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第四節:生きとし生ける命の散りゆく 1

 生きてきた証とは、即ち闘争の遍歴だ。

 そういう生き方を選んでいた。略奪は魔族の普遍的な概念ではない。

 たまたま、短気だっただけのこと。

 たまたま結果が即座に形として手に入ることを求め、たまたま他人を傷つけることに抵抗がなく、たまたまそのような選択をしても生き抜くことのできる運があった。それだけのことだ。

 力がなければ、食べ物と一緒に手に入れた恨みに殺される。

 それはとてもシンプルで分かりやすく、気持ちのいい道理に思えた。


 嘆きも怒りも痛みも恐怖も憤慨も生も。

 笑いも喜びも快感も愉悦も歓楽も死も。

 すべて平らげてそこに立つ。

 たまたまそれが、一番気持ちよく笑える生き方だった。

 勇者の殺意も、臣下の狂信も、仲間の復讐すらも。

 生きる気分を盛り上げる笑いの種だ。

 戦って勝てればそれでいい。負けてしまえばそれまでだ。

 それだけでしかなかったのに、なぜ仲間や臣下がついてくるのかは分からない。

 分からなくとも、酒を酌み交わす仲間がいるのはそれなりに愉快だ。それだけでよかった。

 息をするように殺し、道を歩くように奪う。


「まったく」


 そうして笑う。

 それが生きるということだ。


「小細工ってのは、なかなかどうして、うまくいかねぇもんだな」


 大剣を抜く。

 国の誇った名匠に拵えられた無骨な剣は、稀代の名剣と呼ぶに相応しい。打ち捨てた鞘が地下水路の出口に響く。

 目を瞠って硬直している傍らの娘が、ドレスの裾を震わせて立ち尽くしていた。


「どうして、勇者がここに……この出口に、いるのですか」


 そこは隠し通路の出口として設けられた、厩舎の地下だった。

 しかし、大きく抉れた出口は地表にさらされている。

 自ら作った崖の上で外套を風にたなびかせる。凡庸な剣を握って、勇者が薄く微笑を見せた。


「城を崩したってことは、地下に逃げ道があったに決まってる。秘密裏に地下道を作るなら、地下水道を使うのが最も手軽だろう。お前のような忠誠馬鹿が、まさか魔王を下水に落とすわけがない。――知っているか? 水脈を辿る魔術は、旅人には必須の技術なんだぞ」


 ふわ、と勇者は軽く崖を降りた。

 その余裕ぶった物言いに、笑いが漏れる。「あの」勇者が笑ったのだ。勝算は高くなかったはずだ。予測が当たって無邪気に喜んでしまうほどに。


「御託はいい。こうなった以上、どんな策略も無意味だな。お前は退いてろ」


 鞘は捨てた。もはやあとは、死合うのみだ。


「ようやく観念したか、魔王」


 女が紫電を閃かせて剣を構える。

 その細い凛とした佇まいに、期待と興奮が胸に溢れることを止められない。腕がうずく。今にも飛び掛って八つ裂きにしてやりたい。その興奮を笑みだけに許し、姿勢を寸毫も動かさぬよう制する。力任せで殺せる相手ではない。

 こちらの高ぶりに反して、女は表情を厳しくする。剣を握る手に力がこもっていた。

 応じて、手に馴染んだ大剣を構える。もともと武器にこだわるタチではなかったが、名匠の情熱に押し負ける形で持たされたこの剣は、それなり以上に気に入っている。


「陛下……!」

「心配するな。こいつに負けるなどありえない」


 まだ逃げてなかったのか、と思いつつも、答えを返す。

 挑発が気に障ったのか、勇者が眉をひそめた。その所作さえ可笑しくて、笑みが浮かぶ。


「最後に笑うのは、この俺だ」

「――陛下……っ」

「言ってくれるな」


 勇者が浮いた。

 踏み込みだ。肉薄した勇者の斬撃が雷のように走る。大剣を滑らせるように受け流した。刃が跳ね上がる。二合打ち合い。叩き込んだ蹴りを踏んで、女が高く宙返りして間合いを取った。

 長い髪が逆立ち、うなじに刻まれた剣型のホクロが垣間見える。勇者の証。

 笑う。


「粋がるなよ、勇者ァ!」


 女の胴ほども大きい剣を叩きつけ、


「魔王、貴様だけは殺す!」


 細腕にそれを受け流された。

 血を吐くような憎悪の声も、戦場の欠かせない血肉だ。

 斬撃の余波で厩の廃墟が大地ごと引き裂かれる。魔術を走らせた刃が周囲に戦禍を撒き散らす。削った鎬を魔術で絶えず補いながら、互いに刃を走らせる。

 憎め憎め。殺さずにいられなくなるほどに。

 殺せ殺せ。理由がどうでもよくなるほどに。

 止めようもなく、笑いが溢れてしまう。

 半身に逸れて勇者の剣を避ける。冷たい刃の感触が肌に感じられるほどに紙一重。拳を女の顔に叩き込んだ。並みの人間なら熟れたメロンのように弾け飛ぶ殴打を、女は首を振るだけで受け流す。赤く腫れた頬に歯を食いしばって、ぎらつく目を向けてきた。

