臆病な鬼の外科医
いつからだろう?
私は彼の側にいた。いつだって彼の側で、彼と共にあった。
血塗られた影。
その素性を知る者は極々限られている。
私は今日も、彼と在る。
親愛なるQM。そう、あなたの側に。
「期待しているよ、我が友。」
あなたは私に言った。
だから私は応えた。
「ご期待以上を約束致しましょう。」
部屋から廊下に出ると、そこには見慣れた2人の顔があった。
「よぉ。」
十六夜 渚。
「おかえりなさい。」
琴葉 来兎。
私の部下たちだ。
「わざわざ私のためにお迎えに来てくれたのかい、渚くん。来兎くん。」
「ちげぇよ。こいつがどうしても行くって聞かねぇからついてきただけだ。」
渚が来兎くんを指差した。彼は気にせず、私の目を見てにこっと笑った。
「僕は霧藤さんが大事ですから。」
「それはありがとう。けど、任務は良いのかな?」
「ナメんな。俺はとっくに終わらせてる。」
「僕も終わってるよ、霧藤さん。」
優秀な部下で結構。
渚くんはぶっきらぼうなやつだが、だからなのか、尋問には一瞬すら躊躇いを感じさせない。楽しんでいると言うわけではなさそうだが、まぁとにかくヒドイやつだ。
だから彼には“人と関わるお仕事”をしてもらっている。先刻言ったような尋問とか、或いは他の部下へのお仕置き人とか。
今回彼に任せていたのは、後者。お仕置きの方だ。
なんでも、潜伏先から戻ってくるときに追けられていたそうな。戻り先が仮拠点だったからその時は良かったものの、ここ本部だったら一大事どころの騒ぎじゃない。
来兎くんはまさにその逆。
愛想良くて話し方もフレンドリー。
人を殴るだとかの趣味はない。
彼に任せていたのは、スパイ。
人懐っこい性格だから警戒をされにくい。だから、今回私に与えられた暗殺の任務のお手伝いをして貰った。ターゲットの情報収集だ。
スパイとして潜り込む能力もあるが、情報を引き出し、選別する能力も持っている。素晴らしい諜報員だよ。
彼には兄がいた。いや、いたらしい。いるような、いないような。いない気がすると思ったらやっぱいた気が……。ずいぶんと曖昧な記憶だそうで。
いたとしたらとても大事な存在だったことだろう。親が親だったからすがる先がそこしかなかったはずだ。
気の毒に。
「おい霧藤。」
渚くんが呼ぶ。
常々思っていたが、彼のこの上司をナメた口がどうも心配だ。
いや私相手なら別にいいんだがね。敬語で喋る仲でも無いし。ただ、他の幹部と関わるときにヒヤヒヤする。特に私たちのボス、QMがいる場だと余計に。
今回ここで、ハッキリ注意してやろう。
「あのね、渚くん。私は上司だよ?」
言うと
「ハッ。知るか。ここは裏社会だぜ。先輩後輩、上司と部下をやりてぇなら表社会に行きな。」
と返してきた。
「渚。それはよくない。霧藤さんは僕たちの上司だよ。ちゃんと敬意を持たないと。」
来兎くんも注意してきた。
「うるっせぇな。偉い子くんは黙ってろ。」
言われてかちんときたのか、来兎くんが渚くんの胸ぐらを掴み、壁に押し付けた。
「……ってぇな。なんだ、やんのかよ? 人を殴ったこともなさそうなヒョロガリが。」
「おまえ……いい加減にしろよ…。仲間と言えど、本気で蹴るぞ!」
「おぉーコワイコワイ。ならほら、やれよ。」
あーあみっともない。
見てられなくなって間に入ることにした。
「はいはい、そこまでだよお嬢さんたち。それで、渚くん。何か報告があるのかい?」
