第5節:エレフ・パラベラム
装技研の入口から広がる市街は、それなりに規模が大きい繁華街だ。
大規模商業施設こそ存在しないものの港の近くであり、警備体制も他の土地に比べると整っている事から、比較的安全な流通の拠点として人が集まる為だ。
一方、治安維持という面においては、他の土地よりある意味では物騒な部分もある。
現在の四国において、田舎に住むというのは命がけだ。
その分、離れた場所で暮らす者は自衛手段に長けた……強い装殻者が多い。
ならず者が徒党を組んで無法を働く訳ではない場合、少数であれば下手すると返り討ちに遭うのだ。
必然、さほど実力がない悪人は、自衛と稼ぎの為に人と金が多く集まる繁華街に寄ってくる。
―――その男も、そんな一人だった。
「う……うぅ……!」
男は路地裏に座り込み、全身を苛む火傷に似た痛みに呻いていた。
禁断症状が出たのだ、と思い、彼は震える手でポケットの錠剤を取り出す。
男が子どもから金を巻き上げていた時に、声を掛けてきた優男。
その錠剤は、そいつが売りこんで来た薬物だ。
『精が出るな、兄さん』
最初は、どこかのバカが正義感で声でも掛けてきたのかと思った。
しかし優男は、男に絡まれていた少年を蹴飛ばして追い払った。
そのまま、彼に交渉して来たのだ。
『これ、買わないか?』
服用するだけで、簡単に装殻適合率を上げるモノだと言われて、最初は疑った。
一回目はタダで良い、と言われて、服用を条件に連絡先を交換した。
その効果は劇的だった。
それまでは然程強い装殻者ではなく、カツアゲくらいしか金を稼ぐ手段を持たなかった彼は、一気にその近辺にいる悪人の中でトップにのし上がった。
気分が良かった。
彼はそれから何度か、優男からクスリを買った。
『こっちとしてはありがたいが、あんま使いすぎない方が良いぜ?』
優男の警告に、彼は従わなかった。
こんな良いモノ、使わない手なんかあるかよ。
これさえありゃ、あの研究所の警備だって恐くねぇ―――。
調子に乗った結果が、このザマだ。
「の、飲みゃ治る……飲みゃ……」
回らない舌で言いながら、男は薬物を飲み下し。
それまで以上の痛みに苛まれて、即座に気絶した。
そして男の意識は……それっきり、二度と回復する事はなかった。
※※※
コウは、その日オフだった。
彼は生活必需品の買い出しを頼まれて、商店街に買い物に出ていた。
そして買い物を終えて、ゆっくりと街中を歩いていた時。
不意に、ざわり、と自分の中で何かが騒ぐのを感じた。
「……何だ?」
自分の細胞が、一方向に向かって吠え立てるようなその感覚には、覚えがあった。
黒の一号に人体改造型にしてくれと頼んだ時、朦朧とする意識の中で感じた、あの感覚だ。
ーーーニセモノを許すな。
その感覚の命じるままにコウが駆け出すと。
直後に、向かう先で悲鳴が上がった。
「……ッ」
コウは舌打ちした。
そんな馬鹿な、と否定する自分の気持ちと。
そちらに、ソレがいる、と確信する細胞の、相反する情動。
その整理をつけないまま別の通りに飛び出したコウの視界に映ったのは。
誰かが倒れ、倒れたその人物を庇うように装殻者が立っている光景。
装殻者の外殻は、一部が破壊されて火花を散らしていた。
彼が対峙しているのは、巨大な獣だった。
ゾウに似た姿のそれは、生物としてあり得ない形状をしていた。
本来頭があるべき場所から、人間の胸から腰に似た体が伸びていて、しかしその両脇に腕はない。
さらに、人間の首に当たる部分から。
タコの足のように生えた、八本の長い灰色の鼻が伸びていた。
全身の細胞が、さらに猛る。
認めたくないながらも、コウはそれの名を口にした。
「《寄生殻》……!」
それは、コウの忌まわしい記憶に直結する化け物。
《寄生殻》という言葉は本来、【黒殻】とは別の〝悪の組織〟が生み出した怪物たちを指す言葉だった。
しかし、今は違う。
それは装殻適合率を、Ex.gという薬物の力で過剰に伸ばした結果、生まれる〝モノ〟を指す言葉になった。
装殻に、魂を喰われた人間ーーー《寄生殻》。
「何で、ここにいる……!? Ex.gは全部回収されたんじゃなかったのか!?」
ましてここは、かつて薬物がばら撒かれたフラスコル・シティから遠く離れた場所だ。
疑問を口にしながらも、コウは荷物を落として両腕を構えていた。
左腕を高く、右腕を低く構えて、斜めの逆十字を描き。
「……纏身!」
『要請実行』
コウは全身に、漆黒の装殻を纏う。
『装殻状態:全能力制限』
「う、ぉおおおおッ!」
コウは自らを鼓舞しながら、象型寄生殻へと突撃した。
体当たり食らわすが、その巨体はビクともせずに、コウが逆に弾き飛ばされる。
「お前、コウか!?」
彼が転がった先は、エレフの真正面、負傷者たちの前だった。
声を上げたのは、誰かを庇っている傷ついた装殻者。
聞き覚えのある声に、コウも問い返す。
「……タカヤ!? なんでここに?」
「巡回してたらそいつが現れたんだよ! それで……コウ、上だ!」
タカヤが話すのを中断して警告する。
それに従って上を向くと、エレフの鼻が一本重く振るわれて、コウを横薙ぎに打ち付けた。
「ぐぅ……!」
重たい一撃に思わず声が漏れるが、とっさに踏ん張って両腕でガードしたのが幸いして、吹き飛ばされはしなかった。
さらに別の鼻をエレフが振り上げるが、コウはさらに後ろに飛んで回避する。
凄まじいパワーだ。
真正面からやり合っても、確実に負ける。
しかし、コウには相手に対抗する手段がなかった。
彼は装殻に、追加装殻を付与していない。
自身の基礎もなっていない間に武器に頼る事を覚えるな、とカオリに言われたからだ。
「どうすれば……」
少なくとも、タカヤたちを逃がさなければいけない。
コウに今使える対抗手段は、一つしかなかった。
出力解放。
放てさえすれば、予測出力ではあの質量にも対抗出来るはずだ。
禁じられている上に、コウは出力解放を使いこなせない。
しかし躊躇う暇はあまり残されていなかった。
エレフがゆっくりと、前足で地面を掻き始めたからだ。
コウは腰だめに構えた右拳を、左手で包み込んだ。
「ッ出力解放!」
『―――解放失敗』
一縷の望みをかけたコウの宣言に、補助頭脳は、姉の声で無情にもそう告げた。
コウは、ぎり、と歯を噛み締める。
エレフが、走り始めた。
―――意味がないだろう!
