バケモノの正体
山月が生み出したバケモノが操縦する小型飛行機が、天高く上昇した。
バケモノは、圧倒的な戦闘力を持っているだけでなく、知能も優れているらしい。初めて見たはずの飛行機なのに、それをいとも簡単に操っている。
「も、もういい……。もう、追い払ってくれたなら、それでいいんだ……」
山月は、定型の呪文を唱えたあと、人差し指を天に向けて立てた。
天遁十法……一般的に知られているのは、気象予報に毛が生えた程度のもの。
しかし、山月流のこの忍術は違った。
「雲よ、あの機体の道を塞げ。雷よ、あの機体を止めよ」
山月流の天遁十法は、気象を操れた。
バケモノの乗る飛行機の前方に、分厚い積乱雲が出来た。機体は、それを避けるように、左に旋回する。
「目的は果たした! もう、やめよっ!」
山月が叫ぶと、空一面が青白く光り、いくつもの稲妻が走った。
巨大な稲光が発すると、それが、バケモノの乗る飛行機に直撃し、瞬く間に機体が炎上した。
海面にむかって落ちていく小型機を眺めながら、山月は、後ろめたさを感じていた。
“やめよ”と叫ぶ一方で、消えてくれと願っていたのである。
それは、父から聞いた言葉を思い出したから。
『一度、生み出してしまった生物は、三年は生き続けてしまう』
山月は、三年も、あんな得体の知れないバケモノを飼う覚悟が出来ていなかった。目的を果たした今となっては、消えてなくなってほしいと思っている。
山月は、後方から黒煙を噴き出しながら落ちていく機体を、目を細めて見ていた。
(それでいい……。それでいいんだ……)
そして、最後まで見届けようとしていると、突然、思いもよらないことが起こり、息を飲む。
炎上していた機体が、海に落ちる前に消えた。
♰
レーダーに映っていた機影が、突然消えた。
バケモノが追ってきているのかと心配していたが、そうでは無かったらしい。
九は、最新鋭の機体でも、誤作動はするんだなと鼻で笑いながら、前方に見えてきた空母と連絡を取り、帰還の準備に入った。
「お疲れ様です。あれ? カイトと、サムは?」
甲板に出迎えにきた山咲に聞かれ、九は、感情を押し殺して答える。
「死んだよ。二人とも、やられた」
「えっ?」
驚いて固まった山咲を尻目に、九は、空母のデッキを進む。先には、アメリカ海軍の兵士が並び、中央にCIAのカールが立っていた。
「ご苦労さん。ナインを取り戻してきたかい?」
「ダメだ。無理だった。やつらは、手強い」
カールの顔が歪む。
「やつら? SPは、山月一人のはずだが?」
「山月は、バケモノを召喚する忍術を使ってきやがった。しかも、ナインまで、山月の味方をして、加勢してきたんだ」
「は? ナインまで?」
「そうだ。あんたら、いったい、アメリカで、ナインをどんなふうに扱ってきたんだ? ナインに、嫌われてるんじゃないのか?」
「ナインが嫌がっている? そんなはずがない。本土では、VIP待遇していたんだ。心地よく過ごしてもらえるように、いつも、細心の注意を払っていたんだ」
声を大にして弁明するカールだったが、嘘をついているようには見えない。
「そうなのか……。だとしたら、他の理由かな。そもそも、根本的に日本の方がいいのかな。だって、ナインは、あの島で檻に入れられて飼われてたんだから」
そんな環境の方がいいと思うはずがない。
カールが、ため息をついた。
きっとカールは、今回のミッションが成功すると確信していたに違いない。だから、失敗したと知った今、落胆の色を隠せないでいるようだった。
「なあ、ミスター伴。もう一度、島に行って、ナインを取り戻してきてくれないか?」
「いやだね。オレは、死にたくない。この件から、甲賀衆は、おろさせてもらうよ」
九は、再チャレンジするつもりも、代案を出すつもりなかった。けた外れに強いバケモノを思い返すと、今でも背筋が凍りつきそうなのである。
九は、完全に戦意喪失していた。
「いいのか? 成功報酬は出せないぞ?」
「それは、残念だけど、あのバケモノには、勝てないよ。あんたらも、注意した方がいい。関わると、皆、殺されるぞ」
九は、帰り支度をするように、山咲に指示した。
♰
山月は、目をこすって、もう一度、遥か沖の海面に目を凝らした。
けれども、やはり、小さな波すら立っていない。そこに、小型機が墜落した様子は無かった。
「そうか……そういうことだったんだ……」
振り返ると、いつの間にか、ナインが立ち上がっていた。山月と同じ方角を眺めているようである。
「やぁ、ナイン、起きられたんだね。体は、大丈夫かい? 意識を失ってたみたいだけど」
ナインは、肩に刺さっていた注射器を抜いた。
「大丈夫だよ。麻酔薬の量が少なかったみたいだ。私は、人間ではないので、こんなちょっぴりじゃ、効かないよ」
「それより……」と、ナインは、山月の横に並び、はるか沖を指さした。
「あの小型飛行機が、どこに消えたのか、ヤマヅキには、わかるか?」
ナインは、山月が忍術を使って、飛行機を炎上させたのを見ていたらしい。それでも、そのことは咎めずに、その後に起こった機体消失について、質問してきた。
「い、いや、ちょっと、わからないな……。どこにいっちゃったんだろう。黄泉の国かな?」
「いやいやいや、そんな国は無いよ。ヤマヅキは、頭がいいから、わかるだろ? なんで、わからないんだい?」
「いやいや、ちょっと待って、わかんないよ。なんで、ナインにはわかるんだい?」
「わかるさ。私には、わかるっていうのも、ヒントになってるのかもね」
「えっ? な、なになになに? ……ひょっ、ひょっ……」
ひょっとして!?
