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離脱症状 二年

■二学年 九月一日

「おい、ホームルーム始めるぞ」「あー!キム兄久しぶり~!」九月一日。二学期は無事にやってきた。修吾は廊下でたむろしてたクラスの生徒に声をかける。

「席つけー」

クラスの扉を開けるとそれぞれのグループに集まって話し込んでいた生徒たちが自分の席に戻る。

佐那と数人の女子と集まって笑っていた奏多もちらりと修吾を見ると席に着く。

「起立、気を付け、礼」

日直の号令に生徒が座り終えたところで修吾はクラスを見回した。


「…よし、全員元気そうだな。来年の今頃はほとんどのやつが受験勉強の追い込みになるから、実質今年が最後の夏休みになるって話、夏休みに入る前にしたの覚えてるか?どうだった今年の夏は。楽しかったか?」

修吾が話し始めたのは用意しておいた紋切り型の挨拶だったが、生徒はそれぞれに夏休みのことを思い出しているらしく、楽しかったよ、というキラキラとした視線が修吾に注がれる。

彼らの顔を見て修吾も笑顔になった。


「…相良はどうだった?今年の夏は」

「…はァ?!なんで私に振るわけ、マジイミフなんだけど。別に…フツーに楽しかったよ」

クラス中の視線を浴びた奏多は目を逸らせ前髪を抑えながら言った。


「そういう先生はどーだったの」金からピンクに髪の色を変えたらしい佐那が問う。

「俺?俺かー。俺はまあ、控えめに言って人生で一番いい夏休みだったよ」

ひゅーっとクラスが沸く。奏多は顔を隠したまま外を向いた。

「え、なにキム兄、彼女できた?!」長谷川が焦って聞くのでまたクラス中が笑う。

「お前ねー、二言目には彼女、彼女って、節操ないぞ。大人にはそれ以外の楽しみもあるの」

「あ、じゃあまだ彼女いないんだ。焦ったー」

「…お前、人の話聞いてたか?」

修吾が教壇に凭れるようにして長谷川を見るとクラスにはクスクスと笑いが起きた。

「…あ、やべ時間無くなる。一応出席取るぞー」

日常はそんな風に賑やかに戻ってくる。


その日の夕方、修吾と奏多は一緒に生徒指導室に向かっていた。当面の間、二週間に一度石津を交えて面談をすることになっている。

生徒指導室は特別教室が集まった棟の外れにあるので、人通りは無い。


「ていうか朝のアレ、なに」

「えー?…別にただ聞いただけだろ」

「なんでわざわざ、よりによって私なのよ。…めっちゃ焦った」

「焦ってるお前、…面白いんだよ」

修吾は一瞬言葉を飲み込んでから続けた。

奏多が所在なく前髪を触る。

その仕草は彼女が照れ隠しをするときの癖だと既に知っている修吾も複雑な顔で「いや、…良くないな」と独り言ちる。

「うん、良くないよ」

「そうだな、良くない」

言いながら修吾は生徒指導室のドアをノックした。


・・・


■二学年 九月

二学期が始まるとすぐに文化祭の準備が始まる。修吾のクラスでも出し物を決めるクラス会が行われていた。

学級委員の2人が上手く仕切ってくれているので、修吾はクラス会の様子を耳で聞きながら教室の隅でパソコン仕事に追われていた。


今年も飲食系の出し物にするらしい。屋台の看板を書いたり、調理や接客を楽しめるので飲食系の出し物は他のクラスからも人気だった。

修吾は明日夜、英語教師で集まって授業計画についてのディスカッションがある。下手な内容で持っていくと痛い目を見るため、修吾は徐々に仕事の方に集中し始める。


「キム兄」「んー?」「キム兄は何食べたいー?」「んー…?ええと…?だし巻き卵?」修吾はせわしなくキーボードを打ちながら、脳みその三パーセントだけを会話に傾けて答えた。

