第8節:第一印象
「照宮ミカミです。よろしくお願いします」
夕食の準備が終わった後に帰宅したのは、後ろ髪を団子にくくったフチなし眼鏡の美女だった。
彼女は、一目で分かるほどたわわに実った胸元と素晴らしい曲線を描くボディラインを、惜しげもなく白い細身のパンツスーツで見せつけ、ワンポイントの黒いタイ結んでいる。
目元に泣きぼくろがあり、眼鏡を外せばその肉体と同様に柔和な顔立ちをしているのではないか、と思わせる。
しかし、歯切れの良い言葉とピンと伸びた背筋に隙のない髪型が、彼女が有能である事を雄弁に主張していた。
「どちらも却下ですね」
タイと髪を解きながらケイカとカオリの話を聞いたミカミは、きっぱりと言った。
ちなみに姿の見えなかったアヤは、どうやらユナと一緒に夕飯の買い出しに出ていたらしい。
「コウくんは訓練主体のシフトを総務の方で組みます。使う時は要望書を三日前までに上げて下さい。ミツキくんの方は、警備課の通常シフトに最初は入れ込みます」
「えー! なんでよー!」
「補充が二人来るつもりでシフト調整してるぞ。またやり直すのかよ?」
ミカミは抗議する二人を冷たく見下ろして、白いスーツの上着を脱ぐと手を差し出したアヤに、ありがとう、と声を掛けてから答えた。
妹が普通に立ち働いているのが不思議だった。北野の実家では何もしなかったのに。
「まずコウくんについて。総帥から直接、私の方に連絡がありました。彼の特殊な事情を鑑みるに、誘拐などを想定して彼自身が実力を身に付けるのが急務です。彼を奪われるのは【黒殻】の多大な損失に繋がります。警備のシフトは待てと言っておいたはずですから、自己責任ですね」
「ぐ……」
流れるように言われてカオリが呻くと、ミカミは今度、髪留めのピンを外し始めた。
「次にミツキくんについて。彼は装殻者として高い適性を持っていますが、数ヶ月程度の実務経験しかなく練度が圧倒的に不足しています。しかし彼のデータを見た限り、警備課の通常訓練に二ヶ月ほど従事すれば十分な実力が身につくでしょう。それまではミツキくんの提案した『青蜂』の調整と修理を最優先で行って下さい。映像記録を見ましたが、大事な試験機を模擬戦で壊すなど言語道断です。あなた方は無能ですか?」
言われて、コウとミツキだけでなく、ケイカも首を竦めた。
ミカミが纏めていた長い髪を一度跳ねさせて解すと、ウェーブがかったそれがふんわりと広がる。
次にミカミはブラウスに手を掛け。
「ストップ、ミカミ。今は男子がいます」
「おっと、そうでした」
ケイカに言われて彼女は手を止め、居間の棚に置いていたピンを纏めて掴み、その横に置いてある眼鏡ケースに眼鏡を置いて片付けると、ほんのりと微笑んでコウたちを見た。
「ってゆー事だから〜。コウくんもミツキくんも、これから頑張ってね〜?」
眼鏡を外し、柔和な素顔を晒したミカミは、一気に間延びした可愛らしい声音に変わった。
思わず唖然とするコウとミツキを尻目に、ふわふわと着替えに行ったミカミを見送って、カオリが呻く。
「あの二重人格が……」
「ミカミはオンオフの切り替えがはっきりしてるからねー」
二人の言葉に、コウはミツキと目を見交わした。
きっと、ミツキも同じ事を思い返していたのだろう。
ジンの言ったとおりだった。
四国支部の幹部は美人揃いだが、クセがある―――。
※※※
夕食後、おやつやらつまみやらの買い出しに出たコウとミツキは、海岸沿いをぶらぶら歩きながら話をしていた。
「いやしかし、ツッコミどころが多すぎて耐えるのん、めっちゃ苦労したわぁ」
「そう?」
「おう。カオリさんやミカミさんは眼福やったけど、脱ぎすぎやろ。リリスさんかてツッコミどころ多すぎやん? 今、夏やで? しかもお下げって。美人やから似合うけど。 そーゆー問題ちゃうやん。ほんであっこに俺ら住ますて。妄想掻き立てられるやん!?」
迸るリビドーのままに鼻息荒く語るミツキに、コウは引いた。
「いやゴメン。よく分かんない」
「っかー! 素直になれやムッツリ野郎が! クセがあるとはいえ、あれだけの美人らと一つ屋根の下に暮らすんやぞ! 飯も旨いし!」
「そうだね……」
そもそも、義理の実家で美人な姉とアヤと数年暮らしていたコウは、生暖かい目でミツキを見た。
幻想を抱くとは、こういう事なのだろう。
一緒に暮らす事によって、ミツキが女性に幻滅しない事を祈るばかりだ。
