秘伝の忍術
遡ること十五分前――
山月は、眠りから覚めた。
しかし、意識は頭の周りだけにあり、首から下にあるはずの体の感覚が無い。きっと、麻酔薬が抜け切れてないせいだろう。視界も整わず、世界が歪んで見える。
ただ、それでも、目覚めたことが嬉しかった。ダーツの先に毒薬ではなく、麻酔薬を塗っておいてよかったと、ほっとしている。
誰かが、小屋から出て行き、「だ、大丈夫ですか!?」と叫んだ。
カイトの声である。
ケモノたちの獰猛な泣き声が聴こえてくるのは、おそらく、玉ベエが、仲間を集めて九らを襲ってくれているに違いない。
「おら、ナイン、早く立ってくれよ。もう、移動する準備は出来てるんだ。いうことを聞けって」
「いやいや。嫌だって、言ってるでしょ。私は、ここがいいんだって。ずっとここにいたいんだって」
サムは、ナインを小屋から出すのを手こずっているようである。
(まだ、逆転のチャンスはあるかもしれない)
山月は、呪文を唱えながら、力が入らないながらも、右手を動かし、首に刺さったダーツを引き抜いた。
息使いを気にしながら、少しずつ力を込め、重たい上半身を起こす。体中に、気を巡らせて、残った麻酔薬を昇華させていく。
山月は、自分でも、急速に体力が回復していくのがわかった。
サムが、ナインを立たせるのに手こずっている間に、山月は、静かに後ろから近づく。そして、サムの腰から、大振りのナタを引き抜き、一気にサムの頸動脈を掻き切った。
「あ、ヤマヅキ……」
サムの血しぶきが噴き出している向こうで、ナインが呟いた。
「すまんな、ナイン。私が、不甲斐無いばかりに、こんな状況になってしまって……」
「いやいや、大丈夫……。それより、そいつ……。もう、終わった?」
ナインは、サムを見上げた。
山月が支えているので立ってはいるが、サムはすでに絶命している。
「ああ、こいつはもう、死んでいる。終わってるよ。外には、まだ敵が残ってるけどね」
「ああ、確かに。ヤマヅキ一人で、大丈夫か?」
ナインの争奪戦のはずなのに、ナインは、他人事のように言った。
「ま、まぁ、なんとかしなきゃな。キミを守ることが、ミッションだから」
「頼むよ、ヤマヅキ。私は、アメリカなんかに行きたくないんだから。きっちり守ってくれよ」
山月は、死んだサムを支えたまま、ナインに気付かれないくらいのため息をつく。
「ちょ、ちょ、ちょっと! ちょっと、待って!」
山月が、サムを抱えて外に出ようとした時、ナインに呼び止められた。
「ちょっと、話を聞いてほしいんだ。だって、キミが外に出たら、もう会話ができないだろ? キミは、そのまま殺されるかもしれないし」
山月は、ナインを睨みつける。会話の節々に心無い発言があって、イラっとする。
それでも、ナインは、人間では無いし、気配りや気遣いは出来なくて当然だと、山月は、自分に言い聞かせた。
「な、なんだよ。あんまり時間は取れないけど……」
ナインは、ゆっくりと頷いて、勿体ぶる。
「なんだよ、早く言えよ」
「じ、実はさ……」
「実は? 実は、何? なんだよ?」
「実は……。私は、時空を旅することが出来るんだ」
山月は、時間が止まったのかと思うほど、頭の中身がどこかに消えた。
カミングアウトするにしても、内容がぶっ飛んでいる。
(時空を旅する? って、タイムリープ? できんの? ほ、本当に!?)
