五話【叶銘のアルバイト探し】
チャイムと共に四時限目の講義もようやく終わりを告げた。春休み明け初日の講義で四つの講義をこなすというのはしんどい。詰め込んだ知識で頭が重くなった気分だ。
「美津姫は、たしか月曜日は五限まであったな」
なし崩し的に、登校中に美津姫と一緒に帰る約束をした。昨晩のスライムの話を聞かせてあげるためだ。目を輝かせて飛び跳ねるかのような美津姫の姿を思い出すと、一人で帰ってしまうわけにもいかない。あと二時間弱は大学で暇をつぶさないと。
そういえばと思い立ち、学生支援センターへ向かった。どうしても確認しておきたいことがあったのだ。
部活に、学業に、恋にと忙しい学生たちとすれ違いながら歩く。豊かに表情を変えながら人生を謳歌する彼らを見るたび、心にはどろどろした澱が溜まっていくのを感じた。
誰かに追いかけられているような気分になり、気もそぞろになる。心臓が早鐘を打ち、踏み出す足も速くなる。
誰にも迷惑をかけないよう、死んだように息をひそめて生きてきた僕にとって、ごく普通に大学生活を謳歌する彼らが羨ましく、あまりにも眩しい毒だった。「お前何やってんの?」すれ違う彼らの口からそんな非難の幻聴が聞こえてきそうだ。
違う! 僕だって苦労してるし、辛いことが何度もあったんだ!
声にならない弁解を繰り返しながらうつむき気味でひたすら足を動かした。
学生支援センターに人は少なかった。ここには障害を持った者、留学生、その他悩みを持った者など、大学生活に何かしら不安のある学生たちが集まってくる。しかし今回僕が来たのは、そういった事情とは異なる。
「いいアルバイトないかな……」
僕はアルバイトを探しに来ていた。
一回生の頃は勉強が忙しく、アルバイトができなかった――というのは言い訳で、実際はアルバイトをしたくないがために勉強に打ち込んでいた。ただでさえ新しい環境に慣れるのが苦手な上、かなりの人見知りなのだ。仕事仲間たちと上手くいかなかったらと考えるだけで体が震えたものだ。
じゃあなぜ今になって始めるのか? その理由は二つある。
一つは、神木家の家計だ。父さんの保険金があったとはいえ、僕は大学に、彩音は高校に入ったことで数百万円のお金が学費として消えていった。火の車というほどではないが、そろそろ我が家の蓄えも余裕がなくなってきたことは薄々感じていた。高校生の彩音にアルバイトをさせるわけにもいかず、そうなると僕が稼ぐしかない。
もう一つは、この現状の脱却だ。いつまでも充実した人間を羨み、妬むのなんて嫌だ。もう何年になるか分からない、こんなうだつの上がらない生活は嫌なんだ。
「理由は色々あるけれど、最後の一押しになったのは――」
僕の脳裏に魔王《父さん》の顔が浮かびそうになり、慌てて首を振った。
掲示板に貼られた求人票を見ると、大学構内でのアルバイトがいくつか並んでいる。生協の裏方、レジ係、食堂での簡単な調理などオーソドックスな内容だ。時給は安いが、通勤時間がほぼゼロで、一緒に働いているのが同じ大学の人間ということを考慮すれば決して悪い労働条件じゃない。
「でもやっぱり、いざ求人を見ると気が引けるよな……」
湧いてきた勇気もどこへやら、僕の目はふらふらと泳ぎ始めていた。結局あれやこれやと理由をつけては、どれか一つに決めることはできなかった。人はなかなか変われないということか。
「……仕方ない、帰ったらネットで探してみるか。学校以外でのバイトも見つかるしな」
「ほう、アルバイトかね。感心感心!」
「はい、そうなんです……えっ?」
突然の声に驚いて振り返る。しかしそこには誰もいなかった。
「神木くん。こっちだ、こっち」
下の方から声。視線を下げると、そこにはとても小柄で丸っこい体の老人が僕を見上げていた。
「と、藤間先生! いつの間に?」
正直、僕はこの先生は苦手だ。悪い人ではなさそうだが、とにかく得体が知れない。ひょっとしたらこの人は人型のモンスターではないかと邪推してしまうほどだ。
無意識のうちに後ずさりし、距離を置いていた。
「そう怯えるでない。まあ、今日の講義はちょっと刺激的じゃったかもしれんがな。カッカッカッ!」
「は、はあ……」
「覇気がない男じゃのう。まあよい。ちょうど君にぴったりの求人を持ってきたところじゃ」
そう言って先生は、小さな体を目いっぱい伸ばして求人票を貼り付けた。それが終わると、満足げな顔でさっさとその場を離れて行った。
「君は見どころがある。ちゃんと最後まで講義を受けるのじゃぞ?」
「は、はい……!」
一体何だったのか。先生の小さくて丸い背中を見送り、たった今貼られた求人票を見た。
「えっと。居酒屋のバイト――って、大学の外じゃないか!」
原則ここに貼られるのは大学構内のアルバイト求人のみだ。そして当然構内に居酒屋なんてない。あったら嬉しいが、間違いなく問題になるだろう。
一番おかしいのは、その応募資格だ。普通なら「十八歳以上(高校生不可)」とか「週三日以上働ける方」といったところだろう。
しかしそこに書かれていたのは「神木叶銘であること」だ。個人を名指しする応募資格など見たことがないしありえない。まして、それが自分だなんて。
「ひょっとして藤間先生、このために僕を待ち受けていたのか?」
となると、このアルバイトにはきっと何かある。こんな根暗な引っ込み思案に居酒屋のアルバイトが務まるとは思えないが、駄目なら面接で落とされるだけだ。
一応連絡先をメモし、あとは図書館で時間を潰すことにした。緩やかにだが、確かに僕は前進している――たぶん。




