013
天高く聳える三角形はピラミッドの頂点だけが変形ツールで引き延ばされたみたいに一見アンバランスだ。斬の月、頂点に常に止まっている長毛のドラゴンに似た鳥――オアイシスも一旦己の玉座に還る。オアイシスの繁殖期間ともされており、オアイシスは一体しか存在せず、分裂しているのだとも言われている。オアイシスの研究は禁断で、噂ばかりが囁かれている。――というのは、わたしの知識ではなく、メロウの知識だ。この世界を作った神の良き友であるゼン――に祝福されたかつての祖が月蝕に神に対抗しようとした素たちを制圧したことからこの国は興っている。オアイシスはゼンの眼であり、耳とされている。この為、オアイシスのいない時期は反逆者たちにとっては絶好の期間なのである。故に、軍事的警戒が尤も強まる時期でもある。一方でレクター家が崇拝・信奉する神はゼンの義姉妹であり、バンリと言う。バンリは気に入ったものには強く固執する性質で、反面、奔放と来ている。愛を司る神でもあり、それが戦禍を導く音を守護するのだから、世はでたらめだ。愛があるのならば殺せと来ている。レクターは婚礼の義の為に、深い眠りに落とされている。どこまでも深い、自分を辿る――時間を辿る旅へ。狂う者も居るとされるが、数度試された後でレクターは花婿となったのだ。適正はある。
だから、大丈夫だ。
ルーが父親に打診したところ、オールソンの雇った傭兵たちに幾人か彼女の家に借金をしている者がいて、借金の利息を免除する代わりに、当日の配置などの情報を経た。それを軍人として協力しているシーザーの得た内部の構造と設置された罠の数――本当の知りたいところ以外は――を把握し、侵入経路を得る。或る程度の略式魔術はすぐにバレるマグノリアを使用せず、セフベーネが数式の変換をある神に頼むことができたらしい。その御利益がある限りは、ゼン系列の神に気づかれることなく、発動が可能だと言う。
結果――聊か拍子抜けする程度には、すんなりと建物内部に入り込み、レクターのまつろう部屋にやってくることが出来た。蝋燭は全て溶け切ってしまっている為に、暗闇が寄せては返す。近寄るにつれ、生肉のような匂いがして、腐臭が僅かに漂うのを、清涼な匂いの香が留まらせている。ザクロのような赤い球体の向こうはひどくざわめいていて、わたし以外は近寄ることはできなかった。ある種の呪いがかかっていて、位の高い神の名を借りないと解除はできないようになっており、一連のことをやっぱりわたしが知るのではなく、メロウが知っていた。――というよりこれは、既に繰り返された行動である。と、するのが適任なように思えた。
ざぶ、と球体の中に無遠慮に腕を突っ込んだ。阻むものはなかった。そもそもこれはわたしに関係がないのだ。途方もなく広大に思えた内部は、実態の掌を差し出すと途端に狭く思えた。なにせ彼一人分の広さしかなく、孵化寸前まで育った卵をゆでて喰うみたいな趣味の悪さで、わたしはゆっくりと彼を引きあげた。でろりと零れる赤は子宮の壁のような色身と柔らかさで、腐臭はまた強くなる。わたしはレクターの名を呼ぶ。彼は死人さながらの表情を浮かべている。
「レクター…レクター!!」
彼は身震いをした。
迷惑そうな表情をして唸る。
「………寒い」
裸なんだから、そりゃそうだろう。
「いいから、起きて!」
わたしは頬を無遠慮に叩く。
レクターは胡乱にまぶたを開けた。焦点をわたしに合わせて、身じろぎした。
「………あれ、君、どうして」
「迎えに来たんです、行きましょう、一応これ」
わたしは趣味の悪いスカーフを彼に巻き付けた。案外大きいそれは彼の華奢な身体を覆い隠すのにはぴったりだった。
「――ふふ。すごい柄だね、玉ねぎ?」
レクターは目覚めきっておらず、ぼんやりとしている。
わたしは焦れて、彼の腕を引っ張り――
ばんと、灯りが閃いた。
炎。群れ。
「――おれの贈り物が男の手に渡るなんて、残念だなあ」
「…………ロルフ」
「待っていた、と言えば嘘、になります。ここで、お会いしたかった、わけじゃないので」
レクターは訳が分からないという顔で突っ立っている。
「――起きたばかりですまないねえ、そもそも、これはどういう状況なんだい」
「単純ですよ、花婿であるレクター殿を彼女が救いに来たんですよ」
「どうして」
「どうして、なんです?」
二人に尋ねられて、わたしは困って見せた。
「さあ、どうしてだと思います?」
「質問に質問を返すなんて、ずるい、ですよ」
「ごめんね」
「悪くはないですけど………」
ロルフの態度を見てレクターが閃いたようだ。
「ふふ。……悪いね、彼女は僕を選んだようだ」
「そういうこと言います?」
「そういうことじゃないです」
「そういうことじゃないんだ?」
「――埒が明かないなぁ」
それはそうだろう。
「これは、人間同士の、話ですよ」
ロルフが言う。
「――バンリが花婿を喪ったと知ったら――国が揺らいでしまう」
「強い国には不要な状況だと」
「――分からないんですよね」
ロルフは真っ直ぐ銃を突きだす。
「強い国に神は必要なのか」
「そぉおーーーーーーーーい!!!!」
不意に素っ頓狂な声が広がり、頭上から沢山の桜餅の形をしたクッションが降ってきた。ばらばらと雨のように降り出したそれは人を埋めてゆく。状況が意味がわからなさすぎて、その場に居たわたし達は全員混乱した。すぐに焦げる匂いがした。灯りで使われていた松明の炎が桜餅の布地に燃え広がっていったのだ。意味が分からない上にさらにやばい状況になってしまうが、匂いは焦げた桜餅なのだ。若干いい匂いだ。悲惨さが滑稽さにすり替えられている。ここで死ぬのは、マシュマロで窒息するより空しい。やっと危機感を取り戻したわたしはレクターの腕を掴み、どうにか逃げようとクッションを掻きわけ――
と、
「そりゃぁーーーーーーーーーー!!!!!」
ばひゅん、と間抜けな音がして、すぐ後ろの壁が壊された。
「やっほーーーーー!!!」
「…………ルー!」
大きく手を振る彼女ともう一人。
物語に出てくるみたいな魔法の絨毯に乗って、飛んでいる。
わたしは目を見開く。
「バトラー!」
「そう、バトラー、それが俺の名前さ」
「これってどういうことなんだい」
「全然分かんない!」
「まあまあいーからいーから」
何が?
飛び乗れと言われた、魔法の絨毯はふよふよしていて不安定だ。
レクターは寒そうに震えていて、わたしは上着を彼にかけてやる。
炎はどこまでも広がり始めて、三角の建物そのものが蝋燭みたいに火を灯らせている。夜の新しい太陽みたいに豪華に光り輝く。朽ちて行く灯なのか、絶望の始まりなのか、希望の楽観性なのか、何もかも分からない。――ロルフが生きていればいい、とわたしは思った。混乱の産声が上がる。誰かの慟哭だ。――平穏を喪った悲しみなのかもしれない。バンリがわたし達を視ていた。しかしその視線はわたしをすり抜けた。神にとってわたしは居ない人間だ。青ざめたルーとレクターに、バトラーが優しく息を吹いて、わたし達に星のヴェールをかける。魔法の絨毯はゆっくりと学院に向かって夜空を泳いでいた。




