第5節:怒りのスイッチ
場所を室内訓練場に移して。
その広々とした白い空間の中央に立ったミツキは、装殻を収納した腕輪型の装殻具に触れた。
「Veild up」
『命令受諾』
ミツキの音声に反応して『青蜂』が展開する。
両肩の《ハニー・コム》は外されており、素の状態だ。
『どう?』
計測所から、マイクを通してケイカが訊ねた。
体のあちこちを動かして装殻の具合を確かめていたミツキは、微妙な声音で答える。
「やっぱ、新品は馴染まへんっすね……。反応自体はすげー早いんすけど、やっぱちょっと動きは重たい感じっす」
「フィッティングもロクにしてないしね。仕方ないんじゃないかな」
と、ミツキの目の前に立っているコウが言うと。
「いーから、はよお前も装着せーよ」
投げやりにミツキが返事をした。
そう、なんの因果か、模擬戦の相手はコウらしい。
「やっぱやめない? 俺じゃ相手にならないよ」
気の進まないコウは躊躇っていた。
そもそも、さっき飛行場の一件があるまで装殻を展開した事もなければ、展開出来たのもケイカのお陰である。
「実戦闘はともかく、仮想戦闘機の成績は結構いけてたやん」
「あれはゲームみたいなもんだったから……。ケガもしないしさ」
そもそも、コウは痛いのが苦手だ。
得意な人も少ないだろうが。
しかしコウの言葉を、ミツキは別の意味に捉えたらしい。
ぴく、とミツキの肩が跳ねる。
「……ほぉ。自信なさげな事言うとるワリに強気やんけ。俺がお前相手にケガするよーなザコやっちゅーんか?」
しまった、とコウは思った。
ミツキは、かなりの負けず嫌いなのだ。
コウの言葉が、自分をナメた発言に聞こえたのだろう。
しかし、訂正しようとする前にミツキが続ける。
「お前、調子乗んなや。戦闘から逃げるようなヘタレが」
その言葉に、コウはうつむいた。
「……ごめん」
ミツキが舌打ちする。
「ッ……なっさけないのぉ。何でお前が《黒の装殻》やねん。ハジメさんも見る目ないで」
「……ッ!」
コウは軽く顔を歪めた。
「お? なんやその顔」
見咎めたミツキが、首を傾げる。
「お前自分が今、口だけのカスや、って分かってんか? お前が装殻に声入れてる姉貴も、お前から見たら強かっただけで、ほんまは別に大した事なかったんちゃうんか? なぁ?」
「なんだと……?」
コウは、一瞬で頭に血が昇るのを感じた。
「何で、ただ戦わないだけで、そこまで言われなきゃならない……!」
「ただ戦わないだけ? はっ! 与えられた役割放棄しといてよぉ言うわ」
「……ッ」
確かにコウは、戦うのが嫌いだ。
結局装殻も展開出来ず、腰抜けと言われても仕方がないような事をして来た。
だが、ハジメや姉の事までバカにされる覚えはない。
「大体、戦『わ』ない? 戦『え』ないの間違いやろ?」
「違う……!」
「違わんわ。お前は甘ったれて、自分の手を汚したくないだけの、ゴミや」
「違う! 俺が……俺が力を得たのは、守る、為だ……人を傷つける為じゃない……!」
コウはずっと、守る力が欲しかった。
大事な人を失ったからこそ、そんな思いをしなくて済むような力が欲しかったのだ。
その力を、誰かを傷つける為に振るうのは嫌だった。
結果的に誰かを守る事に繋がるのだとしても、【黒殻】の戦闘員としての作戦は、誰かを、自分達のほうから傷つける事が前提だった。
その心が装殻を自ら封じていたのだと、不意にコウは悟る。
しかしミツキの言葉は、コウの心の一番触れて欲しくないところをえぐってきた。
「はっ! だから口だけや、っちゅーとんねん。何も守れてへんやん。俺にこんだけバカにされてもきゃんきゃん吠えるだけのクセに、よぉ言うわ」
「何も、知らない奴が……!」
ハジメさんを、バカにされた。
コウの存在に……非適合者という人間にも価値があるのだと言い続けてくれた人を。
それでもコウを助ける為に、最後は《黒の装殻》として迎え入れてくれたハジメさんを。
姉をバカにされた。
コウたちを巻き込まないようにと、自分だけが泥を被り。
最後は自分とアヤを救う為に、自分の命を差し出して散った、気高い姉を。
許せなかった。
バカにしたミツキに対する怒りが滾る。
だが、それ以上に。
「知らなかったら何やねん。大事なもんバカにされて腹が立つなら拳で守ってみせろや! このドヘタレが!」
ミツキにそんな言葉を口にさせるような行いしか……大切なものをバカにされるまで、何もしなかった自分自身の弱さが。
許せなかった。
「その言葉を……後悔するなよ……!」
コウにも、分かっている。
彼の言葉が痛いのは、それが図星だからだ。
「後悔すんのは、お前の方じゃ。人をナメた事言って、タダで済むと思ってんちゃうぞ!? あぁ!?」
コウは、腕を交差させた。
左手を高く、右手を低く構えた、斜めの逆十字。
「ーーー纏身!」
コウは、初めて自らの意思で。
心の底から、装殻者になる事を望んだ。
『要請実行』
体内に秘められた装殻……それを律する補助頭脳が、姉の声で確かに応える。
コウは、力の奔流が体内を駆け巡るのを感じ取った。
心臓と融合した心核から、体内の出力供給線を走る。
人体改造型装殻者の全身を形成している流動形状記憶媒体が、駆け巡る力に反応した。
肉体形状を、人間としての姿を模した常態から、真の姿である戦闘態へ。
漆黒の外殻に、紅い双眼を持つ、異形へと。
コウは、人間を遥かに超える自らの力を確かめるように、拳を握り込んで左右に払った。
『装殻形態:全能力制限』
補助頭脳が、変態の完了を告げるのに合わせて、コウは握った拳を静かに構える。
左拳を突き出すように。
右拳を腰だめに。
どこか武骨で重みを感じさせるその姿こそ、かつて唯一〝装殻者〟として在った者の、一番最初の姿。
原初の装殻者―――黒の零号。
今、この瞬間こそ。
かつて失われた真の装殻者が、本当の意味で再誕した瞬間だった。