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離脱症状 三年

■三学年 四月

その日、学校の一画に設えられた来客用の会議室では、奏多と修吾が石津と母親の到着を待っていた。

「…ねえ、そんな機嫌悪そうにしないでよ」

修吾の顔色を見た奏多がたまらず口を開く。

「…してるつもりねえよ」

「滲み出てるよ。…お母さんは、悪い人じゃない…よ…」

「…」


奏多が家に戻る前、石津の提案通り四人で何度か話し合いの場が持たれたので、奏多の母親が根っからの悪人ではないことは修吾にも分かっていた。

あのとき、押しつぶされそうに重い黒い影を背負っていた母親は、投薬の効果かかなり気力を取り戻したように見え、石津と修吾と、そして奏多にもきちんと謝罪をした。

その時の、自らの所業に耐え切れず消え入りたいとでもいうような雰囲気は少し奏多に似ていると思った。


石津は四人での話し合いの前に修吾に滾々と、担任としての振る舞いをするようにと釘を刺した。…わかりますでしょう、木村先生。修吾を見上げるその目の端の小じわが気づかわしげに下がっているのを見た修吾は、それに免じてその話し合いを担任としてやり遂げた。


「…それは分かってるよ。でも、悪人だって三百六十五日、二十四時間、悪事を働いてるわけじゃない。善人だって、間違いをすることはある」

「…今日、進路の話するんでしょ…」

そう、本来ならば早ければ二年の夏には志望校を絞り込み、秋口からは進路指導相談を始めなければいけない時期だった。奏多は例の一件があったので、他の生徒から大きく遅れてしまっている。


「…ああ、そうだな。悪い。…良くないな」

「…良くないよ」

ちょうどその時、ノックの音とともに扉が開かれる。修吾は立ち上がると、奏多曰く悪い人じゃないというその人物ににこやかにあいさつをしてソファーを薦めた。


「…進路希望表書いてきたか?」

「ん」

「…お母さんとも相談済み?」

「したよ」「はい…」

ふうん、と修吾がそれを眺めると、上から早稲田、上智、東大のいずれも文学部が希望として連ねられている。

修吾は参考までに石津に強気なそれを回す。今日この場に石津がいるのは進路相談のためというよりは、母親と―修吾への抑えのためだったので、それほど見せる必要も無いのだが。


「文学部希望なの?理系の成績も悪くないし、お前、論理的に考えるの得意…そうだからそっちも向いてるんじゃないかと思うけど」

修吾は慎重に言葉を選びながら、膝に抱えた分厚いファイルのあちこちのページを繰りながら言った。

「はい。出版社に努めたいんです」

「へえ」「あら、いいわねえ」

外向きの話し方をした奏多に修吾と石津の言葉が重なる。

「でもお前、これからの出版社は斜陽業界だぞ」

「分かってます。でも、どれだけ紙の本が少なくなっても世界から物語が無くなることは無いでしょ?それに、紙の本の良さもやっぱり伝えていきたくて。生き残らせたいんです」

強い目線で修吾を見返す奏多に、それでも担任として修吾は告げる。


「言うほど簡単じゃないぞ。最近の出版社の業績調べたか?」

「調べました。でも、別に出版社に最後まで骨を埋めなくてもいいと思ってます。私は、ただ良い物語を多くの人に届けたいんです。そのための勉強ができれば」

「…編集希望なの?きっと死ぬほど忙しいぞ?」

「…夏休みのない教師とどっちが大変だと思います?」

「…超難問だな」

修吾と奏多は顔を見合わせて笑った。その様子を石津はニコニコとしながら、母親はヒヤヒヤとしながら見ていた。


「…しかし…、また欲張りなラインナップにしてきたねお前は。まあ上智はこのままのペースで行けば大丈夫だと思うけど…周りもこれから偏差値上げてくるからな、油断したら落ちるぞ。…オープンキャンパスには行ったの?」

