コードネーム・ナイン
毛むくじゃらのナインは、山月より、ひと回り小さい。人間でいえば、小学生の高学年といったところか。
山月の頭の中で、ぐるぐると思考が回る――
日本とアメリカで取り合っているナインが、これだというのか?
確かに、これまで見たことないし、貴重な生物なのだろうけど、奪い合うほどなのか? 共同研究を続ければよかったのに、なぜ、揉め事になるような、ことをしているのか。
JSRAが発見した、ナインの能力に関係があるのだろうか?
だとしたら、それは、どんな能力なのだろう……
日本も、アメリカも、独り占めしたくなるような能力を持っているのか――
「や、やあ……。キミの名は?」
檻の中のナインが話しかけてきた。
山月は、ナインの澄んだ瞳に惹き込まれそうにになって、自然と体が動き、檻を施錠している南京錠を握る。しかし、この南京錠は、鍵式で、開きそうもない。
それでも、どうしても開けたくて、力ずくで、上下左右に引っ張った。だが、ガチャガチャと鳴るだけで、南京錠はビクともしない。
惑わされているのか、どうかはわからない。ただ、はるか古より体の芯に沁みついた野性の本能が、そうさせているようだった。
「私の名は、山月彰斗。この小屋を守るように言われている」
檻の鍵は開かないと悟った山月は、肩を落として答える。
「そうなんだ……。じゃあ、キミは、ホシタニの後継者なんだね」
ナインは、目を輝かせているようだった。
一方の山月は、ぽかんと口が開いて、あっけにとられている。
(……そうか、星谷さんは、ここの前任者で、ここで、ナインを守っていたんだ)
テーブルの裏に刻まれたメッセージが蘇る。
『JSRAは何がしたいのだ? ナインがかわいそうじゃないか。ナインは、私が守る』
星谷はナインをここで匿ったが、ナインに心を奪われて、任務の範囲を超越してしまって、カールを襲ったということだろう。
「ホシタニは、私のトモダチ……。キミも、私の、トモダチ?」
ナインは首を傾げて、上目遣いで山月の方を見てきた。
山月は、ナインの瞳から、視線を避ける。心を奪われてしまいそうだった。
はっきりとはわからないが、どこかしら、ナインが見つめてくる瞳に、妖のような怪しげな力を感じた。
ナインを檻から出したところで、室温5℃でしか生きられないのであれば、どこにも行けないじゃないかと、山月は、思った。そんな理由で自分自身を納得させ、南京錠の解錠を諦める。
「そうそう、私は、キミの味方だよ。キミと友達になりたいんだ。私は、星谷さんと交替した。これから、よろしくな」
檻の中に入れた手を、ナインは、やさしく握ってきた。
地上階に戻った山月は、興奮を冷ますため、熱いコーヒーを淹れて、すする。
巨大なサーバーなど無かった。ナインを閉じ込めた環境を監視するために、ここに赴任させられたのだ。
相田は、なぜ、それを隠して、嘘をついたのか。
ナインには、どんな価値があるのか。
鍋割山の、勘七の沢に、墜落した未確認飛行物体に乗っていた生物――ナイン。
きっと、宇宙人なのだろうけど、その価値がどれくらいあるのかが、わからない。
国家紛争に発展するほどなのだろうか。
話したい。
ナインと仲良くなりたい。
山月の中で、そんな感情がふつふつと湧いてきた。
次の日の朝、一晩中考えごとをして、一睡もできなかった山月は、朝食も取らずにデスクに着く。
せめて、ナインを檻からは出してやりたい。コーヒーでも飲みながら、雑談がしたい。
そんな想いに至って、南京錠を開ける方法はないのかと、自信が習得した忍術を書き並べてみる。
『速読術、暗記術、早食い、大食い、即興料理、夜目、腹時計……』
この辺りの技を忍術というのは、おこがましいかもしれない。それでも、山月流として、訓練してきた。
『読心術、催眠術(影縫いの術)、超絶忍耐術、冬眠術、第六感、隠れ身の術、変わり身の術』
忍術っぽくはなってきたが、どれも、解錠の役に立つとは思えない。
『末梢神経過敏術』
ダイヤル式の南京錠を解錠するのに役立った忍術である。しかし、鍵式は開けられなかった。
『口寄せ、天遁十法(気象予報)、分身の術、遁術(火遁の術、水遁の術、土遁の術、虫獣遁の術)……』
どれも役に立ちそうにない。
『……虫獣創生』
