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19.レベッカの不安

 サイドテーブルに置いてある呼び鈴を鳴らそうと、横になったまま手を伸ばした。だが、すぐにその手を引っ込める。この屋敷にはもう侍女はいないのだ。いくらベルを鳴らしても、来ることはない。


「レベッカ、喉が渇いたのか?」


 わたしが動いたことで、ケインも目が覚めたようだ。


「ええ」

「僕が水を持ってくるよ」

「自分で取ってくるから、ケインは寝ていて」


 起き上がろうとするケインを押しとどめ、体を起こした。


「……すまない。僕が不甲斐ないばかりに」

「それはもう言わない約束よ。わたしはケインと一緒にいられるだけで幸せなんだから」


 そういって、横になっている彼の頬にキスをした。


「じゃあ、休んでいてね」

「ああ」


 再びまどろみ始めるケインを見つめ、ため息をついた。ベッドから足を下ろし、室内靴に足を突っ込む。椅子に掛けてあったガウンを着こむと、寝室を出た。


 廊下は薄暗く、まだ朝は遠い。

 扉のすぐわきに置いてあった手持ちのランプに灯りをつけ、慣れ親しんだ廊下をゆっくりと歩いた。

 以前は一晩中明るかったが、今では真っ暗で寒々としている。ガスがもったいないというのもあるが、この屋敷の廊下にある灯りを付けて回る人がいないのだ。必要な場所だけとしても、かなりの数がある。最低限の使用人しかいなくなったオベット公爵家ではその負担は大きい。

 大きな屋敷の維持は莫大なお金がかかり、今では使っている場所以外は放っておかれている。行き来する廊下は掃除されているが、以前ほど奇麗ではない。


 階段を降り、奥まった場所にある調理室へたどり着いた。

 ランプを広い調理台に置き、用意してある水差しからコップに水を入れた。


 一気に飲み干すと、喉が潤う。


「はあ」


 広い調理室をぐるりと見渡す。この時間ならば、すでに朝食の準備のため料理人がいた。でも、今は朝はパンと簡単なスープだけなので、早い時間に誰かが来ることはない。


「どうしてこうなっちゃたのかな」


 ずっとケインと変わらぬ生活――貧しくても()()()()()()()がしていけると思っていた。でもそれは甘い考えだった。



 わたしはモロイ子爵家の長女として生まれた。少女時代は両親が生きていて、伸び伸びと領地で育てられていた。お父さまは厳格な人だったけど、お母さまはとてもおっとりとしていて。

 体を動かすことが好きだったわたしは年中領民の男の子たちと外で遊んでいた。貴族の娘としてはやんちゃなほうだっただろう。お父さまは顔をしかめていたけれども、お母さまは元気ねぇと笑っていた。


 特別裕福ではなかったが、貴族として何不自由することもなく、家族の仲もよく。とても幸せだった。

 でも、14歳の時、両親が事故で亡くなった。お父さまの後を継いだのは叔父だった。あまり交流がなく、突然やってきた。初めは一緒に暮らしていたが、あまりにも考え方が両親と違い過ぎて。

 結局、わたしは母方の祖母に引き取られた。祖母は一人で母の実家の領地で隠居していた。母に似てとても穏やかな人で、わたしの好きなようにさせてくれた。淑女としての教育は当然であるが、女騎士になりたかったわたしの背中を押してくれた。


 だけど、叔父は貴族の娘がみっともないと言って怒っていた。騎士になるなら援助しないと。だけど祖母が守ってくれた。

 学校も騎士科に進み、順調だった。だけど。入学して一年、祖母が亡くなった。高齢だから仕方がない。でもわたしのことを大切に思ってくれる家族は一人もいなくなってしまった。学費は祖母が既に支払っていたので、騎士科を辞めろという叔父の意見は聞かなかった。援助が減ってしまったことは堪えたけれど、それでも辞めたくなかった。


 一人になってしまった寂しさを紛らわせるように、勉強に励んだ。お祖母様には見せられなかったけれども、騎士になる道が見え始めたところで、叔父が縁談を持ってきた。

 もちろん断った。断ったら、除籍された。つまり貴族ではなくなった。学校も辞めることになり、途方に暮れた。


 そんな時だった。ケインに声をかけられたのは。

 それまではケインのことは知っていても、特に興味はなかった。騎士になることを目標に、恋愛なんてしている暇はなかったのだ。


 ケインは優しい人だった。そして、わたしと同じように家族に飢えていた。本当に子爵家から除籍されてしまったので、学校は退学することになったが、ケインが公爵家に置いてくれた。何もしないわけにもいかないので、護衛の真似事をして。


