第8節:突破口
コウは、森林区画に入る前で足を止めた。
警備課の男を見失っていたが、彼は焦ってはいない。
男が逃げ込んだ森林区画は訓練設備であり、本物の森林に比べればさほどの広さはない。
区画は研究所の左側、中ほどに位置していて、身を隠すには良いが、即座に外に出られるルートもなかった。
研究所の壁は、ハイクラスの装殻と熟達した技術があれば乗り越えられないほどではないが、ある程度以上の高さに登ったり、上空を通過すれば警報が鳴り響く。
外にバレずに出る方法は正規の手続きで、正門か、港湾に繋がる裏口から出るしかない。
夜間警備の他の人間に連絡を付けてそれらのルートを塞いでもらう事は可能だが、もし協力者が居れば無意味だ。
むしろ、こちらの動きがバレる心配がある。
「一人でやるしか、ないか……」
あいにく、カオリやケイカらは帰宅している。
ミツキも今日は日勤だった。
コウは建物の二階部分の張り出しに飛び上がり、森林区画を見渡せる位置まで移動した。
奥はグラウンド、手前はベンチなどが配された街路である。
視界を遮るものもなく、動き回る影があれば即座に感知できる。
コウはケイカの許可を得て、零号装殻に機能を幾つか追加していた。
「変更要請、視覚強化」
『出力変更』
視覚強化による熱源探知と暗視を起動して、昼間のように明るくなった辺りを見回す。
森の中に、一つだけ熱源の揺らぎを見つけた。
「あそこか」
コウが足場を蹴ろうとした瞬間、熱源の動きが激しくなって絶叫が耳に届いた。
同時に、全身の細胞がざわめく。
「っ……まさか、呑んだのか……!?」
馬鹿げた真似を、とコウは思った。
しかし、Ex.gによる変化と見なすには急激すぎる気がする。
コウに追われてクスリを過剰に摂取した可能性に思い至り、胸中に苦い気持ちが湧き上がる。
―――また、俺は殺すのか。
人を。
人であったものを。
コウは自身の手が血に塗れる想像と同時に、怒りを覚えた。
何故自ら、自分を貶めるような真似をするのか。
コウが姉に対して思っていたように、生きていて欲しいと願う相手だっていただろうに。
―――人ハ、相変ワラズ、愚カ者バッカリダ。
どこかで。
コウ自身のような、そうではないような声が聞こえた気がした。
「……?」
微かに違和感を感じながらも、コウは深く考える事なく動いた。
もし、あの警備課の男が寄生殻と化していたら、躊躇いなく殺す、と決意して。
特に、Ex.gによって生み出された寄生殻は。
絶対に、始末する。
寄生殻と化した者は、二度と、元には戻らない。
誰かに害をなす前に、葬るのだ。
「オオオッ!」
コウは自分を鼓舞する為に吼え、跳ねた。
一直線に駆け抜け、移動し始めた熱源を追う。
駆け抜けた先は、グラウンド。
その真ん中で、苦しんでうずくまる人影が在った。
まるで羽化するように、その背中が割れている。
ひび割れは、背中から全身に広がっていた。
「EX.gを呑んだな!?」
声を掛けると、ビクリ、と体を震わせて、相手が顔を上げた。
ひどく、醜悪な姿だった。
全身のひび割れに加えて、上部は人の顔だか、下部はカオリのクラッシャーファングに似た口が開いて、ギチギチと音を立てて蠢いている頭。
その両目は複眼と化して、涙を流しながらコウの姿を映していた。
「馬鹿な事を……!」
「イダ、ィイ……ダスゲ、デェ……!」
紫の舌をねぶるように動かしながら、既に手遅れと分かるほど〝壊れた〟警備課の男が、コウに手を伸ばす。
その哀れな姿がコウの胸に重く突き刺さるが、彼の全身の細胞は無慈悲な殺意を相手に向けている。
コウは深く息を吸い、低く告げた。
「もう、無理だ。あなたを助ける為には、殺すしかない」
