闇の魔術師ハイディの家にて
「闇の魔術師よ、私の最愛を返してもらいに来た。ノステア国の第四王子、ウィルフ・ローバトムだ」
颯爽と登場したウィルフ様に目をみはった。
サラサラの金髪に翡翠色の瞳、凛とした声色。以前と見違えるのは、背がぐんと伸びた上に、全体を包んでいた贅肉がスッキリ消えているからだ。別人級の大変身!!
「ウィルフさま!? お痩せになりましたね、お元気そうで何よりです」
驚きが先に立ってしまったが、続けて感慨深さが胸にこみ上げてきた。
よかった、ハイディさまのおかげでウィルフさまが幼少期より患っていた病は完治したんだわ。
よかった、本当に……。うるっと涙ぐみそうになるわたしの耳が、小さなため息を拾った。
「何をぬかす。この娘と引き換えにやった薬のおかげで、今の貴様の姿があるんだろうが。病気が治ったから奪い返しに来た? 不条理にもほどがある」
ハイディさまはウィルフさまの突訪にも動揺せず、いつもの冷めた目つきで応じた。
ワンレングスの白髪に褐色の肌、彫刻のように美しい顔立ちと均整の取れたプロポーションを持つハイディさまは、約四百年生きているエルフ族だ。
質素に省エネで生きているが、わたしより断然プリンプリンで肌艶がいい。
ハイディさまの言うことは筋が通っていた。
「ハイディさまのおっしゃるとおりです。不治の病と言われたウィルフさまの症状が完治されたのなら、ハイディさまが処方してくださった薬のおかげでしょう。その薬をいただく代わりに、わたしはハイディさまにお仕えすることにしたのですから。今さらその約束を反故にするなんてできません。はるばる足を運んでくださったのは本当に嬉しいですけど……」
ウィルフさまはぎょっとした顔で目を丸くした。
以前は肉に埋もれて糸目だったが、実はこんなにくっきりした目鼻立ちだったのだなと、ついまじまじと見てしまう。
うん、素敵だ。今のウィルフさまなら三人の意地悪な兄王子たちにもきっと馬鹿にされないだろう。
「シャンテル、すまない本当に。こんなに人里離れた暗い森の、うす汚いほっ立て小屋で、ニ年も魔女の下働きなぞ……さぞ辛かったろう。ああまったくなんてことだ。迎えに来るのにニ年もかかって本当にすまない。さあ王国へ帰ろう。今すぐ君の望みをなんでも叶えたい」
ああダメだ、中身が変わっていない。相変わらず人の話を聞かない。
「ここに残るのがわたしの望みです」
「なぜだ、シャンテル。助けに来たのだぞ。分かった、この魔女が恐ろしいんだな。心配するな。私はこの二年間、血が滲むような研鑽を積み重ね、強くなった。元より勇者ローバトムの血を引く者、特別な力が備わっている。病気のせいで発揮できなかっただけで」
「だからその病気が治ったのって、ハイディさまのおかげですよね? 感謝すべきじゃないですか。手土産持参でお礼に来るならともかく、喧嘩腰で乗り込んで来られるなんて、非常識じゃないでしょうか。そりゃこの家はオンボロで掘っ立て小屋みたいなもんですけど、潰れそうになるたび修繕して住み続けてきた、愛着のある家なんです。何も知らないウィルフさまが土足で踏みにじって良いところではありません」
「そっ、そりゃ私だって、君を奪われたりしなきゃ素直に感謝したさ。金ならいくらでも払ったのに、物なら何だって渡したのに、よりによって何よりも大事な君と引き換えにだなんて。最悪だ。君を失うくらいなら、私は病気のままでよかった。君と引き換えの薬なんて飲むんじゃなかった。知らなかったんだ。君は君の希望で外国留学したと聞かされていたから。本当のことを知っていたら、すぐに来ていた」
「そんなこと言わないでください。私が望んだんです。この身を引き換えにしてでも、ウィルフさまにご健康になってほしいと。願いが叶って大満足です。それに私、ここでのハイディさまとの生活、気に入ってますから」
「ウソだ、王国での都会的な暮らしがいいに決まってる」
「それはそれで良いですが、こちらはこちらで良いものです。とにかく、わたしはここへ残ります。ハイディさまとの約束を破ることはできません」
先ほどまでの勢いを失い、困ったようにわたしを見つめたウィルフさまは、覚悟を決めたように「分かった」と答えた。
「では私もここに住む。ダーク・エルフよ、私もここに置いてくれ、頼む。何でもする。必ず役に立つはずだ」
くるりとハイディさまのほうへ向き直ると、ウィルフさまは急に願い出た。
「いや、いらん」とハイディさまは即座に一蹴した。
「役立たずに決まっとる。偉そうでむかつくし、態度も図体もでかくて目障りだ。とっとと失せろ。シャンテルはやらん。力づくでもというなら相手をしてやるが?」
切れ長の目をすっと細めたハイディさまはゾワッとするほど美しい。って見惚れてる場合じゃないわ、いさかいを止めなくては。
「ハイディさま」
「嫌だぁ、そんなこと言わないでください。お願いします、飯炊きでも掃き掃除でも拭き掃除でも、薪割りでも風呂炊きでも何でもしますからぁ」
ヘナヘナと膝から崩れるようにして両足を折ったウィルフさまは、両手を伸ばして床へ倒れ込むようにしてひれ伏した。
「どうかどうかお願いします。シャンテルのそばにいたいのです」
ハイディさまは「ふむ」と頷き、興味深そうにウィルフさまのつむじを見下ろした。
「一国の王子ともあろう者が、好んで異種族の奴隷に? 好きな女のそばにいたいからと? とんだうつけ者よのう」
言葉はひどいが、今までの冷たい声色とは違って愉快そうな口調だ。
ウィルフさまはばっと顔を上げて、ハイと良い返事をした。
「シャンテルといられるなら本望です。喜んでお仕えいたします」
「いらぬ。王子を取り戻しに、今度はトンチンカンな家来が押し寄せてくるのだろう。雑魚の大群が来たところで怖くはないが、死体の処理が面倒でかなわん。早く失せろ。シャンテル、この馬鹿を故郷へ送り届けてこい」
「そっそれは、シャンテルを連れ帰って良いということですか!?」
「お前に選択肢はやらん。シャンテルの好きにしろ。そのまま国へいたければいろ。戻って来たければ戻って来い」
そう言ってハイディさまはわたしを見た。優しいまなざしで。
「ハイディさま……」
「二年間、よく働いてくれた。お前の作る料理はどれも絶品だったぞ。いつか気が向いたらまた食わせてくれ」
褐色の肌に映える、ピンク色の唇がふっと笑む。滅多に笑わないハイディさまの貴重な笑顔に胸が詰まった。
いつかなんて言わず、今すぐにでもフライパンをふるって、ハイディさまの好物のオムライスを作りたいくらいだ。その衝動をぐっとこらえた。
「絶対にまた来ます。オムライスを作りに」
「ああ。早く行け。その馬鹿王子が目障りだ」




