18.絵師たちの展望
ここは落ち着く。
オベット公爵家の恋人たちの語らいに付き合う気もなかったから、盛り上がる二人に適当に挨拶して出てきた。そのまま屋敷に帰る気も起きず、このアパートにやってきた。
突然の訪問にもかかわらず、彼女たちはいつでも快く受け入れてくれる。今日はハンナ一人だけど。
くさくさしていた気分を察したのか、ハンナがハーブティーを入れてくれた。すっきりとした香りが嫌な気分を癒してくれる。
カップを手に持ち、一口飲んでみた。やや温めで、とても飲みやすい。
「ああ、美味しいわ。それに比べて……」
さっきのあれ、何の茶葉を使っていたのかしら。
オベット公爵が飲んでいるのに、拒否するのも大人げないと素直に飲んできたけれども。体調が悪くならないだろうかと、今さらながら心配になる。
「そう言えば、今日はミリアがいないのね」
「はい。今日の買い出し当番でして」
ハンナが教えてくれる。
「だから静かなのね。レナは?」
「奥の部屋で作品に集中しています。呼んできましょうか?」
「いいのよ。突然来たのはわたしの方だから」
集中しているのなら、声をかけなくていい。ここは画家たちの家なのだから。
「そういえば、先日、友人が面白いことを教えてくれたの」
ハンナにも席に着いてもらうと、エドモンド様から聞いた話を紹介した。ハンナは興味のなさそうな顔をしていたけれども、次第に真剣な顔に変わっていく。
「物語の挿絵ということは、絵本ですか?」
「それがね、違うの」
よくわからなかったようで、エドモンド様に見せてもらった本の説明をした。
「小説は印刷よ。その挿絵を手書きで入れているの」
「手書き……では小さな枠の中に描くのですか?」
「ううん。本と同じ大きさの紙を挟んでいたわ」
ハンナはしばらく考えた後、立ち上がった。
「少々お待ちください」
どうしたのだろうと思って待っていたら、彼女は一冊の本を持って戻ってきた。タイトルは「愛のるつぼ」。なんとなくそのタイトルで、ハンナが好みそうな、ドロドロした恋愛小説を想像した。
「これはわたしの愛読書なのですが、男女の感情の高低差が凄まじく、余白のない愛の状況がとてもお勧めなのです」
「ええ、そうなの……」
余白のない愛って何だろう、と不思議に思ったが聞くことはしなかった。新しい扉を開いてしまいそうで。
ハンナは愛読書のあらすじを説明しながら、お気に入りのシーンの書いてあるページを開く。さっと内容を読めば、どうやら男が浮気女と逢引きしている時にヒロインが踏み込むシーンらしい。
「例えば、ここのシーンの挿絵を描くということですか?」
「そうよ。この間に手書きの絵を挟むの」
ハンナはほんの少し考え込んでから、再び席を立った。戻ってきたときには紙と鉛筆を持っている。さらさらと、彼女の想像する修羅場が描きつけられた。
それはわたしが想像していたものとは随分と異なっていて、驚いてしまう。
「ふうん、ハンナはこういう風に想像しているのね」
「ローズマリア様は違うのですか?」
「ええ。男と浮気女はもう少し純愛かと思っていたから……ハンナが描いたように浮気女はニヤリと笑っていないし、ヒロインは殺人鬼のような顔はしていないわね」
そう説明すれば、ハンナはなるほどと頷いた。
「よくわかりました。挿絵があることで、読み手の想像の枠をある程度、制限できるのですね」
「制限」
思ってもみなかった意見に楽しくなる。ハンナも面白いと思ってくれているのか、どんどんと話題は膨らむ。一つの視点の変化で盛り上がれる楽しさに、先ほどのくさくさした気分が消えていく。
「ねえ、実際にこういう本を売っている国を見てみたくない?」
「……国外ですよね?」