途端にどっとクラスが沸くので、思わず目を上げた。キム兄じじくせえよ、と長谷川が腹を抱えて笑っている。他の生徒も呆れたような顔で振り返って修吾を見ていた。


「あ?俺今なんて言った?っていうか何聞かれた?」

「文化祭で何作ろうかって話をしてて、木村先生に食べたいものを聞きました」

学級委員の長田がポニーテールを揺らしながら複雑な顔をしている。

なるほど、黒板にはフライドポテト、チキンナゲット、かき氷など飲食店の定番の品が書き連ねられている。

「で、俺なんだって?」

「…だし巻き卵」

黒板に向かっているもう一人の学級委員の佐伯が、案としてそれを描くべきか悩んだような顔を修吾に向けていた。


「あー…いや、でも美味いだろ、だし巻き卵」

「あのさあ。高校生の文化祭の売り物じゃないでしょ。見たことある?だし巻き卵、文化祭で売ってるの」

奏多が頬杖をついて呆れた顔でこちらを見ている。

「焼きたてじゃなきゃ美味しくないんだから。…もういいから、先生ほっといて決めようよ。私フライドポテトがいいな。楽だし美味しいし」奏多は前髪を抑えながら黒板に向き直った。

修吾は順調に話し合いが進む様子を見て頭をかくと、またPCに向かいなおした。


その数日後、また修吾と奏多は生徒指導室に向かっていた。面談では主に児相での生活について、不自由が無いか、どんな生活を送っているかを聞いている。

進学校に通う奏多は、同じように保護されている子供たちと一緒に勉強をしていると言っていた。

友達と言えるような子はまだできていないようだが、でも彼女の明るい性格はきっと同じように保護されている子供たちにも心強いものだろうと思う。


「ねえ」

「ん?」

「だし巻き卵そんなに好きなの」

「…うん」

「でも文化祭でだし巻きは流石にナイとか思わないわけ?」

「いや、まあ思うよ。あのとき仕事忙しかったんだよ。話に脳みそ使ってる余裕なかった」

「買って食べなよ。スーパーで売ってるじゃん」

「…焼きたてじゃなきゃ美味くないんだろ」

「…なんですねるみたいに言うのよ。…じゃあ、…焼きなよ」

「…そうだな。…良くないな」

「うん、良くないよ」


・・・


■二学年 十一月

十一月に入り文化祭も無事終わり涼しくなってきたころ、奏多の一時保護は一か月延長されることになった。

母親の容体は石津から聞いているが、あの日以降母親はきちんと心療内科で投薬を受けているらしい。

二か月経過してかなり持ち直したということだが、奏多と生活するのはもう少し先にした方がいいということだった。


「そうですか」

生徒指導室の面談で石津からそう告げられた奏多はあっさりと言う。

「どう?あちらではうまくやっているかしら。家に帰りたいと思うことは、ある?」

「上手くやってます。友達も少しできました。…あの家には、帰りたいとは思いません」

「…そう。もう少ししたら、いきなりお家に帰るのではなくて、お母様と少しずつお話をしていった方がいいと思っているの。もちろん最初は私たちも一緒に」

「…そうですか」

「そうしたら少しずつ、気持ちが変わって来るかもしれないわ」

「…一人暮らしはダメですか。母と住まなければいけませんか」

「危ないからダメだ」

「…先生には聞いてない、今、石津先生と話してんの」

入って来ないでよ、と奏多が修吾を睨む。

修吾が助けを求めて石津を見る。石津はそんな二人を見てあらあらと口に手を当てて微笑みを浮かべる。


「そうねえ、選択肢の一つではあるけれど、私もあまりおススメはできないわねえ」

修吾がほら見たことかという顔で奏多を見た。奏多はその顔を見てうざあと零す。

「一人暮らしは楽でいいけれど、困ったことがあったときとか、辛い時に一人でいるのは少し心配だわ。それに、今回のことはお母様との関係性を見つめなおす機会だと思って、一度チャレンジしてみてほしいの」

今すぐに結論は出さなくていいから、ね。と石津が告げる。

「…考えてみます」

「この面談も、そろそろ月に一回にしてはどうかと思うのだけれど。どう?勉強も忙しくなってくる頃でしょう」

「…はい、分かりました」


生徒指導室を辞した修吾と奏多はもう暗くなった廊下を歩く。

「暗いから帰り気を付けろよ」

「先生今日車じゃないの」

「普通に通勤するときは電車で来てんの。駐車場にも限りがあるし。俺下っ端だし」

「面談の日は車でおいでよ」

「…送らないぞ」

「ええ、けち」

「良くないだろ」

「…そうか。それは、そうかも。残念」

「…『あの家』って言ってた?さっき」

「…それ、気付いてても言わないでよ」

「どの家が、ナニ?」

奏多は前髪を抑えてその質問、良くないよ。と零した。


・・・


■二学年 二月

寒さが厳しくなった二月中旬のこと、修吾は家で学年末テストの設問の最後の確認をしていた。スマホが震える。確認すると奏多からのメッセージが来ていた。


奏多は結局、一月の中旬に自宅に戻った。十二月から戻ることもできたのだが、学校が冬休みに入ると母親と過ごす時間が必然的に長くなってしまうため、それを避けての結果だった。