参考までに書き足したのは、山月家に伝わる、究極の秘伝忍術。
虫や獣を、意のままに作り出して、敵を襲わせるというらしいが、山月は、この術までは習得できていない。
見たことも無いので、山月流を誇示するための、架空の術ではないのかとすら、思っている。
「そんな術があったところで、鍵は、開けられないしな……」
山月は、防寒着と丸椅子を手に取ると、冷蔵庫横の扉を開け、地下へ下りた。
「おはよう、ナイン」
檻の中には、小さなダイニングセットがあり、ナインは、そこで朝食を摂っていた。
顔を上げて口を拭う。口元についたシリアルが、ポロポロと落ちた。
「ああ、ヤマヅキ、来てくれたんだね。おはよう」
ナインは、ギョロっと、目を大きく開けて、歯が見えるほど口角を上げた。
「なあ、ナイン。キミは、自分の価値を知っているのか?」
山月は、檻の前に丸椅子を置き、そこに座る。
「知っている。日本にとって、私は何よりも必要な存在なはずだよ。だから、こんな離れ小島の地下で守られているんだ」
「守られている? いやいや、おかしいでしょ? 価値があって、重要なら、もっと都会の中心的な施設に置いておくはずだよね? 都心の研究施設とか、そんなところでしょ、普通に考えたら」
「ふつう?」
「そうだよ。しかも、こんな檻なんかに入れられて、守られているっていうよりは、監禁されているっていう表現の方が正しい」
ナインは、キョトンとした表情で、周りを見回す。
「別に、監禁されているとは、思っていないよ。何の不自由もない。例え檻が無かったとしても、外は暑いから出たくないし。この檻は、私が逃げ出さないようにするためというよりは、私が盗み出されないようにするためのものさ。いわば、金庫の役割だね」
檻の中には、水回りや家具、電化製品、トレーニング器具などがある。ナインが言っていることは正しいのかもしれない。
檻の中にナインを入れたのは、ナインが再び盗まれるのを、ひどく警戒してのことなのだろう。
「キミは、アメリカと日本が、キミを取り合っていることは、知っているんだね」
「ああ、知っている。どちらも、私を欲している。私、モテモテだよね、ふふふ」
笑った拍子に、ナインが着けていたヘッドギアが少し、ズレた。ナインは、それを整える。
「な、なんで? なんで、キミは、そんなにモテモテなんだい? よかったら、教えてくれないかな?」
ナインは、表情を変え、真面目そうな瞳を山月に向けた。
「いや、それは、やめとくよ。自慢とかしたら、馬鹿みたいにみられるでしょ?」
「いやいや、自慢とかじゃないじゃん。君自身の能力なんだろ? 教えてくれてもいいだろ」
「いやぁあ。それを教えてる自分を想像すると、自慢してるみたいで、嫌なんだよ。そういう性格のヤツが好きじゃないから」
「いやいやいやいやいやいや」
「いやいや、こっちこそ、いやいやいやいやいやいや」
「こんな低次元の押し問答をするつもりはナインだよ」
「ナイン? だじゃれ? 全然おもしろくナインだけど。ふふふ」
「ちょっ、ちょっと、ふざけないで、教えてくれよ。いいだろ? な? キミの優れた能力は、なんなんだい?」
「ホント、大したこと無いから、言いたくない。ヤマヅキほどの能力を持ってないからさ」
「何を言ってるんだ? 私なんか、孤島に飛ばされた、チンケな警官だよ。キミは、国家紛争を引き起こすような能力があるんだろ?」
「伊賀忍術の方が、数倍スゴイでしょ。中でも、山月流は、上忍を凌ぐほどの隠れ忍術を一子相伝で、受け継いでいるとかいうでしょ」
山月は、パニクった。なぜ、ナインが、自分のこと、山月流のことを知っているのか。
しかし、今は、それは、本論ではない。
「どうしても教えてくれないというなら、私が勝手に想像したことを言ってもいいか?」
「どゆこと?」
「いいから、黙って聴いていてくれ」
山月は、ナインに揺さぶりをかけて、反応を見ることにした。
「キミは、地球よりも相当科学技術の発達した宇宙から来たんだろう。そして、キミの脳の中には、その知識が、たっぷりと蓄積されているんだ……」
ナインは、動かない。
「キミのことを調べていたJSRAは、それに気づき、さらに、その情報が取り出せる手段を見つけたんだ」
山月は、ナインのヘッドギアを指さした。
