第7節:リリスズ・ファミリー
「着いたよー」
ケイカが案内してくれたのは、研究所から車で十数分程度離れた場所にある古民家だった。
商店街から少し外れた海手に位置している。
ミツキとコウは、周りを見回してそれぞれに感想を告げた。
「えらい古式ゆかしい感じやな」
「田舎だね」
「あはは。この辺りは開発されてないからねー」
ケイカが明るく笑いながらコウ達の荷物を出そうとするので、二人は慌てて自分の分を受け取る。
「自分で運びます」
「そう?」
特にごねもせず荷物を渡してくれるケイカの近くで、ユナと共に海風を気持ちよさそうに浴びながら、アヤが言った。
「私も初めて来た時はビックリしたよー」
海の傍ではあるが、船が停留できるよう海岸はきっちりコンクリで固められていて、そうでない海岸もごつごつとした岩場で白い砂浜などではない。
反対側に目を向けると、山肌をえぐったような半球状の狭く比較的平坦な土地にいくつかの民家が密集していて、奥へと連なっているようだ。
民家群のすぐ脇にある、岩壁を見せる小高いの上には、背が高く太い天然樹が根を下ろしている。
奥には墓地があるそうで、来る途中に見かけた、丘へと続く急で細い土剥き出しの坂がそこへ繋がっているという。
周囲にはコンビニすらない。
正に田舎だった。
「何でこんな所に寮が……?」
「俺、わりと虫とか苦手やねんけど」
「それはねー、ここが元々私を助けてくれた人が住んでたところだからだよー。寮って言っても、民家の一つを借りて私たちが住んでるだけだよ」
のほほんと言うケイカに、ミツキが反応した。
「その人と一緒に住んではるんですか?」
「ううん。その人は私を庇って、死んじゃった」
軽く訊いたミツキが、思わず固まる。
しかしケイカは笑顔を崩さなかった。
「ミツキのお父さん……井塚さんも参加してた襲来体事件の時だよ。幹スミレさんっていう、部隊の副隊長をしてた人。全部終わった後に、遺骨を、皆でここの墓地に弔ったの」
「……親父の持ってた写真、見たことありますわ。綺麗な人でしたよね」
「話した事もないんだけどね。井塚さんと風間さんが、色々話してくれたから、どんな人だったかは知ってるんだけど」
話に立ち入れない空気を感じて、コウは黙っていた。
【黒殻】入るまでに、彼らにだって色々な事があったのだろう。
ミツキが、何とも言えない顔で小さく頭を下げた。
「なんか、すんません」
「いいよー。話し始めたの私だしね。さ、案内するよー」
海に面した民家の間にある細い通用路を抜けて、三軒目。
そこが、寮らしい。
瓦屋根のそこそこ大きな家だ。
「さっき、私たちって言いましたけど。アヤとユナもここに住んでるんですか?」
コウが訊くと、ケイカはさらに脇道、奥にある玄関に向かいながらうなずいた。
「他に、三人いるよー。皆女の子だけど」
その言葉に、家の壁にキャリーバッグ当てないように慎重に玄関を目指していたコウの顔が強張る。
「それ、俺たちが一緒に住んで良いんですか?」
「部屋はまだ余ってるからねー。別に借りてもいいけど、経費もったいないからー」
研究所の所長としては正しい判断だろうが、若い女性としてそれは問題ではなかろうか。
そう思ったが、コウは口に出さなかった。
というよりも、次に受けた衝撃の大きさに頭から吹き飛んだと言った方が正しいかもしれない。
玄関を入ると、いきなり上半身下着姿にジャージ、という扇情的な格好の女性が、腰に片手を当ててビールの500ml缶を煽っていた。
長身で引き締まった体の女性で、ケイカと同年代くらいに見える。
下着に包まれた胸元は、大きくも小さくもないが形が良い。
日焼けした肌に赤みがかったセミショートの鋭い目をした美人だ。
「おかえり」
ケイカに声を掛けた女性は、思わず固まるコウとミツキを一瞥して、気にした様子もなく続けた。
「こいつらが新しい同居人か?」
「カオリ。質問の前にまず、その格好をどうにかしようか。青少年には刺激が強いっていうか、今日来るって言っといたでしょ!?」
「暑いんだ。気にするな」
「カオリさんが気にして下さいよー!」
笑顔で怒るケイカに続いてアヤが顔を赤くして怒鳴る。
カオリと呼ばれた女性は肩をすくめて、リビングとおぼしき方向へ消えていった。
「なんかゴメンね。とりあえず行こっか」
