2.最低な結婚式、さらに最低な初夜
お母さまが尽力してくれたにもかかわらず、スティーブ様との婚約が白紙になってから半年後、わたしはオベット公爵と結婚した。
オベット公爵家とワーリントン侯爵家の結婚に相応しく、王族の婚儀でも使う教会を借り切っての式だった。ドレスも新しく用意した。時間がなかったから上質な布を使っているがとてもシンプルなもの。宝飾品はお母さまから頂いた。今日の支度をするのも大変だった。侍女たちが大泣きしていたので。
国王両陛下が参列する、豪華な顔ぶれの式であるにもかかわらず、わたしは無の境地だ。
婚約期間とされたこの半年、一切の交流がなかった。別にわたしが拒否したわけではなく、手紙を出しても、お茶会へ招待しても、なしのつぶて。もちろん、結婚についての話し合いも結婚後の話も何にもない。あまりの無関心さに、お母さまがキレたぐらいだ。
本当にどうしてこんな人と結婚しなくてはいけないのだろう。
国王陛下はとても感動した顔をしているが、隣に座る王妃陛下はスンとした顔をしている。お母さまはこの結婚を取り消すために、王妃陛下を真っ先に頼った。王妃陛下も流石にこれは、と思ってくれたのか、あれこれと手を貸してくれた。そして、その流れでオベット公爵の態度も筒抜け。彼の無関心さに腹を立てている。
招待客が次々と祝いの言葉を述べていく。
その様子をベールを下ろし、何の感動もなく祝いの言葉を受けていた。最後にわたしの友人たちが祝福を告げに来た。
「おめでとう、ローズマリア」
「来てくれたのね、ライラ」
友人の代表としてレイシー伯爵夫人であるライラが声をかけてきた。ライラを見れば、お祝いを述べながらも、どうなっているの? という顔をしていた。それもそうだろう。わたしだって何でこんなことに、と半年たった今でも思っている。
よほど強張った顔をしていたのだろう、ライラは近寄ると小声で聞いてきた。
「あまり嬉しそうじゃないわね。何があったの?」
「色々とね」
ここで説明するわけにはいかないから、ただ首を左右に振った。それだけでわたしの事情を察してくれたのだろう。いつもと変わらぬ微笑みを浮かべる。
「落ち着いたら、ぜひ我が家のお茶会に来てちょうだいね」
「ええ、もちろん」
言葉数は少ないが、ライラの心遣いは冷えた心に温かかった。
◆
何とか豪華な式を終えた。
オベット公爵家の部屋に入ると、待機していた侍女のモリーが次々に宝飾品を外し、ドレスを脱がしてくれる。身軽になって、ようやくほっと息をついた。今日一日、本当に苦行だった。
「お嬢さま、夜のお支度を」
「夜の支度なんて、したくないわ」
無理だとわかっていて、モリーに本音を言えばひどく辛そうな顔になった。誰よりもモリーがわたしの気持ちを知っている。でも彼女の立場から初夜をしなくてもいいと言えるわけがない。大きく息を吐いて、気持ちを落ち着かせた。
「わがまま言ってごめんなさい。これは政略結婚ですものね。覚悟をしなくちゃ」
「お嬢さま、なんてお辛い立場に」
私たちの結婚は政略。嫌だという感情だけで拒否することはできない。
気が重いまま夜の支度を調え、公爵夫妻の寝室に入る。
「まだ来ていないようね」
「わたしは隣の控室にいます。その、終わったら……」
「うん、ありがとう」
モリーが言いにくそうにしている。それもそうだ。モリーはわたしよりも年上だけども、未婚だ。実家の侍女長たちにきちんと教わっているようだが、流石に緊張するだろう。無様なことはできないと、腹に力を入れた。
モリーが控室に行き、寝室に一人になった。
部屋はとても静かだ。緊張のせいなのか、自分の心臓の音が大きく聞こえる。
落ち着け。相手に任せておけば、嫌な時間はすぐに終わる。
暗示のように自分自身に言い聞かせてた。
ほどなくして、寝室のドアが開いた。
婚儀で初めて顔を合わせた夫は、苛立ちを隠さず足音を立てて部屋に入ってくる。
それなりの覚悟をして、わたしだってこの場にいるというのに。どうやら相手もこの結婚のご不満のようだ。彼はベッドに浅く腰を下ろすわたしを見下ろした。