私が仲裁すると、来兎くんはその手を放してくれた。
渚くんはチッと舌打ちして両手をポケットに突っ込み、眉間にシワを寄せたしかめ面で続けた。
「日本のサツどもは一連の事件の関連性を見て捜査……結果、他の担当だが、企業の存在に気付いたようだぜ。話によると、潜入捜査の計画もあるらしい。」
企業。
それは、うちの組織が建てた会社。まぁただの稼ぎ口だ。
現地で使えそうな人材 (ホームレスとか浪人生とか) を募り、詐欺とかその辺で金を稼ぐ。
まぁ他にも、その場所に暴力団がいるなら勧誘して戦力にしたり、場合によっては邪魔だからぶっ潰したり。
あとは場合によっては人攫いもする。
臓器は高値で売れるから、闇医者とか、裏社会とベッタリな医者に売り付ける。
それと……QMの彼と側近にしか分からない“計画”のために、ある種族を探してたりもする。
それらの活動の拠点として、わざわざ起業するって訳さ。
日本の警察は鋭い。これ含めた2件のペーパーカンパニーを炙り出した。
まぁ最も、QMは唯一日本の政府には関わろうとしない。だから私たち組織の圧力がかからないんだ。
「そこを担当しているのは誰だい?」
「イェーガー。」
「ふむ。まさか狩人と言っておきながら、狩られるなんてことはないだろうけど……。まぁ嗅ぎつかれるようなバカを起こしたんだ。“お仕置き”は必要かな。」
「わーったよ。じゃあ次はイェーガーにな。コースは?」
「そんなに酷いことはしなくていい。そうだな……手の甲に…メスとか釘をドスッと刺すんだ。叫んだらその口のなかにガソリンを染み込ませたタオルを突っ込んでおいて。」
「……悪趣味なヤローだ。」
渚くんは口角を上げてそう言うと、仕事へ向かっていった。
「霧藤さん、僕は?」
「来兎くん、君は……そうだな、特に今は何もないかな…。」
「じゃあ僕は霧藤さんと一緒にいるね。」
にこっと笑った。
「私と一緒にいても何もないよ?」
「何もなくていいんだ。僕が霧藤さんを守るんだよ。」
「それはそれは…フフッ…頼もしいことだ。」
私がつい笑うと、彼は嬉しそうに笑った。
*
私が仰せつかった任務。それはとある男の暗殺。
諸星 勲七。
何故あの人がこの男の暗殺を命令したのかは分からない。
分からないが、とにかく命令したのだからこなすまでだ。
私の任務は暗殺だ。
「お仕置きは完了したぞ。」
渚くん。
「霧藤さん、警察が動き出したみたいだよ。」
来兎くん。
「私たちに追加の任務だよ。」
二人に告げる。
「イェーガーの尻拭いのために俺らが動くのかよ。」
渚くん。
「日本なんて久しぶりだよ、ね、霧藤さん!」
来兎くん。
「なぁ、企業ってこの辺だろう?」
渚くん。
「マズイ…想定より早い! 急がないと全部押収されちゃうよ!」
来兎くん。
「急がなきゃヤベーぞ、霧藤!」
渚くん。
「いや……これは間に合わない…。来兎くん。私と渚くんで時間を稼ぐ。君は現場のスタッフたちに言って、裏口から金とブツを持って逃げるんだ! 完了したら銃を3発撃って合図してくれたまえ! いいね!!」
私が2人に指示を出す。
そして、その時はやってきた。
《国際警察だ!犯人に告ぐ! 武器を棄てて投降しなさい! 国際警察の権限におき、発砲許可も降りている! 繰り返す! 武器を棄てて投降しなさい! さもなくば実力を行使する!》
メガホンを使って忠告してきた。
国際警察…発砲許可……?