「キミにつけられたそのヘッドギアが、そうなんだろ? その装置で、ずっと情報を吸い上げていて、そこのサーバーに保存し続けているんだ」
ナインは、驚きもせず、動揺もしていないようだった。それでも、山月の想像には興味があるようで、まばたきすることなく、ゆっくりと口を開く。
「だとしたら、その知識をなんに使うの?」
山月の中では、答えはひとつしか無かった。
「兵器だよ。世界のどの国をも屈服させる、最強兵器だ」
「ぶっそうだね……」
ナインは、悲しそうに目を伏せた。
ナインは、「ちょっとだけ、当たり」と言った。逆に言えば、山月の想像の大部分は、間違っているということなのだろう。
雰囲気も悪くなりそうだったので、山月は、それ以上は言及せず、地上に上がった。
その日から、山月は、朝昼晩と、食事の後には必ずナインのもとを訪れ、親睦を深めた。
ナインには家族がおらず、天涯孤独だと知った日、山月は、自分のことも話した。
「えつ? ヤマヅキには、妹さんがいたの?」
檻の中のナインは、コーヒーの入ったマグカップを片手に、少し驚いた様子だった。
「そうだよ……。千佳っていうんだ。千佳は、高二の時に死んじゃったんだけど」
「そ、そうなんだ……若いのに、可哀そうに……。でも、なんで?」
「殺されたんだ。知らないと思うけど、結構、有名な殺人事件に巻き込まれた」
山月は、足を組みなおして続ける。
「その日は、友達の家に、泊まりに行ってて、その夜中に、強盗に襲われたんだ。一家惨殺。千佳まで、巻き添えをくって、殺された」
山月は、当時の記憶が蘇ってきて、こみあげてくるものがあった。ここで、泣いてしまってはいけないと、必死に堪える。
「な、なんていう事件? 犯人は? 捕まったの?」
ナインは、山月の心境の変化には、お構いなしで訊いてきた。
話したことを後悔したが、もう、遅い。
「新宿一家惨殺事件……もう、七年も前の事件さ」
ついに、山月は抑えきれずに、瞳から涙がこぼれた。
「犯人は、まだ、捕まっていないんだ。遺留品は、たくさんあったのに……だから……」
「だから、ヤマヅキは、警察官になったのかい? 妄想で、人生が歪んじゃったね」
「なんだとっ!? 何が、言いたいっ!?」
「映画やドラマで、よくあるストーリーじゃないか。それで、こっそり調査して、犯人を見つけ出して、捕まえるんだろ。よかった、よかった、妹の無念を晴らせたと、ハッピーエンドだと。そんなこと、夢見て警察官になったんだろ?」
山月の思惑は、お見通しだった。
ナインは、マグカップに口をつけて、コーヒーを一口すすったあと、続ける。
「警察官になるなんて、勿体なかったなぁ、なんて思ってね。ヤマヅキくらいの忍者なら、もっと、稼げる仕事に就けたのにさ」
「オマエに、何が、わかるんだ!? 私の、何を知っているというんだ? わ、私は、私は……」
山月の脳裏に、千佳が現れては消え、また現れては、走り去っていく。どの千佳も、笑っていた。幼い頃から、仲が良い兄妹だと、近所で評判だった。
親元を離れ、二人で東京に出てきて、暮らし始めてからは、一層、距離が近くなった。彼氏が出来たと聞いた時は、少し嫉妬もしたが、嬉しそうに自慢する姿を見て、そっと見守っていようと心に決めたのだ。
(伊賀を離れる時も、両親から、千佳を守るように言いつけられていたのに、守れなかった……)
山月の流す涙は、悲しみが消え、悔しいものに変わっていた。
山月は、両手で檻を掴んでいた。
ナインの非情さは、言葉だけでなく、表情にも表れていて、まともに顔を見られない。
「未解決事件で、犯人が誰かも判っていないのを、遺族が見つけ出すなんてのは、空想の世界の話だよ。現実の世界で、できるわけがない。コールドケースは、まず、解けやしない」
「そうかもしれないけど、他の職に就いて、犯人が捕まるのを、じっと待ってることなんて、できるわけがない。少しでも、捜査に近いところにいて、携わっていたいんだ……」
山月の声のトーンは、低くなっていた。
「私なら、こうするね。ナイン様を崇拝して、お願いして、頼み込んで、犯人を割り出してもらうのさ」
ナインは、檻越しに顔を近づけてきて、「さあ、私を拝みたまえ」と、囁いてきた。
(な、なんなんだ、コイツ、本気か? 冗談で言ってるのか、こんなシリアスな場面で!?)
