二話【魔王の宣告】
ここ〈まんぷく亭〉は大学構内にある食堂で、値段の割にボリュームのある食事が楽しめる。おしゃれな空間には程遠いので、ほとんどは男性客が占めている。僕とアキトが構内で食事をするときは九割方ここになる。
「結構ビラもらえたじゃねぇか! 俺たちもまだまだ若いな!」
「そりゃ、新入生とほとんど歳も変わらないから。あと、食べながら叫ぶな。ばっちい」
僕はチキンカツ定食を、アキトは大盛りのカレーライスを頬張りながら午前中の成果を喜び合った。
構内を回る新入生たちに混じって、僕らは右も左もわからないフリをして勧誘の声を待っていた。大学生にもなれば、多少の年齢の違いなんて見分けがつかない。部活の情報、ひいてはコンパの日程が書かれたビラを僕らはたんまりと入手した。
中には僕らが在校生だと気がつく人もいたが、結局みんな似たような経験があるのだろう。そのほとんどは苦笑しながら「できれば来ないでくれよ?」と目で訴えるのみだった。
「早いのだと、今月の七日からあるね。行く?」
ペラペラとビラの束をめくりながら、せわしなくスプーンを運ぶアキトに問いかけた。
「野球部とかラグビー部とかじゃないよな? 男だらけのコンパなんて、俺は行きたくないぞ」
スプーンを口にくわえながら器用に言葉を発する。行儀が悪いからやめろと、しっかり注意しておく。
「アキトは彼女がいるんだろ? そんな発言よくないよ」
「そういうんじゃないんだよ! 男しかいないコンパなんて、肉しか入っていないカレーみたいなもんだろ?」
「それはそれで美味しそうじゃないか」
「……たとえが悪かったな。ジャガイモしか入っていないカレーだ」
「……あまり嬉しくはないな」
「だろぉ!」
アキトは上手くはぐらかしたつもりかもしれないが、全くそんなことはない。
しかしこんなことを言い合っていてもらちが明かない。アキトはよくしゃべるが、残念ながら内容は薄いのだから。
会話を続ける代わりに味噌汁を口に運んだ。おふくろの味にほっこりする。
「じゃあ、七日にあるオカルト研究会のサークルに決定でいいかな?」
「おう! なんか辛気臭そうだが、それはそれで面白そうだな。一応UFOやツチノコの動画でも見ておいたほうがいいか?」
「やめとけよ。逆に恥をかきそうだし、まったくの初心者でいいでしょ」
僕もアキトも、去年はこのサークルのコンパに参加していない。加えて同じ学部の人もいないはずので、問題なくコンパに潜り込めるはずだ。
「あとは可愛い女の子がいればなあ~」
「オカ研を悪く言いたくはないけど、過度な期待はしないほうがいいと思うよ」
「かもなぁ……。こーんな宇宙人みたいな顔してそうだし」
そう言ってアキトは自分の目を吊り上げ、グレイ宇宙人の顔真似をする。
この周囲にオカ研の人間がいないことを祈りながら、僕らは初回のコンパを「ただの食事会」と割り切ることに決定した。
昼食を平らげた僕らは、春期にどの講義を受けるか相談していた。アキトは一回生のときは怠けていたようで、どの講義が楽に単位を取れるか聞き出そうとするばかりだったが。
「――ん? なんか騒がしくないか?」
「そういえば」
ふと顔を上げて見回すと、食事中の学生たちは大分減っていた。その残った学生たちが、皆揃って壁に設置された大型テレビに視線を向けている。みんな顔を見合わせ、なんだなんだと困惑を滲ませながら言葉を交わしている。
普段ならただのニュース番組が放送されているはずだが、そこに映し出されていたのは真っ白な部屋だった。小さい部屋のようだが、あまりに白すぎて壁と床の境目が分かりづらく、遠目では真っ白な大地のようにも見える。
「何だありゃ。特番か? 放送事故か?」
「さあ?」
その部屋の中央、玉座のごとき豪勢な椅子に、一人の男が足を組んで座っていた。真っ黒なスーツとシャツに身を包んだ男は、白い大地に浮かぶ亡霊のように異様な存在感を発していた。顔のしわは深いが、精悍な顔つきは大人の男の色香を滲ませている。
男が手招きをした。遠くから全身を映していた映像は滑らかに男をズームし、胸から上を映すあたりで止まった。
コホンと軽く咳払いをし、黒いネクタイを正す男。低く、しかしよく通る声で、現実味のない言葉を発した。
「えー……皆さん、聞こえますか? 私は魔王です」
みんな一斉にざわつき始めた。「魔王?」「魔王って言った?」「マジかよ、ただのオッサンにしか見えねーよ」「なんだ? ドッキリか?」と、彼の言葉を受け入れているものは皆無に見えた。
僕らはと言えば、何も言えず顔を見合わせていた。握っていたシャープペンシルをテーブルの下に落とし、カシャンと音が鳴った。
「皆さんには、私がちょっとカッコいいおじさんにしか見えないでしょう。しかし繰り返しますが、私は本当に魔王なのです」
アッハッハッハ!
優しい顔で語りかける魔王に、学生たちの一部が大笑いを始めた。そうでない人たちも、ちょっと頭のおかしいオジサンを憐れむような目でテレビを見ている。
一方の魔王は、渋い顔で頭をカリカリと掻いている。コロコロ変わるその表情は、まるで子供のようだった。
「……ひょっとして、まだ信じてもらえてないかなぁ? でも仕方ないか。とりあえず、私が魔王であると信じてもらえた前提で話を進めますよ?」
まるで目の前の子どもに話しかけるように魔王は語りかけてくる。
「いいぞー!」「何を言うつもりなんだよ!?」と、ノリのいい学生たちが囃し立てている。
そして魔王が発した言葉は信じられないものだった。
「私はこれから地球を侵略します。ちょうど今から一年後、この地球は魔界に完全に侵食されるのです。誰も逃げることはできません。覚悟してください」
食堂の中が静まり返った。これまでの優しいオジサンのような雰囲気は消え、無慈悲に死刑を突きつける、暴虐の王の威光を示し始めた。
そのままどれだけの時間が経っていたのだろうか。いつの間にかテレビはニュース番組に切り替わり、美人のニュースキャスターが大真面目に「魔王が……」「地球を侵略……」などと、ゲームでしか聞いたことがないような単語を大真面目に言い並べている。
我に返った僕とアキトは顔を寄せ合った。とてもじゃないが、この話は誰にも聞かれるわけにはいかなかった。
「あの『魔王』とか言ってたおっさん……叶銘の親父さんだよな?」
「……たぶん」
十年前に亡くなった僕の父さん、神木鏡治は、どういうわけか魔王になって帰ってきた。
何かの合図のように、構内に鐘が鳴り響いた。