そうか、そういうことか。
連中は警察ではない。
私たちは名のある大規模なテロ組織だが、これと対を成すように、同じくらい大きな組織もまたある。
それが、“ベツレヘムの星(STAR OF BETHLEHEM)”という組織だ。
所謂、傭兵派遣。国際警察というのは奴らのことを指す隠語のようなものだ。
国が傭兵派遣組織と組んでいるとなると色々問題だ。
そこで、彼らは表向きでは国際警察と名乗っている。
情報操作のプロがいるらしく、この素性を知るのは我々組織(QM)と関係者のみ。
主導者は伝説の男。
ジャック・リーフィス。
彼を殺せば組織はめちゃくちゃになるだろうが、それは不可能だ。
その理由は様々だが……まぁここで彼の話をしてもつまらない。
いつかわかるだろうから置いておくとしよう。
《これが最後の警告だ! 今から10分やる! 時間内に武器を棄てて投降しろ!! さもなくば国際警察の権限において、実力を行使するぞ!》
メガホン越しにまた声が鳴る。ひどく声を荒げているね。龍角散をおすすめするよ。粉のヤツ。
「おい……ほんとにやんのかよ…? 銃撃戦にでもなってみろ……俺は戦力外だぜ……!? 死んだら祟るぞ……!?」
渚くんの顔が蒼白していた。
ビビってるなんて珍しい。
「彼らは殺しはしないさ。少なくとも、私たちが無抵抗でいる間はね。私だって銃なんて使ったことはない。あるのはメスだ。君と似たような仕事しかしたことはないからね。ま、それで尋問の“鬼”だなんて、大層なあだ名を付けられているけど…。」
私は念のため持ってきた護身用の銃を懐から取り出した。なんてことはない。ただのオートの45口径。
「あいつらが銃を使わないって保証はねぇだろ……!?」
「いいから落ち着きたまえよ、渚くん。彼らは私たちに『武器を棄てて投降しなさい』と言っている。それに反している今の状況は、『抵抗している状態』なんだよ。わかるかい? “命令に背いている”から、“抵抗している”んだ。少しでも時間を延ばすためには、まず彼らと話し合わなければならない。武器を棄てて、両手を上に挙げ、投降する素振りを見せる。確実に彼らは撃ってこない。あくまでも国際警察を名乗ってる身だ。拘束はされど、撃っては来ないよ。」
「拘束されてるじゃねぇか……!」
「……もういい。とにかく私の言うことに従うんだ。いいね。」
渚くんは何度も頭を縦に振った。
私は両手を上に挙げ、警官と名乗る傭兵どもの前に現れた。
「降参だ、降参だよ。」
すると連中、一斉に拳銃を構えてきた。
何故だろう?
私はハッとし、手にしていた銃を地面にそっと置いた。更に蹴っ飛ばして手の届かないところに移動させた。
「ほら、私は無抵抗だよ。」
隊長格の男に言う。
「まぁまぁ、話し合おうじゃないか。私の要望に応えてくれなければ、数百の部下たちが君らの頭に鉛弾をぶちこんじゃうよ。それでもいいのかい?」
もちろんそんなにいないし、ここにいた人たちは裏口から逃げようとしている。
《キサマの目的はなんだ!?》
「目的? 目的か。考えたこともなかった。」
《ふざけるな! なら何故この町に住んでいる人々の不安を煽る!?》
「目的なんて考えたこともなかったよ、ほんとに。でも強いて言うなら命令だからさ。」
《命令だと? 誰からのだ?》
「教えてやってもいいけど、その代わり3つ、条件がある。」
《条件だと?》
「ひとつ。この情報は絶対に秘密にすること。例え組織内であっても漏らしたりしてはならない。これは君たちを守るためでもある。誰が敵で誰が味方かの判断を誤ってはならないよ?」
これ、実は半分くらいはハッタリじゃない。
各国で動いている私たちだが、私たちの影響は既に国の中枢にまで及んでいる場合がある。
日本は特にそうだ。
ザル過ぎて話にならないくらい。だから今、日本の政治家の半分は我々の組織の者だったりする。
これはSBとて例外ではない……のだが、どういうわけか…SBに潜らせたヤツからは定期連絡が途切れる。始末されたか…或いは寝返ったか……。その実を知ることは、現在の我々にはできない。