コウは、強くそう思った。
―――この力を得たのは、守るべき人を守る為じゃないのか!
コウは、自分を罵倒する。
―――今ここで何も出来ないなら、お前に何の意味があるんだ、北野コウ!
自分を思い出せ。
俺は何だ。
俺は、装殻調整士、だ。
俺はまだ〝装殻者〟じゃない。
装殻者として戦えないのならーーー調整士として戦うんだ。
出力解放を使えないなら、使えるように調整しろ。
今、ここで!
「Data reference……AB-01」
思い出せ、総帥を。
黒の一号を。
あれ程の枷を背負いながら、なお重苦しさを感じさせない、気高いあの姿を。
彼の出力解放の凄まじさを思い出して、解析するんだ。
俺は誰よりも、調整士として努力して来た。
人一倍、装殻の事を勉強して来たんじゃないのか。
イメージしろ。
カッコいい自分じゃない。
「OS102Pi-Script analyz……AOL/granting-GI035R:30.34.202.233…」
自分という装殻者を俯瞰して、一から再構築するんだ。
俺は、人体改造型。
それも、オリジナルの力を継いだんだ。
出来る筈だ。
今、パウダーと呼ばれている本来の流動形状記憶媒体は。
本来、装殻者の意思に呼応して形を変える物質なんだからーーー。
「EL300-5000gw……FT.AOC/BDB7.43:ADS2.57……」
自分が今まで見て来た装殻者たちを、全て思い出せ。
そしてフィードバックしろ。
俺には、出来る。
装殻の調整なら……俺は、誰にも負けない!
「Readjustment……〈Kbuckle-Assault〉Adjust-Stream Drive……!」
全ては。
僅か数瞬の間に、行われた。
コウの全身を覆う外殻がーーー形を変える。
分厚く、痛みに怯えるかのように膨れていた重い外殻が。
ぎゅ、と絞るように引き締まり。
より、コウの本来在るべき肉体に近い形に。
特に両肩と胸部、頭部を鎧のように覆っていた野暮ったい外殻が。
引き絞るように削げ落ちて、最適化される。
頭部外殻は、どこか間の抜けた形から、邪悪さすら感じる尖った印象の造形へ。
両肩は丸みを帯びて薄く、滑らかに。
そして一枚板のようだった胸部が割れて、より人体に近い形状に。
極限まで締め付けられていた装殻が、最後に、全身に走った筋に沿って僅かに開いて。
薄く輝く出力供給線が、露出した。
ラインは、そのまま力の奔流の量を増して、鮮やかに輝き始める。
『調整完了。出力供給開始』
補助頭脳が。
まるで彼の成長を認めたように、望んでいた答えを示した。
「ブォオオオオオオッ!」
どこから声を出しているのか、エレフが雄叫びを上げた。
「コウッ!」
身構えたまま動かないコウに、エレフが激突する。
タカヤが、悲鳴のような声でコウの名を呼んだ。
だが。
エレフの突進を受けても、コウはビクともしなかった。
『充填完了』
補助頭脳が、何事もなかったかのようにエネルギー供給が完了した事を告げる。
コウのーーー黒の零号の拳が、高密度のエネルギーにより赤熱した。
同時に、カッ、と赤く輝いたコウの双眼が、エレフを見据える。
「これ以上、誰も傷つけさせはしないぞ、《寄生殻》ッ!」
コウは、握り込んだ拳を。
自らの意思の望むままに、解き放った。
「ーーー〈黒の拳打〉!」
腰を捻りながら、相手の巨体に臆すことなく足を前に踏み込み。
敵の鼻による攻撃が、顔の脇をかすめるのも意に介さず。
真正面に立ちはだかるエレフの胸元に、溜めに溜めた拳をーーー叩き込んだ。
鈍い衝突音。
拳が、エレフの外殻を砕き。
内に束ねられた強化筋肉にめり込む。
放たれた破壊力が、エレフの巨体を駆け巡り。
エレフは耐えるように震えるが……。
破壊力を受けきれずに、ついにその背中が爆散した。
そのまま、覆い被さるように前に倒れ込んで来る巨体から逃れる為に、コウは慌てて腕を引き抜き、横に飛ぶ。
ズゥン、と重い音を立てて倒れたエレフは、少しの間硬直してから、シュウシュウと音を立てて、溶け崩れた。
《寄生殻》の末路だ。
一度人である事を完全に失った者は、死体すら残さず消滅する運命にある。
「やった……」
タカヤが、小さく呟くのを聞くと同時に。
コウは耐えがたい目眩を覚えて、そのまま倒れ込み、気絶した。




