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コードネーム・ナインの正体  作者: おふとあさひ
2/10

特刑

 雑木林の中は、薄暗かったが、目が慣れてくれば、夜中の二時でも十分に視界が取れた。


 つい先ほど、九とともに、中年の男を捕まえてきた山月は、九より数歩下がったところで、緊張していた。


「おい、おっさん、なんで、こうなったのか、わかるよね?」

 九から、おっさんと呼ばれた中年の男は、木に縛り付けられていた。殴られて、顔が腫れている。

「な、なんだ、てめえ! こんなことして……ぎゃっ! いてててっ!」

 まだ反抗的な態度の男の太ももに、九が小刀を刺した。


 男の名前は、斎藤恒雄(つねお)

 相田から、特務警官としての任務として、さらうように指示された男である。

 山月は、その背景や理由、今回のミッションの最終的な目的(ゴール)まで聞かされていたが、体が動かないでいた。


 九とタッグを組む、特務警官としての最初のミッションである。

 だからしょうがないという、言い訳と、最初だからこそ、九に舐められないようにイニシアチブを取ってやろうというたくらみが葛藤して、前者が勝ってしまった。


(やばい……。本当に、体が動かないゾ……)



 保沢夏美さん殺害事件。

 当時二十歳の大学生で、一人暮らしをしていた彼女は、五年前、雑木林の中で、遺体で発見された。

 着衣は乱れ、性的暴行を加えられた跡もあった。


 その後、容疑者として浮上したのが、斎藤だった。死亡推定時刻の二時間前、バイト帰りで自転車に乗る夏美さんの横に並び、しつこく声をかける斎藤の姿が、雑木林近くの防犯カメラに映っていたのだ。