大体、初日にして歩きで片道二十分掛かるコンビニへと自分たちがパシらされている事実を、彼はきちんと認識しているのだろうか。
そうしてだらだら歩いていると、不意に行く手を遮るように動く数人の男たちがいた。
近づいていくと、どこかで見た顔が怖い目でこちらを見ている。
「あ」
「ん?」
コウが気づいて声を上げると、妄想を熱く語っていたミツキも彼らを認識したようだった。
それは昼間、飛行場の前でコウ達をカツアゲしようとしたベイルダーたちだったのだ。
※※※
「ケイカは、あいつらをどう見てる?」
「んー?」
カオリの晩酌に付き合って杏露酒のロックを口にしていたケイカが、テレビのホロスクリーンから彼女に目を移した。
「それはミカミも気になります~」
こちらは麦茶を飲んでいるミカミも口を挟んだ。
アヤとユナは風呂に入っている。
「そーだねー。頼りない、ていうのがコウくんの第一印象かな」
ケイカは飛行場からこっち、ずっとコウたちを観察していた。
その観察眼はコウたちに見せている優しいお姉さんのものではなく、【黒殻】の肆号としてのものだ。
「第一印象ってことは~、今は違うんですね~?」
風呂上がりの上気した顔で、にへへ、と笑うミカミに、ケイカはうなずく。
「うん。彼は、素質はある。《黒の装殻》足りうる素質は、ね」
飛行場では、ぼんやりした少年だと思った。
ごくごく平凡な顔だちで、あまり何も考えていなさそうな年相応の少年。
飛行場の前で絡まれてビビっていた辺りなど、本当に大丈夫かと思ったほどだ。
ケイカは、現在活動できる《黒の装殻》の中で、唯一、コウを六番目として受け入れる事に反対していた。
零号のコアを体内に眠らせていた、実戦経験のない非適合者の少年。
参号―――風間は直接会った事はないが、総帥の考えを支持する、という立場を取った。
役に立つのか。
助けるためにやむを得ず人体改造型となったからと言って、それだけで仲間足りうるのか。
その答えは、ケイカの中でまだ出ていない。
だからこそ、唯一コウに甘くないケイカの元で彼を鍛えよう、と総帥は考えたのだろう。
彼女は言われている。
―――ケイカがコウを、零号足り得ないと判断したら、彼を《黒の装殻》とは認めない、と。
「印象が変わったのは『青蜂』を見せた時。あの目は良かったね。貪欲で、引かない感じ。模擬戦の後、どうしてもデータが見たいって言うから少しだけ見せたんだけど、研究員顔負けの知識量だよ。ミツキの提案に対して、即座に具体案を幾つか出してきた。舌を巻いたね、正直」
「装殻作りに有能、という訳だ。しかしそれだけなら、認める気はないだろう?」
カオリの獰猛な笑みに、ケイカは質の違う凶暴な笑みを浮かべ返す。
「当然。模擬戦を見たけど、まぁなっちゃいないよね。ミツキくんの方が才能は上じゃないかな? でも、装殻を使いこなせれば……化けるね、あれは」
ケイカの持つ杏露酒のグラスの中で、氷がからん、と音を立てた。
「凶悪ですよね~、あの装殻は反則ですよ~」
ミカミは口許は笑み崩れているが、目が少しも笑っていない。
「『青蜂』の想定出力は~、伍号にわずかに劣る程度……それを力で圧倒して投げ飛ばすのは、尋常ではありません」
「本性が漏れてるぞ」
「おっと~。本性じゃなくて仕事モードと呼んで下さいよ~」
卓に頬杖を付き、ビール缶を手にしたまま指を指したカオリの指摘に、口調を元に戻すミカミ。
「ま、だからこそ危うい面もあるから、今は判断出来ないよ。ハジメさんに似てるけど、あくまでも似てるだけだから」
「ミツキの方は?」
「あれはエロいですよ~! 私やカオリの胸元を見る目がたまりませ~ん。誘惑したらいただけちゃいそうですね~」
頬に手を当てて、夢見る乙女のような顔でえげつない事を言うミカミに、カオリも下卑た笑みを見せる。
「いいな。誰がオトせるか賭けるか?」
「それはダメだよ」
酷薄な笑みを向けて、ケイカが二人を制す。
「アレは、いずれ私のモノに『なるかもしれない』んだから。手を出したら潰すよ?」
ケイカの本気に、二人は頬を引きつらせた。
「わ、分かってるよ」
「もぉ~。冗談じゃないですか~。怒っちゃダメですよ~」
ユナとアヤが風呂を上がった声が聞こえて、ケイカたちは会話をやめた。
これがいたいけな子どもと十代の純真な少女に聞かせるべき会話ではない、というのは、三人の共通認識なのだ。
そして駆け込んできたユナを、ケイカは暖かい笑みで迎えた。