「ふたつ。だからこの情報は頭の片隅に入れるようにすること。それ以上でも以下でもない。メモに記すのもダメだよ。殺してくださいって言ってるようなもんだ。」
ここで、背後で乾いた音が三回鳴った。
連中が再び銃口を向けてきた。
「そして最後……みっつめ。全員ここで__ 。」
全員が私に注目する。
「……“死ね”。」
私が言うと、背後から私の部下たちがやって来た。
彼らはハンドガンを構えていたが、部下たちはアサルトライフルで対抗してきた。
《撃てーっ!!》
既に何人も負傷者を出しているだろうに、彼らは私たちに抵抗してきた。
「“寵愛されし鬼”よ…ここは我々にお任せを。」
……ああ、この寵愛されしっていうのは下の者が私を呼ぶときの隠語みたいなもんだよ。気にしないで。ちなみにボスは“親愛なるQM”。
「うん、任せたよ♪」
私はにこりと笑い、この銃声の雨のなかを闊歩した。戦うことはないが、銃声に包まれた空間には慣れている。
流れ弾の心配はしていない。
私はさっき放った銃を拾い上げると、渚くんのところへ戻ろうとした。
その時だ。
「警察だ!! お前は絶対に逃がさん!!」
1人の男性が私に言った。
服装を見るに、本当に日本の警察官のようだ。
彼は若いとは言えない男だった。しかしどこか、懐かしさを伴う衝撃を覚えた。
親愛なるQMと初めて会ったときみたいな…。この男はきっと、運命を狂わせるトリガーだ。
なんとなく、そんな気がした。
私は咄嗟に銃口を向けた。
そして無意識に引き金を引いてしまった。
だぁんっと激しい音が鳴る。衝撃が私の腕を伝った。本当なら持っていかれる所だろうが……何故かその弾はまっすぐに進んだ。
何故高速に進む弾が見えてる訳ではないのに、それなわかるのか…。
答えは簡単だ。至ってシンプルだ。
その男の左胸を……捉えたからだ。
血飛沫が被弾部から溢れていた。苦しそうに、顔を歪ませた。
痛みに、苦しみに、その男は膝から崩れ落ちた。まるで糸の切れた人形のように、やがて全身が地面に接した。
不思議なことに、私はこの光景をスローモーションで見ていた。
ハッとすると、渚くんは私の手を引っ張って来兎くんの元へ連れていっていた。
後に若い声が聞こえた。
銃声と怒号の中、何かを叫んでいた。
声の色で分かるのは、激しい怒り。憎しみ。だが言葉はこの雑音にかき消されていた。
私はこの時、初めて人を殺めた。初めて直接、人を死なせた。
罪悪感などはわかなかった。ただ、何かのタガが外れたような……そんな感じがした。
*
「霧藤さん! こっちだよ!」
来兎くんの声だ。
「おい、どうしたんだよ霧藤!」
「……え? あ、あぁ。そうだね。急いで逃げよう……!」
2人に言う。
「……そういえば、持ち出すように指示したものは?」
「バンに詰め込んで、出発させたよ!」
「よし……ありがとう、来兎くん。」
私たちは逃走用の車に乗り込もうとした。その時だ。
「ここにもいたぞ!!」
警官だ。
銃を構えながら私たちに近付いてきた。マズイ。
警官は迷わず、私に銃口を向け、そして発砲してきた。
__ ダン!!
乾いた音が木霊する。
気が付くと私は、地面に倒れ伏していた。
肘や肩を強打したわけだが、血は流れていなかった。いや、その前に、誰かに突き飛ばされたような衝撃が……。
嫌な予感が……当たった。
「……無事ですか…? 霧藤さん……。」
「そんな……来兎くん……!?」
崩れる彼の身体を、私が受け止める。