 マスコミも世間も注目する中、ようやく斎藤の逮捕に踏み切った警視庁だったが、送検するも証拠不十分で起訴できなかった。

 あれから五年……。


「事件が風化するのを待ってたんだ。殺人事件を犯した犯罪者が、のうのうと生き永らえることは、許さない」


 相田から言われたことと、全く同じ言葉を九が、斎藤に言った。


「く……。くそっ……。オレは、犯人じゃねぇ。やってねぇ。検察もオレを起訴しなかったじゃねえか……」

「だから、こうやって、成敗しにきたんじゃないか」

「ど、どういう意味だ?」

「オマエが犯人だって、わかってるんだよ」

「証拠はっ!? 証拠がねえから、不起訴なんだろっ!? ふざけんなよ、コノ……ぐぎゃあああぁぁぁああああっ!」


 九が、斎藤の脇腹に小刀をぶっさし、真横に、ゆっくりと裂いた。



 斎藤の遺体を地中に埋めた。

 誰が準備したのか、二メートル以上の深さの穴が掘ってあった。そこに斎藤を放り込み、土をかぶせるだけでよかったので、大した手間では無かった。


「まだ、息してたな、あいつ……。しぶといやつめ……」

「えっ!? ってことは、生き埋め?」

 山月は、全然気づかなかった。死体遺棄に手を貸しただけのつもりが、殺人に協力してしまったことになる。


「なに、驚いてるの、山月くん。どうせ死ぬんだから、どっちでもいいじゃん」

 山月の息は荒い。運動をしたあとということもあったが、それよりも興奮しきっている。初めて、人が殺されるのを見て、初めてそれに手を貸した。


「きゅっ……九は……、な、慣れたもんだな……さすがだよ」

 山月は、九に睨まれる。そして、息を飲んだ。

 九は、黒い服を着ていたが、それでも返り血を浴びていることは、はっきりとわかった。


「山月くん、今日は初めてだったから、しょうがないけど、次は、ちゃんと活躍してよ。期待してるからね」


 “悪魔が微笑んでいる〟


 山月の目には、そう映った。



 家に帰ってシャワーを浴びたが、寝る時間は無い。山月は、仕方なく、そのまま出勤する。

 といっても、向かうのは、警視庁ではない。

 通勤ラッシュの電車を降りて向かったのは、本庁舎の2ブロック裏に建つ、マンションの一室だった。

 特務警官は、極秘任務にあたるため、警視庁の中でも伏せられている。なので、人目につかない場所に、拠点となる事務所があった。


 中に入ると、ワンルームマンションに似合わず、事務机が向かい合わせに置いてある。


 九は、まだ出社していない。山月は、自分の席に座った。


 使用感のあるデスクの引き出しを開ける。が、途中でひっかかってしまった。中に指をつっ込んでまさぐるが、何がひっかかっているのか分からない。


「んだよ、まったく。朝から、面倒だな」


 荒々しく、押したり引いたり、上げたり下げたり。がくんと、つっかえが外れる感触がして、何かが床に落ちた。


 折れ曲がった厚紙かと思ったそれは、誰かの名刺らしかった。拾い上げて、デスクの上に広げる。


『警視庁 警備部 警備課 星谷慎吾』


 山月にとっては、懐かしい名前だったが、特に気にすることなく、その名刺を丸めて、ゴミ箱に捨てた。


 山月は、引き出しからノートパソコンを取り出して立ち上げ、メールボックスを開く。元同僚や同期から、メッセージが届いていた。

『心配している』

『なにかあったのか?』

 全部、似たような内容である。


『ご心配をお掛けして、申し訳ございません。実は、この度』

 そこまでキーを叩いて、止める。

 山月は、返信しては、いけないことを思い出した。


 特務警官に任命されると、元の部署には、私的理由で退官したと一方的に告げられ、二度と関りを持つことを許されない。つまり、引き継ぎはおろか、あいさつすら、させてもらえないのだった。


「そういえば……」


 ふと二年前のことが、頭に蘇った。同じ部署の先輩が、突然出社しなくなり、数日後、辞職したと上司に聞かされたことがある。


 星谷慎吾――辞職した理由に興味が湧かなかったのは、普段から、それほど親しくしてなかったから。


「なんだ、九はまだ来ていないのか? 不真面目なヤツだな」

 事務所のドアが開いて、相田が入ってきた。


「おはようございます、警視総監。昨晩のミッションは、明け方までかかっていましたので……」

 相田は、片目だけ伏せた。「だから、なんだ」と言いたげな目を山月に向けている。

 九を庇ったつもりだったが、山月は出勤しているので、効果は薄かったらしい。


「まあ、いい。突然で悪いが、今日もミッションだ。九がいないなら、山月だけでやってくれるか?」


 山月は、昨日のミッションが、脳裏に蘇る。

「えっ!? わ、私だけで、ですか!?」

 法律で裁けなかった犯罪者に対し、被害者や被害者の遺族が望むように罰を与えることを『特刑』と呼ぶらしい。


「き、今日も、特刑でしょうか?」

「いや、今日は違う。単なる尾行だ。山月だけでも、大丈夫だろう」


 相田からの指示は、今日の便で羽田に到着する、バッグパッカーの格好をしたアメリカ人を尾行し、どんな行動をしたのか報告せよ、というものだった。

 山月は、その男の素性を質問したが、相田は答えなかった。


「そいつの名前は、カール・シンプソン。髭面の長身だが、変装もうまいので、注意して尾行してくれ」



 羽田空港――

 山月は、スマホの画面に映るカールと、出口から出てくる旅客を見比べていた。そして、流れが途切れる。

「あれ? この便じゃなかったのかな……」

 山月がため息をついた時、スモークのかかった自動ドアが開き、長身の白人が出てきた。髭面である。

(やつだ!)

 山月は、スマホをポケットに押し込み、見失わないようにカールを尾行する。


(ん? どこに向かってるんだ?)


 バッグパッカーと聞いていたので、てっきりバスか電車で移動するのかと思ったら違った。

 一般車両の送迎用のレーンで待っていた執事のような男に、あいさつしている。


(しまった! まずい)