「この結婚は陛下の意向で決まったものだ。どれだけワーリントン侯爵家が金を積もうが、私がお前を愛することはない」
初夜という場において、このセリフ。
婚約期間中、何も行動しなかった男は初夜においてもグダグダ言うくだらない男だった。
今までも許しがたいほどの態度だったが、国王夫妻まで参列したのだ。いつまでも拗ねていては大人げないと、できる限り歩み寄るつもりだった。不本意な結婚と言えども、あまり反発ばかりしていては問題もあるだろう。この結婚は王命であり、国王陛下から祝福を受けているのだから。
だけど、そんな覚悟は一瞬にしてはじけ飛んだ。
俯き加減だった顔を上げ、夫へ無遠慮に目を向けた。
婚儀での衣装は着替えているが、明らかに初夜を迎える支度ではない。シャツにトラウザーという、ラフであるが、外出できる支度だ。
強い目を向けられて、夫は不安そうに身じろいだ。
その後ろに気配を殺している護衛。
信じられない気持ちで彼の後ろにいる護衛を見た。夫婦の寝室に、部外者がいるなんてありえない。きつい眼差しを向けたせいか、護衛がわずかに体を揺らした。そしてこの護衛が誰であるか気がついてしまった。男性のような格好をしていても、この護衛が女性であることはその体の細さからわかる。
わたしも嫌々ながらの初夜であったけど、夫となった男はわたし以上に覚悟をしていなかった。我慢していた感情が爆発する。嫌なのはこちらも同じだ。
「ワーリントン侯爵家がお金を積んでこの結婚を望んだと?」
「長年の婚約を白紙にしてまで、オベット公爵夫人の座が欲しかったのだろう」
「勝手なことを言わないで。わたしにとってもこの結婚は不本意なのに」
「は、どうだかな」
鼻で笑われて、頭に血が上る。
「そもそも、あなたがしっかりとオベット公爵家を盛り立てていれば、わたしと結婚することにならなかったのに」
「なんだと」
夫は顔を赤くすると、一歩前に出た。何をされるのか。身構えるが、視線はそらさない。
「ケイン」
護衛が感情的になった夫の名を呼んだ。その声は明らかに女性のもの。はっとした夫は足を止める。
「とにかく、君を妻にはしない!」
夫は唸るように話すと、乱暴な足取りで護衛を連れて出て行った。
一人、夫婦の寝室に残されて、思わず大きく息を吐いた。緊張していたのか、手が震えている。震えを止めようと、ぎゅっと握りしめた。
「お嬢さま……入ってよろしいでしょうか?」
小さなノックの音とともに、モリーの心配そうな声がした。
「ええ、入ってちょうだい」
許可を出せば、静かに控えの間の扉が開く。モリーがすぐさまわたしの側に寄ってきた。夜着が少しも乱れていないのを確認すると、困惑気味にわたしを見る。
「一体、何が?」
「どうやらわたしがオベット公爵夫人になりたくて押しかけて来たことになっているみたい。だからお前を妻にする気はないと」
オベット公爵とのやり取りを説明すれば、モリーが眉をひそめた。結婚したにもかかわらず、初夜をしないのは、正式な結婚と認められない行為だ。
「ただの言いがかりではありませんか」
「カチンとしたけど、初夜を回避できたことは嬉しいの」
「お嬢さま、喜んでばかりではいられませんよ。変な噂になったらどうするのです?」
モリーの心配も分かる。政略結婚であっても、白い結婚、つまり夫婦になっていないということは魅力がないということに他ならない。もちろん夫婦の話だ、白い結婚かなんて外にはわからない。だが、いつまでも妊娠しなければ、欠陥があると噂されるかもしれない。そんな噂が立ってしまえば、女性として社交的に死ぬ。
「でも、あんな人と初夜なんて無理よ。女性の護衛を連れてきていたのよ?」
女性を連れてやってきたと言えば、モリーが息を呑んだ。
「それって、噂の愛人ですか?」
「多分ね」
この結婚が嫌なのはお互いさまだ。初夜をしないで済むなら、それでいい。
貴族の義務なんて、どうでもよくなっていた。