本当だとしたら、すごい……けど……。
いや、しかし。
考えてみれば、ナインが宇宙人だとすれば、光速で移動しても何万年とかかる距離を越えて地球に来てしまうような生物である。時間を自由に飛び越えてしまうなんてことも、あり得るのかもしれない。
「それでさ……。それで私は、七年前に戻って、キミの言っていた新宿一家惨殺事件を見に行ってきたんだ」
「え……え、え、えっ!?」
「七年前の新宿区さ。事件が起こった現場に旅して、犯行の瞬間を目撃してきた」
「えーっ!? ま、マジで!?」
「ああ、マジ、マジ。本当さ。だから、犯人が誰なのかもわかったんだよ」
山月の鼓動が速くなった。
本当だとしたら、かなり嬉しい。けれども、まだ、ナインの言うことを信じきれない。
「キミが、一番知りたかったことなんだろ、ヤマヅキ?」
ナインは、山月にウインクをした。
山月は、そんなナインを見つめていた。
真偽を確かめたくて、じっと、目の奥を覗いて心を読む。
読心術――
私は、ヤマヅキのことが好きだ。
毎日、朝昼晩と、わざわざ会いに来てくれて、トモダチだと思っている。
元々、一人でいることに、なんのストレスも無く、快適に暮らしていたんだけどね……。
でも、毎日、ヤマヅキとコミュニケーションを取るうち、私は、そんな新しい環境を悦んでいることに気付いたんだ。
それは、私の存在を認知してもらえているという、心の栄養のようだった。
自分の存在を誰かが認めてくれているということは、心に安らぎをもたらしてくれるということを知ったんだよ。
今日、ヤマヅキは、何時に来てくれるのだろう。
明日は、ヤマヅキとなんの話をしよう。
気付けば、ヤマヅキと会ってない時間ですら、ずっと、ヤマヅキのことを考えていた。
嫌われたくないという感情がわいたのは、初めてだった。でも、初めてだったから、どうしたらいいのかわからなかった。
だから、心で思ったこととは反対に、冷たい言葉が口をついたりする。
私に性別があるのなら、ヤマヅキの反対の性……女性でありたい。
そうであるなら、トモダチよりも、もっと別の、もっと近くて熱い感情になる可能性があるのだから。
そうなったとしても、ヤマヅキが受け入れてくれるかどうかは、別だけど。
ヤマヅキ? 今、私の心を読んでいるのか?
それなら、それでもいい。
言葉で発するのは、恥ずかしいということもあるから、手間も省けるし。
私が、時空を旅できるというのは、本当だよ。
だから、日本も、アメリカも、私が欲しいんだ。
だって、未来がわかれば、打つ手がわかるからね。自国を発展させられる。
私は、こだわりが無いから、気ままに旅をして、情報を共有してきたけど、今は違う。
今は、日本の味方をしたいかな。日本にいたいから。
日本にいれば、ヤマヅキと会えるからだよ。
これからもヤマヅキのそばにいたい、ヤマヅキと話がしたい。
だから……。
嫌われないためにも、喜んでもらうためにも、ヤマヅキの望むことをしてきたんだ。
過去に旅して、事件の真相を見てきたんだよ――
山月の方から、目を逸らした。
思いがけない告白に、涙腺が刺激されている。
好きになってもらえたことは、素直に嬉しい。
少し、話しただけなのに、覚えてくれていたことや、山月のために、わざわざ行動してくれたことは、さらに嬉しい。
「なに、泣いてるんだよ、ヤマヅキ。柄にもないな。みっともないし」
山月は、ナインの声で我に返った。
ナインから、犯行現場の様子と共に、犯人の名前を聞いた。だが、犯人の名は、初めて聞く名前だった。
落ち着いたら、改めて調べようと、山月は、スマートフォンに犯人の名前をメモにして残す。
「ナ、ナイン……あ、あ、あ、ありがとう。恩にきるよ……。ナイン……私は、必ず、キミを守るから。私を信じていてほしい」
山月は、絶命したサムを小屋の外に出して、立たせた――
あれから、十五分。いよいよ、九との決戦の場に、山月はいた。決意を固めている。
「私は、SPとして、ナインを守り切る」
九は、短刀を構え、不敵な笑みを浮かべた。その顔は、自信に満ち溢れている。
「威勢はいいし、思いは強いかもしれんが、実力は別だ。闘いは、強い者が勝つ。それだけだよ。オレがオマエを殺して終わる」
「九……いや、伴兼尋。伊賀、山月流忍術を見くびっていないか? 天下無双の最強忍術を知らないのか?」
九は、胸の前で手を合わせて指を組み、人差し指を立てて念じはじめた。空焚きした鍋から上がる煙のように、九の足元の砂が舞い上がる。
九は三体に分身し、山月を囲むように間合いを取った。三体とも、短刀を持っている。
山月は、動じなかった。もはや、九を恐れてはいない。
両手のナタを上段と下段に構え、臨戦態勢を取る。
音も無く、地面を蹴った三体の九が、同時に飛びかかって来た。
右手から、左手から、正面から、次々に襲ってくる短刀を山月は、はじいて凌ぐ。
「きぃぃぃやぁぁあああっ!」
奇声を発した九の動きが、どんどん速くなってくる。それでも、山月の振り回すナタは、遅れることなく短刀をはじき返し、ついには、隙をついて、一体の右手首を切り落とした。
「あおおぉうっ」
飛び退いた九は、分身の術を解いていた。
汗はかいているが、手首はある。どうやら、切り落としたのは、まやかしの方だったらしい。
間髪入れず、山月は、九の頭を目がけてナタを振り投げ、自らも、地面を蹴り上げて、跳んだ。
寸でのところで、ナタの刃を避けた九の顔面に、渾身の力を込めて、握っていたもう一本のナタを振り下ろす。
ナタは見事に命中し、九の脳天がパックリと割れた。
血しぶきが飛ばない。
手に伝わる感触も、思っていたものと違う。
(!?)