「ええ。今すぐではないけれども、外の国に可能性を探しに行くのもいいかもしれないと思っているわ」
「お嬢さま?」
ハンナよりも、モリーが驚いた声を上げる。
「もちろんモリーも一緒にね。三人にも一緒に来てもらって、肌で感じた方がいいと思うの」
「ですが」
ハンナはとても興味深そうな様子だが、眉間にしわがより、苦悩が滲みだしている。もしかしたらお金が心配なのかしら、と念のため伝えておく。
「もちろん、旅費はわたしが出すわよ?」
「そういう問題ではないんですが」
お金ではなかったようだ。そうであれば、どんな不都合があるというのか。不思議に思っていれば、モリーが口を挟んだ。
「何が心配なのです?」
「ミリアを連れて行った場合のわたしの負担を考えていました」
「あー、なるほど」
ミリアはとても好奇心旺盛で、目を輝かせてどこでも行ってしまう。それだけでなく、あの特徴的なピンク髪のせいで、よく誘拐にもあっていた。
彼女たちと出会って最初の頃、側にいたミリアがさらわれたのを見て驚いたものだ。つい心配で護衛まで付けようと思ったぐらい。平民に護衛なんていりませんよ、と本人に明るく断られてしまったが。今まで無事でいるのが不思議なぐらいだ。
「心配事がなければ、行ってみるつもりはある?」
「もちろんです。物語に沿った絵を描くということをしたことはありませんが、何でも経験ですから」
「じゃあ、計画してもいいわね」
賑やかな三人を連れて国外。きっと楽しいだろう。護衛なども連れて行かなくてはいけないから、それなりに大人数になる。
新しいことにワクワクしていると、扉が大きく開いた。
「ただいまー! 今日は肉が安かった!」
ミリアが大きな荷物を持って入ってきた。戦利品なのだろう、食材が零れそうだ。
「お帰り、ミリア」
座ったままで迎えると、ミリアは大きく目を見開いてぽかんとした顔をする。
「ああああああー! なんでローズマリア様が! 来ていることを知っていたら、寄り道しなかったのに!」
荷物を床に置くと、そのまま突撃してくる。
「近い」
モリーがすっとミリアの前に立ち、弾く。コロンとミリアはいつものように転がった。
「モリー様、ひどい!」
「突撃する癖をやめなさい」
「えー、だってそこにローズマリア様がいるんですよ? 無理じゃないですかね」
よくわからないが、ミリアがわたしのことを慕ってくれているのだと解釈した。
「ミリア、食材を片づけたら、一緒にお茶をいただきましょう」
「はい! すぐに片づけてきます!」
いい返事をすると、買ったものを持って部屋から出て行った。
「はあ、いつも申し訳ありません」
「いいのよ。あなたたちは変わってほしくないから」
「……そんなことを言ってくれる貴族令嬢はローズマリア様ぐらいです」
ハンナは困ったような、それでいて嬉しいような顔をする。
「さっきの話をミリアにもしようと思うのだけど。レナを呼べるかしら?」
流石に二人に説明したのに、レナにしないというわけにはいかない。
「声をかけてきましょう。正気に戻らなかったら、後でわたしが説明します」
「ええ、お願いね」
そんな話をしている間に、ミリアが騒々しい足音を立てて戻ってきた。
「お待たせしましたぁ!」
「ミリア、行儀が悪い」
ハンナに注意されると、ミリアはえへへと笑ってごまかす。
彼女たちは明るい。世間からは逆風が吹きつけているのに、自分たちの思いを曲げることはしない。それはわたしが手を貸していて、生活が苦しくないからというのもあるだろう。でも。彼女たちを見ていると思うのだ。わたしがいなくても、きっと同じように頑張りを応援したいと思う人が出てくると。
そんな彼女たちを見ていると、自分たちの傷をなめ合っているだけの夫とその愛人の在り方は腹立たしいばかりだ。