『2031年7月6日未明。神奈川県秦野市三廻部、鍋割山のふもと、勘七の沢に、未確認飛行物体が墜落した』
山月は、スマートフォンに表示された検索結果から、目が離せなくなった。オカルト雑誌に掲載されていた記事である。
「きょ、今日は、確か、2034年7月5日だったよな?」
『付近に、奇怪な生物が倒れていて、生存していたとの噂がある。この生物こそが、国の戦略的研究機関JSRAがコードネーム・ナインと名付けた宇宙人だと言われている』
「こ、この記事に出てくるのは、さっきの、消えたバケモノなのか?」
ナインは、こっくりと頷いた。
「ナ、ナイン……キミは、宇宙人なんかじゃなかったんだ……」
山月は、顔を上げ、ナインを見つめる。ナインも、まっすぐに山月のことを見ていた。
「私が、キミを生み出したというのか? それで、キミは、飛行機を操縦している時に、雷に打たれて、三年前に、タイムリープしたというのか?」
「その雷も、ヤマヅキの忍術で起こしたものだけどね」
「キ、キミは、いつから? いつから、どこまでわかってたんだい?」
「ヤマヅキに再会したときから、ああ、この人は、産んでくれた人だって、分かってたよ。だから、あの時は、ちょっぴり、嬉しかったんだよ。産んでくれたことは、感謝しかないから」
「そ……そ、そうだったんだ……。じゃ、じゃあ、雷に打たれたのは?」
「それは……。産んでくれた人が、やったんだろうなってことは、なんとなく悟ってた……。私を葬りたかったんだろうなって、厄介だからなんだろうなって。でも、その気持ちはわかるし……。だから、そんなことは忘れた。憎んでないし、全く気にしてないよ」
熱いものがこみ上げてきて、山月は、泣きそうになった。
生みの親とはいえ、山月は、一度、ナインを消し去ろうとした。
ピンチを救ってくれたというのに、この先、わずらわしくなるということから逃げたくて、飛行機ごと、葬り去ろうとした。
それに気づいていたはずなのに、ナインは、山月との再会を喜んでくれた。
産んでくれた悦びだけを残して、それ以外の憎しみは消し去って。
「ただ、生まれてすぐ、誰を助けようとして暴れてたのかは、さっきまで忘れていた」
ナインは、草むらの中から、何かを拾い上げた。キラリと日光を反射したそれは、短刀のようだった。
短刀を眺めているナインが、寂しそうな表情をした。
「私は、この私自身を助けようとしてたんだね……」
「ど、どうしたんだ? なんで、そんな悲しそうな顔をするんだ?」
「私は、老いぼれた……。年とっちゃったなって、産まれたての自分の強さを見て、悲しくなっちゃったよ」
ナインが、山月に短刀を手渡した。首を傾げて、ナインが口を開く。
「なあ、ヤマヅキ、私を殺してくれよ。私を産んだ、ヤマヅキには、その権利がある。この先、私が生きていても、ヤマヅキには災いしかもたらさない……。やっぱり、私は、厄介な存在なんだ……。キミの直感は、正しかったんだよ。なあ、刺し殺してくれよ、ヤマヅキ」
「ふ、ふざけんな、バカヤロウッ!」
山月は、力いっぱい、ナインをぶん殴った。
倒れたナインに馬乗りになって、顔を近づけて叫ぶ。
「こんな、孤島で、一人きりになるのなんて、嫌に決まってるじゃないか。ナイン、めったなことを口に出すんじゃない。オマエは、私の友達だ。なんにもない孤島だけど、二人なら、楽しくやっていける気がするんだ。キミもそうだろ? ここでの毎日を、楽しもうじゃないか、なあ!?」
ナインは、横を向いて、涙をこらえているようだった。
なぜ、ナインが死にたいと思ったのか、山月にはなんとなく、わかっていた。
三年……。寿命と言われている三年が、経とうとしているのである。ナインも、自分の体力の衰えを感じて、終活を考え始めたのだろう。
山月は、ナインの顔を両手で挟んで、正面に向ける。
「いいか、キミは、私より先に死んじゃいけないんだ。なぜなら、私は、キミの親だからだ。親を悲しませるんじゃない。親不孝者になるんじゃない。絶対だぞ」
気付くと、山月は、ナインに抱きついていた。
涙が止まらなくて、嗚咽するほど泣く。
「暑い……暑いよ、ヤマヅキ……。もう、いいだろ? 早く、良く冷えた地下室に戻らせてくれよ」
