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最終節:魂の行く末

 ――陛下は、なぜそんなによくお笑いになるのですか?

 わざわざ無礼の許可を取った自動人形に、そんなことを訊ねられた。

 そんなことを気にする自動人形が傑作で、快く答えてやった。


 知るか、と。


 笑いたいから笑うんだ。それ以上の理由があるか。

 しかし、娘は気を害することもなく落胆することもなく、やけに神妙な表情でうなずいた。その表情がまた傑作で、声を上げて大笑いした。笑いたかったから笑った。

 相手より上に立ったなら。

 相手の命脈を貰ったなら。

 自分がそこに在るのなら。

 その慶びを笑いたい。

 いつも厳しい顔で不愉快そうに立つことだけはしたくない。

 この女のように。


 勇者はへし折れた剣を握りしめて、ふらりと歩を引いた。

 呆然と剣の柄を見下ろしている。それでも一挙動で対応できる重心を残しているところは大したものだ。


「俺の剣を使え」


 勇者に大剣を投げ渡した。

 見事に柄を取って受け取った勇者は、素早く折れた剣を鞘に収める。女だてらに両手で大剣を構えてみせた。振り回される様子もない。呆れた膂力に笑いが漏れる。

 剣の出来に感嘆した彼女は、すぐに険しい表情で顔を上げる。


「お前は?」


「俺はもともと武器を使わない。そんな名剣をただで押し付けられたら、使ってやろうって気にもなるだろ。趣味みたいなもんだ」


 不快そうに眉間の皺を深めた。殺し合いを趣味と呼んだことが気に障ったのだろう。細かいことを気にする女だ。笑う。


「それとも、使い慣れない武器じゃ俺に勝つ自信がないか?」

「馬鹿を言え。これほどの名剣だ、使えないなどと言ってはバチが当たる」


 女は二、三度剣を振って、ピタリと構えた。


「……お前は、あの子を殺すべきじゃなかった」


 残念だが、あんな状態でもない限り、あいつが本気で向かってくることはありえなかった。

 約束を果たす、唯一の好機だったのだ。


「なあ。お前、命を奪うことをどう思う?」


 脈絡のない言葉に、勇者が怪訝そうに目を瞬かせる。

 その表情に、笑って見せた。


「俺は、楽しいぞ」


 女の全身に気迫がみなぎる。どうやら怒ったらしかった。

 大剣に魔術を走らせて、上段から鋭く切り込んでくる。速い。重みを悟って横に飛ぶ。逸れた斬撃に宿る魔術の余波が、壁を濡れ紙のように切り裂いた。

 これまでのなまくらとは違う。

 名剣を得て、勇者の本領が発揮されている。

 笑った。まったくふざけた力だ、勇者など。魔王しか相手にならないと言うのもうなずける。

 こちらから間合いに踏み込む。大剣を横合いから殴りつけ、


「らァ!」


 右腕で勇者の顔面を打ち抜いた。女の体が吹き飛んでいく。

 しかし女は身体を翻した。壁に着地し、跳躍して逆に切り込んでくる。半身に避ける。

 逸れた刃で館の床が断ち切られた。絶妙なバランスで亀の死骸に乗っていた館が崩れ始める。床に亀裂が走り、隆起が広がっていく。馬鹿げた力に笑う。


「逃がすかっ!」


 瓦礫を避けながら、勇者は大きく腰をひねって大剣を背後に流す。力をためる。咄嗟に跳躍して天井をつかむと同時に、勇者は薙ぎ払った。館が輪切りにされた。

 でたらめな力は、仲間の死骸を山と積んだあのころの勇者とは、見違えるほどに凄まじい。


「クク……」


 瓦礫を避けて壁を蹴る。崩れる屋根をかわして外に出た。飛来する魔術の矢を迎撃する。拳が弾けて血しぶきが散った。


「クハハッ、ハッハハハハハ!」


 たまたま、短気だっただけのこと。

 大地を踏み、足元に転がる頭蓋骨を砕く。

 戦って勝てればそれでいい。負けてしまえばそれまでだ。

