010
わたしは思い出した。
そういえばこれは乙女ゲームの世界だった、と。今の立ち位置が定かでなくても、誰かと恋愛をして結ばれた時点でこの宴は終わるのではないのだろうか。わたしはあの時死んだはずで、ここがあの世でなければ、わたしは何らかの役目を終えて、消えるのではないのだろうか。そう考えた時に誰かと恋愛するにして、今時点では誰が一番いいだろうと。後腐れなさそうで善良でややこしくなくて気楽な相手――
「まだ終わらないのか」
「終わったと思うとどんどん追加されていくのですが」
「大気中のエレメンタリー要素が観測される度に自動追加されていくのだから、当然だろ」
「当然だろ……って。つまり、終わらないんじゃ」
「終わらないさ」
だから終わったと思えば終わる、とセフベーネは事もなげに言う。
今日も今日とて授業終わりの放課後に資料室に向かった。
「嫌がらせなんですか」
「リラックス効果があるはずだが」
「どの辺りに?」
セフベーネは何を言ってるんだという顔で首を傾げる。
人選を間違った気がする。わたしはうろんに溜息を吐きだした。
「しかし、大体途中でアプローチがあるはずなんだがな」
「アプローチ?」
「観測行為だと言っただろう」
わたしはきょとんとセフベーネを見詰める。
セフベーネは僅か困惑した素振りを見せる。
「いや、まさか、それとも――何にも視られていないのか」
「何に……」
セフベーネはわたしの顎を掬いとり、まるでわたしの瞳の奥に答えがあるかのように覗きこんだ。それこそ彼自身の観測行為に他ならず、他意の素振りはなかったものの――
「先生………」
手元の本に夢中でうっかり扉を無造作に開けてしまった彼女からすると、そうではなかった。
「……」
「……」
「……」
「――――セフベーネっっっ!何をしていらっしゃるのっっっっ!!!!」
眦を吊り上げて彼女はセフベーネに渾身の声を叩きこむ。
「聖職者たる教師がそのように生徒にみだらに手を出すなど言語道断ですわ!!」
「……え、あ、いや、俺は」
「貴方も貴方ですわ!!!そのように無防備に殿方の前で振舞うなど―――そういうところが私から嫌われてるのですよっっっ!!!!」
わたしとセフベーネは呆気に取られ、目配せしあう。
「大体このような密室で年頃の男女が二人云々」
「おい、リュアナ――」
「口答えなさらないの!私は今とても大事な道徳を、いや人間としての必要最低限の礼儀作法の云々」
「――リュアナ様」
「このようなことあってはならないのです、学院の場というのは――云々」
「――リュアナ様、」
「最近の風紀は双方の意志なく自由とは名ばかりに乱れ――云々」
「リュアナ様!」
彼女は、あの彼女は――リュアナはやっと口を閉ざした。
「弁解ならば――」
「ではなく」
わたしが彼女に向かって一歩踏み出すと、彼女は半歩後ろに下がった。今ここで口封じする為にわたしが何かひどいことをするかの如く。
「あなたのような凛とした美しい人ならまだしも、そのような間違いなど起こりません」
「わ、分かりませんわ、殿方は戯れにどんな不造作のご婦人にだって手を出すのだと母は言っておりましたし――それに、貴方が」
彼女はその先を言いたくないように唇を幾度か浅く開き、不機嫌そうに閉じた。
感情の湛えた眼差しだけが物言いたげにきつく向けられ、わたしはまた踏み出し、彼女は下がり、本棚まで追い詰める。素直に認めるのなら――わたしは可愛い兎を追い詰めた犬のような気持ちだった。
「あなたに誤解されるようなことは何もしておりません」
「で、――ですが、今のは、どう、いや、そもそもウェルトに私、どう説明を」
「する必要はないですよ、――気に喰わないのならただあの時のように、わたしの頬を打てばいいのです」
「………っ……私はそのようなこと」
彼女は俯き、確かに怯えていて、わたしは微笑んだ。
「わたしがリュアナ様に危害を加えることなどありません」
「――その辺りでいいか?リュアナ、何か俺に用事があったんじゃないのか」
溜息まじりにセフベーネが割って入る。
彼女は弾けるように顔を上げ、ひどく辱められた時のように顔を赤くして、
「――また来ます!」
と、小走りに駆けて行った。
「……お嬢様をいじめるなよ」
「――いじめてはないですよ」
「どう考えてもいじめてただろうが。ガキが好きな女子をいじめるが如くの行いだったぞ。いっそ見物だよ」
セフベーネは彼女が落として行った本を拾い上げる。
「何の本なんですか?」
「防衛術の本だな。今のあの人にぴったりだ」
「わたしが侵略者とでも」
「そうだと言ってるんだよ。まったく、あれで機嫌を損ねると厄介なお嬢様なんだ。暫くは寄りつかないだろうな」
「……すみません」
「それをあの人に言ってやれ、聞き入れてくれるかどうかは別だがな」
で、だ、とセフベーネはわたしと向き合う。
「もう一つ別の課題をやってみるか」
「まだあるんですか」
「ああ。これで最後の特別課題だ」
「――何を探ろうとしてるんですか」
「それを俺も探している」
セフベーネは不思議と穏やかな表情を浮かべる。
「何も恐れるな、知るということはそれだけで価値がある」
わたしは頷いた。セフベーネも頷いた。
課題を受け取り、部屋を後にして、廊下を歩いているとルーが駆け寄ってくる。
「居た居た!」
「どうしたの?」
「めーちゃんに会いたい人がいるって!」
「――え、誰?」
「ええと、確かァ……名前は、そう――ロルフ・オールソン!」
名前を聞いたわたしの顔が酷いものだったのか、ルーは可笑しげに声を上げて笑う。
何だか面倒臭いことになりそうな予感が胸いっぱいに広がっていた――