 山月は、急いでタクシー乗り場を目指して走り出したが、カールは日本人に促されて、黒い車に乗り込んでいる。とても間に合わない。


 山月は立ち止まり、唇の右端を上げ、上の歯に舌を当てて、空気を切るように息を吐いた。


 路上にいた鳩が、一斉に飛び上がった。

 人間には聞こえない高周波の音が響いている。

 電線へと昇る鳩と逆行して、緑色の小鳥が下りてきて、山月の肩にとまった。


 この辺りでは珍しい、メジロである。


 綺麗な黄緑色をしたメジロが、山月の肩の上で、首を傾けている。

「ミカサ、頼む。あの黒いハイヤーを追ってくれ」

 山月がミカサと呼ぶメジロが、天高く飛び上がった。



 山月は、タクシーに乗った。ミカサには、GPSを取り付けている。


「運転手さん、次の交差点を左へ。渋谷方面へ向かってください」

 スマートフォンでミカサの現在地を確認しながら、ミカサを追いかけた。


 ミカサの動きが止まる。どうやら、渋谷の雑居ビルに入ったようである。

 ビルの近くで山月はタクシーを降り、ミカサを呼んで、餌を与えた。

「サンキューな、ミカサ」

 ミカサが飛び立つと、山月は、自販機の陰に隠れて出口を見張る。

 しばらくして、中からカールが出てきた。一人である。


(中で何をしていたんだ? 執事風の男は、どこだ? 黒い車は?)

 山月は、カールが出てきたビルの写真を撮り、カールを尾行する。


 表通りに出る前に、黒いキャップを目深にかぶった男が前から歩いて来た。

 男は、肩から掛けたカバンを開け、中から何かを取り出した。


 キラリと日光を反射する。


「やばっ!」


 山月が駆け出すが、間に合いそうも無い。

 キャップの男は、カールに体当たりして、押し倒す。そして、その勢いのまま、カールに馬乗りになり、ナイフを頭上に掲げる。

「や、やめろっ!」


 声の主は、山月では無かった。反対側から飛び出してきた、九が、キャップ男に飛びかかった。

 寸でのところで、九がキャップ男の手首を掴む。


 山月は、路上でもみ合う九に加勢し、キャップ男の首を上腕筋で締め上げた。

 カラン、とアスファルトにナイフが落ちる。

「ま、マジかっ!?」


 ナイフには、べっとりと血のりがついていた。


 見ると、カールは、路上で悶えるように、顔を歪めている。

 カールの着ている白いTシャツは、お腹の部分が真っ赤だった。


「山月くん、コイツ、頼む」

 九は、山月にキャップ男を託し、カールに近寄った。

 傷の具合を確認し、どこかに電話している。おそらく、救急と警察だろう。


 山月は、男の首を締め上げたまま、キャップを剥がす。

「うぇっ!? えっ!? えええぇぇぇーっ!!」

 男は、苦痛に顔をしかめているが、その顔には見覚えがある。

「ほ、ほ、ほ、星谷さん!?」


「や……やぁ、久しぶりだな、山月……」

「ほ、星谷さん、な、なんで、こんなことを!」

「はぁ……はぁ……。し……仕方なかったんだ……。こうするしか、無かったんだよ……」

 星谷は息苦しそうにしていた。山月は、腕の力を抜いてみたが、それでも息遣いは、変わらない。


「や、山月……お前もSPなら、わかるよな……。要人警護する上で、最も大切なこと……」

「え? ど、どういうことですか? 何を言ってるんですか?」


 山月は、星谷の頭を膝の上に乗せた。星谷の息は弱々しくなっている。


「お、おれは……間違っちゃいない。こ、この国を……あ、あ、《《あいつ》》を……守るためにやったんだ……。や、やるしか……」

「あいつ? あいつって、誰のことですか? 星谷さん? 星谷さんっ!?」

 星谷は、目を閉じてしまっていた。顔全体が、青白い。


「や……山月……」

「しっかりしてください! 星谷さん! しっかりしてくださいよ!」


「や、やつらが追っているコードネームは……ナインだ……。《《ナイン》》を、よろしく……頼む……」


 星谷の息が絶えた。



 山月が、星谷の体を調べると、背中に毒針が刺さっていた。

(こ、これは……九の仕業か?)