 それが、一番気持ちよく笑える生き方だった。

 勇者は額から血を流していた。殴った場所が裂傷になっているらしい。

 彼女は頓着せず、大剣の剣尖を下げて疾駆。


「なにを笑っている!」


 斬撃。身をかわしたつもりが、肩を浅く斬られた。長い得物を使いこなしている。

 大きく剣を振りぬいたがら空きの胴に、踏みつけるような蹴りを叩き込む。姿勢を落とした女は、ほとんどしゃがむような姿勢から剣を跳ね上げた。避ける。肉が裂ける。

 笑う。

 斬撃をいなし、かわし、反撃を叩き込み、逆撃を食らう。

 笑える。

 この女は殺しにきていた。

 それでいい。

 殺せ。殺してみろ。

 本当ならば、あのときあの丘で、殺されていたはずなのだから。

 避け切れなかった斬撃が左肩ごと腕を落とした。笑う。


「うらァ!」


 右拳を女の頬に叩き込んだ。

 軽い抵抗感が消えて、痩身がふわりと吹き飛んでいく。地面に広がる乾いた肉粉と人骨を砕きながら転がっていく。

 跳ぶ。寝転がる勇者を踏み潰そうとして、

 女は跳ねるように転がった。避けた勢いで剣を振られ、膝が割られた。もう足は動かせない。


「ハハハっ! ハハハハハッ!」

「なにが……ハァ、おかしい……ッ」


 勇者が、あの勇者が息を切らしている。笑いがこみ上げて止まらない。

 叩きつけた腕を、勇者はかわして剣を繰る。ひらりと翻った斬撃が深々と脇腹を刻んだ。


「グフッ……クハハァ……ハハァ――ッハハ……ッ」

「終わりだ、魔王!」


 脇を斬った剣を返し、閃かせた。


 逆の脇腹から肩まで、ばっさりとぬるい鉄が駆け抜ける感触がした。


 息をするように殺し、道を歩くように奪う。

 そうして笑え。

 それが生きるということだ。


 だと、いうのに。


 倒れていく視界の中で、勇者は。

 まるで宝物を壊した子どものように、泣きそうな顔をしている。

 足元の死骸を踏み潰した。折れた膝が衝撃でずれる。


「ふざけるな」


 腹立たしい。許せない。認められない。


「てめぇ、どんな顔してんだ」


 胸倉をつかもうとして、膝が沈んだ。倒れる。血の臭い。身体を転がし、勇者を見上げる。


「あ、ああ……私、は」


 迷子の子どものような顔をして、勇者は剣を落として狼狽している。

 ようやく我に返ったかと思うと、勇者は、あろうことか魔術を練った。

 治癒の魔術を。


「ふざけるなッ!」


 手近な頭蓋骨をつかんで投げつけた。首をすくめて怯える勇者のはるか向こうを飛んでいく。

 街娘よりも臆病な顔で、勇者は泣いた。


「わた、だって……こんなの、どうすれば……分からない……っ」


 血みどろで死に掛けで目がかすむ。呼吸ができているのかどうか分からない。だというのにこの女はこの期に及んで錯乱している。まさかここまで馬鹿だったとは、

 知っていた。

 だから魔王になったのだ。

 この女は、俺を殺すためだけに生きて、それ以外のすべてを捨て去って、勇者にまで至った。

 だからこの女は、俺が死んだら死んでしまう。

 どこまでも強くなる必要があった。魔王と呼ばれるほどに。ちゃんと殺されるために。

 馬鹿女は懲りずに治癒をかける。身体が両断される寸前の傷は、勇者の魔術でさえ癒せない。

 その事実にようやく気づいたのか、この女は悲鳴のように叫ぶ。


「嫌だ! 待ってよ! 一人にしないで……っ!」


 苛立たしい。不快だった。自分から近づいてきた女の胸倉を、今度こそつかむ。


「笑え」


 告げた。


「負けたようなシケた顔してんじゃねぇ。俺を殺したら笑え。俺を殺したなら俺に勝て。俺に勝ったらしく喜んで笑え。それが俺を殺したお前の責務だ」


 自分より上に立ったなら。

 自分の命脈を奪ったなら。

 相手がそこに在るのなら。

 それを慶んで笑ってほしい。