ナインは、喉の奥をクククと鳴らして、笑ってすらいるようだった。
翌朝、いつものように、山月が地下室に下りると、ナインの姿が無かった。
檻の中には、家具や、家電製品などがあるから、どこにでも隠れることは出来そうだったが、何度呼びかけても、ナインからの返事は無かった。
どこかの隙間で倒れているとしたら、助けてあげたいが、檻は開かないので、どうすることも出来ない。
(きっと、寝ているんだろう)
山月は、自分にそう言い聞かせて、地上に上がった。
窓の外が騒がしい。どうやら、ミカサが、騒いでいるようである。
「どうした、ミカサ? 何かあったのか?」
外に出た山月の肩に、ミカサがとまった。耳元で、ぴぃぴぃと鳴く。
ミカサは、ウミネコから聞いた情報を教えてくれた。
小さな船が一隻、この島に向かってきているという。
「それはおかしいな。補給船がくるのは、来週のはずだけど……」
山月は唇の右端を上げ、上の歯に舌を当てて、空気を切るように息を吐いた。
動物にしか聴こえない高周波の口笛は、ふもとの森に向けて響かせている。
やがて、小さなピンポン玉くらいの毛玉が、崖を駆けあがってきた。
森に放っていた玉ベエである。
「玉ベエ。念のため、警戒態勢を取ってくれ」
手のひらの中の玉ベエにそう言うと、ピーナッツを与え、再び森へと放った。
小屋の屋根に上った山月は、はるか沖に航跡を見つけた。こちらに向かってくる船は、月に一度くる補給船よりも、かなり小さい。
手漕ぎボートにモータエンジンをつけただけのような、簡素なものに見える。
(あんな、小さなボートで、ここまで来たのか?)
グーグルマップで検索したが、人が住んでいる一番近い島までも、500kmは離れている。燃料など、相当な量を積んできたのだろうか。
山月は、急いで山を駆け下り、桟橋の前に立つ。
近づいてくる船を見てもなお、山月は、誰が、何をしに来たのか、何も思いついてなかった。
可能性としては、相田がくるかもしれないが、それなら、そうと、事前に連絡がくるはずである。
興奮を抑えて見守っていると、寄せてくる船上の様子に、息を飲んだ。
小さなボートには、誰も乗っていなかった。
ガス欠なのか、スカスカとして弱々しいエンジン音が、自然と止む。
この時、山月は、船の横に立つ不自然なさざ波を見逃さなかった。
波の原因となっているのは、水面の上に少しだけ見えている筒である。
(水遁の術……甲賀か!?)
山月は、後ろポケットに入れてあるダーツを握り、身構えた。
「ぶっふあああぁぁぁぁああ。あー苦しかったぁ!」
勢いよく、水しぶきが上がり、竹筒を握った九が、海の中から現れた。
「オレだよ、オレ。山月くん、驚いた?」
長髪をかき上げた九は、いたずらを成功させた少年のように、無邪気に笑っている。
山月は、つられて頬が緩んだが、内心は穏やかでない。
流星から、九の正体を教えられて以来、正直、九と会うのが怖かった。
人殺しをなんとも思わない九の性格は、危険極まりない。
これまでは、仲間だと思っていたから、力強いとさえ感じていたけど、今は違う。
九の正体は、甲賀の頭領で、山月にとって敵……。
九は、まだ、山月がそんな感情を抱いていることは知らない。うまく騙せていると思っているはずである。
そして、まだまだ、山月を利用しようと考えているはずである。
「あれ? どうしたの? 久しぶりの再会なのに、元気ないんじゃない? 山月くん」
三日月の形をした九の目を、まともに見られなかった。それでも、怪しまれないようにしないといけないと山月は思った。
バレたと気付いたなら、きっと九は、山月を殺そうとするに違いないから。
「い、いや、驚いてたんだよ。なんで、こんなとこまで、わざわざ……と、思って……」
言いながら、山月は気付く。
きっと、ここに“ナインがいる”ということを、九は、突き止めたに違いない。