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1.婚約の白紙と次の婚約、つまりは政略

 いつもと変わらない夕食の後。

 挨拶をして席を立とうとしたわたしに、お父さまが話があると引き留めた。浮かした腰を再び落ち着かせた。皿は下げられ、新たにお茶が用意される。

 食後にするような話が思い浮かばず、どこか緊張した顔をしたお父さまを見た。


「何でしょう?」

「――実はローズマリアの婚約は白紙に戻った」

「え?」


 突然言われた内容を理解できずに、目を瞬いた。


 婚約白紙? どういうことだろう?


 頭の中は疑問だらけだ。

 具体的な説明をしてほしいと、お父さまを見つめる。だが、お父さまは落ち着かなさげに目をうろつかせただけだった。


「今さら婚約白紙なんてありえないわ。もう半年もしないうちに結婚なのに。招待状もそろそろ送る話をしていたのに」


 質の悪い冗談だと笑って見せたけど、お父さまは真剣な顔を崩さない。その様子から、冗談ではないと悟る。助けを求めるように、お母さまに視線を向けた。


「お母さまは聞いていたの?」

「いいえ、初めて知ったわ。突然婚約白紙だなんて……」


 お母さまも思ってもみなかった内容に、困惑を隠せずにいる。

 わたしもお母さまもじっとお父さまを見つめ、説明を待つ。だけど、お父さまは言葉を選んでいるのか黙り込んでしまった。よっぽど言いにくいことなのだ。お母さまはふうんと目を細めた。


「あなたが言いにくいということは、もしかして陛下が関係しているからかしら?」


 お父さまの顔色が悪くなった。

 お父さまと陛下は幼馴染と言ってもいいぐらいの親しい関係性。普通ならばとても喜ばしいことであるが、我が家の場合は違う。お父さまは何よりも陛下を優先してしまうのだ。陛下もそれを知っていて、無茶を通すことも度々ある。

 だからお母さまが警戒するのも当たり前。今までも優先順位が違うのでは、と思うことが何度もあった。


「ああ、そうだ。陛下から、立て直しのための援助をしてほしい家門があると相談されていたのだ」

「援助なのに、どうしてローズマリアが婚約白紙になって……」


 お母さまはそこまで言って、目を見開いた。


「あなた、まさか、没落しかかっている家を救うためにローズマリアを結婚させるつもりなの?」

「そのまさかだ」


 お父さまが小さな声で肯定した。

 お母さまは信じられないものを見るような目をお父さまに向けた。いつもは穏やかかな緑色の目に怒りが揺らめいている。お父さまは肩をすくめて、小さくなった。


「申し訳ない。前々からどうかと言われていたのだが、婚約白紙などできないと放置していた。ところが、先日、呼び出されて陛下が本気であることを知った」


 あっという間に整ってしまった、と苦し気な顔をする。お母さまは信じられないと首を左右に振る。わたしは現実味のない話に茫然と両親の話を聞いていた。


「なんてこと。お断りできないのですか?」

「すでに書類がそろっていた。カニング伯爵家の承諾書も」

「そんな。援助を前提としているということは、よほどひどい領地運営をしているということよね? そんなところにローズマリアを嫁がせるなんて……」


 お母さまの低い声に、お父さまが焦って言い訳を始めた。


「だが、悪いことばかりではない。長い目で見れば、ローズマリアにとって、いい話で」

「あなた、どれほどローズマリアが結婚する日を心待ちにしていたか知っていてそう言っているの?」


 とげとげとした言い方に、言い訳は何も出てこないようだった。きっとお父さまも次の結婚は上手くいかないと思っている。でも、断るという選択肢はないのだろう。


「……領地経営はローズマリアがすればいいし、援助をするのだから無下に扱えないはずだ」


 わたしがぼんやりしていると、お母さまが次の結婚相手を聞いた。


「相手はどなたです?」

「オベット公爵だ」

「何ですって?」


 相手の名前を聞いて愕然とした。

 オベット公爵といえば、身分だけでなく容姿も優れている人物。柔らかな金髪と薄い水色の瞳は令嬢たちの間でとても人気があった。それに、学生時代の成績も上位だったと聞く。唯一の欠点が、常に()()を連れて歩いているところ。


 愛人がいることで、何度もお見合いや顔合わせをしたにもかかわらず、いまだ独身でいる。社交界では悪い意味で有名な人だ。


 そんな愛人を側に置いている男に嫁ぐなんて。


 婚約者のスティーブ様とは十歳の時に婚約した。そこから長く時間をかけて交流してきた。毎月の二人だけのお茶会、それ以外にも観劇や植物園の散策など、一緒に過ごして、お互いを知るようになって。

 最近では彼とのお出かけはとても楽しみになっていた。彼に会える、それだけで気持ちが高揚する。スティーブ様も同じ気持ちだと、確認し合った。

 だから、結婚する日が待ち遠しかった。

 スティーブ様とは違う男性と結婚することを想像し、不安に体が震える。


「確かに評判は悪い男かもしれないが、ローズマリアは正妻になるんだ。愛人など捨て置けば」

「あなた、黙りなさい」


 お母さまの声はとても冷ややかで。お父さまも口を閉ざした。


「……次に会う時、スティーブ様と部屋の模様替えの相談をしようと思っていて」


 スティーブ様は伯爵家の嫡男であるから、結婚後、わたしも王都にある屋敷に住むことになる。わたしの好みに合わせて、と伯爵家の人たちは心を砕いてくれていた。気に入った家具を見つけたから、それを一緒に見てもらおうと思っていた矢先。

 ようやく自分が失った温かい未来を実感した。同時に、苦しさがこみ上げてきて喉を圧迫する。


「ローズマリア」


 お母さまがいつの間にか側に立っていた。そして包み込むように、優しく抱きしめてくる。


「泣いていいのよ。こんな理不尽なこと、許さなくてもいいの」


 そう囁かれて、自分が泣いていることにようやく気が付いた。気が付いてしまえば、こらえることなどできず。次から次へと涙がこぼれてしまう。


「どうして、こんなことに」


 お母さまに優しくあやされ、ますますしゃくりあげた。


「王都は落ち着かないわね。しばらく領地に戻りましょう」

「ちょっと待て!」


 お母さまの言葉に、お父さまが慌てふためく。お母さまはちらりとお父さまを見たけれども、すぐにわたしの方へと視線を戻す。お母さまは少し考えてから、口を開いた。


「王命を考え直してもらえるよう、王妃様にお願いしてみるわ」

「いいの?」

「もちろんよ。娘の幸せが何よりですもの。やれることは何でもするわ」


 お母さまがそう言ってくれても、どうにもならないかもしれない。

 それでも手を尽くしてくれる、その気持ちが嬉しかった。

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