「ゾ、レデモ、イイガラ……イダィ……ァ」
ズルリ、と、剥け落ちるように男の顔が崩れた。
同時にひび割れた全身もバラバラと崩れ落ちて、後から硬質な体表が現れる。
それは、足が四足しかない、歪で巨大な蜂だった。
崩れ落ちた表皮の奥から現れた、骨を変質させたと思しき細い前腕が地面に突き立ち。
足も同様の形で、体を支えている。
盛り上がるように膨れた胴体は、毒々しい黄色と黒に彩られて。
尻に向けて鋭く尖るように細く伸びたその体には、蛇のごとく長い尾が生えていた。
元は人であった頭が、髪の一つ一つを何千本という触覚に変えてうねうねと蠢き、顔の半分を占める複眼が、知性の色を失った。
後に残っている蜂の感情は、強烈な殺意。
先日対峙したエレフ・パラベラムよりもなお、首筋が焦げるようなチリチリとした危険を感じる寄生殻だった。
舌と顎が抜け落ちて、完全に蟲のそれへと変わる。
背中でしな垂れるように垂れ下がっていた布のようなものは、羽だった。
急激に乾いて本来の形を成した半透明の膜羽が、ヴヴヴヴヴ、と振動し始める。
蜂型寄生殻。
「ギギギギギギッ!」
ぐ、と足をたわめて跳ねたホーネットの口からダラダラと垂れた唾液は、地面に触れるとジュッと地面を溶かして煙を上げた。
どうやら、全身を循環する体液全てが、毒素を含んでいるらしい。
羽の振動で僅かに地面から浮き上がったホーネットは、そのまま滑るように移動してコウに襲い掛かった。
速い。
避けきれないと判断し、両腕を交差して足を踏ん張り、防御を固めたコウに。
ホーネットが、噛み付いた。
「ぐ、ぅうう……!」
感じたのは、衝撃と火傷のような痛み。
ホーネットの顎はコウの腕を貫通はしなかったが、唾液が外殻を焼いていた。
押されて地面を抉りながら後退させられたが、姿勢は維持出来ている。
「エレフや、カオリさんの、蹴りに比べれば……!」
一発の衝撃の重さはエレフより下、速度も、絶え間なく襲うカオリの蹴りの連撃より下だ。
コウは噛まれた左腕をそのままに、右腕で腰の小太刀を抜き放った。
ナイフよりも長大で、刀より短い。
忍者刀程度の長さのそれを、逆手に持って振るう。
浅く首筋を薙ぐが、硬い外皮に弾かれた。
「なら……!」
目の前のある巨大な複眼に、思い切り突き立てる。
今度は刃先が複眼に潜り込み、ホーネットは呻きを立てた。
「離……れろ!」
その間も、唾液が絶え間なく腕を焼いている。
何度か複眼を刀で突くと、ようやくホーネットが顎を開いて離れた。
どうやら、相手の羽には舞い上がる程の浮力はないようで、足を引きずるような地面すれすれをホバリングしながらグラウンドを巡る。
小太刀は、相手に対する有効打にはなり得ないようだった。
コウはまだ扱いに慣れていない為に銃を追加しておらず、遠距離での攻撃手段がない。
〈黒の拳打〉なら相手の外殻は突破出来るかも知れない。
しかし、もし仕留めきれなかった時に取り逃がす事になる。
あの出力解放は渾身の力を込める一撃であり、自分が再び倒れる可能性を考慮しない訳にはいかなかった。
躊躇う間に、再びホーネットが襲ってくる。
今度は前足を上げて、長い尾をコウの方へ向けての襲撃。
先端にある針で貫かれて、体の中にあの酸毒を流し込まれれば動けなくなるだろう。
緊張を覚えながらも、コウは相手の動きを見極め、ギリギリで身を翻した。
両手で構えた小太刀を、相手自ら突っ込むような位置に置くイメージで構える。
再びの衝撃。
今度は相手の勢いの引っ張られてひっくり返ったが、ホーネットの肩口にも小太刀が突き刺さった。
「ギィギギギッ!」
煩わしそうにホーネットが小太刀を噛み、引き抜いて放り捨てる。