家での生活のことや母親との関係性のことは前回の面談で聞いていたが、母からは謝罪があったということだった。

まだぎくしゃくするところが多いのは仕方ないが、それでも何とかなりそう、と言っていた。


奏多からは時折勉強のことでLINEが来ていた。ただ、奏多も修吾も必要以上の会話は自然としないようにしている。

『お願い』というメッセージと、長文読解の一部分。下線部を訳せという問題だった。

『関係詞はある英文を形容詞系にして複数の文章を繋げる役割があるから、逆にニつかそれ以上の文に分解して』

しばらくの間の後に、修吾が考えた内容とほぼ一致した内容が送られてくる。

『まあ大体そんな感じ。あとは日本語の問題』

ありがとうと言いたいらしい変なスタンプが送られてきたことを確認して、修吾はスマホを置いた。


大体はこんなやりとりで終わるのだが、その日は珍しくまたバイブが鳴った。

『三月の面談で最後になるから、イッシーにお礼がしたいんだけど、何がいいかな』

『お前相変わらず律儀だね。消え物がいいと思うけど。花とかお菓子とか』

『やっぱそっか。ざーす』

修吾の指が俺には?と打って、文字として見た時の生々しさにその言葉を消してスマホを置いた。


半年間続いた面談は、残すところ明後日の面談と来月の面談の二回となっていた。


その二日後、二月の面談もいつも通り滞りなく終わった。母親と暮らし始めて一か月がたつが、母親の精神面もだいぶ落ち着いたらしく、表面的ではあるがうまく暮らしているらしい。

「ねえ」

「ん?」

生徒指導室から帰る道すがら、珍しく奏多がその足を止めた。

「…ん」

カバンからシンプルな茶色い包装紙に包まれた小箱を取り出す。紺色のリボンがかけられている。

「…バレンタイン。ちょっと過ぎちゃったけど。ていうかバレンタイン日曜だったし」

奏多は困ったような顔で口をとがらせていた。その表情には見覚えがある、と思った。

「…ありがと」

「…別に、みんなにあげてる。義理です」

「…知ってるよ」


家に帰って修吾が改めてその包装紙を見ると、どこの菓子店の銘も印字されていない。包装紙のかけ方がやや甘いのを見ても、手作りらしいことは明らかだった。

「義理です、とか、言わない方がよかったんじゃねーの…」

その否定は反語のように、本当に伝えたいことを強調してしまっているように思えた。

それが思い込みであるようにと願いながら包装紙を丁寧にほどくと、クッキーが入った小箱と共に中から小さなメッセージカードが出てきた。顔をしかめながらそれを裏返す。


”It is only in the mysterious equation of love, any logical reasons can be found.”

