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魔法使いの右腕  作者: N.river
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失敗と魔女 第4話

案の定、そこにあの人は立っている。脳裏に「やられた」なんて絶望的な言葉は過って、お屋敷へ案内させるため焚きつけられたんだ、ってようやくあたしは気づいてた。けれどもう怒っている場合なんかじゃない。

「だって知らなかったんだものっ」

 すがりつかんばかり精一杯に訴える。

「いいえっ」

 と、たまりかねたように声を上げたのはロボの方。

「全ては勝手に依頼を引き受けた、このわたくしに責任があるのでございますっ」

 抜けて落っことしそうに頭を下げる。傍らを歩くその人は、またもやそんなロボを慰め肩を叩いてみせていた。

「有難いが、ロボットが謝ったところで魔法使いの名誉に信用を守ることは無理ってところだ。それができるのは魔法使い本人だけだからね」

 ままにあたしの隣に立つ。フェンスへ寄りかかり、じっと中を覗き込んだ。

「ここが、ね」

「ならあたし、今からポリスへ騙されたことを話してくるわ」

 横顔はとても真剣で、抜け目なさそうな目が敷地を隅から隅まで見回してる。

「そいつはよした方がよくないか」

 逸らすことなくあたしへ言った。

「お嬢さんは仕事で仮面を用立てたんだろ?」 

 確かめつつポケットから抜き出したのは小さなカメラ。慣れた手つきでフェンスの中へくまなくシャッターを切っていった。どういう意味だろう。考えながらあたしはぼんやり仕事ぶりを眺め、気付いたところではたまた大きな声を上げる。

「ぎゃー、ロボっ。今すぐあのお金、シーへ返してっ」

 そう。お金をもらっておいて騙された、なんて言い訳こそ通じない。

「ぬぁはっ、そうでございましたぁっ」

 ロボもひっくり返りそうにのけぞると、大急ぎで耳を回し始める。けれど手は、次の瞬間、止まっていた。

「オーキュ様、それは無理でございます」

 なんて振り返った顔に表情がないのは、そういう造りだからよね。

「どうして」

 確かめるのがすでに怖い。

「お金はもう宿泊代や各種レンタル料のお支払いへ」

 とたんあたしの背後へ泡のドームの外へ吸い出されそうな効果線は走る。

「それと」

 淡々と続ける仕事でその人が、カメラをナイフへ持ち変え言っていた。

「現場で魔法を帯びた遺留品がふたつ回収されている。覚えは」

 もうあたしの頬はぷるぷると震えが止まらない。

「あり、ある、るけ、ど……?」

 きっとドラゴンのウロコと、めがけてあたしが飛ばしたガラス片。

 聞きながらその人はナイフの刃先を起こし、フェンスの隙間へ差し込んでみせた。閉じた片目でどうにか届いた看板の塗料なんかを削り始める。

「なるほど。ならそいつは今日にも残留呪文の鑑定に回される。結果が授賞式関係者の誰とも符号しなければ、持ち主こそ正体不明の重要参考人ってことで手配の対象になる」

 塗料は薄いうえ軽くて、小さな重力のもと飛び散らないよう作業を進める手つきは慎重を極めていた。息さえ止めて刃先へ乗せると引き戻し、取り出したチリ紙で刃先から静かに拭い取ってみせる。たたむとナイフもろともポケットへ押し込みなおした。

「それでもポリスへ?」

 視線をあたしへ向けなおす。

「オ、オーキュ様ぁっ……」

「もう……、おしまいだわ」

 あたしの顔は石みたい。色もなければ表情もなくて、そんなあたしへロボもすがりついてくる。

「って言うだろうと思っていたから、ここでお嬢さんに朗報をひとつだ」

 なんて口を開くその人を、あたしは悪魔じゃないかと眺めてた。

「聞いてみる気は?」

 きっと何か企んでるんだわ。どう考えてもそうとしか思えないけど、今のあたしには拒めない。ワラにもすがる思いで何度だろうとうなずき返した。見て取り、ようし、って具合でその人は、あたしの腕を掴む。

「シーの情報と交換しよう」

 座り込んでいた道端から引っぱり上げた。 

「いいか、一人だけお嬢さんの無実を証言できる人物がいるんだ。そこまでお嬢さんを案内する」

 そんな都合のいい人、いたかしら。記憶を辿ってまたもやあたしは声を上げていた。

「タイソン女史っ」

 だってあたしが女史を助けたんだもの。女史ならドラゴンの仲間じゃないって証明できるはず。

「あなた、何者?」

 問わずにおれない。するとその人はパチン、と指を鳴らしてみせた。その指先に一枚の紙切れは呼び寄せられて姿を現し、小さな重力に空を滑るとあたしの前へ落ちてくる。


魔法技師労働組合マギユニオン 調査員

アッシュ・ワッツ


 言葉は初めて目にするもので、読み上げたあたしは何度も口の中で転がしていた。隣のロボはすっかり学習したみたい、耳を回すとすかさず調べ始める。

「ございました、オーキュ様。魔法技師労働組合は、勤める魔法使いらが企業ごとに作る労働組合を一つにまとめた組織の名称でございます。働く魔法使いの権利を守り、より良い環境での労働を目指して企業との交渉を担う組織、と説明書きがございます」

