第一話 ダンジョンにて(記憶喪失編)
≪――緊急事態発生。計画αにて阻止します。弾かれました。対処できません。臨界まであと六十秒。計画βを実行。弾かれました。対処できません。臨界まであと五十五秒。……………………計画Ωを実行。弾かれました。対処できません。臨界まであと五秒。条件クリア。■■■■の起動を試みます。成功しました。■■■■により臨界まであと三秒で停止しています――≫
「は?」
びっくりした。気が付くと迷宮に居た。迷宮というかダンジョンかもしれない。リアル脱出迷路かもしれない。黄土色のレンガで作られた一本道。そこに俺は立っていた。
何でや。
「遂に明晰夢に入れたのか?」
日々つけていた夢日記。リアルに絶望し、夢の世界に救いを求めた非リアの最後の希望。その名も明晰夢。成功の兆しすらなく、夢への逃避すら認められないというのかと嘆き苦しんでいたその努力が遂に認められたというのか。そうなのか。
おそるおそる壁に触れてみる。冷たい。冷たいぞ!! 感触があるぞ!! リアル、これぞ明晰夢!!
ガコッ。
手が沈み、体がわずかにつんのめった。
壁のブロックが数センチ沈んだ。それと同時に、何処か遠くから地響きのような音が聞こえてくる。
「…………」
俺はトラップが発動した以外の可能性を考えた。なさそうだった。
絶対どう考えてもトラップが発動した。
見たくないと思いながら、ガラガラゴンゴロいってるほうを見ると、ちょうど通路の直径をした鉄球が俺に向かって転げてくるところだった。
え、ええええええええ。えええええええええ!?
逃げ場なくない!? 走、走らないと……。
瞬間、パニックになっていた俺の精神状態は一瞬でフラットになった。スッと余計な感情が削げ落ちる。
「闇よ」
俺が呟くと、鉄球は地面に飲み込まれて消えた。地面というか、影だ。鉄球が鉄球自身の影に沈んでいった。
「は?」
俺は思わず手を見た。待てよ。今の何だよ。
急に心が凪いだと思ったら、闇よって。闇よって何だよ。中二病の極みすぎるだろ。明晰夢にしたってこれは何か恥ずかしい。
「や、闇よ……」
少し恥ずかしい。おそるおそる唱えてみたが、何も反応はなかった。ぐぬぬ。
何だっていうんだ。わからん。
そこで気づいたが、俺はパジャマでも制服でもなく、魔術師然とした黒のローブを着ていた。鏡がないので確認はできないが、全身真っ黒。何でや。趣味じゃないぞ。パジャマよりマシだけど。
黒魔術師なんていうモテなさそうな職より、普通に剣士がやりたい。やっぱ騎士。モテそうだし。魔法剣士みたいなんがいい。属性は光と炎とかそんなん。
換装を願ってみたが、服装に変化はなかった。不便な夢である。
「あら、意外と大丈夫そうじゃない」
俺は声にびっくりして振り返った。全然接近に気付かなかった。こってこての女剣士がそこに居た。ビキニアーマーでこそないものの、プレートメイルである。体のラインまる見えである。
「ど、どうも……」
遂に俺の人生にも金髪碧眼グラマラスヒロインのご登場である。これがマイハーレムの最初の一人になるのかあと思ったが、例によってさほど好みではなかった。せっかく異世界に来たのだから、ババア口調のつるぺた人外幼女を所望したい。異世界にしか居ない人種である。
「私はフィン。フロアマップ見てたら突然動かなくなったから心配で見に来たの。老婆心ね」
「フロアマップ?」
「……え。あなたもしかして、忘却の罠に引っかかったの?」
女剣士――フィンは呆れたように両手を腰にあてた。
え、エスクェ?
