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親愛なる勇者へ 親愛なる魔王へ(改稿版)  作者: 望月 幸
第三章【勇者は酒場へ、闇の中へ】
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二話【美津姫のお弁当】

 愛智大学の正門を抜けて少し歩くと、青々と茂る芝生の広場がある。もしも僕らが小学生だったら、休み時間の度にここへ走ってきて、ボール遊びやら鬼ごっこやらに励んでいただろう。それほどまでにだだっ広いので、鬼ごっこではないにしても、青春を謳歌する学生や各サークルの憩いの場になっている。

 その隅の木陰、丸太を縦に真っ二つに割ったようなベンチに座って、僕らは待ちに待った昼食の時間を迎えていた。


「待ちに待った」と鼻息を荒くする理由は単純だ。今日は珍しく美津姫と一緒に、しかも彼女の持参したお弁当をご馳走になるからだ。

「この前購買でもみくちゃにされたのを教訓に、その次の日からはお弁当を持ってくることにしたんです」とは美津姫の談だ。

 オカルト研究会での活動にお熱なのか、大学で美津姫と一緒の時間を過ごすことは次第に減っていった。しかし今日はオカ研の先輩方が他大学との打ち合わせに出て行ってしまったようで、それならばと僕を誘って――

 

「いやー! 美津姫ちゃんの手作り弁当を食べられるなんて、俺ってしあわせー!」


 もとい、僕()を誘ってくれたのだ。アキトも一緒だ。

 相も変わらず女性に対して元気ハツラツのアキトだが、美津姫はぎこちない笑顔で「あ、ありがとうございます……」と縮こまるだけだった。

 アキトの情熱的な恋愛術は美津姫と相性が悪いらしい。そのことに安堵し、なんだか照れくさくなって頬をポリポリと掻いた。


「あの、お口に合えばよろしいんですが……」


 美津姫は脇に置いていたトートバッグから、しずしずと三つのランチボックスを取り出した。僕のは青色、アキトのは橙色、彼女のは桃色。おそらく美津姫の思う、それぞれのイメージカラーのランチボックスを選んできたのだろう。芸の細かさに舌を巻く。

 それにしても……と、感慨にふける。女の子にお弁当を作ってもらうことなど、これが初めてかもしれないなと。


 高校生の頃、母さんが旅行中の時などは彩音が作ってくれたのだが、「お弁当」という限られた空間がプレッシャーだったのだろう。おかずがスカスカになることもあれば、ぎっちりぎゅうぎゅうに圧縮されたりと、弁当箱の蓋を開けるたびにハラハラしたものだった。

 そしてやがては、おにぎりだけというシンプルなメニューに落ち着いていった。あれなら弁当箱自体が不要だからな。

 

 その点で言うと、なるほど美津姫のお弁当は上手く考えられている。

 ランチボックスの中身はサンドイッチだった。見た目は映えるし、分量もわかりやすい。手でつまんで食べてしまえばいいのだから、箸などを用意する必要もない――と、妙に理屈っぽい感想を抱いてしまうのが、僕が女性にもてない理由なのだろうか。

 小さな箱の中から顔を向ける色とりどりの魅力的な断面が、僕の目を捕らえて離さない。目に味覚があったなら、開封一秒でよだれの涙が頬を垂れていただろう。狭いランチボックスに閉じ込められていた香りの粒子までもが目に見えるようだ。

 食欲中枢を突き抜けるサンドイッチのフェロモン、さらには「美少女が作りました」という贅沢な付加価値!

 

「――ハッ!?」


 正気に戻った時には、使い捨てのおしぼりで手を拭き終わって、両手にサンドイッチを持っていた。真ん中に座る美津姫を挟んで、アキトも夢から覚めたような、全く同じ表情。「気が付いたら、口に入れる一歩手前でした」互いの目がそう証言している。

 

「あの、どうしました?」訝しみ、僕らの顔を覗き見る美津姫。

「――い、いや何でもないよ。ね、アキト?」

「――お、おお! ただ、『いただきます』を言ってなかったなぁって、さ」


 弁当一つで、ここまで心を揺さぶられてなど……先輩としてのメンツにかけて、そんな情けない動揺を悟られてなるものか!


