第六節:生きとし生ける命の散りゆく 3
この勇者は到底許せる相手ではない。
しかし、意志と強さは認められる。稀有な強さだからこそ、認められるからこそ、許せない。
その点、この敵は認める気にもなれない。
意志もなく理由もなく意味もなく、ただ殺すことを欲望する。いや、それは殺しですらない。器物の破壊と、意義を区別できていないのだ。
要するに、不快極まりない。
「らァッ!」
魔術を走らせた大剣を振りぬいた。薙ぎ払ったゾンビの群れが壁のようにそそり立って吹き飛んでいく。蹴散らしても爽快感すら生まれない。
ゾンビの群れはこちらを包囲するように全軍の動きを変えている。背後の国内はどうなっているだろう。休戦してゾンビに応じる構えを取っているだろうか。あまり興味が湧かない。
空から巨大な塊が降ってきた。地面に叩きつけられた腐竜がゾンビの群れを蹴散らしながら滑っていく。刎ねられた首が回転しながらゾンビをひき潰した。
「くっ、数が多すぎる! 本当に撤退するのか、こいつらは!?」
腐竜を殺した勇者は着地しざまに周囲のゾンビをまとめて地下に埋葬する。
その勇者を狙って殺到する魔術を、剣の一振りでかき消した。リッチが徒党を組んで包囲している。勇者が魔術の矢を解き放ち、すべてのリッチを撃ち抜いた。
礼を言うように勇者が目を向けてくる。それは無視して、彼女の言葉に答えた。
「こいつらは破壊と殺戮しか考えていない『脳無し』だ。撤退なんてするはずがない」
「じゃあ、あの娘は何しに行ったんだ?」
「頭目を殺しにいったんだよ。やつさえ殺せば、魔術が解けて死骸に戻る」
とはいえ、と山のような腐れ亀の背に建つ白亜の館を見る。異変が起こった様子はない。
「殺すにしちゃ時間掛かりすぎだ。あの馬鹿、仕損じて死んでねぇだろうな」
象のような合成ゾンビの首を落とす。胸にもう一つ頭がついていた。蹴り抜く。
「魔王、あの娘は何者だ? 魔族ではないだろう。なぜお前の下で忠臣のように働いている?」
下らない好奇心だ。泥人形にも似たゾンビを蹴散らす暇つぶしに答える。
「あれは自動人形だよ。特製のな」
「自動人形? なんでそんな貴族の嗜好品がお前のもとに……いや待て。聞いたことがある」
勇者は死肉人形に迫り、身長の二倍もある肉袋を一閃で切り伏せる。考え事をしながら。
「人間と見紛う姿をした戦闘用自動人形を、魔王に送る。人間と油断したところを不意打ちで殺す……そんな夢みたいな計画があったな。私が知るものは、あんな少女の姿じゃないが」
「さすが、魔王殺しの代表には知らされているか。そいつだよ。身体能力や魔術制御、それと外形に糸目をつけなかったせいで、擬似頭脳の論理構造に技術的限界のしわ寄せがきたらしい。俺を殺すのに失敗した時点で、人間どもの設定した行動規範の命題が凍結した。平たく言えば、次の行動を決める基準がなくなった。よくできてたからな、新しい命令を吹き込んでやった」
「『俺に従え』か? まったく外道な――」
「いいや。『手段を選ばず俺を殺せ』だ」
勇者が振り返って、ゾンビに死角を突かれていた。大剣で彼女の背後を貫く。
はじめて見る勇者の間抜け面が笑えた。
「あいつの規範は『不意打ちで殺せ』だったからな、俺に存在が知られて『不意』が存在しなくなった時点で論理矛盾に陥ったんだよ。だから上書きした。遊びになりそうだと思ってな」
剣で薙ぐ。芝刈りでもするようにゾンビが吹き飛んでいく。腐れ亀が随分と近くなっていた。
あの館にいるはずの娘を思い出す。なぜ右腕として働いていたのか、今でも分からない。