「忘却の罠。それも忘れたの? 踏んだら一定期間の記憶が吹き飛ぶトラップよ。装備からすると上級者っぽいのに、こともあろうか忘却に引っかかるなんて結構抜けてるのね。どこまで覚えてる?」
「え……いや何も……」
「はあ。名前くらい覚えてるでしょう?」
完全にフィンのペースである。俺は名前を思い出そうとアタフタ考えた。あれ、いやマジで、本当にかなり記憶飛んでる。なんかこう、学校の記憶もかなり虫食いになってる。家のことも何もかも。
最後の記憶どこだっけ。
いやそれ以前に名前名前、俺の名前……。
「漆原暁……」
「ウルシハラアキラ? えぇ? あのね、騙るにしたってもっと別の名前を騙りなさいな」
「ご期待に添えなくて申し訳ありませんが本名になります……。あの、俺の名前が何か?」
フィンは俺を疑い深くじろじろ眺めた後、ぽつりと言った。
「勇者よ。ウルシハラアキラはこの世界の救世主。二年くらい前に異世界から召還されて、一年ほどで魔王と講和して世界平和を成し遂げたのよ。それがあなた? ないない。ウルシハラアキラがこんな低難度ダンジョンに来るとかないし、忘却にやられることもないって」
「え、ええー……。いや……多分別人じゃないですか。流石に俺、自分がそんなことできるなんて思いませんし」
「う、うーん。ごめん、うちの精霊に嘘ついてるかどうか調べさせていい? …………うわ、本当なんだ……。失態すぎじゃない、あなた……」
衝撃の事実である。
実は俺は『異世界に召還されて世界を平和にしたけど低難度ダンジョンの記憶喪失トラップに引っかかって全部忘れた勇者』だったらしい。そんな馬鹿な。
「ご、ごめん。どうやったらなくした記憶は思い出せるんだ?」
「ダンジョンを出たら返してくれるはずよ」
「そっか……じゃあここ出なきゃじゃん……。どうやったら出られる?」
「クリアするしかないかな。五階層ごとに地上に戻れるポイントが発生するんだけど、ここはボスが四階層だからね」
四階層までしかないって、それほんとに低難度なのでは。俺のゲーム知識の話だけど。俺の常識通用しないのかもしれないけど。でもフィンもここ低難度って言ってたしな。
「まさか伝説のウルシハラアキラに会うとは思わなかったけど。うーん、何ができるわけでもないけど、心細いだろうし、私についてくる?」
「お願いします!」
是非もなかった。
四階層に行くまでの間、俺はフィンのことを聞いていた。
彼女はもともとはただの村娘だったそうだが、恋人を追って冒険者の道に入ったらしい。えっ、恋人居るのかよ。流石に寝取りはしたくないわ。
恋人が弓使いだから、前衛ができるように剣を鍛え始めたらしい。それ、男のほう多分気が気じゃないからな。おねーさんの綺麗な顔が傷つくと考えるだけで死ねる。
そんなことを言うと、魔法で治せるから問題ないと言われた。そこじゃない。
恋人さんは中級ダンジョンまでは危なげなく攻略できる実力者で、フィンはこっそり追いつこうとしているらしい。実は意外と剣の才能があったらしく、信じられない速度で上達してるそうな。この調子だと、半年くらいで追いつける見込みとのこと。
自慢じゃないけど才能があって嬉しいとはにかむフィンは可愛かった。好きな男の隣に早く立てるから……そう無邪気に言う彼女は確かに可愛かったが、俺は彼氏さんの弓の弦が肝心なときに切れる呪いをかけた。手入れを怠ったと悔やみながら死ね!!!