「じゃあ、いただきます」

「いっただっきまーす!」


 はむっと、同時にサンドイッチを咥える僕とアキト。そんな僕らを、美津姫はハラハラしながら見守っていた。




 結果から言うと、先輩としてのメンツは粉微塵になった。

 まずは先鋒、玉子サンド選手。

 そのシンプルかつオーソドックスな具は僕を油断させ、ガードを下げた味覚にクリーンヒットをぶち当てた。

「単純な料理ほど、素材と腕前の良し悪しが如実に表れる」というが、それで言うならこの玉子サンドはどちらも及第点以上――いや、上等と言っていい。濃厚な玉子、マヨネーズ、バターの香りと風味が一瞬で僕を支配した。

 

 そして中堅、生ハムとクリームチーズサンド選手。

 開始三秒でメロメロになった僕の脳に、早くも止めを刺しに来た。

 まず、見た目が美しい。トマトの赤に始まり、生ハムのピンク、クリームチーズの白、レタスの緑。それはさながら、優雅にはためくイタリア国旗の様相を呈している。

 生ハムの塩気とチーズのコクが、さっぱりした野菜とパンにくるまれて……ああ、もう! 味の感想を述べるくらいなら、少しでも脳のメモリを言語から味覚に割り振りたい!


 最後に大将、高級サンドイッチ選手。

 脳をプリンのように揺さぶられ、たまらずダウンした叶銘選手。そこへルール無用の追い打ちを加えるべく、こいつがやってきた――いや、この方々が降臨された。

 その正体は、一般人なら直視するのもおこがましい、世界三大珍味のお三方。僕などは一口かじった後、その断面を二度三度確かめ、「うそ……そんなまさか……」と青ざめたほどだ。いつしか周囲の喧騒も風景も消え、僕の目の前には高貴な光を放つサンドイッチのみ。

「美味しい」ではなく「幸せ」。

 つつ……と、頬を撫でる感触に我に返る。これは……涙? そうか、これが幸せというものなんだ――




「ど、どうされました? やっぱり、その……あんまり美味しくないですか?」


 暫しグルメの小宇宙に漂っていた僕は、その声でようやくこの世界に戻ってきた。鏡を見るように、アキトも恍惚の表情。幸福な夢の中から掬い上げられ、己を見失ったようにポカンとしている。


「うまい」


 うわ言のように、僕らはその三文字を何度も繰り返していた。




「ああ、そうだそうだ。美津姫さんに渡したいものがあったんだ」


 サンドイッチの余韻が抜けてきたところで、鞄から一つの小瓶を取り出した。透明な瓶の中で、軽い弾力のある液体のようなものがぷるぷると震えている。

 先日の湊小学校での一件で入手したスライムの一部だ。約束の写真を撮ることは適わなかったが、こうして実物を入手したのだから文句はないだろう。それでも、スライムの情報とサンドイッチのお返しには釣り合わないかもしれないが。

 

「はい、これ。約束の写真は撮れなかったけどさ、代わりに実物をちょっと拝借してきたよ。こんなものでいいかな?」


 僕はそれを美津姫に手渡した。受け取ったそれを、彼女は少し眉を寄せて、ちゃぷちゃぷと震わせてみたり透かしたりして、しばし観察し始めた。

 そしてようやく確信を得たのだろう。彼女の白い頬が、熱に浮かされたようにみるみる上気していく。小さくすぼまった口がだらしなく横に広がって行く。恒例のアレが始まった。


「キャーッ! これって、まさか! まさか! スライムちゃんじゃないですか!? すごいすごい! かわいいーっ!」


 ブンブン手を振り回し、中のスライムは気泡だらけになっていった。


「う、うん。苦労したんだよ……」


 この光景に慣れてきたはずだが、その勢いにどうしても気圧されてしまう。


「お、おいおい。全く話について行けねぇぞ?」


 この件に関して完全に部外者であるアキトがたまらず話に割り込んだ。

 話の経緯を大まかに説明した。僕が彼女からスライムの情報を教えてもらったこと。その対価として、スライムの写真――は無理だったので、代わりに実物の一部を持ってきたこと。当たり前だが、スライムと戦ったことは二人には内緒だ。


「……なーんか、俺だけ仲間外れみてーじゃん?」


 いつもの元気はどこへやら。萎れた菜っ葉みたいになってしまったアキトを見て、僕と美津姫は笑いをこらえることができなかった。

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