15.お礼の訪問
「わざわざ持ってきてもらわなくてもよかったのに」
「いえ、さすがにそれは人としてどうかと」
手土産に、最近王都でも人気のある焼き菓子を持って、エドモンド様の屋敷を訪問していた。ここに来る前に、お父さまが謝罪を一緒に! と言っていたけれども、無視してきた。お父さまの謝罪とわたしのお礼は全く違うのだ。侯爵家当主なのだから、娘に便乗しようとしないでほしい。
「助けていただいて、ありがとうございます。お恥ずかしいところをお見せしました」
「気にすることはない。たまたまあそこにいただけで、知り合いが困っていれば誰だって助けるよ」
ふんわりと優しい笑みで言われて、まじまじと見つめてしまった。
「どうかした?」
「いえ。男性から優しい言葉をもらうのが久しぶり過ぎて」
夫はクズだし、お父さまも父親としてダメダメだ。それに比べてエドモンド様は気持ちの良い性格をしている。エドモンド様は社交界に出れば、さぞかしもてることだろう。
「優しいなんて言われたのは初めてだ」
おどけたように肩をすくめるので、首を傾げる。どこから見ても、真っ先に受ける印象は人が良くて、優しそう。
「そうなんですか?」
「うん。大抵軽薄だって言われる」
「ああ……なんとなくわかります」
軽い雰囲気と、言葉の軽快さが、人によっては軽薄に見えることだろう。穏やかな会話が続き、そろそろ帰ろうかと思い始めた頃。
「……聞いてはいけないとは思うんだ。でも、どうしても気になって」
迷いながらも聞かれて、わたしは微笑んだ。
「面白い話ではないですから。それにライラから大体聞いているのではないですか?」
「そうだね、ライラからは事情を聞いた。でも、僕は君の言葉で聞きたい。君にとってつらい話だろうと思う。だから、無理して話さなくてもいい」
どうしようかと悩んだが、これも何かの縁だ。
しかも、すでに失恋の儀式は終えている。まだ塞がっていない心の傷はジグジグすることはあるけれども、過去にすべき感情は整理されている。
わたしは言葉を選びながら、その時の感情を交えて伝えた。
スティーブ様と婚約したこと、それから二人で歩み寄ったこと、夫婦になってもいい関係が築けると思っていたこと。結婚をとても楽しみにしていたこと。そこから、婚約白紙の話、お母さまが王妃様に掛け合ってくれたこと、回避できずに結婚してしまったこと。そして、クズ夫とその愛人のこと。
エドモンド様はわたしの言葉を遮ることなく、静かに聞いていた。不思議なもので、あれほどつらいと思っていたのに、こうして言葉にすることで、どんどんと遠い過去になっていく。
「前に離婚した後のことは考えていないと話していたけど」
「そうですね。でも、やってみようと思っていることはあります」
離婚したら、ミリアたちのことを本格的にどうにかしたい。彼女たちが変わらずいてくれたことが嬉しかったのもあって、やる気になっていた。とはいえ、まだぼんやりだ。具体的なことは何も考えていない。
「どんなこと?」
「……秘密です」
「ここまで赤裸々に教えてくれたのに、教えてくれないんだ?」
傷ついた振りをするので笑ってしまった。庭園を散歩している時、モリーはエドモンド様に協力してもらえばいいと言っていた。
「協力してくれるなら、話します」
「協力できるかは、聞かないとわからないのに?」
おどけた様子に、笑いが零れてしまう。
「では、特別に教えます」
「そうしてほしい」
もったいぶることなく、三人の女流画家のパトロンをしていることを話した。
「パトロン! それは予想外だ」
「何だと思いました?」
「宝飾品やドレスなどの広告塔みたいな仕事だと思っていた」
確かにそういう仕事は貴族夫人が担っていることが多い。主に上位貴族の夫人や令嬢が次の流行を生むのだ。茶会や夜会では常に新しいものが溢れている。
「それはお兄さまの婚約者やお母さまの仕事なので。わたしは違うことがしたかったの」
「だが、この国では女性が画家になるのはなかなか難しいだろう?」
エドモンド様は女流画家の立ち位置をきちんと知っているようだ。
「そうなのです。彼女たちと出会ったのも、ギャラリーに絵を買いに行った時で。いくつか作品を持ち込んだようでしたが門前払いをされてしまっていて」
あの時はスティーブと一緒に部屋へ飾る絵画を探しに行った時だった。ミリアたちが自分たちの作品を持ってきていた。後で事情を聞けば、良い出来だったら置いてやると言われていたようだ。だが、ギャラリーのオーナーは彼女たちの作品を見ることなく、鼻で笑い、追い払った。
「なるほど。それで君がパトロンになったわけだ」
「ええ。彼女たちの生活費などはわたしの手持ちの資産でどうにでもなるのですが」
思わずため息が出る。わたしだって手を尽くしていた。画家の卵には興味がある人は多い。だけど、その卵が女性となると途端に手のひらを返す。
ほとほと困っていた。
今では、作品をわたしの知り合いに買ってもらっている程度。もちろんライラとスティーブ様は良いお得意様だ。ギャラリーのオーナーに何度か彼女たちの作品をきちんと見てもらいたいと足を運んだが、けんもほろろの対応だ。腹が立ったので、いつも作品を置いてきている。
「国外は探した?」
「いいえ。そこまでは、まだ。伝手もありませんし」
「それならば、僕が手伝おう」
簡単に手伝うと言われて、眉を寄せた。そんなにも気楽に何かする話ではないのだ。
「今、少し遠くの国で物語をモチーフとした絵画が流行っているんだ。しかも女性らしい感性の方が人気でね。彼女たちがそういうモチーフでも描けるのであれば、国外に持っていくのもありだ」
「国外では女流画家が活躍しているのですか?」
「まだ数は多くないが。あとは、同じように物語をモチーフというところでは、本の挿絵を描いている画家もいる」
「絵本ですか?」
「いや、一般の書籍だ」
絵本以外の本の挿絵と聞いてもピンとこない。本は印刷技術が発達して、今では平民でも手に取ることが可能だが、挿絵入りの書籍というのは学術書以外見たことがなかった。挿絵を印刷するのはとても難しいのだ。一体どういう本なのだろうと考え込んでいると、エドモンド様が立ち上がった。
「確か一冊、手に入れていたはずだ」
部屋の隅に控えていた老侍従に何やら話して、本を持ってこさせる。豪華な装丁の本で、とても重そうだ。
「……随分と重そうですね」
「そりゃあね。文章は印刷だが、挿絵は手書きなんだ。木版画では思った通りに描くのは難しいからね」
テーブルの上に置かれた本をめくってみる。タイトルと挿絵が飛び込んできた。実にわかりやすい挿絵で、どんな話かそれだけで分かる。しかも画家による手書き。まるで小さな絵画を見ているよう。
「すごいわ。本を読むのが楽しみだわ」
「そうだろう?」
「でも、彼女たちはパステルや水彩画が中心なの。挿絵に向いているかしら?」
この挿絵ははっきりとした色を使って描かれていた。素晴らしい挿絵だが、彼女たちの画風とは離れている。それに、これは大量に生産できないため、受注生産になるだろう。
「君が良ければ、一度、彼女たちの作品を見せてもらえないだろうか?」
「ええ、もちろん。こちらからお願いしたいわ」
お礼の訪問だったのに、わたしばかりが得をしていた。