「行かなくていいです」

「…四年通うんだぞ」

「必要ないです。大学には勉強だけをしに行くので」

何かを含めるような言い方に修吾は口の端を上げた。

「あのね、仕事とか勉強だけが人生じゃないんだぞ」

「分かってます」

「これから死ぬ気で勉強するのか?」

「します。他にすることも無いので」

また、何かを含めた言い方になる。

「…そうか。じゃあ、頑張れ」

「はい。頑張ります」

その視線の強さに、修吾は笑みを深くしてファイルを閉じた。

「俺の友達に早稲田卒のやつがいるから、受かったら紹介してやるよ。オープンキャンパスにも行かないんじゃ、大学生活不安だろ」

修吾は子犬のような顔をした、軽薄な男の顔を思い浮かべながら奏多に言った。


・・・


■三学年 五月

「キム兄、何買ったの?」

同じ土産物屋で買い物をしていた長谷川が修吾にすり寄ってくる。

進学校にはだいぶ珍しく、修吾の高校は毎年三年のこの時期に修学旅行がある。しかも行き先は毎年決まって定番の京都だった。

歴代の教師たちは何度か時期や行き先の変更を訴えたらしいのだが黙殺されたらしい。

噂によれば創業者の利権が絡んでいるということだが、嘘か真か。


「…母親にストラップ」

言いながら、小花柄の小さな紙袋に包まれたそれをスーツのポケットに雑にしまった。

「…お前は?…相良になんかプレゼントでもしないの?」

店内を見回して、長谷川と同じグループの生徒が近くにいないことを確認した修吾が声を潜めて言う。

長谷川は引き続き奏多が属するグループの一員として存続していたし、最近は時折真面目な顔で一緒に参考書を覗いている姿も見受けられた。

「…いや、今、あいつ勉強頑張ってるからさ、邪魔するのもどうかなって…」

「…健気だな。頑張れよ。俺期待してるんだから」

「頑張ってるよ、色々」

「あれ、陽斗いるじゃん。キム兄も」

店の入り口に目を向けると、成瀬とそのグループのメンバーらしき生徒が店の暖簾をくぐるところだった。

「…お前、京都でまで俺をつけまわすなよ」

長谷川が成瀬のもとに駆け寄っていくその隙に、修吾はその土産物屋から出た。


・・・


「…おい相良、乗り遅れるぞ」

新幹線の乗降口で生徒たちが乗り込むのを確認していた修吾は、最後の一人が乗り込んでも自動販売機の前で飲み物を選んでいるらしき奏多をしばらく眺めたあと告げた。

「えー、置いてかないでよ」

言いながら奏多はようやくといった感じで飲み物を買うと、修吾に続いて新幹線に乗り込む。


「…先生」

デッキから客車に乗り込むまでの短い間に、奏多は修吾にだけ届く声で呼びかけた。

修吾が小さく後ろを振り向くと、彼女の手には小さな灰色の紙袋が握られている。

修吾は目線を前に戻すと、スーツのポケットから小花柄の紙袋を取り出してそれを後ろに差し出す。

二人はまるで手品のように一瞬で二つの紙袋をすり替えた。修吾は手元に残った灰色のそれをスーツのポケットにしまい込み客車に足を踏み入れた。


修吾が家に帰ってから灰色の袋を開けると、「S.K」と刻印された平たい革のストラップが出てくる。

Shugo Kimuraのイニシャルを示したいであろうそれは、彼の目には別の意味を持っているように見えた。

なぜか痛々しく感じて何気に裏面を見ると、端っこに小さな蝶の刻印があるのが見て取れた。

たまらずに修吾は吹きだしてしまった。やめろよお前、と誰もいない部屋で小さく零す。

翌日、奏多のカバンにも新しいストラップが増えていた。

教壇からでは見ることはできないが、青空を模した爽やかな色合いのそのとんぼ玉の中には、何羽もの蝶が羽ばたいていることを修吾は知っていた。


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