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ヒロインインザロード  作者: 生糸
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001

見切り発車ですが宜しくお願いします。

――痛みが走った。

頬をぶたれたのだ。

私は目を見開く。

一見冷たそうな切れ長のコバルトの瞳、長い睫毛、整った顔立ちは美しいとしかいいようがなく。緩くウェーブががった甘くふんわりとした金色の髪からは良い匂いがした。怒気がひしひしと伝わる。圧倒的な怒り。私は。いや、わたしは、私は、わたしは。

「何とか言いなさいよッ、黙っていれば私の気が済むとでも?!」

ノイズ。乱れる。私は――わたしは理解する。

この人に出会うために生まれたのだ。



「どうかしたのか、ぼーっとして……やっぱり、何かあったんじゃないか」

気づかわしげにわたしの顔を覗き込む彼にわたしは浅く微笑む。大丈夫、と示したつもりだ。この世界では珍しい黒髪はこざっぱりと短く少しウェーブががっている。少し垂れた眼差しはコバルト色で、そう、あの人と同じ色だ。それもそのはずで、今隣にいるのは先程わたしをぶった彼女(ひと)と異母姉弟なのだ。名前はウェルト・シーザー。そしてあの彼女(ひと)はリュアナ・シーザー。


手早く説明してしまおう。時は金なり。ここはある乙女ゲ―ムと呼ばれる作品のうちの一つの世界で、わたしは、私は所謂ヒロインだ。だった。彼女にぶたれるまでは。このウェルトと良い仲になり、そして彼女にけん制された。彼女は所謂ライバルだ。作品によっては仲良くなるエンディングもある、和解ルートも。でもこのゲームでは、そういったことはなかったように思う。彼女は悪事をバラされ、ウェルトの許から去っていく。二度と会うことはなくなる。それ以上のことを深く考えたことはなかった。


「……大丈夫か?」


ウェルトがまた気づかわしげにわたしの顔を覗き込む。頬に手を添えてじっと瞳の奥を探ろうとする。わたしはもう照れたりはしないが、心遣いが嬉しくて今度はちゃんと微笑んだ。


「有難う、大丈夫だよ」

「俺には言えないことか?」

「うーんどうだろう、まだよく分からないや」

「分からない?」

「――確認だけど」

「ああ」

「ここはエタンセルリュンヌ学院だよね」

「……ああ」

ウェルトは一瞬怪訝そうに眉を上げた。

けれど頷く。

「わたしとあなたはクラスメイトで」

「ああ」

「二年生?」

ウェルトはまた頷く。

「有難う」

「……まだ授業は残ってるが、休むか」

「ううん、大丈夫。今から行くと遅刻かな」

「気にするな」

「そうだね」

わたしは笑った。

ウェルトは瞬いて、笑った。

「行くか。セフベーネに怒られれば済む話だ」

「そうだね」

わたし達は立ちあがって、教室に行く。教員のセフベーネは堂々遅刻したわたしたちに課題を追加させて説教した後、何事もなかったように授業を再開させた。わたしは教科書を開き、板書をぼんやり眺めやる。幸い、一番後ろの席で、思案に耽るには問題がなかった。


私はここではメロウという名前があった。名字はない。この世界は明確な縦社会で王から連なる階級があり、この学院は王の一族や貴族たち、あるいは特別な許可を得たものしか入れない場所で、私は平民生まれだったが実は、というやつだ。本当の実は、日本で生まれ育ち死んだ、金城頼子という名の現代人だ、現代を現代と制定していいのならば、まだ日本が日本としてあるのなら、あるいはここが、世界の全てでなければ。言うまでもないただのオタクはある日、事故で死に、そして、何の因果が、プレイ途中だったゲームの作品の中で意識を持った。わたし、という意識を。


あの瞬間――リュアナ・シーザーに頬をぶたれた瞬間に。

メロウというヒロインは、金城頼子というモブになった。


「深淵なる考えに耽溺しているところ申し訳ないが……」

ふっと声がかかった。セフベーネがわたしを指していた。

「貴殿の目の前にある数式という黄金も、またあらゆる人々の」

以下云々。わたしは大人しくすいませんと話を聞き、他のクラスメイトには小声で笑われるのだ。自説をぶったセフベーネは、殊更に数式の有用さを強調するが、この世界に必要なのは神秘性であり、クラスメイトはわたしを嗤うが、同時にセフベーネも変わり者として嗤っている。改めて授業終わりに、わたしはセフベーネに詫びに行く。彼は胡乱な眼差しでわたしを見詰めて、「課題を減らしたりはせんぞ」と言い放つ。

「いえ、授業の邪魔立てをして本当申し訳ありませんでした」

「―――そこの本棚の左から二番目の本を取れ」

「え?」

「聞こえなかったのか?」

わたしは反論を諦めて、本棚に手を伸ばす。

「三段目じゃない、五段目だ、ああ、いや、一番下だな」

「…………これですか」

「ああ。貸し出しはここに名を書いて行け」

わたしはセフベーネを見る。

彼はむっつりと何も説明しないぞという顔をして、わたしが名を書くのを見ていて、やっと部屋を出る間際に、聞こえるかどうかの音量で言った。

「出した課題に役に立つ」

わたしは少しだけ吹きだした。

そういえばそうだった、と思い出す。

セフベーネもまた攻略対象の一人なのだ、と。


ウェルトが廊下で待っていた。

確かゲームの期間は学園生活三年間と設定されている。パラメータ云々はなかったように思う。選ぶ相手によって固定されたストーリー展開があり、わたしは、そう、丁度二年目の緑月までゲームを進めた。ウェルトとの課題フラグを立てて。

ウェルトが言う。

「どうせなら一緒に済ませないか」

「同じ課題だもんね」

「………メロウ」

「何」

「いや、何でもない。早く済ませよう。提出が遅れるとまた増えるからな」

わたしはそうだね、と頷く。賢明なウェルト。

彼は少し違和感を覚えているようだ。

わたしは微笑んで、敷地内の図書館を目指す。

今どこにいるのかも、本当は分からないのに。







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