申し訳なさそうにケイカが言い、コウたちが案内されたのは二階にある北の角部屋だった。
「二階は十二畳が四間。一階はリビングとダイニングキッチン、それに八畳が二間と客間が一つ」
「リビングっていうか、居間ですよね……」
「全部和室で建物も木造やし。都会に建てたら幾らするか分からんな」
「あはは。まぁ古い家だから。この部屋は自由に使って良いから、荷物置いたら下に来てねー」
二人は返事をして荷ほどきを始めた。
と言っても、元々【黒殻】で基地暮らしだった為、衣類と日用品、僅かな私物くらいしかない。
押し入れの上には布団。下に入れてあるタンスを二人で分けて使う事にして衣類を仕舞う。
下に降りると、一応タンクトップを着たカオリとケイカの他に、初めて見る白人の少女が居間の隅に正座していた。
アヤの姿は見えない。
血が通っていないのではないかと思われるほどに青白い肌の、人形のごとき整った顔立ち。
先程のカオリではないが、この季節に暑くないのかと思ってしまうゴシックな長袖のワンピースを身に纏い、黒い髪をお下げに纏めている。
「はじめまして。北野コウです」
「井塚ミツキっす」
二人の挨拶に、彼女は無感情な目で一瞥しただけで口を開かなかった。
「ごめんね、この子人見知りなの。名前はリリス・フライディよ。リリスちゃん、挨拶くらいはしてね」
リリスはケイカにうなずいて、コウらに頭を下げた。
「あ、ども」
ミツキが気にした様子もなく頭を下げて応じる。
コウも一緒に頭を下げた。
「あと一人いるんだけど、まだ研究所にいるみたい。もうすぐ帰って来ると思うから、麦茶でもどうぞ」
と、ケイカは卓上に置かれたコップを勧めた。
茶色く透き通った液体の冷たさを主張するように水滴を纏うコップを見て、コウは自分の喉が乾いているのを自覚して喉を鳴らした。
「ありがたくいただきます」
カオリらと同じ卓について喉を潤すと、カオリが身を乗り出して来た。
胸元が強調されたので、さりげなく目線を逸らす。
昔、目線の動きで誤解された事があるのだ。
「お前ら、どこから来た?」
顔がわずかに赤いのは、酔っているのだろう。
卓の上では、既に2本目の500ml缶が口を開けられていた。
「フラスコルシティからです」
「俺は大阪区っすね」
カオリが口の端を上げる。
「立て続けに《黒の装殻》が目撃された所か。お前らが総帥と風間さんにスカウトされた連中って噂は本当だった訳だ。期待の新人だな」
「いえ、それは」
コウが言い淀む。
期待はずれだったからこそ、ここに来た身としては素直に肯定出来ない話だ。
ケイカに助けを求めるように目配せすると、彼女はごく自然に口を挟んだ。
「こき使っちゃダメだよ。コウくんは元々非適合者で、装殻の扱いに慣れてないし、ミツキくんは私がわざわざ『青蜂』の試験装殻者として引っ張って来たんだから。見習い扱いのシフトにしといてね」
「何を甘ったれた事を。警備課はただでさえ人が少ないのに、そんな余裕がある訳ないだろう」
「こっちだって『青蜂』の開発工程は遅れてるんだよ? なんの為の警備だと思ってるの」
「だったらもう少し人員を増やすか、仕事を減らせ。街の治安維持が大事なのは分かるが、ほいほい引き受けるのはお前だろうが」
「予算と義理立てのギリギリのラインで仕事も人員も振ってるつもりだけど。今日も一応スカウトはしたよ? 大体、カオリが厳し過ぎるから、警備課に人が居着かないんじゃない」
「たかが訓練に三日で音を上げる軟弱どもを回してくるのが悪い」
二人の睨み合いに、ぼそっとリリスが言った。
「醜い言い争い……もっと見せて……」
目が楽しそうに暗い色に煌き、頬にかすかに笑みが浮かんでいる。
美人な分、より不気味な彼女の笑みを見て、ケイカとカオリは咳払いしてお互い目を逸らした。
「まぁ、ミカミに聞きましょう。そっちの方が早いし」
「そうだな」
二人の言い争いが落ち着いたので、コウは訊いてみた。
「あの。カオリさんは警備課の方なんですか?」
「課長だよー。彼女、今日はオフだったの」
だから、警備課に挨拶に行った時に副課長が応対してくれたのかと、コウは得心した。
「ミカミさん、って方が最後のお一人ですか?」
「そうだよー。総務課長兼会計監査兼副署長。とっても有能な人だよ♪」