に戻っていった。
◆
「ごきげんよう、ライラ」
「いらっしゃい、ローズマリア」
いつものように気楽な挨拶をして、手土産を渡す。今日は菓子ではなくて、ミリアが描いた絵画だ。テーブルの上にちょっと飾っておく小さめの物。猫の絵が描いてある。
「まあ、なんて可愛らしい! こちらに話しかけてきそうだわ」
「ミリアが描いたものなの。気に入ってくれると嬉しいわ」
「もちろん飾らせてもらうわね」
ライラは本当にうれしそうに絵画を受け取った。
「もったいないわねぇ。発表されればすぐにでも買い手がつくでしょうに」
「本当にね。でも、エドモンド様からヒントを貰ったわ」
「エディから?」
ライラは不思議そうな顔をした。案内された席に座ると、さっそくどういうことかと聞いてくる。簡単に国外での女流画家のことを説明して、国外がどのようになっているのか見に行く計画をしていることを話した。
「いいんじゃないかしら? でも、あなたの夫はどうするの?」
「離婚するわよ」
「そうなの? 今、ワーリントン侯爵家に出入りしているって聞いているけど」
「お父さまが領地経営について指導しているの。他にも資産を増やす方法とかね」
オベット公爵が我が家に入り浸っていることは案外広がっていた。
「どういうこと? さっぱりだわ」
「オベット公爵家の立て直しと離婚を取引したのよ」
「ローズマリアから?」
「そう、わたしから」
ライラは感心したように頷いた。
「あなた、強くなったわね」
「褒めているの?」
「もちろんよ。自分で道を切り開くのは大変だわ。それをやってのけるのだから」
ライラの称賛が素直に嬉しかった。
「ありがとう。離婚もいつになるかわからないから、好きにやっていくつもりよ」
「そうね」
その後二人でおしゃべりをしていると、侍女が来客を告げに来た。
「エディ、待っていたわ」
「今日の朝に連絡を貰っても、すぐに時間は作れないのだが」
「でも来たじゃない」
ライラがどこ吹く風といった様子で微笑む。
「こんにちは、エドモンド様」
「やあ、ローズマリア夫人。話の途中になってしまって申し訳ない」
「いいえ。ライラには来ることを聞いていなかったので。お会いできてうれしいわ」
にこにこして告げれば、エドモンド様が困ったように頭を抱えた。
「なんで、言っていないんだ」
「ローズマリアは人妻よ。知らなかったら、家の人にも告げなくていいでしょう?」
「そんなこと気にしていたの?」
「一応ね。あなたが変な噂を立てられるのは嫌だもの」
きっとライラはわたしが国外へ彼女たちの作品を広めたいと考えていることを知って、彼との時間を作ってくれたのだろう。
「それでね、これをローズマリアからいただいたのよ」
ライラは先ほどわたしが渡したミリアの描いた絵画を見せる。本サイズの小さな絵画を見て、エドモンド様の顔つきが変わった。穏やかな人好きのする柔らかな表情ではなく、真剣みがあって何処か近寄りがたい。
「とても素敵だね。手にとっても?」
エドモンド様がわたしに許可を求めた。
「ライラに差し上げたものだから、彼女に聞いて」
「手に取ってみてちょうだい」
流石に許可を出す立場ではないのでライラをちらりと見る。彼女はエドモンド様に頷いた。
エドモンド様はそれを手に取って、じっくりと見つめる。
「話し始めてしまいそうなほど表情豊かだ」
「本の挿絵の話をした後、試しにと本サイズの絵画を描いてもらったの。もう少し小さい方がいいのかしら?」
「いいや、十分だ。ところで、試しにということは何枚も描いているのかな?」
「モチーフになる小説を選んで、三人がそれぞれ好きなサイズを試しているから……それなりの量があるわ」
彼女たちが描いたものは一部しか見ていない。だから今、どれだけの量があるのかははっきり知らなかった。ただ、その一部でも十分に多い。
「では、一度見せてもらっても?」
やはり実物があると話が進む。
エドモンド様の質問に答えながら、未来が明るくなったことを感じた。




