第30節:人を呪わば穴二つ
「……しぶといな」
尾をほどいて立ち上がったカオリは、まだ動いているシープの頭を踏み抜いた。
が、驚いた事にシープはそれを避ける。
「ぎぃ……ひィ……ヒヒ」
マチェータの刃で顔面に大きくひび割れが入り、地面に叩き付けられて無惨にひしゃげた顔。
にも関わらず、シープは生きていた。
「ガンジョウなカラダ……で、ネェ」
言う間に、シープの顔の傷が復元した。
歯とマトモに動く顎に戻ったシープの声が再び明瞭になる。
「知ってますか? 襲来体は、霊号が長く時間に存在すると、強くなるんです。過剰に膨れた霊子を取り込む特性がある……故に、私も強くなった……」
「強くなってその程度か」
カオリが足を踏み出すと、背後から声を掛ける者がいた。
シンゴだ。
「カオリ、あまり時間を掛けないでくれ。そろそろ押し込まれかけている!」
「すぐに終わる」
シープとの戦闘の間にも、襲来体は途切れる事なく【アパッチ】本部を襲い続けていた。
「死ね」
カオリはシープに告げ、出力解放を起動しようとして。
腹と背中に熱と衝撃を感じ、動きを止めた。
「……?」
体を見下ろすと、自分の腹から生える長い刃が見える。
「……ッ!」
突如襲ってきた強烈な苦痛に思わず背を丸めて背後に目をやると。
ずるりと腹から刃が引き抜かれるおぞましい感覚と共に、蟷螂型装殻を身に纏ったシンゴが血に濡れたノコギリ刃を持って立っていた。
「シンゴ……どういうつもり―――」
言い切る前に、シンゴの姿が変わる。
鉱物にデタラメに血管を走らせたような赤い人型……襲来体へと。
「ひゃはは! 先程殺して擬態させておいたのですよぉ、バァカが! だからお前らは蕩けるように甘いんですよぉ!! 仲間と見れば無条件に信じるからそういう事になるんです!」
倒れ伏したカオリは、シープに頭を踏みにじられた。
「げひゃはははは! そのまま無様にくたばりやがれ!!」
シープは高らかに勝利を謳ってから、ぼそりとカオリの耳元で言葉を囁いた。
そしてそのままカオリを捨て置き、去っていった。
※※※
「一体、どういう事だ……?」
シェイドが交渉から戻ると、本部施設から黒煙が上がっていた。
街も壊れ、周囲には襲来体が蠢いている。
「……!」
状況を察したシェイドは瞬時に装殻を纏って跳んだ。
「……限界機動!」
シェイドがまず目指したのは、子どもたちの住む、本部の最奥だった。
たどり着くと、そこには、今まさに襲来体に襲われようとしている、不良装殻者の子どもたち。
シェイドは、銀の大鎌を形成し、子どもたちを襲い掛けている襲来体を横様に薙ぎ斬る。
「無事か」
「シェイドさん!」
固まって震えていた子どもたちに問い掛けると、年長の一人が泣きそうな顔で彼の名を呼んだ。
「カオリはどこだ」
「わ、分かんないけど、さっき別れた時は門の方に……」
「そこで大人しくしていろ。近くにいる襲来体は全て殺してやる」
子どもの言葉を最後まで聞かずに言い置き、シェイドは再度加速領域に入った。
約束通りに襲来体を殺しながら駆け抜け、広場へ出ると。
広場の真ん中で、血溜まりの中に倒れて動かないカオリが即座に目に入る。
「……カオリ」
躊躇いなく血の海に膝をついたシェイドは、彼女を仰向かせて呼び掛けた。
「……シェイド、か」
うっすらと目を開けるカオリだが、その顔は土気色で、腹からは未だに血が流れている。
「……ふふ、無様、で、悪いな」
「何があった」
自虐的に笑うカオリに、シェイドは問い掛ける。
「シープ、だ。襲来体が……シンゴを。背後から……」
途切れ途切れの言葉に、シェイドは状況を理解した。
「甘いな。……疑いもしなかったのか。だからお前は、戦闘に向かんと黒の一号に判断されたんだ」
「シープも、そう言って……伝言だ、と」
