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第二節:やがて勇者と呼ばれたもの

 瓦礫を踏むだけで、脳裏に蘇る。


 ――あそこのパン、味にコクがあってすごく美味しいんだ。


 目を向けると、鍛冶屋があった。

 かつてパン屋だった店の向こうに、スリングを構えている魔族。爪先で瓦礫を蹴り上げて蹴り飛ばす。頭蓋を砕かれたリザードマンは、スリングをどこかに飛ばしてひっくり返る。


 ――君は僕が守るよ。僕はきっと、そのために守備隊に入っていたんだ。


 気障な物言いが癇に障る。どこかの本で読んだような臭いセリフを、照れながら言うから台無しだった。媚びるような優男ぶりが気に食わない。ご機嫌取りなんてされても嬉しくない。自分の好きなものを紹介するくらいの気概はないのか。

 唯一教えてくれた、彼の好きなベーカリーだった。

 鍛冶屋跡に潜んでいたグレムリンの奇襲を受け流し、逆撃で背骨を断つ。剣についた血を振り払い、次の敵に備えて構える。市街戦は死角が多すぎた。


 好きな相手ではない。

 それでも、好いてくれている相手を嫌いになれるはずがなかった。

 ただの街娘だった自分は守られるだけだった。

 そして彼は、自分の言葉すら守らなかった。


 ――ああ? なンだお前。


 守備隊の死体をゴミのように投げ捨てた化物は、まだ魔王と呼ばれていなかった。

 魔王などより恐ろしい、街を襲う一人の魔族だ。

 剣を拾って斬りかかって、生かされたのは気まぐれだ。


 ――クク、意気のいいガキだな。いい目をしている。気に入ったぞ。


 腹を斬られた。

 痛みで死ぬかと思った。なんで死んでないんだと思った。死ねないほど痛かった。

 斬った腹を押し潰して止血しながら、魔族だった魔王は笑ったのだ。


 ――俺の顔を覚えておけよ。いつか復讐するときに、忘れてると困るだろ。


 生かされた横で守備隊の少年が死んでいることに気づいたとき、あらゆる感情が爆発した。

 己の非力さを憎んだし、魔王の理不尽さを呪った。守ってくれなかった彼を責める身勝手さもあった。


 だから剣を取った。

 だから戦い続けた。

 だから強くなった。


 勇者と謳われ、頼られ、押し付けられて、それでも戦って戦って戦って。

 めぐり合って、

 負けた。


 ――いい目をしてるな、娘と侮ったか。俺の目も濁ったもんだ。


 魔族は私を覚えていなかった。

 奪うだけの魔族が、己の傷つけた相手の顔など、覚えているはずがないのだ。

 実際、私だって強くなるために踏み台にした魔族の数など覚えていない。


 ――俺の顔を覚えておけよ。いつか復讐するときのために。


 怒りがこみ上げる。


「忘れた夜などあるものか!」


 散発的な攻撃をまとめて叩き潰す。

 解放した魔術に押し潰され、市街地の一帯が土煙すらなく円形に沈んだ。街路の見晴らしが広がる。

 魔王城が丘の上にそびえている。


「この街は、もう私が住んでいたころの街じゃない」


 悪運強く生き延びていた犬面の魔族が、泡を食って飛び込んでくる。魔術の矢で額を穿つ。

 人間と実力の違いすぎる勇者は、軍隊の一部として運用することができない。遊撃といえば聞こえのいい、一個の兵器、ひとつの矢として扱われていた。

 そうでなければ、今も友軍(ざこ)を巻き込んだだろう。


「ゆ、勇者様! その、申し訳ありません、次は城門に向かって……」

「すまない」


 伝令として近づいてきた馬上の男に、短く声を被せる。

 王城の中心。

 列柱の向こうにいる顔が見分けられたのは、偶然か執念か、あるいは運命か。

 どうでもよかった。


「先約だ」


 え、と声を漏らす伝令が顔を覆った。

 魔術で強化した脚力と風圧が身体を飛び上がらせる。跳躍は滑空に変わり、外套を翻らせて空を翔ける。その速さを遮るものは何もない。

 王城が迫る。


 ……こんな(もの)、昔はなかった!


 剣に魔術を走らせて叩きつける。列柱がすべて中ほどで弾けて折れ飛んでいく。この瓦礫に巻き込まれるような魔王ではない。剣に魔術を走らせて、


「――ちッ」


 焦っていた。

 勇者の魔力量に古い剣が震えている。

 守備隊用に設えられた一般的な剣では、いくら鍛えなおしても強力な魔術に耐え切れるほどの強度にはならない。

 この剣の脆さだけが、今何をしているのかを教えてくれる。


 土煙を払った。

 粉塵の向こう、隠し扉の前に立っている。獣を人間に作り変えたような異形の魔王がいた。

 笑っている。

 ふざけるな。

 剣。


「……………ようやくだ、魔王」


 そう、ようやくだ。すべてを捧げて鍛え上げた。二度と敗北は喫しない。


「ああ、ようやくだ。待ちかねたよ」


 そのためだけに今日まで在った。一時期の激情に駆られて機を損なうなどあってはならない。

 魔王は戦意にぎらぎらと瞳を輝かせて、応じるように口を動かした。


「まったくだ。こうして逢うことを願わなかった日などない」


 やつの笑みは、溢れんばかりに広がっている。

 ふざけるなと思った。

 ここにふざける余裕などあるはずがない。死ぬか生きるか二つに一つ。それ以外は必要ない。

 あとは、どちらが死の(くじ)を引くか。

 決まっている。

 剣を翻し構える。

 魔王もまた大剣を抜いた。


「――貴様を殺す――」


 声が揃って、殺意に交わる。


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