「…てめぇえええええっ!!!」
「渚くん………!!」
怒りを露にした彼がその警官に向かって行く。弾丸をスルりスルりと避けながら走ると、その鋭い拳を警官の腹にめり込ませた。あまりの痛みに膝を着いたので、一発。また、一発。
死ぬまで何度も蹴りまくっていた。
「…霧、藤さん……。」
「来兎くん…だめだ…。私のためなんかに死んではならないよ…!」
「……いえ、いいんです。僕は……それがいいんです……。」
口の端から赤い液が溢れ、線を描く。
彼はそれでも、にこっと微笑んだ。
傷は……致命的。手当てしても助からないのは見てわかった。
「ごめんなさい…僕、足手まとい…でしたよね……? でも、最後には役に立てて、よかった……。」
「足手まといだなんて、そんなことはないさ…。君と渚くんは私にとって自慢の部下だよ…。だからこんなところで失いたくない…。死んじゃだめだよ…!」
「霧藤さんと出会えて、僕、良かったです……。」
「そんなこと言うもんじゃない……あぁ…死ぬな……死んじゃだめだよ……!!」
「短い間でしたけど……ありがとうございました…。霧藤さん…もっと長く生きて……幸せに、なって……。」
「何言ってるんだ…! 君とはこれからも友達で……!!」
「友達…フフッ……友達か……。嬉しいな…。友達って、言ってくれて……。お兄ちゃん…僕にも、友…だ、ち………でき、た……よ___ 。」
にこりと笑うと、そっと眠りに着いた。
「……来兎くん…? 来兎くん…! 来兎くん……!!!」
何度も呼ぶ。揺さぶる。
だらんとしている。力がない。
「…………っうぁぁああああああああああああああああああッ!!!!」
感情が溢れてくる。感情が膨れ上がる。
私は喉が枯れんばかりに叫んだ。
叫ばないと、この感情が私を殺してしまいそうだった。
指先に力が入る。全身が痙攣する。
それでも叫ばないと、潰れてしまいそうで怖かった。
いくら叫んでも、来兎くんは還ってこない。
いくら叫んでも、これは私が私を守るためでしかない。
結局のところ、私には何もできなかった。
*
親愛なるQMの帰還命令を無視して、私は行きつけだったバーに入り浸っていた。そう、酒に逃げていたのだ。
自分は犯罪組織にいる。だからいつ誰が死んでも不思議はないし、覚悟してない訳ではなかった。
この組織にいる限り、いつか私は誰かを殺すことになる。これも、覚悟してなかった訳じゃない。
それなのにどういうわけか、いざそうなるとこうして逃げたくなる。
ロックグラスにあるのは、バランタイン。
スコッチウイスキーで、12年のヴィンテージ付き。これを一杯、1人でやっていた。
ふと、腕の中で力尽きた来兎くんを思い出す。
そのせいで酔おうにも酔えない。
思い出して恐怖し泣くわけではない。脳が一時的にそれで支配され、体が動かなくなる。
そして酷く落ち込む。落ち込む度に酒を入れていた。
はぁ………と一つため息をする。
すると…。
__ カランカラン…。
誰かの入店音。こんな時間に珍しい。
「……お前……。」
昔から聞き覚えのある声。
「………やあ、久し振りだね…雅楽瀬くん。」
私が笑顔を作ると、彼は私の隣に座って来た。
「マスター、同じやつと……あと響を一杯。」
雅楽瀬くんは私の古い友達だ。ずっと昔から……。彼は、警察官だ。
「……で?」
「……でって?」
「お前が何でそうなるまで飲んでるのかきいてんだ。」
彼はそう言いながらコートを脱ぎ、タバコに火をつけた。