「傑作なことに、あいつは俺に師事したんだ。戦闘理論はあっても、実戦経験がないから最適化できない、とか言ってな。それで鍛えてやって、気が向かないときは雑用をやらせた。そうしたら無駄に高性能な擬似頭脳が雑用にも最適化していろいろ便利になっていた」
なんとも愉快な真実だ。有能という事実そのものが面白い。
「勝手にやらせてたら、ついには国まで作ったんだ。笑ったぞ」
酒を奪ってくるどころか、自ら醸造所を運営し、買う貨幣を作るまでに至った。規模がおかしい。滑稽以外の何物でもなかった。
「俺が楽になるほど暇が増えて、暇になればあいつを鍛える時間も増える。理屈は正しい」
「……ずいぶん、気に入ってるんだな」
「まあな。あれほど愉快なヤツはなかなかいない」
ゾンビを蹴散らした剣を肩に担ぐ。
三つ首の腐竜が三体、襲い掛かってきていた。腐れ亀は間近。どうやら門番のつもりらしい。
児戯にも等しい。
「ふん!」
火を噴く首を刎ね、二本目の首をつかむ。指が肉を割って、首の骨をつかめた。二匹目の三つ首腐れ竜を縦に両断する。一体目を振り回し、三体目の背中に叩きつけた。まとめて貫く。
「暇潰しにもならんな」
勇者は勇者で、切り捨てた三つ首の犬を踏み台に腐れ亀に飛び掛っていた。一閃。
首を落とされた山よりでかい腐れ亀は、ゆっくりと膝を折った。衝撃が地面を弾ませる。くず折れただけで地面が砕けていた。ほとほと大きかったらしい。館は甲羅の上で安定している。
「魔王! 乗り込むぞ!」
「おう!」
剣を担ぎ、館に飛びつく。玄関から入るのも億劫で、剣で壁を打ち砕いた。
屍人の女が慌てふためいたように散っていく。瓦礫に巻き込まれて足を落とした女が必死に這っていた。死んでから動くゾンビと違い、生きたまま腐れて死んでいく屍人。
不快になる。本当に不愉快だ。
階段を探すのも、廊下を歩くのも面倒だった。大剣を振って、片っ端から打ち砕く。
館の主は、大広間に気配があった。
豪奢な観音開きの扉を切り捨てる。シャンデリアは既に落ち、壁には大穴が開いていた。別の道から進んだ勇者が、険しい表情で埃まみれの絨毯を踏んでいる。
「ちょちょちょ、ちょっとちょっと、揃って人の館を壊しながら来ないでよ。というか、なんでクソ勇者とクソ野郎が一緒になって戦ってるわけ? お前ら殺しあってるんじゃないの?」
玉座に腰を下ろすひょろ長の男が焦ったように雑音を発している。
最大の不快感が溢れた。
「……お前、そいつはどういうことだ?」
デッサン人形のような等身大の自動人形が、娘の着ていたドレス姿で膝を突いている。
この世の悲憤を飲み込むような厳しい表情で、勇者は剣を握っていた。
「魔王。私はあれを見たことあるぞ。勇者に危険を背負わせずに魔王を倒せるなどと遠回しに嫌味を聞かされた席でのことだ。人間の希望を背負った自動人形だとか言われていた」
「ハ。あいつも大袈裟な看板を背負わされていたもんだな」
すう、と葉が風に揺れるよりも滑らかに、その人形は顔を上げる。
表情はない。目も鼻も口もない。渦を巻くような魔術の線が木目のように全身を覆っている。
玉座の男は笑った。
「さすが、見る目があるねえ。どうだい? いい演目だと思うだろ? 魔王の右腕として働いていた人形が、魔王を殺す! 実に下らない、暇つぶしの役にしか立たない、雑な娯楽さ」
人形は立ち上がる。ドレスに仕込まれた手甲剣を、左手だけ構えた。
男を守るように玉座の前に立つ。その立ち姿は洗練されていて、隙がない。
「魔王、どうする」
担いだ剣を下ろした。構える。剣尖で自動人形を差した。
「自動人形は俺にやらせろ。あの男はお前にやるよ」
「おい……違う、待て魔王っ!」
だん、と地面を踏み切って、自動人形に斬りかかる。
あいつに感謝してもいいかもしれない。少しだけそう思った。