そこには丁寧な筆跡でそう書かれていた。

一瞬でその文の意味とそれが意味することを読み解いた修吾は、いつかの日のように顔をきつく覆い天を仰いだ。

ぎり、と歯ぎしりする音が静かな部屋に響く。その音に、まだ巣立ちきらない蝶が小さく羽根を震わせる。


それはあの日見なかった映画のラストシーンのセリフだった。

奏多。と修吾の口が小さく動く。

これは『良くない』レベルじゃない。反則だ、と思った。

修吾は震える声で、奏多が綴ったセリフに続く言葉をつぶやく。

「You are the reason I am.」


・・・


■二学年 三月

「カナ~一緒に帰ろうよ。新宿のゲーセンに新しいプリ入ったポイ」

「マジ?!行きたいんだけど、今日むりぽよ!ごめんー!!」

「…しんどみが深い」

「明日、明日どう?!」

「絶対約束してよぉー」

「するする、超する」

放課後の佐那と奏多の会話を修吾は聞くとは無しに聞いていた。

「何、サナに内緒で彼ピ作った系?サナマジ泣きするよ?」

「違う違う、…アレ」

「ああ、そか」

「おい、教師をアレ呼びするな。あと指も指すな」

「カナは元気?だいじょぶ?いつでもウチおいで?」

「やーんサナマジラブトモ」

「…俺先に行くぞ」

頭がキンキンしてくるような言葉が飛び交うその会話を聞いていられず、修吾は先に教室を出た。

先生さようなら、と長田とそのグループメンバーが丁寧にあいさつしてくれるので修吾も気を付けて帰れよ、とにこやかに告げる。


しばらくダラダラと歩いていると、特別教室が集まった棟に差し掛かったあたりで後ろからパタパタと音がする。

「…廊下走んなよ」

「うっさい、学校でタバコ吸ってる不良教師のくせに」

「…お前それ誰に聞いた?陽斗?」

「そう」

「最近仲良さそうじゃん。良い奴だろ、あいつ。バスケも上手いし」

最近では奏多が属するグループの一人としてすっかり陽斗は溶け込んでいた。奏多のすげない態度も、だいぶ柔らかくなってきたように見える。

「まあ…いい人だよ」

奏多は教室で見せるような笑顔になる。

良かった良かった、と修吾は心の中でつぶやく。

「倉田にも話したのか?」

「あー、うん。お母さんがちょっと変でさっていうことくらいだけど」

「そか」

人に話せるようになってきたのは、彼女がその呪縛から解放されている兆候だと思った。


最後の面談も、いつも通り滞りなく終わった。

奏多が佐那に家庭環境を打ち明けたと聞いた石津は、そうなの、良かったわねえとこれまでで一番の笑顔を奏多に向けた。修吾の想像は正しかったらしい。

最後に奏多は、本当にお世話になりました。本当に本当に、ありがとうございました。と深く礼をすると小さな菓子折りを石津に手渡した。石津は恐縮しながらもそれを受け取った。


「これからも、困ったことがあったら必ず私か木村先生に言ってちょうだいね。忘れないでね、どんなことがあっても、あなたの幸せを願っている人間が、ここに二人は必ず存在するということを」

「…はい。ありがとうございます」

奏多は少し涙目になりながらも、きちんとそう返事した。

その石津の言葉に修吾の目頭も熱くなる。それを奏多に悟られないように、修吾は机の下で拳を握りしめた。


面談が終わった二人の帰り道はいつになく会話が無かった。

三月になりやや日が長くなってきたと言えど、最後ということもあって話し込んでしまったので外はもうだいぶ暗い。

「…このまま駐車場行くぞ。お前忘れ物無いか?」

「え?」

「送ってく」

「…え?」

「最後くらいいいよ。遅いし。車で行けばすぐだろこっから」

「…ありがと」


奏多が修吾の車に乗るのはあの日以来だった。その時と同じように後部座席に座った奏多は、ぼんやりと窓の外に流れる街を眺めていた。

車内にも会話は無かった。修吾は後部座席に座る彼女の方から、小さな蝶が羽ばたくような気配を感じた。こちらを窺っているような気配のソレを、修吾は見ないように努める。間もなく奏多の家に着こうかというところで修吾が口を開いた。

「…流石に家の前までは行けないけどいいか。近くで下ろすから」

「うん」

「家では、本当に困ってることは無いか」

「うん、大丈夫」

「そか。ならよかった」


奏多の家にほど近いところにあるコインパーキングに車を止めた修吾はハンドルに体を預けて前を向いたままぶっきらぼうに口を開く。

「あー、…それ、あげる」

「え?」

「座席んとこに紙袋置いてあるだろ。…ホワイトデーのお返し。そこのマドレーヌ美味しいんだって、現国の小宮先生が教えてくれた。夜食にでも食べな」

「…ありがと」

「クッキーも美味かったよ。お前、やっぱ料理上手いな」

「…良かった」

「…気を付けて帰れよ」

「…うん、送ってくれてありがと、あとこれも」

「また明日」

「うん」

奏多は車を降りるとこちらを振り向かずに行った。修吾もハンドルにもたれて、奏多の姿は見なかった。


結局修吾は、あの日のメッセージには触れられなかった。

奏多はどう思うだろうか。

触れることが出来なかったと思うのか、あえて触れなかったのだと思うのか。

後者であってほしいと修吾は願った。

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