「…私は酔ってないよ。」
「そのようだな。だがお前の顔には限界だと書いてある。何があった? 連絡も一切寄越さず、行方不明になったと聞いたが。」
ああ……そうか。私の存在は、まるで無かった事にされていたんだったな。
これが犯罪組織の恐ろしいところだよ。
「まぁ色々。つまらない日常に嫌気が差したから家出したら、その先々でも嫌なことが重なってね。」
「それでココに戻ってきた、と。」
「そういうことさ。」
彼が吸っているのはハイライトというタバコだ。タール量17。ずしっと来るが、香りが良い。
マスターが雅楽瀬くんの注文した酒を用意する。
「ほら、お前のだ。」
「私の……?」
「俺の最後の記憶が正しけりゃ、お前はバランタインが好きだったな。」
「そういう君は滅多にウイスキーを飲まないと思ってたよ。」
「バカいえ。俺は元々ウイスキーが好きだ。金がなかったから缶チューハイ飲んでただけだ。」
「そっか…。」
「とにかくだ、霧藤。……お前の帰りに。」
雅楽瀬くんは自分のグラスを私のグラスにかつんと当て、そのまま響を一口だけ飲んだ。
「………すまないね…。この2年間も連絡してなくて。」
「ああ、その空白の2年に関して深くは聞かねぇよ。」
「…ありがとう。雅楽瀬くん。」
「よせ、気持ちわりぃ。」
彼が言う。すると私は何故か、フフッと笑った。
*
「お前、まだ医師免許はあるか?」
雅楽瀬くんが聞いてきた。
「ん? どうして?」
「いいから。」
雅楽瀬くんが私の目を見た。
「……まぁ、一応あるとは思うけど。」
「だったらこの辺の医者になれ。」
彼は言った。
私はどうしてそうなったのか分からず、
「…どうして?」
と聞くと、こう返ってきた。
「色々考えて色々やってみた結果、結局ここに戻ってくるなら、もうどっかに行く必要はないだろ。それに、行きつけのバーは近い方がいい。」
「……なかなかヒドイね。私じゃ何やってもダメかい?」
「ああ。その結果、俺の隣で酒に溺れてる。」
「…………そうか……そうだよね。」
私はこの人生を諦めた。
ひっそりと死のうとしていたのだが……。
「霧藤。」
「うん?」
「近いうち鷹坂と飲むぞ。来るか?」
「………。」
私はこの3年間、あの男に捧げてきた……というのは若干嘘。
実は幼少の頃には彼と接触していた。まぁ詳しいことは話したくないんだけど…とにかく色々彼には良くして貰った。色々学ばせて貰った。
だからそのまま、20になってから彼のもとで仕えるようになった。
……それだけの関係だったんだ、本当は。
………。
「そうだね……久々に3人で集まろうか。」
雅楽瀬くんと鷹坂くんにはきっと、バレていないだろう。
けど、たぶんこの先話さなきゃならない。
私はきっと、許されないだろうけどね……。
或いは……バレてるけど黙っててくれているか……いや、それはない……だろう。多分……。
やっぱり、いいね。
何もない日常ってのは。
私は元々、この二人とずっと一緒に居たかったんだ。
あの頃のように……。
そう思うと何故か、涙が止まらなくなった。
*
さて、そんな感じで裏社会から復帰した私。
あ、もちろんQMに辞表なんて出してないよ?
出せるわけないじゃないか!
……まぁ要するに、勝手に出ていったという訳だよ。
だからいつ命を奪われてもおかしくはないんだけどね……彼に限ってそんなことはしないだろうって信用があるんだよね。
ずっと昔から一緒にいるからかね??