「これでもダメか……!」
コウは、背筋のみを使って跳ね上がるように体を起こした。
左腕を苛む鈍痛に耐えながら、必死で考えを巡らせる。
何か、決定的な方法はないか、と。
そして、ふと思い出したのは、PL社オフィスを襲撃した時の、カオリが肆号を纏った姿。
焔撃状態、と言ったか。
現象そのものを引き起こす装殻を見たのは、あれで二度目だ。
最初に見たのは、雷撃を纏う黒の伍号。
もし、あんな風に炎を利用する事が出来れば。
小太刀で付けた傷から、それを流し込む事で内部に損傷を与える事が出来る。
三たび襲ったホーネットをかわして、コウは放り出された小太刀へと駆け出した。
拾い上げてホーネットに向き直りながら、脳内で全てを構築していく。
「Data reference……AB-01、AB-04K……」
どういう状態だった。
炎を纏うカオリと同じ状態になるには、どうすればいい。
考えろ。
体内に、その為の器官を生成するんだ。
炎を生み出すには、燃料と、空気と。
それらを混合して、熱量を生み出すものはなんだ。
―――内燃機関。
コウは、脳裏に閃いた解答を即座に実行に移す。
爆轟機構を、自身に組み込め。
瞬間的に炸裂する高圧の熱量を、生み出す器官を。
「System-try……Cylinder G createting/CNS+20001-34565」
呼吸器を代用して、バルブに。
両腕を、熱量を炸裂させる装置に。
「FPS/HDE/EPN.DWu-con.EMP308.……Active〝Ditonaition〟」
『生成失敗。燃料不形成』
「ッ……! ダメか!」
補助頭脳の宣言を受けて、コウは舌打ちした。
その隙を突かれて、コウはホーネットの尾に体を拘束されてしまう。
「くっ……!」
渾身の力でもがいても、拘束は外れない。
ホーネットが咬みつこうと顎を開くのを見ながら、コウは両手で尾を掴んだ。
燃料が生成できない。
ならば燃料の代わりは。
何かないのか。
炎、熱量、爆発。衝撃。
燃料なしでそれらを形成するものは……!
コウの脳が焼け付くほどに回転し、周囲の景色すらゆっくりと動き始める錯覚を覚える。
いや。
それは、錯覚ではなく。
『反応機動。領域型知覚加速』
補助頭脳が伝えてきたのは、知覚のみを加速する限定的な限界機動に、コウが突入した、という事実だった。
限定的な。
そう考えた時、コウは意識に引っかかりを覚える。
内部を破壊するのに、熱も炎も必要ない。
ただ、衝撃のみがあればいい。
衝撃とは、空気の振動。
爆轟と呼ばれるほどの空気の振動を……爆風を、浸透震を引き起こせれば、傷口からの内部破壊は可能なのだ。
人の体で、強く音を、振動を発するもの。
それは……心臓だ。
/HBDB-Full amplification! System-Re:create! FPS/DWu-con.EMP308.……Active〝Heart Ditonaition〟!
/Ready
超知覚中の高速音声が喉を震わせ、補助頭脳が応える。
両腕の流動形状記憶媒体が即座に変質を開始し、両腕が作り変わっていく。
前腕が膨張し、排気ダクトが形成。
掌から手首へと繋がる、衝撃を撃ち出す銃口が口を開く。
『形成完了』
補助頭脳の声が、無機質であるにも関わらず、どこか誇らしげに聞こえた。
コウの知覚が、加速を終える。
「〈爆轟〉!」
『要請実行』
心臓が一つ鼓動を打ち。
それを、物質破壊すら可能なレベルへと、両腕に形成した回路が極限まで増幅。
凄まじい衝撃が、手に握ったホーネットの尾へと炸裂し。
コウの意識が、真っ白に吹き飛んだ。