「伝言?」
「『裏切るからこういう目に遭うんです』、だ……」
かつての相棒に対し。
まるで的外れだと、シェイドは鼻を鳴らした。
「馬鹿馬鹿しい」
「確かに……シェイドが、それで傷つくと……思うのは愚か、だな」
疲れたような息を吐き、急速にカオリの目から光が失われていく。
「子ども、たち、は……?」
「無事だ。施設内の襲来体は全て殺した。クスリも手に入れた。奴らは治る」
「あり、がとう……シェイド……銀色の、一号ーーー」
震える手を、カオリはシェイドを探るように上に伸ばし。
シェイドは、その手を取らなかった。
「私にとっては、シェイドが、救いの……」
そして、カオリは事切れた。
手が落ち、シェイドはカオリの体をゆっくりと横たえる。
特に、何も感じなかった。
馬鹿馬鹿しい生き方をした女が、相応しい死に方をした。
ただ、そう思った。
やはり自分は欠陥品なのだろうと、シェイドは思考する。
人としてあるべき感情がなく、今は襲来体であるにも関わらず人を襲う訳でもない。
どこまでも、独り。
だがそれで良い、とシェイドは思う。
それが、自分という存在なのだから。
「残念だったな、黒の一号」
シェイドは立ち上がり、銀の鎌を……棒が一本欠けた十字を立てる。
「貴様は守れなかった。……俺は、やはりお前の敵だ」
そしてゆっくりと首を巡らせ、遥か空の向こう……襲来体の住処へと意識を向ける。
彼自身と繫がりのある存在、その根本たる者がそちらにいるのが、分かる。
「シープ、そしてマザー……俺をナメた事を、そして棄て置いた事を後悔するがいい」
シェイドは装殻化を解いて、再び施設内へと戻った。
向かう先は、子どもたちの居た部屋の奥。
鍵で、硬く閉ざされた部屋だ。
常人を……そして装殻者をも遥かに超える膂力でその堅牢な鍵を破壊しながらノブを捻り、彼は最奥にいる人物に二度目の対面を果たした。
「キタツ」
『おや……これは、七番目の、お方……どう、されました、かな?』
シェイドは状況を説明し、彼の口にクスリを含ませた。
そして解除された自身の装殻に戸惑ったように、中年の、痩せた男が身を起こし、たったそれだけの事で荒く息を吐く。
「信じ、られん……」
その顔に、シェイド自身はやはり見覚えがなかった。
かつてのシェイド自身にとって、キタツはその程度の存在だったのだろう。
同じ境遇でありながら、同胞ではなかった男。
同じように利己的でありながら、シェイドとは違う道を歩む男だ。
シェイドは彼の足の上に、解除薬の入った袋を放った。
「黒の一号は、お前らを見捨てた訳ではなかったな」
「ですが、悲しい、事で、す。また、私は……仲間を失い、生き残って、しま、った……」
ハの字に眉を曲げて沈痛な顔をする男に、シェイドは背後を示した。
「お前には、まだやるべき事が残っている。子どもらも、そのクスリで同じように元に戻る。……【黒殻】を頼り、奴らをマトモな人間にしろ。カオリは最後まで、こいつらを気にしていた」
それだけを言い置き、シェイドはキタツに背を向けた。
「どこへ……行かれるので……?」
「別にどこでも構わんだろう。俺とカオリの契約は、あいつの死で終わった。お前に約束した事はとっくに果たしている」
「これ以上は、助けてはいただけま、せんか……」
「そんな義理がどこにある」
ドアに向かったシェイドに、覗いていた子どもたちが道を開ける。
「シェイドさん、ここを出て何をするの?」
彼にカオリの居場所を教えた、年長の子どもが問う。
「俺の在るべき場所は、戦場だ」
シェイドは応えた。
「俺には、戦う事しか出来ん」
立ち去るシェイドの背中に。
年長の子どもは、まるで祈るような調子で言った。
「帰ってきたくなったら、いつでも待ってるから!」
その言葉に。
シェイドは、答えなかった。




