牛男の悲劇
ウィルフさまはそう言ったが、実際に対峙した牛男は、わたしの呼びかけに反応を見せた。
「戦わず、話をしましょう」
報告では3メートルある巨体だと聞いていたが、実際は2メートル程度。
牛のような角が頭から生えていて、顔もゴツゴツと骨ばっているが、思ったより人間寄りだった。
肉体の形状は『マッチョな人間』で、皮膚の表面を覆ううっすらとした体毛が白と黒のまだら模様だ。
人間としての自我がある証拠として、下半身を隠すものを身に着けている。丸出しでは目のやり場に困るのでありがたい。
一触即発の空気のなか、牛男はわたしたちにさっと視線を走らせた。
「シャンテル、下がってくれ。言葉の通じる相手じゃない」
剣を構えたウィルフさまが言った。
その背後では、攻撃魔法の使い手のクライグが魔法の詠唱の体制に入っている。
回復魔法担当のシャンティはさらに後方にいる。シャンティと一緒に安全なところへいるよう言われたわたしだったが、真っ先に駆け出して牛男の正面に立った。
「決めつけるのは早計です。これまでに誰か、話してみようとしたことはあるんですか。あなた、人の言葉が分かりますね? 人間ですもんね?」
「お、お前……この俺を人間だと?」
牛男が喋った。しわがれた声と若い声の二人が同時に喋っているような不思議な声だった。
「はい。個性的ですが、そう見えます」
ムキムキっとしていた牛男の全身から力が抜け落ちるのが、目に見えて分かった。
へなへなとなった牛男は両手で顔を覆い、すすり泣いた。
「ウィルフさま、クライグさん。攻撃態勢を解いてください」
「いやしかし、泣いて油断させておいてってパターンも」
ウィルフさまが動揺した。
「私の役目はお二人のサポートですので、ご判断はお二人にお任せします」
クライグはつねに余裕だ。
シャンティは静かに見守っている。
「もういい、どうせ、お前たちには敵いそうにない。これまで来たやつらとは、強さのオーラが違う」
すすり泣きながら、牛男があえぐように言葉を絞り出した。
油断させるための演技には到底見えない。
幼い子どものように泣きじゃくる牛男の涙が止まるのを待ってから、私たちは話をした。
牛男は普通の人間の両親から生まれた。この地からずっと遠くの田舎の農家の出身らしい。
普通に生まれた牛男だったが、生まれつき頭に小さなコブが二つあった。
医者に見せるお金はなく、健康に問題はなかったため、気にしないように育てられた。
しかし成長と共に少しずつコブも育ち、角のように尖ってきた。目立たないようにと、つねに布を頭に巻くようになった。
「角があるなんて悪魔だ、俺の子じゃないと父は母の不貞を疑い、母と俺を家から追い出した。母と俺は食べるもの、住むところを求めて転々とした。俺の姿はどんどん、悪魔……というより、牛に近づいていった。頭の角だけではなく、顔もゴツゴツしてきて、体毛が濃くなって全身を覆い、筋肉が隆起し、とても人前に出られる見た目じゃなくなった。だから俺は廃墟に引きこもり、中でできる仕事をこなし、母が外で働いた」
そして牛男の母親は病気で亡くなった。
「この丘の一番見晴らしのいい場所に埋葬した。俺を殺したら、そこに一緒に埋めてくれ」
「遺言はそれだけか?」
話を聞き終えたウィルフさまが言った。
「えっ、ちょっと待ってください。なんで殺しちゃう前提なんですか」
「この男の生い立ちがどうあれ、この場所を不法占拠し、我が国の役人を大勢殺傷したという事実は変わらん」
「死んだ人いましたっけ? 大怪我で治療中では」
「ええ、そうですね」とクライグが答えた。
「平均して、全治3ヶ月です」
「大怪我だ。それに本人が死刑を望んでいる」
「そうなんですか?」とわたしは牛男に尋ねた。
「死にたいんですか? 生きたくないんですか?」
牛男のつぶらな薄茶色の瞳をじっと見つめると、虚ろさに揺らぎが生じた。
「生きたいさ。普通に生きられるなら。人目を忍んで逃げ隠れして、人に見られれば恐れられ、化け物呼ばわりされる、そんな人生にもう疲れちまった……」
牛男の絞り出すような吐露に、胸が再びぎゅっと苦しくなった。と同時に、ウィルフさまへの苛立ちがわいた。
「ウィルフさま、これを聞いて胸が痛まないのですか。ウィルフさまこそ、本当に人の子ですか?」
「なっ、シャンテル。もしかして私に失望したのか!? 嫌いになったか!? 頼む、嘘だと言ってくれ!」
「ウィルフさま、牛男さんを助けましょう。あなた、名前は?」
モーリス、と牛男は名乗った。