009
薄暗い灯りの中、床より高い所に作られた簡易だが豪奢な舞台の上でダンサーが生々しく艶やかに踊っている。それはこの家の武勲を伝えるものらしく、あるいは脚色された物語をあえて楽しむらしく客たちはほうっと感心したり愉快気な声をあげたりしている。趣味が良いのか悪いのかも判断できない。シーザー家にしてみるとこれがパーティの伝統なのだそうで、軍人らしく吟遊詩人――語り部を抱えた一族らしい演出と言われるとそうなのかもしれない。劇をずっと見る時間があるわけではなく、切りのいいところで休みが入り、その間に歓談タイムとしゃれこむ。
「すごいねえ」
うちの趣味とあんまり変わんないよ、とルーが笑う。成金趣味と確かに紙一重なのかもしれない。わたしたちはお互いによく似たドレスを着ている。淡いグリーン色の生地と胸元のリボンが豪奢なドレスだ。キンヘルからの贈り物だった。彼はわたしと彼女が――シーザー家のパーティに行くことをどこからともなく聞いて、迎えに来る当日に着替え役の使用人と共に一揃えの贈り物を寄こした。既に彼からは別のドレスを貰っておりそちらを着ていこうと思ったのだが――平民と成り上がりのわたしたちをあえて他の客人たちは気にしてないというより――気にもかけていないのだ。権力にかからない小娘たちなど気に留める必要がないというわけで、楽団が場を盛り上げる音楽と共に案外気楽な時間を過ごしている。私は欠伸を噛み殺した。
「めーちゃん馬車でも眠そうだったね」
「うーん、……うん、眠い」
あの彼女の姿などどこにもない。いや、本当は客の対応などで忙しいのだ。笑い、話し、持て成し、優雅に振舞うが、あの彼女は忙しく、わたしは何ともない様子で盗み見している。こんなイベントあったっけ、と考えるのはもはや無粋であるような気もするし、大事なことのように思う。
「ルー、行きたいとこ行ってもいいよ」
「えへへ」
「大丈夫、ちゃんと起きてるから」
「そぉ?いいのかなーいいかなーでも行っちゃうんだけど」
ずっとそわそわしていたルーは遠慮する素振りもなく、じゃあ、とにっこり笑ってわたしから離れて行く。彼女の飛びはね気味の髪も熟練のメイドの手にかかり、綺麗に結いあげられており、ほっそりとした白い首が映えている。ルーを気にする若い客も居るようだ。わたしはノンアルコールのカクテルを受け取り、壁際に佇んでいる。あの彼女の姿は今は居ない。
「あの……」
声をかけられて、わたしは目を向ける。
緊張した面持ちの同世代の男の人がいて、気まずげに言う。
「あの、ご友人は」
「ああ、今……えーっと、どこかな」
流石にルーは素早い。見失うと一瞬だ。
探すわたしに慌てて制止が入る。
「その、ご友人に用があるわけではなく」
「はい?」
「――その、僕はロルフと申します。ロルフ・オールソン。えっと、知りませんか、オールソン」
「……ええと」
「あ、いや、そうですよねえ。ご婦人が知る名前ではないですよね、あはは」
「………」
なんと答えていいものか、わたしは笑みだけを浮かべた。
ロルフ・オールソン。なんの名前だったか、どのキャクターだったのか。朴訥な顔立ちの焦げ茶の髪、どこか犬のような雰囲気がある。
「――メロウ」
困った空気を読みとったのか、助け舟のようにウェルトが現われた。きっちりと正装しているが、何故か寝癖が跳ねているので、雰囲気はとんとんだ。
「これはウェルト殿」
「ロルフ殿、こちらは俺の学友であるメロウ嬢だ」
「メロウ――嬢」
「彼女と少し話があるので、良いか?」
「あっはい、おれが行きます。パーティ、とても楽しいですよ。招待してくださって有難う、今度、うちの時には是非」
「ああ」
二人は握手して、ロルフが去っていく。
わたしが結局誰だったのかと見ていると、ウェルトが教えてくれた。
「あちらは武器商人でね、あれで三代目だ」
「武器商人……」
「何でも手に入れてくれる、とは聞いている」
「不穏な響きだね」
「おれもそう思う、父は懇意にしているが、どうだかな」
「……ウェルトは家系を継ぐの?」
「俺は………まあ、どうでもいい話だ」
「どうでもよくはないけど」
「そういうことは俺と結婚する時に考えろ」
「…………」
無の表情になったわたしをウェルトは浅く笑った。
「………あの彼女は、リュアナ様は軍師を目指しているって」