まぁそういうことにしよう。
奇妙な話だよ。全く。
ついでに、お医者さんしてたら偶然SBのスタッフと関わることがあったんだけど、まぁその人には言ってるんだ。元QMの構成員で、寵愛されし鬼のおにーさんだよーって☆
えっ……みたいな顔はされた。
けど後日、あのジャック・リーフィス(あ、例のSBのボスね)からメッセージが来たんだよ。
「コードネーム・オーガ。お前のことは部下から聞いた。理由は分からないがQMを脱退したそうだな。だがあの男の事だ。どうせ直接手を出さずとも、お前を見張っていることだろう。お前の生活の安全が確保されるまで、勝手ながらお前を見守ることにした。何かあったら最寄りの部下がお前を守ってくれるはずだ。お前がしてきた違法行為については、立証不可能なことからどの国でも裁くことはできない。QMに所属していたと言っても、その履歴書があるわけでもない。晴れてお前は自由の身だ。だが、忘れるな。お前は本当に自由になったわけじゃない。これから先の人生、過去の罪を償いながら生きろ。それが、俺たちがヤツからお前を守る条件だ。表の社会へ、よく戻ってくれた。待っていたぞ、お前のような勇敢な者を。ジャック・リーフィスより。」
最後に顔も見たこと無い相手に説教とはね……。伝説の男も人間って訳か。
まぁ……言われなくともそうするよ。
医師免許をとって、外科医としてたくさんの人を救って見せよう。
それが、私の償いだからね。
臆病な鬼の外科医さん
【登場キャラ】
霧藤 咲夜
十六夜 渚
琴葉 来兎
親愛なるQM
雅楽瀬 大智
ジャック・リーフィス
【ゲスト】
優木 純恋
(お借りしてます)
さてさてさて……。
一気に時代は現代へ………。
「はい、それではお大事にっ!」
私はニコッと笑顔で患者さんを見送った。
これで今日の分は終わった…。ふぅっと一息ついてから、経過観察の患者さんのカルテを改めて見る。
数人くらい、最悪なパターンを想像した方が良いだろう……。ちょっと胸がキツいな。
こういう人でも救えるよう、尽力するのが私の役目だろう。
さてさて…両手を天井めがけて伸ばすと、私は席を立って中庭へ向かった。
入院している患者さんもたまに訪れる。なんてったって、ここから見る夕焼けがきれいなんだ。
山に落ちていく太陽が紅く輝き、空を焼く。とっても綺麗で、疲れなんて吹っ飛ぶ。私の疲労回復術だよ。あ、真似しても良いよ。
事実、人間はストレスを一定数溜め込むと、他のことに手をつけたくなくなる。それは趣味でも。
悲しいことに、好きなことでも手間だと感じてしまうんだよ。
でも、綺麗な空を眺めながらコーヒーを飲んだり、或いは妄想の世界に身を落とすのは手間じゃない。
こうやってベンチに腰掛け、目をつむり、肺いっぱいに空気を入れて……ふぅーっと吐き出す。腹式呼吸が重要だよ。そうすると副交感神経が働いてよりリラックスできる。
そうやって、頭の中のもやもやを一つずつ、クリアにするんだ。余計なことを考えなくても良い。今はこの時間を楽しむんだ。そしてこのあとは……。
だーーーいすきな純恋さんとおうちデートするんだっ♡
胸が期待でいっぱいになる頃、目を開ける。
するとそこに___。
「久し振りだね、我が友。」
見覚えのある男が、そこに立っていた。
「……QM…!?」
彼はにこりと笑った。
咄嗟に身構える私に、彼は両手の平を見せた。敵意はない、という表れだ。
「何故ここに……?」
私が問う。
「かつての我が友の顔を見に来ただけさ。」
彼は答えた。
何も無いみたいに、まるでこれが普通かのように、私のもとへ寄ってきた。そして、隣に座った。
「いい病院だ。今はここに勤めているのかい?」
彼は私に、座るよう促した。
そういえば身構えたとき、無意識に席から立ち上がっていた。
「………ええ、そうですよ。」
私は座りながら答えた。
「君の評判は?」
「おかしな外科医と呼ばれています。看護師さんや、患者さんに。おちゃらけすぎました。」
私が言うと、彼は笑った。
「あれから組織はどうなりました?」
「何も変わらないさ。あぁ、でも尋問担当が減ってね。それが唯一困ったことかな。君や渚くんのようにはいかない。」
