第7節:進行、侵攻。
質素な部屋の中で、彼女は目を覚ました。
体が、ひどく重だるい。
マサトが、オーバードライブを使用したのだろう。
全身の激痛がないところを見ると、そう長時間の話ではない、とアイリは見当をつけた。
きっと、奴等が誘拐計画を決行したのだ。
アイリはのろのろとベッドから身を起こすと、ドアに目を向けた。
高い天井にある天窓しかない部屋に、一つだけある認証式の堅牢なドア。
この部屋は、今寝ているベッド以外には、ペットボトルの水とトイレしかない。
「……Veild up」
アイリは腕の装殻具を撫でてつぶやいてみるが、相変わらず反応はない。
幾度も繰り返しているが、毎回同じだった。
マサトが、ロックを掛けているのだろう。
体調と合わせて、アイリがこの場から脱する手段は何もない。
「マサト……もうやめよう?」
起きていてもやる事はない。
しかし眠る事も出来ない。
だから、今は聞こえないと分かっていてもマサトに語りかける。
手首ごと装殻具を握って、アイリは額にその手を押し当てた。
襲来体事件の後。
アイリに接触し、現状からアイリを救う術がある、と話を持ちかけてきた連中にマサトは『協力する』と言った。
反対するアイリを、強制的に眠らせて。
アイリはマサトの記憶を知る事は出来ないが、逆は出来る。
だから語りかけも、今は聞こえなくても起きたマサトはには届くだろう。
だから、諦めずに話しかける。
今は頑ななマサトが、アイリに応えてくれる事を望んで。
「僕は……誰かを犠牲にしてまで生きていたくないよ……」
マサトの活動中でも、朧気にアイリの意識が戻る事は何度かあった。
一人の少女が、自分の為に命の危機に晒されている事を。
アイリは、その時に知った。
「ねぇ、分かってる? マサトがやろうとしている事は……僕たちがされた事と、同じくらい酷い事だって……」
縮こまって俯くアイリの頬に、涙がこぼれる。
「小さな女の子を、僕の為にそんな目に遭わせて……君は、本当にそれで良いの?」
アイリに肉体の主導権や意識が戻るのは、マサトが休眠している時だけだ。
幾ら元が補助頭脳と言えど、アイリと生体融合した上に自我まで持つマサトには、人より頻度が少ないとはいえ休息が必要なのだ。
ここは、マサトが眠る間に、アイリを閉じ込める檻であると同時に、アイリを他人から守るシェルターでもあるのだろう。
それに人を超える長時間の活動を行うのは、アイリの体に負担を掛ける事になる。
マサトの使うこの体は、あくまでもアイリのもの。
彼女の体は、日に日に実験の後遺症によって蝕まれていっている。
アイリを救う為に、アイリを酷使するその矛盾には、マサト自身も気付いているだろう。
それでも、彼はアイリを救おうと必死になっている。
だが、そうして救われたところで。
アイリに、何が残ると言うのだろう。
仮にあの女の子が死んだら。
花立が、生き残ったアイリとマサトを、許すだろうか。
また、仮に死ななくても。
あの子を酷い目に合わせた事実が残って、アイリ自身が、もう、花立たちのいる場所へは戻れないと思ってしまっている。
どう転んでも、悪い結果にしかならないのに。
マサトには、止まる気がないのだ。
「誰か、マサトを止めて……お願い……」
そんなすがるようなアイリの願いに、応えてくれる声はなく。
祈りのような言葉は、宙に虚しく溶けた。
※※※
「一体……何が起こっている!?」
愛媛を支配下に収めている米国軍部を預かる最高司令官、マークは、断続的な衝撃が聞こえる中で司令室に居た。
突然鳴り響いた、夜間の敵襲警報。
だが、最初マークは、さほど焦ってはいなかった。
ここは米国軍の本拠地であり、戦力も愛媛内に散らしている他の基地の比ではない。
すぐに事態は鎮静するだろう、と思っていた。
日本政府があの忌々しい《黒の装殻》どもを使って攻めてきた時も、籠城と交渉による撤退命令という手段ではあったが、その間に奴等に落とされる事なく、退けたのだ。
それなのに。
「ダメです! 本国との通信が途絶しています! そ、それに、暴れている謎の襲撃者に、陸戦型装殻……我が軍の装殻兵が混じっています!」
「何だと……!?」
映像が幾つか追加でメインスクリーンに映し出され、基地内の様子が見えた。
そこには、容赦なく同型の装殻者を屠る、自軍とは色合いが少し違うベアードと、味方の似姿に躊躇う間に囲まれる、装殻兵たちの姿。
そして。
「何だ、アレは……!?」
そのベアード達を遥かに超える数の、鉱物に血管を貼り付けたような不気味な赤い人型が蠢いていた。
それらは米兵たちを、囲み込んだ後に容赦なく食い荒らしていく。
さらに。
装殻兵を殺した不気味な赤い人型の幾つかがぐにょぐにょと外見を変容させ、色違いのベアードの装殻を纏って立ち上がる。
どんどん増えていく、味方の姿に似た敵と、減っていく味方。
まるで、ゾンビによるバイオハザードのような景色に、マークは呆然とした。
その彼の背後で、金属がネジ切れる音を立てて、ドアが破壊される。
振り向くと、そこに立って居たのは一人の男。
柔和な笑みを浮かべたその男は。
「……何者だ!」
マークの問いかけに、男は答える。
「そうですね。名など既に意味はありませんが、名乗るとしたら……シックス、という所でしょうか」
「症病……?」
ひどく薄気味悪い名乗りに、マークはおうむ返しを返した。
「ええ。または……黒の陸号、とでも名乗りましょうかね?」
「何……!? 貴様、《黒の装殻》か!」
マークの反応に、どこか楽しげに首を傾げた男は、自らの左胸を叩いて、呟いた。
「纏身」
『実行』
流動形状記憶媒体が彼の全身を覆い、そこに漆黒の装殻者が姿現した。
蟻を想起させる、どこか黒の一号に似た外殻。
だが、彼よりもさらに凶悪なフルフェイスに、全身を走るラインの色は、外殻と同じ漆黒。
そして、凶悪な爪を備える両腕は、だらりと垂れ下げれば床に着きそうな程に、長い。
その背中には、二対の禍々しい形状のスラスター。
悪魔。
そんな単語が、マークの頭を過ぎった。
「この基地は、貰います」
悪魔の姿が消えた、と思った瞬間に。
マークの視界が、ぐるん、と回転した。
高い位置から、回転する視界に映るのは、崩れ落ちる自分の体。
そこに、自分の首が、ない。
そして、右腕を横薙ぎに振るったと思しき姿勢で、自分の体の前に立つ悪魔を見たのを最後に。
マークの意識は、永遠の闇に包まれた。