 九は、呼び出した車に、負傷したカールを乗せている。車は、救急車でも、パトカーでもない。レクサスのSUVである。


「九、どういうことだ? 何をやってるんだ? なぜ、警察や救急を呼ばない? なぜ、殺した?」

 車が出て行くのを見送っていた九が、振り返る。


「そいつも、連れて行こう。山中に埋めないと」

「な、なにを無茶苦茶なことを、言ってるんだ。星谷さんを殺しておいて、証拠隠滅を図ろうというのか!?」

「なに? そいつが、星谷なのか?」

「えっ? 星谷さんのこと、九は、知ってるの?」


 特務警官の事務所にあった、星谷の名刺。そして、星谷は、二年前に警護課を辞めた。

 星谷が、特務警官になって、九と一緒に働いていた可能性はある。


「名前は聞いたことがある。オレと同じ特務警官だってことを、相田さんから。ただ、一緒に働いたことも無けりゃ、顔さえ、見たことがなかった」


(どういうことだ? どんな関係だったんだろう……)




 上り坂の先にあったので、小高い土地なのだろうが、つい近くまで住宅地が続いていたし、山と呼べるのかどうか、微妙な所だった。

 竹が茂る中を進むと、人が立ったまま、すっぽりと入ってしまいそうなくらいの穴があいていた。


「あらかじめ、掘ってあったのか?」

「都内には、いくつか準備してある。必要になってから掘るなんて、焦るし、目につくかもしれないし、無計画すぎて馬鹿だろ?」

 九は、笑いながら、星谷を穴の中に放り込んだ。


 山月は、自分でも驚くくらい、冷静でいる。

「なぁ九、そろそろ、教えてくれないか? 何が、どうなってるのか、わからない」

「なんのこと、言ってんの? オレが現場に現れたこと? それとも、星谷さんとの関係?」

「その、どっちもだ」


 九は、ボリボリと両手で頭を掻いた。面倒臭いと言わんばかりの目つきで、山月を睨んでいる。


「オレがあそこにいたのは、相田さんの指示だよ。カールって男を、陰ながら警護しろって言われてな」

「警護? 尾行では無く?」


 九がポケットから、小さな巾着袋を取り出し、中に詰めてあった粉状のものを穴の中に振りまいた。

 星谷の死体全体に振りかかるようにしている。

 爽やかなハーブの香りが、漂ってきた。

(臭い消しか? たちじゃこう草か、まんねんろうの粉末だな……)


「ああ、警護だ。相田さんは、キミに指示を出したあと、カールが襲われるかもしれないって、考え直したんだろ。もし、暴漢が現れたら、即刻、特刑に処しても構わないって言われたよ」


「ど、どういうことだ? カールは一体、何者なんだ?」


 九は、空になった巾着袋をズボンのポケットに押し込み、顔を上げる。

「なんだ、山月くん、そんなことも聞かされてないのか? まだ、相田さんの信頼を勝ち得てないんだな、キミ」

 九の目が、三日月のように湾曲した。

(バカにされている)と、山月は思った。


「カールは、CIAさ。アメリカ中央情報局の要人だよ」


「な、なんだ、どういうこと? なんで、CIAをこっそり尾行したり、警護したりする必要があったんだ? だいたい、カールは何をしに来日したんだ?」


「そんなこと、知るかよ」


(それは、聞かされてないんだ。結局、九も、そんなに信頼されてないじゃないか)



 山月と九は、星谷の入った穴を、埋めた。

 カールが来日した目的がわからないのでは、元特務警官の星谷がカールを襲った理由など、分かるはずもない。


「もう一つの質問に答えてくれないか?」

「えっ? なんだったっけ?」

 九は、手に着いた土を払いながら、間の抜けた顔をした。本当に忘れているらしい。

「星谷さんと九の関係だよ。同じ特務警官だったのに、顔も知らないって、どういうことだい?」


「ああ、理由は簡単さ。オレが特務警官になった時、星谷さんは、すでに事務所にはいなかったんだ。別の場所で、長期の特殊任務に就いていたんだ。そして、最近になって、辞めたって聞かされた。だから、顔も見たことがなかった」

「星谷さんに与えられた、長期の特殊任務って?」


「そんなこと、知るかよ」


(やっぱり、九は、そんなに信頼されていない)


 山月は、頬の肉を必死で持ち上げる。細くなった視界で、九を見る。


(ちゃんと、三日月形の目になってるだろうか……)


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