「そうでなきゃ、俺の命をくれてやる甲斐ってもんがないだろうが」


 女は涙で潤んだ目を瞠った。

 濡れた瞳は、これまでに見たどんな宝石よりも美しい。憮然とする。宝石商どもはこれの真似をしたかったのだろう。ひどい劣化だ。あんなものは侮辱でしかない。

 分かっているのか。

 俺は俺が奪った命で生きていた。お前が重ねたあの人形も、俺が手にして、お前が奪った。

 お前は俺を殺したんだぞ。

 勇者は、


「……ひへ」


 変な声を上げて、不器用に笑った。

 なんて間抜け面だ。笑う息を吐くのもつらい。苦しかった。息を吸えていないかもしれない。

 だが、それでいい。


「ああ、負けた」


 負けた。

 ようやく負けた。負けられた。

 目を開けて空を見上げようとして、すでに自分が目を開けていたことに気がついた。

 もう何も見えない。


「こういう気分も、悪くねえなあ」


 魔族の死骸は残らない。体が魔力に分解されて、世界に溶けていくからだ。

 そういう後腐れのなさが、気持ちいい。

 最後に一息つこうとして。

 それまでの息苦しさが嘘のように、滑らかに息が吐き出せた。

 ああ。


 ――いい気分だ。




 *




 侯爵の軍団が均したおかげで、大平原のようになっていた。

 誰もいない。一人きり。

 なにもない前に膝を突いて、なにもない露出した地面を見る。

 なにが、勝ったらしい顔をしろだ。

 慣れない笑顔を両手で覆う。


「……あれが、負けたやつの顔かよ」


 背中が丸くなっていく。

 手のひらが作る暗闇にうつむきながら、ふと、あいつの宣言どおりになったな、と思う。

 死に物狂いで戦って。すべてが終わった後になって。

 最後に笑ったのは、あいつだった。


「じゃあ、私」


 笑ってしまった。

 鼻声が涙に揺れる。


「結局、負けちゃったのかもな」


 一番大事な人を失って、笑うなんてできない。

 ずいぶんと長い間、そうして膝を突いていた気がする。

 いろいろなことを、思い出していた。

 守備隊の少年のこと。旅立つ前に食べたパンのこと。

 あいつを追いかけてきた時間のこと。追いかけては翻る花弁のように逃げた忠臣のこと。

 ともに戦った背中の頼もしさ。いつの間にか自分を重ねていた、美しい人形。

 そして、最後に送られた言葉。


 長い旅が終わったのだと知った。


 顔を上げる。日が傾き始めていた。風が冷たい。

 遠くかすむ空を見上げて、

 笑う。


「よし」


 傍らに倒れた大剣を拾う。

 鞘がないのは困りものだが、この(こしら)えなら傷むこともない。この頑丈な業物という名剣を打つのに比べれば、鞘を(あつら)えるくらい楽なものだ。

 肩に担ぐ。

 振り返る先に、故郷の城塞が陽射しを受けて輝いている。

 その偉容と栄華の姿を望み、大きく深呼吸をした。


「……さぁって」


 にっ。

 と、笑みを頬に刻む。

 まだぎこちない。もっと練習したほうがいいだろう。

 やりたいことは、いろいろある。けれど、その前に、まずは。


「帰るとしますか、私の故郷に!」


 暴力的な悪意の権化。

 この魔王は、マッチョイズムとナルシズムとエゴイズムで出来ていて、自分勝手で享楽主義な、端的に言ってクズ野郎です。もしも身近にいたら呪いあれと叫ぶでしょう。関わりたくない。

 でも。

 なぜか、彼の獰猛さにどうしようもなく惹かれます。

 もしかしたら、これがカリスマというのかもしれません。


 私はこういうピカレスク、好きです。


 ではまた次回作でお会いいたしましょう。


 2012年9月 初稿

 2017年8月 公開

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