山月の目の前に、ナタの食い込んだ丸太が転がっていた。
(幻術!? 変わり身の術?)
背後の気配に気づいたが、一瞬遅かったらしく、背中に激痛が走る。
「浅いわっ!」
そう叫ぶなり、九の手を蹴り上げると、短刀は、ブーメランのように、回りながら飛んで行った。
背中の痛みをこらえながら、山月は、九と殴り合い、蹴り合い、肉弾戦を制しよう奮闘する。
けれど、傍観していたカイトが、小屋の中に入っていくのが見えて、一瞬、気が散ってしまった。その隙にくらったみぞおちへの一発で、形勢が決する。
防戦一方、数発に一発は貰うという劣勢のまま、ついには、小屋の外壁に押しつけられ、首を掴まれて、締められた。
「はぁはぁ……お、終わりだ……。山月。手を焼かせやがって。はぁはぁ」
山月が、九の手を解こうと手首を掴むが、ビクともしない。自己催眠をかけて、機械のように、締め上げているらしい。九の悪魔のような笑顔が、それを物語っている。
(く、苦しい……)
山月は、胸の前で指を組み、印のポーズを取った。
(な、何か、あるはず……)
『速読術、暗記術、早食い、大食い、即興料理、夜目、腹時計、読心術……』
もうろうとしているせいか、ろくな忍術が浮かばない。
気が遠くなっていく……。
「うわっ、やめろ! 暴れるなって!」
遠くの方で、カイトの声がした。
そして、脳が揺らされるような衝撃があって、山月の首は解放され、地面に倒れた。
息ができていた。
まだ、死んでいなかったのだと自覚する。
そう安心すると、急に全身に痛みが走った。アドレナリンのせいで気付かなかったが、体中の肉が腫れあがり、所々、骨が折れているようである。
悶えるように転がり、痛みに耐えていると、九の声が聴こえた。
「なんなんだ、てめえっ! やめろ、やめろっ!」
山月は、痛みを堪えようと草むらの中に、顔を埋めていたが、少しだけ首を振って、辺りに目を配る。
ナインが、九と戦っていた。
ナインは、まるで、熊か狼のようなケモノに見える。
野生のケモノが人間を襲うがごとく、ナインが一方的に九を攻め立てていた。
「ナ、ナイン……。キ、キミが、戦うことはない……。た、助けないと……早く……」
気ははやるが、体が動かない。立つことすら出来ない。
(な、何か……何か、出来ることはないのか……)
その時、山月の頭の中に、忽然と、一つの忍術が思い浮かんだ。
虫獣創生。
それは、山月流忍術の秘伝中の秘伝だったが、山月は、その術を使ったことがない。
『なんだ彰斗、東京に出るのか? お前は、伊賀衆、山月家の跡継ぎなんだぞ。自覚はあるのか?』
山月は、伊賀の実家を出る三日前、父からかけられた言葉を思い出した。
『忍術は、継承したからいいじゃん。東京に出て、普通の職に就きたいんだよ』
訴えても、山月の父はすぐには、首を縦に振らなかった。由緒ある山月家の跡継ぎの大切さを語り、思い留まるように説得してくる。
けれども、それが難しいと判断したのだろう。山月の父は、山月が東京に旅立つ日、秘伝の忍術を授けると言った。
その術が、虫獣創生である。
山月は、その術を修得するコツと術の効果は教えてもらったが、術自体は見せてはもらえなかった。
『この術は、他の忍術が何も使えず、もうやられてしまうという、最期の最期に使うものだ。平穏な時に使ってはいかない。修行や練習でも使ってはいけない』
『え? れ、練習も出来ないの?』
『ああ。この虫獣創生は、この世には無い、奇妙奇天烈な生物を生み出し、それに助けてもらうという忍術なんだ。一度、生み出してしまった生物は、三年は生き続けてしまう。むやみやたらと、そんなモノを生み出しては、いけないんだ』
草むらから、上体を起こした山月は、あの日、父から教わったコツを思い出す。
(虫獣創生……か……)
♰
九は、ナインの攻撃を受けていた。
見切ったはずの動きなのに、そこから、さらに伸びてくる鋭い爪で何度も身をえぐられて、手を焼いている。
(な、なんなんだ、ナインのこの動きは、いったい……)
ナインの不規則で、緩急のついた動きに、九はどんどんついていけなくなってきた。
そもそも、九にとって、ナインは戦う相手ではない。傷つけることさえ許されない、アメリカと取り交わした不文律がある。
防御しながら、思考を巡らせてみたが、ナインへの対処が思いつかなかった。それどころか、そんなことを考える余裕すら無くなってきている。
それほどナインの攻撃力は、すさまじかった。
「カイト! 助太刀しろっ! コイツを抑えてくれっ!」
ナインが突然暴れ出し、呆然と座り込んでいたカイトが、ようやく、立ち上がった。
ナインが、カイトの動きを気にして、後ろを向く。
(しめた!)