「――――誰からだ」
「セフベーネ」
「ああ」
まあ、とウェルトは首筋を掻いた。
「――話すか」
「え」
「姉上にも気晴らしが必要だ」
「いや、それは」
「―――姉上!」
ウェルトはこちらの意志に構わず、応対中のあの彼女を大声で呼び、驚いてすぐ姉の顔をして窘める目線を向けるあの彼女にも構わず、あの彼女を輪の中から連れだした。ウェルトの行動の突拍子のなさを知る面々らしく、「すぐに私たちに返せよ!」と揶揄する客に、「姉上はモノじゃない」としれっと返すやり取りが発生し、僅かに喜色を浮かべたあの彼女と――わたしが目が合う。途端、険しい顔をした。それも一瞬だ。
「どうかしたの、ウェルト」
「姉上も朝から気詰まりだっただろう。後は俺が対応する。こちらは俺の客である、というかまあ知ってるだろうがメロウだ。女同士で気兼ねなく話せ」
ウェルトは言うだけ言って、さっさと先程の輪の中に乱入していた。
残されたわたしとあの彼女――リュアナは互いに数秒途方に暮れた。
リュアナは主賓らしく何もかもが美しかった。彼女の金髪に映える裾に広がるような深い青のドレス、暗さはなく気品だけが立ち上る、わたしのドレスと違う、幼さのないリボンの装飾。彼女を年上に見せるのではない、ただ彼女と言う存在を浮き彫りにさせる額縁のようだ。彼女は言わんや芸術作品であり、見惚れるわたしの視線を疎んじた彼女は息を吐いた。
「――中庭に、薔薇が咲いたって庭師が言ってたの」
彼女はそれがすべてであるように歩き出した。
わたしは遅れて意を悟り、慌てて彼女に着いて行った。
*
「よくもまあのこのこ………」
そう言われても仕方ない。
これまたよく手入れされた中庭の造形美は、しかし、わたしをホームシックにさせた。自然を調和させる日本式の庭園とはまったく別の雰囲気に、わたしは飲みこまれないように咲き誇る薔薇を見詰めた。再び彼女を見ることは許されなかった。
「ウェルトに近づかないでって、私、言わなかったかしら」
言われた気がするが、わたしが記憶があるのはぶたれた部分だ。前後の台詞は飛んでいる。
「――なのに、あなたと来たら一向に私の話を気にかけることなく、弟と良い友達なのだから」
「―――友達ですよ」
「ふんッ、また白々しい嘘を………」
「―――ウェルトのどこがお好きなんですか」
つい零れた疑問は、口に出してしまったと気付いた時には手遅れだった。
彼女は呆気に取られた顔をした後、音が出るほどの勢いで真っ赤になった。白い肌を容易く染められる、ウェルトのことが、ふとわたしは嫌になる。
「す、す、す、すき、って、好きってそんなわけないでしょう!私はただ――ただ、そうよ、姉として!姉として平民の貴方と、シーザー家の一員として」
「――それでどこが好きなんです?」
「で、ですから―――」
わたしは目を細め、扇子で顔を隠そうとする彼女に歩み寄った。近付く度に彼女はうろたえた顔をする。自分が優位に立っている間は威勢が良くて、劣勢になると弱いらしい。
「……そんな風で、軍師目指せるんですか」
「あ―――貴方が何故それを」
すぐに彼女は悟った。
「セフベーネね!あのお方は、誰でも懐に入れてしまうんだからっ」
「………………レクターは」
名前を聞いた途端、彼女はわたしをきつく睨みつけた。
その瞳が好きだった。
切れ長のコバルトが怒りと共に燃えるのが。
「彼の名前を貴方なんかが口に出さないで」
「―――すみません」
「―――とにかく、ウェルトにこれ以上近付かないで」
わたしはうんざりした。
「―――彼が、わたしを放っておかないんですよ」
わたしは薔薇を見詰めた。
傷つけたのはわたしだ。
でも、傷ついているのも確かだ。
「失礼します」
わたしは足早に会場に戻った。ルーが姿を消したわたしを探していたようで、見るや否や駆け寄ってきた。これ、美味しいよ、とたくさんの料理の乗った皿を差し出す。
「……どしたの、めーちゃん」
「……え?何でもないよ」
わたしは笑う。
ルーがその口に小ぶりなタルトを押し込んできた。驚くわたしににっこり笑って見せる。――彼女にそんな風に笑ってくれる誰かは居るのだろうか。わたしは窓から中庭の方を探したが、再び劇が始まってしまったので、何もかもの感情が作為的な興奮に紛れてしまうのを、静かに待った。