そして俺のことも聞いたが、あまり詳しいことは知らないようだった。俺がここに召還されたのは二年前で、一年で魔王と和解。あとの一年は何してたかはわからないけど、式典には出てたとか。とにかく滅茶苦茶強かったらしい。やった。我ながら自分の才能に大喜びである。異世界での逆転チャンスをものにした過去の自分に拍手を贈りたい。最高だよ俺。後は目くるめく大冒険の記憶を取り戻したい。
そうこうしているうちに、階段を見つけた。
おそるおそる降りていると、フィンに笑われた。笑うなやい。俺はウルシハラアキラではなく、今はただの漆原暁なんだよ。召還直後のメンタルなんだよ。数々の大冒険もしてなければ、魔王も倒してないんだよ。あ、いや倒してないんだっけ。講和したんだっけ。
階段を降りると、広めのフロアに出た。今までが狭めの道だったこともあり、まさにボスフロアの風格である。
「じゃあちょっと挑戦してくるわね」
フィンは、このダンジョンは軽くクリアできるだけの実力を既に持っているらしい。単にクリアした実績が欲しいとのこと。英語ペラペラな人が、証拠に英検取るようなもんかな。
俺は手を出さないで欲しいと言われている。いや、そもそも手を出せと言われても無理なわけだが。一回魔法は発動したけど、俺の意思で使ったって感じとはちょっと違うし。
というわけで、俺はウルシハラアキラ(無能)である。おそるべし忘却の罠。世界を救いし勇者を無能にまで貶めるとは……。
フロアのボスはゴブリンだった。いうてゴブリンじゃないのかもしれんが。緑色で小柄で醜悪な人型のモンスターだった。ゴブリンである。でも一匹ではない、五匹だった。一匹少し立派な服装をしているのがおそらくはリーダーなのだろう。ゲームでいう、真ん中にいるやつ。
勢い良くフィンが駆け出す。ゴブリンくらい、彼女の細身の剣で一発で両断できそうである。哀れなゴブリンが両断される瞬間のことだった。
「剣よ」
彼女は自らの剣で喉を貫いていた。
血しぶきが上がり、ゴブリンたちを赤く染めた。彼らも何が起きたのか理解できていないようだった。彼女も。勿論俺も。フィンが呻くように咳き込むと、ごぼりと血が溢れた。びちゃびちゃと床に染みが広がっていく。
ゴブリンたちは動かなかった。動く必要がないと判断したのだろう。明らかに、彼女は致命傷だった。
彼女は濁った瞳に、自死を強いた男を映した。――俺だった。
「どう……して……」
フィンは倒れた。一滴、涙が散った。挑戦者の死と共に、今回のクエストは幕を閉じた。
俺は――俺は、俺は。
「ま、待ってくれ、違うんだ。やりたくてやったわけじゃないんだ。勝手に発動したんだよ。勝手に……」
よろよろと彼女の死体に縋る。彼女の目にはもう何も映っていない。
死んだのだ。
死んだ。
誰が殺した?
俺だった。
触れると、まだ温かかった。
全身が震えていた。思わず後ずさりした。彼女の瞳に俺が映っているようで怖かった。憎んだはずだ。俺を憎んだはずだ。嫌だ。そういうのが嫌で逃げてきたのに。どうしてこんなことになるんだ。だって彼女を殺した魔法を放ったのは俺だ。どうしてだ。どうして俺はそんな魔法を使ったんだ。俺は絶対に彼女を殺そうだなんて思ってなかった。
今すぐ記憶が欲しい。記憶を……。記憶さえあれば全てわかるはずだ。
「危ないどごろを助げでいだだいで有難う御座えまず」
はっとした。ここにはゴブリンが居たことを忘れていた。彼らは――嬉しそうにしていた。
俺は瞬間煮えたぎるような怒りを感じた。こいつら殺してやる。
「名のある方どお見受けじまじだ。命のお礼に私共のできるごどであれば致じまじょう」
冷静になれ。彼らを殺すな。八つ当たりだ。彼女を殺したのは、俺なんだ。彼らは悪くないんだ。怒りは急速に萎んでいった。
もう、利用できるものは利用していかないといけない。俺には力がある。これ以上誰も殺したくない。この力を制御しなければ。俺は一刻も早く記憶を取り戻さないといけない。このダンジョンから出ないと。
「……このダンジョンから出たいんだ。どうすれば出られる?」
「我々を倒ず以外の方法でじだら、ぞぢらのワープホールを使えば我らの村に行げまずぞ」
そうか、彼らを倒すという方法があったんだ。そっちが正攻法だ。すっかり忘れてた。
けれど、俺はもう、ゴブリンも殺したくなかった。醜悪な生き物だが、礼儀正しいし、意思疎通ができる。
彼らは命を救ってくれたお礼に村をあげて歓待すると申し出てきた。
到底受けられなかった。辞退して、俺は彼らと共にワープホールに向かった。
初投稿です。
筆力向上のために書き始めました。話は最後まで考えてありますのでよろしくお願いします。
そんなに長くならない予定です。テンポ良く行きます!!