「お、やるね」

 冷やかすその人、アッシュは少し嬉しそう。

「そこで労働環境改善に伴う調査をやっている。魔法は生活に欠かせないうえ魔法使いは誰かさんみたいにお人よしが多いからね。劣悪な環境で不当に搾取されている場合も少なくないのさ。その訴訟や大規模交渉に備えた事実確認や証拠集めをしている」

 立て続けまたひとつ、指を弾いた。とたんあたしの手をすり抜けて紙切れは、勝手にバルーンパンツのポケットへ潜り込んでゆく。

「魔法が戻ったら、お困りの際はそこから連絡を」

 やっぱりこの人、図々しい。 

「今は予定されている交渉に、企業がとんでもない条件を突き付けてくるらしいって噂の真相を探っててね。辿ってジュナー・タイソンのところまできた。企業が強気な理由はどうやら彼女にあるらしいのさ。魔法使いたちのためにも突き止めて帰るつもりでいる。が、まさかこんなことになるとはね。お嬢さんが言うとおりジュナーが狙われたんだとすれば、タイミングからしてただの偶然とは思えない。おそらく何か関係ありそうだ。お嬢さんはそこへ現れた」

「そのお嬢さん、っていうのはやめてくださる」 

 あたしまで不躾になっちゃうのは、この人のせいだわ。 

「あたしの名前はオーキュ・ハンドレッド。それからこっちはあたしのアシスタントで、おばあちゃんの魔法で動いている形見のディスポロイドでロボよ」

「なるほど。どうりで懐かしい感じがすると思えば、御高齢者の魔法か」

 合点がいったように目をやりアッシュは、その目をあたしへ向けなおした。

「これで取引は成立かな」

 なんだかいちいちバカにされてるみたいなんだけど。

「ええ、十分です。協力させていただくわ」

 だからめいっぱい反らした胸であたしも返す。

「ようし、他に寄りたい所もあるし、ぐずぐずしている間にもジュナーが地球へ帰っちゃ手間だ。腹ごしらえしながら急ごう」

 アッシュが手を、宙を撫でるみたいに振ってみせた。唱える呪文で何の断りもなく、あたしの体を宙へ持ち上げる。

「わっ」

 様子に驚いて差し出したロボの腕の中へ落っことした。そんなロボごと魔法で地面を滑らせたなら歩き出す。

「おお、これはらくちんでございます」

「そういう問題じゃありませんっ」

 気付けばお昼が近づいているアルテミスシティの町は活気も最高潮。空を飛び交う魔法使いも忙しそうで、その下にパラソルが並ぶ通りは現れる。近づくほど漂う良い匂いが屋台通りだとあたしへ教えた。アッシュは慣れた様子でそのひとつへ頭を突っ込むと、やがて中身がはみ出すくらい立派なサバサンドを二つ、手にして戻ってくる。

「血には背の青い魚と睡眠が一番だからね」

 一つをあたしへ、もう一つを人目もはばかることなく自分の口へ押し込んだ。あたしが目を丸くして眺めていたなら、アゴを振って食べるように促しもする。

「美容がどうとか気にしていたら戻る魔法も戻らなくなるぞ」

 それもあるけど、歩きながら頂くなんてお行儀悪い。おばあちゃんがいたら叱られるに決まってた。ただ言う通り、魔法がかかっている今は、ワガママを言ってる場合でもなさそうで、迷った挙句にこれでもか、ってあたしも大口を開ける。サバサンドへかぶりついた。ウソでしょ。その美味しさったらない。サバのフライは外がカリカリで中は塩コショウの塩梅も抜群とジューシーだった。まとうタルタルソースも油っぽくなくフワフワしていて、大きく刻まれたピクルスが次の一口を誘ってやまない。ままにパンの厚みも忘れて頬張れば、魔法のひとつやふたつ、すぐにも戻ってきそうな気がしていた。色んな事があり過ぎて穏やかにはおれなかった気持ちだったけど、サバサンドの美味しさにゆっくりとほどけてゆく。気づけば何もかもがうまくいく、って心地にさえなっていた。

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