大人に近づくパトリック
そうこうするうちに、その年のウインター・ホリデーがやって来た。
「あれ?……パトリック……また身長伸びた?」
「まあな。」
汽車を降りるといつもと同じように手を上げてやってきたパトリックを見つめ、私は眉根を寄せた。今やもう、見上げる程にデカい……。
ほんの数年前まで同じ大きさだったのに。
帰郷すると、パトリックは必ず駅にお迎えに来てくれていて、マリアンがアワアワして、嵐の様に去っていくのは、いつも変わらないデフォルトだ。
「成長痛ってので、痛いんだよな。特に夜。だから多分、身長ってのは夜に伸びてるんだと思う。ユーフェミアはそういうのないのか……?」
そう言って私を見つめてから、少し間を置いてパトリックがヘラっと笑った。
……ええ、そうです。
私には成長痛なんて、ありません。
もちろん身長は伸びていますが……まあ、良識の範囲というか、そこそこしか大きくなっていませんからね……?
「痛いのなんて嫌だもの、そんなデカくならなくても私は構わないわ。」
負け惜しみでそう言うと、パトリックはアハハと声を上げて笑う。
「ま、高いとこのモンは俺が取るから任せろ!」
2人で話をしながら、待たせている車までゆっくりと歩く。
こうしていると……いくら背が伸びても、声が低くなってしまっても、やっぱりパトリックはパトリックなのだと感じられて、いつの間にか違和感なんて消えてしまうんだよね。
成人しても、やり取りだってそう変わらないし……。
「考えてみれば、パトリックのお家はダスティン様もおじ様も、おば様すら身長が高いのだもの……まあ、そうなるわよね。」
「ユーフェミアんとこは、おば様が小さめだからな……。実はさ俺、先日、とうとう兄貴の身長を越したんだぞ。」
「え。……すごい。」
「まあな!……将来、カッコよくなるって言ったろ?!」
「身長が高い=カッコいいではないと思うよ?」
「ユーフェミア、相変わらず手厳しいなぁ……。」
そうして話しながら、あの角を曲がれば迎えの車が止められている場所だという所まで来た時に、不意に嫌な感じの視線を感じ、振り返った。
……夏の夜会の時と同じく、ジットリと見られてるような、変な感じ。
だけど今回、振り返ってみると……そこには、同じ年くらいの女の子が立っていた。
濃い茶色の髪を肩くらいまでのストレートボブにした、濃い茶色の目の女の子。……カラーリングのせいで一見は地味に見えるが、とてつもなく可愛い顔をしている。
癖のある髪を持つ人が多いこの世界で、ストレートヘアは……かなり珍しい。私はサラサラでツヤツヤと輝くその髪を、いいなぁなんて思いながら見つめていると、その子は困ったように笑い……パトリックに話しかけてきた。
「パトリック……ごめん、来ちゃった。」
……学校のお友達なのかな?だとしたら、私もご挨拶した方が良い?
どうしようかと、パトリックを見上げると、パトリックは顔を顰めて、遮るように私の前に立った。
ん?
「ルシア……。なにか急用だったか……?」
「急用……というか。」
ルシアと呼ばれた女の子は、目を伏せた。
大きな瞳を縁取る長いまつ毛が揺れている。
「あ、貴方の婚約者がどんなだか気になったのよ……。挨拶くらいさせていただいても構わないでしょう?……はじめまして、私……ルシア・プロテウスです。パトリックとは同じ学校の同級生で、先日からお付き合いさせていただいています。」
……え。
お付き合い……させていただいている?
どういう事?
付き合ってるって……この人、パトリックの恋人なの……?
「ル、ルシア……。や、やめてくれ……。」
「や、やめない……!……だっ、だって……私ばかりが辛いなんて、嫌よ。私はパトリックに婚約者がいるのを知ってお付き合いしている。なのに彼女は何も知らないで、貴方の隣にいる……。だっ、だから……私って恋人がいるのを、ちゃんと知って欲しかった。パトリックにとっては、親に決められた愛がない婚約者でも、苦しいの……。」
ルシアと呼ばれた女の子はそう言うと、ちょっとだけ顔を歪めて笑った。
「ユ、ユーフェミア、あ、あの、こ、これは……。」
パトリックが焦ったようにそう言うと、ルシアさんが遮る。
「ユーフェミアさん、私たちね、お付き合いしているの。うちの学校はね、学生時代は自由に恋愛を楽しむ人も多いのよ。……貴女はパトリックの婚約者だけれど、恋人ではないわよね?だったら、結婚するまでの間、私たちがお付き合いしても構わないでしょう?だって、婚約……結婚するっていう約束を破ってはいないもの。」
「え……?ええっと……。」
確かに、言われてみると……その通りだ。
ルシアさんが言うように、パトリックと私は恋人じゃない。だからちゃんと約束通りに結婚してくれるなら、私はパトリックに恋愛してはダメなんて……言えないのかも知れない。
私たちは恋人でも夫婦でもないから、『浮気だ!』って怒るのは違うのかも……?
