第八節:愛し、愛され、愛ゆえに 2
魔術の余波だ。崩壊した壁の向こうでは魔王と娘が切り結んでいる。大剣の薙ぐ動きに任せて、娘は花弁が舞うように間合いを開ける。手甲剣が負荷に負けて割れた。
「なんで戦ってるんだ! もう侯爵の魔術は解けているはずだ!」
「まだです!」
ドレスの袖で顔を隠すように、ワイヤーの短剣を魔王に振り下ろす。魔王はワイヤーを大剣に掛けて引きちぎった。
「まだ魔術が残っています……!」
指を伸ばして魔王に向ける。指が花のように開き、魔術の矢が放たれた。
魔王はそれらを一太刀に切り落とす。
間隙、人形は魔王に肉薄した。低い姿勢から足を振り上げる。踵から両刃の細剣が伸びた。
魔王は彼女の足をつかんで止めた。身を翻し、投げ飛ばしてしまう。
投げられる娘は身を翻し、足から魔術の刃を放った。スカートが裂ける。魔王はかいくぐる。
「待て……待て! 魔王! もう終わりだろう! なんで攻撃するんだ!」
娘は背部から白い噴射炎を撒き、空中で減速する。両肩が割れて魔術の槍が打ち出された。いや、槍ではない。そのものが長大な刃として射線を切り裂いていく。
魔王は剣を投げた。大剣を傘に光線を避ける。逸れた光線が壁を外まで断ち切った。
動けない。彼女が兵器という事実が。そして、魔王は驚く気配もなく渡り合っている事実が。
彼らの殺しあいに躊躇いが介在していない事実が、足を重く縛っていた。竦んでいた。
眼前では、彼女の足下に魔王が先んじている。
彼女は舞い降りる動きに合わせて、妖精が踊るようにくるくると回った。袖から短剣を引き抜く。魔王を斬ろうと振りかぶり、
魔王はその手首を取って、力ずくでひねった。
至近にあった彼女は、魔王の懐に収まるように落ちる。
魔王の腕は、人としても小柄な彼女の背中に回されていた。
まるで抱きしめるように、
「――か――」
魔王は彼女の短剣で、彼女の背中を貫いている。
「もうちょっとで、俺に届いたかもな」
笑って、いた。
めきり、と短剣の刺さる背中が陶器のようにひび割れた。刃は胸部の魔力炉に至っている。
息が止まっていた。目の前の情景が信じられない。
彼女は力が抜けたように、甘えるように魔王に頭を預けている。
「陛下……最後に、お願いが……」
「なんだ」
「顔……私の……陛下の……顔を……」
魔王は大きな手で彼女の顔を覆うようにつかんだ。魔術のうねり。腐った魔力の満ちる館のなかで、放たれた彼の魔力はひどく清浄なものに感じられた。
彼の手が離れたとき、そこにあったのは、もはや見慣れた忠臣として仕える彼女の顔だ。
安らいだような表情をして、彼女はその唇を動かす。
「あ……ぃ……ます……――陛――」
ひゅう、とそよ風が吹くように。
彼女は永劫に凍りついた。
呆気なく。
炉の潰れた自動人形は魔力を失い、身体はおろか論理構造を保つ動力も失った。頭に砂を詰めた人形になった。その頭部に淡い笑顔を浮かべたまま。
死んだ。
「魔王ぉおおおおッ!」
信じられない。
「なんで、なぜ殺した! お前の右腕だろう! ずっと仕えてきた娘だろう! 敵に操られただけの、お前に忠誠を捧げた忠臣だろう!」
なぜ。
魔王は振り返る。自動人形が床に倒れた。
ありえない。分からない。認められない。許せない。
なぜ。
なぜ、こいつは。
笑っているんだ。
「ああああああああああッ!」
抜き打ち。魔王は魔術で障壁を作って受け流した。
「お前ッ、これまでずっと、どんな想いで!」
剣を返す。二の太刀で障壁を断ち切った。魔王は飛び退り、足で蹴り上げて大剣を取る。
戦う気なのか。
喪に服す気もないのか。
怒りで頭がくらむ。
「ずっとずっと、お前のために戦ってきたのに! お前のために強くなったのに!」
跳ぶ。
魔王は剣を構えていた。構わない。叩き下ろして返した剣で切り裂いてやる。
「全部お前に近づくために、少しでもそばにいるために! 自分に嘘までついて、ずっと!」
なぜ喚いているのか分からなかった。叫ばずにはいられなかった。
「お前のことを――!」
剣を叩き下ろす。
横に構えた魔王の大剣に触れた途端、
まるで豆腐でできていたかのように、剣は崩れた。
お前のことを。
魔王は薄く口の端を吊り上げている。
剣の破片が、花弁のように散る。
お前のことを。
愛していたのに。
――誰が?