ナインとの生活は、平穏を取り戻した。
朝昼晩と、食事を終える度に、山月は地下室に下りる。
「なんだよヤマヅキ、寝ぐせくらいなおしてから、来いよ」
「いいじゃないか、めんどくさいんだよ。こんな島じゃ、誰に会うわけでもないし」
「私と会ってんじゃん」
「ナインならいいじゃん。気心知れた仲なわけだし」
「なんだよそれ。親しき仲にも礼儀ありって言うのに。礼儀を重んじる日本人の魂は、どこに行ったんだよ」
「ナインだって、ちょっと、毛並み乱れてない? ちゃんと、ブラッシングしてるのか?」
「私は、日本人じゃないから、いいんです。もっといえば、人間ですらないもん」
そんな、とりとめのないやり取りの日々。
たまには、盛り上がることもあった。
「ナイン、ナイン。おい、聞いてくれ。朗報だよ」
「何事よ、朝っぱらから」
「ナインが、調べてくれた新宿事件なんだけどさ、捜査が再開されたんだよ」
「うっそっ!? 本当か? なんで、今頃?」
「ナインに聞いた情報を、匿名でリークしたんだよ。警視庁のホームページに。そしたら、動いてくれたみたいで、今、犯人を事情聴取してるってさ」
「やったじゃないか! 妹さん、千佳ちゃんって言ったけ? 千佳ちゃんも、きっと天国で喜んでるよ!」
「そうだよな! 喜んでくれてるよな……。よかったよ……本当に、よかった……」
「なんだ、ヤマヅキ、泣いてるのか?」
「……すん……ナインのおかげだよ……。ありがとな……ホントにありがとな、ナイン……」
「なに…何言ってんだよ、ヤマヅキ……水臭いな……」
山月が泣けば、ナインも泣く。
心は通い合い、性別も種別も超越した特別な関係。
シェアハウスというよりは、同棲に近い生活だった。
しかし、そんな、生活は、長くは続かなかった。
ある朝、山月が地下に下りると、ナインの姿が無かった。
「なんだよ、ナイン。朝から旅でもしてるのか?」
独りごちながら、檻に入ると、ソファの陰にナインが倒れていた。
「ナ、ナイン? なんだよ、こんなところで……。寝てるんだろ? なあ、起きろよ」
山月は、ナインの体を揺する。
ナインの体は、マネキンのように固く、氷のように冷たかった。
「ちょっと、冗談はやめろよ。寝たふりか? 起きろって、早く」
ナインを激しく揺らしていると、涙がこみ上げてきた。覚悟はしていたが、実際に目の当たりにすると、感情が抑えられない。
「冗談じゃねえよ、全く……死んだふり、するなって……」
頬を伝う涙がポタポタと、ナインの体に落ちる。
「死んだふりすつなって! なあ。なあって! なあ、ナイン! 起きろよっ!」
山月は、ナインの頭を膝にのせ、抱え込むようにして泣き咽んだ。
「ナインッ! 起きてくれよっ! ナイン、置いていくなよ! なぁって!」
近いうちに、こんな日がくるということは、なんとなく気付いていた。
だから、一日一日、ナインと過ごす時間を大切にしてきたのだった。
後から、思い出せるように、一分、一秒を噛みしめて、ナインの笑顔を目に焼き付けて。
山月は、小屋の裏庭に穴を掘り、ナインを埋めた。こんもりと盛った土に、シャベルを挿して墓標に見立て、手を合わせる。
山月は、ついに、本当に、一人になってしまった。
一人やもめで、将来が不安になって、自分の未来を見てきて欲しいとナインのお願いしたことがあった。
『過去は変わらないし、変えられないけど、未来は、どんどん変わっていく。未来を知って手を打てば、その瞬間から、未来は変わってゆくんだ。だから、次に同じ未来に旅すると、全然違った風景に出会うことも多いんだよ』
あの時のナインの顔が浮かんでくる。ナインは、時の旅のことを例に出して、励ましてくれたのだった。
『つまり、未来は、とても不安定で、不確実なものなんだよ。今、この時からの行動で、なんとでも変えられるんだ。よかったな、ヤマヅキ。頑張れよ』
ずっと一緒にいるのは、ナインでよかった。いや、ナインがよかったんだ。
だから、そうなっている未来を見てきて欲しいと頼んだのに、ナインは、見に行かなかった。
ナインは、きっと、自分の運命を知っていたんだろう。
そうに違いない。