011
ロルフ・オールソンは最近流行りだという突飛な柄のスカーフとお菓子と花束を携え、待っていた。応接室はキンヘルと会った時よりグレードの落ちる簡素な部屋だった。わたしはなるべく笑顔で応対する。
「贈り物こんなに――有難うございます。……あの、それでご用件は?」
「ご用件なんて、言うほど大それたものはなくて――その、貴女にお会いしたかったんです」
はにかみながらロルフは言う。
「はぁ」
なんだか気の抜けた声が出てしまう。いかにも善良そうな物言いが武器商人の跡取りの肩書きとそぐわなくて、わたしは僅かに警戒する。
「それで――メロウ嬢。今度のお休みに、何か用事などはありませんか」
「いえ特には」
「では、よかったら、おれと観劇に行きませんか。面白いと評判の舞台のチケットが手に入りまして」
乙女ゲーという世界ならば単純な方のフラグだ。わたしは行くべきかどうか迷った、セーブシステムは存在せず、彼はいかにその舞台が前衛的で面白いか熱弁する。
「途中で手品が入るんですよ、なにか仕掛けがあるらしいのですが一見しただけではわかりません、術が施されてるようではあるんですが。音楽も今気鋭の作曲家が担当していて、それがまた美しいと評判で!」
で。
で、だ。
「―――気は進みませんか?」
しょんぼり垂れた犬耳を幻視する。正直なところ、わたしは犬好きで、この手の人間に弱いのであまり関わりたくないところである。
「あの、一度だけで結構です、一度だけ一緒に出掛けさえすれば――それで終わり、おれは諦めます、だから――」
「で、頷いたわけか」
ウェルトが呆れたような顔をする。わたしはウェルトの顔を見ないようにして、セフベーネの課題に取り組む。図書館内は相変わらず静かだ。本を読み、あるいは夢に溺れ、あるいは行き場なく、ひっそりと呼吸する人々。ウェルトの声はそれを容易に突き破る。
「今度は何の課題なんだ」
「陣の公約数と対比」
「今更?」
「知りません」
「それが先程の答えというわけだ」
「ウェルトには関係ないのでは?」
「ないと思うのか?」
彼の堂々とした態度が一周回って当然のように思えてくるから、恐ろしい。堂々としてればある程度のことは引き寄せられるのだろうか。わたしは感心する気持ちと反発する気持ちでウェルトを見詰める、こんなところにあの彼女は惚れたのだろうか。彼女と彼は異母姉弟で、出会ったのは物心ついてかららしいが、確かに無防備な幼い心に引力は強すぎるかもしれないと思う。
「何だ?」
「良い軍人になりそうだなと」
「まあな」
「………誰と戦うの?」
「敵」
「敵って?」
「国境近くで小競り合いが起きてるのは知ってるだろ」
「和解はしないの」
「条件が合わない」
彼らが求めるのは、指導者と土地の返還だ。この国は大国であり、戦を仕掛けて奪ったものの在り方を問われている。わたしから見れば、彼らには正義と道理があり、こちらには傲慢さと力がある。若干非難の視線が混じっていたのか、ウェルトは肩を竦めて見せた。
「ひとつの国になればそれで良い」
だろ、とウェルトは言う。奪う側の理論だが、そこにわたしが関与する意味はない。彼はやがて軍人となり、その為に強くなければいけない。というよりも本質的に彼はそうであるように見える。
「――わたしが、こう、なのもそう?」
「意味不明だな」
彼は腹が減ったと立ち上がる。
「どうする?」
「課題してる」
ウェルトは頷き、出ていく。わたしは頬杖を付き、それを見送った。考えるべきことはあったが、億劫な気分だった。大事なことから逃げている自信はあったが、向き合ったところで何も得られない。わたしはのろのろとペンを走らせた。メロウの目的は一体、何だろう?そしてあの不遜な男は何を手に入れるのだろう。
*
「いやあー楽しかったですね!」
ロルフが興奮した様子で話す。劇場を出る際に差し出されたキャンディはこの興奮を促進させている作用もあるのではないのか、とわたしは疑っている。舞台は言うなればロックミュージカル調であり、騎士の鎧(騎士ではない)と雄々しい獣人が一人の魔女を取り合うというロマンスもので、手品は反転に使われ前動作なしで砂の城が目の前に表れた、ぱちんという指の音と共に消えるが、次は光の塔であり、植物の屋敷であり、最後に炎の馬車が客席に飛び込み、拡散した。熱気も本当に感じられ、しかし何も燃えた形跡はなかった。この世界では魔術はあるが、特に人を楽しむことに長けたものを手品と呼ぶらしく、人々は驚かされることを大いに楽しんでいた。