「…………渚くんは今、どうしてますか?」
「それは君がよく分かるはずだ。」
………………。
「そうですか。」
私は立ち上がり、もう行こうとした。
しかし、QMが私の腕をを引っ張り、無理矢理着席させた。
「単刀直入に言おう。組織に戻りたまえ、友よ。私たちはいよいよ戦争が始まる。君がいてくれると非常に助かるんだ。急にいなくなった事は水に流そう。そして戻ってきた暁には、かつてより高い地位を君に送ろう。どうだい?」
「せっかくですがQM。丁重にお断りします。」
「いいのかな? 君の愛しの女性がどうなっても__ 。」
私のポケットのスマホが鳴った。
「残念ですが、いくら拉致しようとしても無駄ですよ。どうやら成功したようです。」
「成功…?」
「言ってませんでしたね、QM。まぁ言わずとも……あなたは存じ上げているでしょうが…。私は昔からとある警察官の男と友達だ。その男は今、特殊犯罪に対抗する班を率いている。それに、彼らが動かなくてもSBが迅速に動く。純恋さんには、端から手出しできてませんよ。」
スマホの画面を見せる。
画面には、雅楽瀬くんやその仲間たちが純恋さんと一緒にいる画像を表示している。
すると彼は、高らかに笑った。
「そうだね、昔から君は先を読む。対策を怠ったことはこれまでなかった。……命令だ。私のもとへ戻れ、“鬼”よ。」
「嫌だなぁ、旧友。私はもうあなたの部下ではありません。命令なんて聞くつもり、ありませんよ。」
私は心の底からの笑顔を見せると、今度こそ立ち上がって純恋さんのいる場所へ向かおうとした。
「……ああ…そうだ、QM。」
しかし、また手を出されると厄介だ。
純恋さんの笑顔が奪われるのは嫌だ。彼女との未来を汚されるのも、踏みにじられるのも嫌だ。
そう思うと怒りが沸いた。しかしここは穏便に……。
私は振り返り、
「純恋には手を出すな。私たちの邪魔をするな。もしまた関与しようものなら……かつて飼い慣らした鬼が再び牙を剥く。今度は、“あなた”に向けて。」
「………。」
彼は口角を上げながら、私をじっと見つめた。
彼の目を見ると気が狂う。
私はにこっと笑うと、お辞儀をしてその場を後にした。
*
純恋さぁーん! こんばんわぁー!
……って大声を出したら近所迷惑だ。
私は気持ちを押さえつつ、呼び鈴を鳴らした。
ピンポーンっと中で鳴るのが聞こえた。すぐにはーい、と声がすると、間も無くして扉が開かれた。
「霧藤さん!」
嬉しそうにぱぁっと笑う彼女を思い切り抱き締める。
「純恋さん! 会いたかったよ! もう仕事中君のことで頭がいっぱいになってね!」
「はゎ…! き、霧藤さん…! そんな…い、一応外ですよ…!」
言われて彼女を解放する。
かわいいなぁ……かわいいなぁ……。
この様子だと、刺客が接触してくる前に退治してくれたらしい。雅楽瀬くんたちに感謝しないと。
純恋さんに玄関へ案内されると、私はやっぱり我慢できなくてぎゅっと抱き締めた。
「ゎわっ! き、霧藤さん…!」
彼女の声が震えていた。可愛い。
ずっと抱き締めたかった。いや、実は毎日毎時間、こうして触れあいたい。私を私として見てくれるこの子と……純恋さんとずっと一緒に居たい。
我ながらワガママだと思う。幼稚だと思う。
でも、それでも…彼女のことは心から愛している。
だから、触れあいたい。
「……すまない…。」
私がボソッと謝る。
「……。」
彼女はそっと、私の頭を撫でてくれた。
優しく、ゆっくり、愛しそうに撫でてくれた。
もしかして何かあった (イヤなおじちゃんと会った件の) こと、バレた??
「………。」
恥ずかしくなって、私は
「んー純恋さんは良い匂いだなぁ!」
とおちゃらける。
彼女は何も言わず、ぎゅっと抱き締めてくれた。
はは……無理してること、バレちゃってるね。
本当に私は……“臆病な外科医さん”だね。
Fin.
いつからだろう?
私は君に惚れていた。君と共に在る未来を夢見ていた。
優しい声で私の名前を呼んでくれる。
これ程までに人を想うことが出来るだなんて。
優木 純恋さん。
私は君を、深く愛している。