 そして、いつの間にか彼に恋をした。でも、平民になってしまったわたしが告白するわけにもいかない。だって、彼はいずれ公爵家を継ぐ人だ。わたしでは釣り合いが取れない。


 本当ならば愛されたいけれども、このまま彼の側にいられるなら恋心を隠しておくことぐらい大変なことではなかった。彼には女の影もなかったのも心のゆとりに繋がった。


 そして。

 彼の父、前オベット公爵がケインの卒業間近で亡くなった。突然背負うことになった責任に、ケインは追い詰められていった。

 彼の父の後始末に奔走し、借金を清算し、財産を検めて。

 やることは沢山あった。それを側でずっと見ていた。わたしにはお金の管理や運営についての知識がないから。


 だから、彼の様子をじっと見守っていた。彼がもうダメだと言う時に支えられるように。

 その時はすぐにやってきた。


 そして嬉しいことに両思いだとわかった。彼に操を捧げ、わたしたちは恋人同士になった。

 常に彼の側にいて、夜会にも彼と参加する。わたしはすでに平民なので、彼の護衛として。

 それでもよかった。煌びやかなドレスは着られなかったけれども、その代わりに、とても美しい護衛用の服を用意してくれた。女性護衛の式服で、男らしいデザインの中に刺繍や金糸などの女性らしさをあしらってあった。


 愛人風情と言われていたようだが、気にならなかった。だって、こうしないと彼の側にいられないから。ケインはわたしだけが頼りで、わたしもケインだけが頼り。二人だけの世界では生きていけないから、必要な分だけ外に出る。それで十分だった。


 ずっとこのままでいるのだろうと思っていたのに、転機が訪れた。

 オベット公爵家が傾きだしたのだ。前オベット公爵までの借金でほとんど財産を食いつぶしていた。そのあと、ケインが領地経営ができればよかったのだが。彼はあまり上手ではなかった。それもそうだろう、教えてくれる人が誰一人いないのだから。必死に考えて、対処していたけれども上手くいかなかった。結果、借金を重ねた。オベット公爵家を維持するためには莫大なお金がかかるのだ。


 もうこれ以上は無理ではないかという時に、陛下から結婚するようにと王命が下った。

 そしてやってきたのは美しい令嬢。


 苦労を知らない穏やかな表情、手入れの行き届いた髪や肌。金の髪はとても華やかで、はっきりとした緑の目が印象深い。


 わたしとは全く違う女性だった。

 彼女を前にして、ケインの気持ちが動いたらどうしようかと焦りを感じた。


 でもケインが選んでくれたのはわたしだった。

 愛されている。


 結婚した翌日に出て行った妻を見て、心の中で嗤った。わたしはケインにとって唯一なのだ。あんな権力で押しつけられた女に負けるわけがない。


 だけど、その翌日から生活が一気に貧しくなった。


 それもそのはず。

 オベット公爵家は破綻しかかっていたのだ。それを穴埋めするために国王陛下が整えた婚姻だった。妻となったあの女を蔑ろにして、援助など貰えるわけもなく。


 沢山いた使用人たちは辞めてしまった。給料が払えないのだから仕方がない。

 そして昔からケインを面倒見ていた使用人たちだけが残った。ただその人数ではこの屋敷を維持管理することはできず。


 わたしもできることをしたいと言って手伝ってみたものの、わたしも子爵家の娘だったのだ。下級使用人たちの仕事ができるわけがない。

 見かねた使用人たちはケインの世話をしてくれたらいいと言った。それぐらいなら、と思っていたけれどもそれも結構難しかった。わたしは社交界に出ていないから、場に相応しい服装がわからないから、選べない。最終的にはケインがこれでいいと言ったものを用意するようになった。お茶もあまり上手じゃない。最近は安い茶葉しか手に入らないから、さらにおいしくない。


 このままでは本当に没落する。

 それを身に染みていた。

 ケインも同じ。


 だからケインは苦しそうにわたしに言うのだ。


「オベット公爵家の立て直しのために、妻に歩み寄ろうと思う」


 信じられなかった。どんなことになっても、二人でいられるならいいと言っていたのに。


「でも、それは」

「レベッカにとって妻をここに呼ぶのはつらいことだろう」

「ねえ、ケイン。わたしにできることなら頑張るから。お願い、あの女をここに呼ばないで」


 ケインの妻なんて見たくない。

 でも、この生活が耐えがたいのも事実。今まで気がつかないふりをしていても、没落するのがどういうことなのか、ひしひしと感じる。

 昨日まであったクロワッサンが丸パンに代わり、そして最近では平民が食べるようなハードパンに代わった。お肉も今は夕食に少しだけ。このお肉も数日に一度になる日も近いだろう。

 気がついてしまえば、あまりの変化についていけない。この先、どうなってしまうのだろうとケインが不安に思うのも当然のこと。


「……すまない」


 うそ、わたしは捨てられるの?

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