「……お茶でも飲んで一息入れませんか、この先に馴染みの店がありまして」
「――武器商人とは、何を売り買いされるものなのですか」
わたしは唐突に尋ねた。ロルフは面食らった。呆けた後、からりと笑う。
「人を殺す道具ですよ。もしかして、そちらのお話の方がお好みですか」
「………かもしれませんわ」
「だとしたこの後のお茶の時間は楽しめると思いますよ、おれ、得意ですから」
屈託なくロルフは言う。わたしは微笑んだ。
「では、是非」
「もちろん、喜んで」
ロルフが馴染みの店というのは案外古ぼけていて、お洒落なカフェーというよりは純喫茶風であり、こじんまりとした店内にステンドグラスが窓枠に嵌められ、大通りがすぐそばにあるというのに、不思議と隔離されていたような場所だった。椅子と同化した大柄のマダムがここの店主であり、枯れ木のような素が立ち動いていた。ロルフが勧めたのはクリームソーダーで、わたしはそれが何だか意外だった。ここにあるとは思わなかったが、ゲームの開発者は日本人だ。或る程度の文化や食が馴染むのはそもそもそういう訳だろう。オルゴールの音のようなBGMは鳥かごで飼われている妖精の歌声で、嗜虐的だとわたしは思った。
「さて、メロウ嬢、おれの何をお知りになりたいですか」
「――いえ、ただ、どこから武器を仕入れてるものなのだろう、と思いまして」
「まるで使うあてがあるかのような口ぶりだ」
「不穏ですわ」
「好きですよ、不穏。おれは」
「誤解されたくはないのですが……」
「はい」
「あなたに興味がある、というわけではないですよ」
ロルフは楽しげに身体を揺らして笑った。
「存じてます。でも、それでいいもんですよ、案外。うまく行く」
わふ、と鳴きそうだ。わたしは少し笑った。ロルフは、武器の仕入れは鉱山の方に住まう職人の一族から仕入れていると言う、無論それだけではなく、戦争を仕掛けた国や、仕掛けられている国、中立を装い軍事力を高めている国からも仕入れていると言う。
「おれが力を入れているのは、敗戦した国の技術力を維持することです」
わたしの視線に気付いて、補足する。
「当然、親切心ではないですよ、今回たまたま戦争に負けただけかもしれない程度で、その国の技術を根絶やしにするのは惜しい、と思ってるんです。職人は職人しか知らないツテや技術がある」
「……それで恩に着させて知識や技術をふんだくるというわけですね」
「まあ、――そうですね、それで間違いないです。おれはそれでいいと思っています。強い国にはあらゆる知識や技術があるべきです」
「あなたもこの国がお好きなんですか」
「強いって、便利ですから、何事も」
そうして益々、自分たちだけのものを作り上げるオールソン商会に、国は依存してしまうというわけだ。わたしは少し笑った、悪びれないロルフには好感が持てた、野心のようなものがあるわけではない。彼はそれが面白いからそうするだけだ。国同士のいざこざや商売の失敗談などの話を屈託なくロルフが話すのを、わたしは思うより楽しい気持ちで聞いていた。関係ないからかもしれない、この国の行く先に。
「――ああ、失礼。もうこんな時間か、すいません、これから会合がありまして」
「お忙しいんですね」
「あ、いや、もうすぐ斬の月になるでしょう。一番、うちの活躍する時期ですから」
この時期は、絶好の機会ですから、とロルフが言う。
そうですか、とわたしは頷いて、彼が送りの車を用意してくれたので素直に礼を言う。
「――あの、また、おれ、貴女をお誘いしても、構いませんか」
先程まで良かった口の滑りをもつれさせて、ロルフが顔を赤くしながらわたしを見詰めた。わたしは微笑むに留めた。それで答えは十分らしかった。彼は、喜色を浮かべて大きく手を振り、見送ってくれた。
わたしは、陣の係数を数える。やがて辿りつく花の形は国土の象徴で、サザンカの形をしていた。花は今まさに蕾となり、咲こうとしている。浮かんだ瞬間、陣は焼失して、一冊の本がこの世から消えた。