九は、ポケットに忍ばせた注射器を取り出し、ナインの肩にぶっ刺す。
「うわっ! な、なにしや……」
ナインは、何か叫んだが、最後まで言い終える前に、ひざを折り、前のめりに倒れた。
九は、麻酔を打ち込めたことに安堵して、額の汗を拭ったが、視界に入ってきた光景に目を疑う。
「な、な、な……なんだ、あれは?」
小屋の前、上体を起こした山月の前に、全身がびしょびしょに濡れたバケモノがいた。
そいつは、立ち上がり、ブルブルと体を震わした。肩からは、湯気が立ち昇っている。
「ナ、ナインか?」
産まれたての赤ちゃんのように、べっとりと濡れてはいるが、全身が長い毛で覆われ、耳が前に垂れている。
トレードマークであるヘッドギアこそ着けてはいないが、九には、そのバケモノがナインのように見えた。
「グアオアァアアアアッ!」
そいつは、猛獣のような雄叫びを上げて、のっしのっしとこちらに向かってくる。
九は、不吉な予感がした。
カイトを前に出し、ナインのようなそれを仕留めるように指示する。
カイトと目が合い、カイトが頷くと、そのまま、ポトリとカイトの頭が落ちた。
頭をキャッチしようとして、ファンブルしたのは、黒くて長い指。
いつの間にか、目の前に、バケモノがいた。
鋭い爪から、カイトの血が滴り落ちている。
「カ、カ、カ……」
九の足元に転がるカイトの頭……。
カイトは、指示を受けて、バケモノを成敗しようと意気込んだ表情のまま絶命していた。
(やばい。強い)
九は、身の危険を感じて、煙玉を叩きつけ、煙幕を張った。
追って来ないように、まきびしを撒きながら、足音を消して逃げる。
(なんなんだ、さっきの速さは!? 尋常じゃねえ……)
バケモノは、瞬間移動したとしか思えなかった。短い距離ではあったが、時間と空間を越えて、カイトの首を掻き切ったように見えた。
(山月が、生み出したのか? このバケモノも、忍術の一つなのか!? それとも……)
九の中で、幻術かもしれないという楽観的な見方がよぎる。バケモノはまぼろしで、カイトが殺されたのも、幻術による幻覚……。
だが、すぐにそれを打ち消す。
(もし、そうでなかったら、本当に、殺されてしまう……)
九は、煙の中から抜け出て、辺りを見回す。
今日は、一旦、退散することにして、停めてあった小型飛行機に乗り込んだ。
カンッ!
「グアァッ!」
コックピットでエンジンをかけた瞬間、キャノピーにバケモノが張り付く。強化ガラス越しに、殺意でみなぎった、バケモノの目に睨まれた。
九は、スロットルを全開にして、急加速で垂直上昇すると、ほどなくして、バケモノが、キャノピーから滑り落ちた。
上空100メートルまで上がり、九が、下を覗くと、地面に叩きつけられたはずのバケモノが、すぐに立ち上がる。
バケモノは、すぐ隣にあった、もう一機の飛行機に取り付き、キャノピーを開けようとしていた。
♰
山月は、両手の震えが止まらなかった。
父からコツを教わった虫獣創生だったが、まさか、一発で、上手くいくとは思っていなかった。
あの時――
全身全霊を捧げ、最強のケモノが生まれることを念じた。
敵を追い払い、今すぐに、ナインを救って欲しい……と。
すると、土が盛り上がり、見えない誰かが粘土細工をしているかのようにグネグネと、像の形が作られていく。
そして、大地から生まれるがごとく、全身が毛で覆われたバケモノが現れた――
そのバケモノは、けた外れに強かった。あっという間にカイトを殺し、九は、恐れをなして逃げ出した。
山月は、とんでもない忍術なのだと、改めて思った。
この先、強すぎるバケモノを持て余すかもしれないという、不安もわいてきた。
そのバケモノは、停めてあったもう一機に乗り込んで、なおも、九を追いかけようとしている。
その小型飛行機のエンジンがかかった。