014
レクターを救出するということは、リュアナが犠牲になるということだった。誰かを一人救いだせば、釣り合いが取れるようにまた一人が犠牲になる。それが神の――ゼンの望んだことである。
とか何とかはしゃらくさいので、もう止めだ。
自らが首謀者だと名乗りにいこうとする彼女をわたし達は止める。説得できたのはバトラーの力も大きかった。彼はゼン達とは違う系列の神であって、略式に数字のアダプターの役目を承認したのもまた彼であった。バトラーは人に属する神であって、聊か皮肉的なことだがロルフ・オールソンが継続させた技術の内のひとつが依り代だった。故に縁のあるロルフ・オールソンは生きているらしいがそれがどこでどうなのかは、また別の関与であるらしく、ただ、生きていることは確実らしいのでわたしはほっとした。事態が猛烈にヤバいのは確かなのであって、国が大変揺らいでいるのだが、バンリの眼差しはあれ以降、ルーとレクターの頭上を通りすぎているらしく、バトラーが言うには、わたし――メロウを探しているらしい。
そういう因果、とあるが、彼曰く、それはわたしのものではないらしい。
とにかく、彼が請け負った。君たちの安全を保護すると。それがゼンに国を滅ぼされたことへの復讐である、ということをわたし達も了承していた。
「平民と成り上がりが――」
「あんなの学院にいれるから国に災いが」
「そうよ、絶対穢れを神聖なる場に許したからあんなことに――」
それは実際その通りだ。
わたしとルーは笑い合う。でも、目に見えた変化があった。
リュアナ・シーザーがわたし達と食事を食べるようになり、学院のヒエラルキーに衝撃が走ったのだ。ざわめきの中、深窓の令嬢は完璧な所作でお食事を召しあがり、わたし達と他愛もない話をする。別れが迫っていた。リュアナは一度だけわたしの部屋に泊まった。
「――もうこんなこと、味わえないのね」
彼女が寝入った後、わたしはベッドを抜け出した。
椅子に腰かけ、彼女の寝顔を一晩中眺めていた。彼女の呼吸を数え、彼女の上下する胸板を眺め、彼女が視ていた夢を追いかけた。わたしは彼女の髪に触れようとして、手を伸ばせなかった。あまりにも近すぎたために、わたしは恐れた。彼女が受け入れてしまうことが分かっていた、わたしはもう彼女の嫌いな女ではなかった。冒険を共にした信頼できる仲間であり――友になってしまった。彼女の所作の端々からわたしに心を許しているのが分かった、そうでなければそもそもこんな風に一緒のベッドで寝たりはしない。焦げた桜餅の匂いを思い出す。
バンリの慟哭――嫉妬、バンリが何もしてこないのは、わたしを探しているからではなく――バンリが憎しみを楽しんでいるからだ。長い間、歴史が興って訪れなかった花婿を奪われるという苦しみや痛みや傷心を、謳歌しているからだ。愛する者を奪われる――悦び、バンリがそれを味わいつくした後、どうなってしまうのだろう。ゼンは自由な女神の意志を尊重するだろう。しかし彼らにとって人間の一生など短すぎて、彼らが「憎しみ」を思い出した時に、わたし達がまだ生きているかは分からない。それは災厄となってこの大地の全ての民に降りかかるのかもしれない。バトラーがそれをどうするのかを、わたしは知ることがないのかもしれない。選ばれた勇者や神子などが治めることになるのかもしれない。――そもそも、学院を救うとはどういうことだろう。わたしは今更ながら考える。今回のストーリーでなければ、起き得た何かがあるのだろう。可能性の星を追い、ひとつの星座を作ったとて、それはわたしが知り得なかった、誰かの人生なのかもしれない。
リュアナがわたしの部屋に泊まった数日後、彼女はレクターと共に旅立つことになった。レクターは立場上、この国の中で平穏と暮らすことは敵わず、またそれは罪悪を抱えたリュアナとて同じだった。リュアナはそうすることを今回の事をするに辺り、そう決めていたし、レクターは花婿である以外の未来を想像出来ていなかった。また眠りに一旦落ちた彼はすこし人から毀れていて、日常生活に支障があるということもある。国を出た方がゼンの守護から離れ、バトラーも守りやすくなるという。バトラーの興した国はもうないが、彼の子孫たちが細々と暮らしている土地は幾つかあって、そこを中心に旅するらしい。
わたしはこっそり尋ねた。
「――リュアナ様はレクターのこと、お好きなんですか」
リュアナは少し呆れたように唇を尖らせて見せた。
「そうではないの。レクターってあんまり、頼りなくって、姉として心配なのね」
彼女は晴れやかに笑って見せる。
ここまで経た人は気になるのかもしれない。
それじゃあ、ウェルトは今何をしてるのだろう――?と。
彼は今燃え尽きた瓦礫の中で働いている。臣下としての犯人の捜索と、崩れた守備の立て直しにシーザー家の後継ぎとして奮闘している最中だ。その上、リュアナが家を出た――となれば彼の一族に疑いの目が向くのは必定だが、彼からは何の連絡もないと言う。二人はウェルトのことを気にかけながらも、よく晴れた今日、旅立っていった。わたしにはもう二度会えない予感はあったし、それは他の人もそうだった。
「なーん。結局、今回のことで得たのはシーザー家の大スキャンダルだけだねえ」
「良かったじゃない」
「あたし、友達は売りませんことよ」
「ほんとに?」
ルーは軽やかに笑う。
セフベーネのマグノリアの代替え案は他の神からの承認だということもあるし、今余波を起こすのはまずいということで、彼はまた別の方法を模索していくらしい。国の中心部が乱れているわりに、学院は呑気な空気が流れていて、何もなかったかのような平穏がここにはあった――