でも、息が詰まりそう……正しい呼吸の仕方って、どうだったっけ?胸がジクジクと痛い……。
「私ね、パトリックに『是非に』って乞われてお付き合いを始めたのよ?」
「ル、ルシア!!!」
慌ててそう言ったパトリックの顔は……子供の頃に、アウレウス伯爵に悪戯がバレて怒られる時と同じ顔で……。
……。
立っているのが……苦しい……。
「……パトリック。ルシアさんとお付き合いしているの……ほんと……?」
「……ッ。俺が……結婚するのは……ユーフェミアだ……。」
パトリックは苦しげにそう言うと、私から目を逸らせた。
「否定は……しないの?」
「……ご…………………ごめん。」
そ……。そう……なんだ。
共学だと、そんなもんなのかな……。
アルカエラ校って、とても自由な校風の学校だって聞くし……。
見上げる程に大きくなったパトリック……。
パトリックは……ルシアさんに初めての恋をしたの???
そう思うと、胸だけじゃなく、内臓がギューッとなるほどに痛んだけれど……私は大人なんだから理解、してあげないと。
貴族だって人なんだ。
結婚を決められていたって、誰かを好きになってしまう事だってあるだろう。
それをちゃんと分かって、青春のひとときを、本当に好きな子と過ごす……。それを責められたりするのかな……?
気丈にも私を正面からジッと見つめるルシアさんは、微かにだけど手が震えている。パトリックも青ざめたままだ……。
……。
「あ、あのね、私……パトリックに恋人がいても……大丈夫だよ?ルシアさんが言うように、私は将来の結婚相手なだけで、パトリックが他の別の誰かを好きになる事を、止めたり責めたりする筋合はないものね。」
その言葉にパトリックは思わずという感じで、私の手首をグッと掴んだ。
「……どういう意味だよ、それ。」
「わ、私は大人だから、理解して……割り切れる。そういう事だよ……。」
私がそう言うと、パトリックは私を悲痛な顔で見つめた。
「ユーフェミア……。」
何でパトリックがそんな顔、するのよ……。
「ルシアさん、ごめんね。私……別れてとか……そういうのを、言うつもりはないし……そ、その、不快な思いをさせちゃうかもだけど、ホリデーが終われば私は学校のある田舎に引っ込むし……。いっ、痛いよ、パトリック……!」
パトリックに掴まれた手首が痛い。
パトリックは力も強くなったんだなぁ……なんて、頭の中で呑気な私が考えている。いや、呑気というよりは、逃避して余計な事を考えているのかも知れないけど……。
「ミア、本気でそんな事を言ってるのか?」
「ほ、本気って?……だって2人はお付き合いしているんでしょう?な、なら、仕方ないって思うだけだよ?!……これ以上、私にどうしろって言うのよっ!!!」
思わず叫ぶようにそう言うと、パトリックは黙り込んだ。
「……。」
「……あのっ、ユーフェミアさん、私こそごめんなさい。わ、私……付き合って初めての聖夜祭を、パトリックと過ごしたかっただけなんです。パトリックに婚約者が来るから、ウインターホリデー期間中は、絶対に会えないって言われて……それが悲しくて……。」
……。
聖夜祭は、いわゆるクリスマス的なイベントでもある。恋人なら……一緒に行きたいと思うのは当然だろう。それに、私が来ているからって、ウインターホリデー期間中ずっと会えないなんて……確かに面白くなくなるよね……。
……。
「……ユーフェミア、とりあえず家まで送る。……ルシアは……また後で話そう。」
パトリックはそう言うと、私の手を強く掴んだまま……迎えの車に向かって歩き始めた。
……。
『また後で話そう』
その言葉にまた胸がズキリと痛んだけれど……私は大人だから……顔にはちゃんと……出さなかった。