第9節:一条の慈悲
コウが気絶していたのは、ほんの一瞬だったようだ。
地面が視界に垂直に立っているのをぼんやりと目にして、数秒。
コウは、自分が倒れている事を自覚して跳ね起きた。
「ッホーネットは……!?」
警戒しながら辺りを見回すと、自分のすぐ横で地面に仰向けに倒れて脚を動かすホーネットが見えた。
軽く離れながら観察すると、蛇のように長かった尾がコウの握った辺りで千切れていた。
さらに、恐らく爆轟を放った際に近くにあったらしき腹部が……一部、円の形に刮げ落ちている。
コウは自分の両腕―――『ブラストハンド』が引き起こした惨状に、唖然とした。
混乱と驚きが去ると、全身に痛みを覚えて体を見下ろす。
尾を握っていたからだろう、結果的に爆轟を自分に向かって放った形になったせいか、コウの外殻もボロボロだった。
思った以上の威力に、コウは冷や汗を滲ませる。
「これも……乱発は出来ないな……」
あまりにも、殺傷力が高すぎる。
かなり頑丈な零号装殻ですら、間に緩衝を置いてもこの状態だ。
普通の装殻者相手に使おうものなら、その装殻者を吹き飛ばすだけでなく、相手の後ろにいる者まで一緒に吹き飛ばしてしまうに違いない。
と、コウが思案に暮れている間にホーネットが起き上がっていた。
ホーネットはもう浮く力はないようだが、ギチギチと顎を鳴らしながら、コウを威嚇するように羽を振動させている。
まだやる気のようだった。
「……これで!」
コウは、ホーネットに向かって駆け出した。
相手が後ろ足で立って振るう前腕を掻い潜って、先程小太刀で付けた肩の傷に掌を叩きつける。
「爆轟!」
コウの手から撃ち放たれた衝撃波が、ホーネットの右肩を吹き飛ばし、その半身が爆ぜる。
ビシャビシャ、と音を立てて飛び散る外殻と肉片と共に飛び散る酸毒に、コウは跳び退った。
始末しきれていない。
幾ら敵でも、そんな状態でまだ死ねず苦しげにのたうつホーネットに対して申し訳なさを覚える。
苦しめているのは、自分だ。
せめて後一撃で仕留めようと、コウは拳を握るが……。
『装殻強制解除』
…補助頭脳の音声と共に、装殻が解除されてしまった。
視界のAR表示に目を向けると、損傷による装殻活動限界だった。
解除と同時に疲労した肉体を支えるものがなくなり、コウは膝をついた。
「……何でこのタイミングで」
ホーネットは、まだ死んでいない。
ズル、と体を引きずって、残った片側の足でコウに向かって這おうとしている。
救いを求めているのか。
まだ、殺意をもってコウに臨んでいるのか。
無機質な複眼からは、何も読み取れない。
しかしいずれ、死ぬだろう。
幾ら寄生殻といえど、体の半分を失っては。
これ以上、ホーネットの苦しみを短くする方法はコウには残されていない。
「……ごめん」
苦しめることは本意ではなかった。
だがコウには、ホーネットを素手で殺す技量もなければ体力も残っていない。
謝ったコウの声に反応したのか、ただの偶然か。
動きを止めたホーネットがギチリ、と何かを呟くように、舌のない口もとを動かして―――。
「黄の稲妻〉!」
不意に辺りに響き渡った声と共に、ホーネットを一条の雷光が貫いた。
音もなく打ち据えられたホーネットが、びくん、と体を震わせたかと思うと、動きを止めて倒れ伏す。
シュウ、と静かな音を立ててホーネットから薄い煙が上がるのを見て、コウはホーネットが、あの一瞬で内部を焼き尽くされたのだと悟った。
「よう。ちっとは戦えるようになったかと思ったら、えらい無茶してるな」
からかうような声音のする方向に目を向けると、研究所の屋根の上に、黒い装殻者が座っていた。
胸郭と両肩が分厚く盛り上がった、艶のある黒色の外殻に。
全身を走る、力強い太さの出力供給線。
頭部にそびえるのは、先端が二股に別れた一本角。
雷の色を持った双眼を輝かせるその装殻は、忘れもしない、最強の装殻者の一角を成す存在。
ーーー黒の伍号・大兜。
「ジンさん……」
「お前の敬語はちっとも直らねーなぁ。ジンで良いって言ってんだろ?」
「今は、幹部と平戦闘員じゃないですか。これが普通です」
「良い言い訳だな。【黒殻】に入れるの止めときゃ良かったよ」
ジンは屋根から飛び降りて、コウの前に来た。
「敵に情けを掛けるのは構わねーが、倒す相手に謝るのは良くねぇな。そりゃ、相手を下に見てる奴のする事だ」
軽口の次に浴びせられた言葉に、コウは顔を伏せた。
「すいません。そんなつもりじゃ……」
「分かってるよ。見るに忍びなかったんだろ? ……でもな、そいつが寄生殻になったのはそいつ自身の所為だ。必要以上に気に病むな」
「……はい」
彼の後ろで、死んだホーネットが輪郭を崩して溶け落ちていった。
装殻を解除したジンは、逆立てた髪にピアスという、いつもの格好で、いつも通りの笑顔で、いつも通りに再会の挨拶した。
「久しぶりだな」
「早かったですね」
固い話は終わりだと言わんばかりに軽く手を挙げるジンに釣られて、コウも少し笑った。
「二、三日中、じゃなかったんですか?」
「二、三日以内、だろ? 間違ってないと思うけどな」
「相変わらず、フットワークが軽いですね」
「ついでに頭も尻も軽いと良く言われる」
「誰にですか?」
「ケイカさん。あの人意外に口煩いだろ? 最初は優しそうなお姉さんだと思ったのにガンコで気分屋だし」
「それでしょっちゅう喧嘩しますよ」
「お前もガンコだからな」
面白そうに笑ったジンは、コウに手を差し伸べて立たせると、背を向けて歩き出した。
「帰ろうぜ。お前が遅いから、わざわざ迎えに来たんだからな」
「帰るって、ジンさんもあの家に泊まるんですか?」
「んー……まぁ、ケイカさんが泊めてくれるなら、泊まりたいけどな……」
と、つぶやくジンの顔は、どこか困っているように見えた。