 笑える。

 逆撃を受ける前に大剣で剣を弾く。粉々に折れてもいいものを、古びた剣は軽やかに翻って首を落としに刃を流す。上体を落としてかわす。膝を食らった。鉄錆の臭いがする。

 上等だ。笑う。


「その程度か、勇者ッ! その程度でこの俺を殺すつもりか!?」

「ああそうだ、お前には過ぎる程度だな!」


 軽やかに身を翻す勇者が腕を引く。魔術を走らせた拳が胸郭に打ち込まれた。あるいは矢を受けるより強烈な一打。血が呼気にこもる。

 まだ笑える。

 大剣を上段から叩き下ろした。勇者の剣は受け止めた刃が潰れる。

 もっと戦いを。

 もっと憎悪を。

 もっと怒りを。


「殺せるものなら殺してみろ、勇者ァ!」


 でなければ、魔王を騙った甲斐がない。


 だというのに。


 歪んだ角笛の音色が響き渡る。


「ああ?」


 剣を引いた。

 勇者は忌々しそうに首を狙った剣を止める。この女は無抵抗の相手を斬ることができない。たとえ相手が復讐の対象であったとしても。

 そして彼女もまた角笛の音色に耳を傾け、怪訝そうな顔をした。


「これは……"腐蝕侯爵"の軍か?」

「やつがどうして出張ってくるんだ? いや、一両日でこれるような場所じゃねぇ。軍を控えさせておかなきゃならないはずだ」


 町外れの街道から周囲を見渡す。平原と山脈の稜線が見える。それらを多い尽くすほどに点在する灯火と、雲霞のごとき軍勢。

 あれはすべて、武装したゾンビだ。


「……これは、どういうことだ」


 勇者が眉をひそめて首を傾ける。


「魔王? 貴様の仕業ではないのか」

「魔族を一枚岩と思うな。俺たちは俺たちでしかない。だいたい、間違っても腐れどもに力など借りてたまるか。連中を呼び込めば、向こう百年は土地が死んで住めなくなる」


 他にありえない犯人が、厩の廃墟で顔を蒼白にしている。娘は怯えたように座り込んでいた。


「お前の仕業か」


 考えてみれば当然のことだ。

 魔王は本当なら、すでに退去しているはずだった。となれば残った人間軍を始末しなければならない。あわよくば勇者も殺したい。しかし、一枚岩ではない魔族を援軍のために動かすのは難しい。

 その点連中は、人間どもを殺せると囁けば大喜びで乗り込んでくる。土地を腐らせても捨てた地であるから構わない。この条件で言うならば、この選択は合理的だろう。

 万事において抜かりない。

 有能すぎる手腕に笑いがこみ上げる。

 だが、彼女は分かっていなかった。


「俺が『勇者に振る剣を止めるほど』腐れどもが嫌いとは、夢にも思わなかったってわけだ」

「そうなのか?」

「ああそうだ。連中には反吐が出る」


 唾を吐く。

 丘を埋め尽くす軍勢が、猛然と国に向かっている。状況を察した国内も混乱が始まっていた。


「おい勇者」


 女はぎょっとした顔をする。一声で察したらしい。笑う。


「悪い話じゃないだろう? 俺は殺して気分爽快、お前は人間どもを守れる」

「確かに、願ってもない話だが」


 勇者は憮然とした顔で剣を収める。そういえば鞘は捨ててしまった。裸の大剣を肩に担ぐ。


「へ、陛下……?」


 震える足で立ち上がった娘が、おもねるように顔を上げている。

 その青い顔に、笑う。


「俺たちは今から腐れどもを潰しに行く。お前はどうする?」

「あ、わ、私は……」


 目を泳がせ、唇を震わせた娘は、哀れなほど怯えていた。

 しかし、頭を垂れて礼を取る。


「私のすべては陛下の御為に。先行して侯爵に撤退を打診してまいります」

「それで止まるような連中とは思えんが」

「止まらなければ侯爵を殺します」


 では、と貴族の最敬礼を取った彼女は、優雅にドレスの裾を翻した。

 どこに持っていたのか、不気味に歪んだ笛を吹く。空高く跳びあがり、彼女を腐れた竜が(さら)っていった。ぬるりと宙で翻った腐竜は、侯爵軍に向かって飛翔していく。


「ふうん。脳みそまで腐ったやつでも、同盟相手に対する扱いはできるんだな」

「言ってる場合か。我々も行くぞ」


 勇者が剣を構えた。彼女が臨む先には、土砂が崩れてきたかのようなゾンビの軍勢。


「……油断してゾンビに殺されるようなヘマだけは踏むなよ、勇者」

「それはこちらのセリフだ!」


 同時に雲霞に向かって駆けた。

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