序章
「異動、ですか……」
どこか重苦しい雰囲気の中で、コウはデスクに座る上司の前に立ちながら、告げられた言葉をくり返した。
「そうだ」
中年の上司が重々しくうなずくのに、コウは顔を引きつらせる。
今、上司の執務室の中には、四人の男がいる。
一人は自分。
もう一人は同僚。
そして後の二人は上司である。
上司の一人であるこの部屋の主は、コウ達と同じような、白のラインが入った黒い制服を身に付けていた。
コウも彼より少しだけラインの数が少ない、黒のツナギ姿だ。
もう一人いる同僚も同系統の制服姿で、上司の脇に立つ若い男だけがカジュアルな服装をしていた。
「どこに異動なんでしょう?」
「四国だな。旧高知エリアにある研究施設の警備に回ってもらう」
コウの問いかけに、書類をパラっと見ながら上司は続けた。
「ああ、後、給料下がるからな。いわゆる降格だ」
「えーと……何ででしょう、と、聞いても?」
降格+異動。
それはいわゆる、左遷というやつではなかろうか。
コウがおずおずと言うのに、上司はこめかみに指を当ててため息を吐く。
上司のかわりに口を開いたのは、彼の横に立つ若い男だった。
「あのな、コウ」
「何でしょう、ジンさん」
ジンという名前のその男は、コウの知り合いだ。
むしろ、この【黒殻】という組織に入る前に、はじめて会ったのが彼である。
組織に入って、情報部部長という肩書きを聞いて驚いたくらい気さくな人で、見た目は逆立った茶髪にピアスという軽薄なもの。
まぁ、いわゆるヤンキーな感じだ。
顔立ちはかなり整っていてファッションのセンスも良いので、モデルのようにも見えなくもない。
しかしいつも割と笑顔なジンが、今は苦虫を噛みつぶしたような表情をしている。
ハッキリ言って怖い。
「お前、自分の肩書きを言ってみろ」
「ええと……一応、戦闘員です」
「自分で一応とか言うな」
コウの言葉に、ジンがますます顔をしかめた。
彼が所属しているのは、世間的に言う、いわゆる『悪の組織』だ。
上層部である五人はもれなく指名手配犯であり、ジンはその一人。
彼らが立てる作戦の実行部隊である戦闘員は、危険度が高い分だけ手当も良い。
……そっちの手当ても、なくなっちゃうのかな。
そんな風に、少し現実逃避気味にコウが自分の置かれた状況を考えていると。
ジンは、逃がさないぞ、と言わんばかりにコウを現実に引き戻した。
「お前は戦闘員だ。それも幹部待遇。良いか? お前は他の奴より給料貰ってんだぞ?」
「それは……はい」
お金は、ありがたい。
元々自営業で稼いでいたコウは、黙っていても一月で給与が支払われるこの待遇を、どれだけありがたいと思ったか知れない。
しかし、そんなコウの感謝の気持ちはどうやら上司達には届いていないようで、お説教が続く。
「なのに、お前と来たら、肝心の戦闘でからっきし役に立たねーと来た。一体どういう事だ?」
ついにジンに睨まれて、コウは一歩後ろに下がった。
「いや、その」
「今更ビビってんじゃねーよ!」
「そんな無茶を言われましても……」
「何が無茶だ、総帥に直談判出来る奴が、俺にビビるよーな可愛げのある根性してるわけねーだろ!?」
「あれは状況が状況でしたし……元々怖いのは苦手ですし」
目を反らすコウに、ジンが舌打ちした。
だって仕方ないじゃないか、とコウは思う。
「大体ですね、組織内にたった六人しかいない《人体改造型装殻者》に睨まれて、ビビらない奴なんかいないと思いますが……」
「お前も《シェルベイル》だろうがあああああッ!」
「まぁ、そうなんですけど……」
即座にツッコまれて、コウは頬を掻いた。
そう。
コウも、ジンと同じく人体改造型の装殻者なのである。
装殻とは、簡単に言うと『変身用強化スーツ』の事だ。
さらに人体改造型とは、特定の装殻を体内に埋め込み、より力を発揮できるようにしている者の事である。
ちなみに人体改造型は現在は違法で、作り方は国家機密レベルの秘匿事項となっている。
しかも、その改造技術を持っているのは【黒殻】の総帥だけ。
そりゃ指名手配も食らおうというものだ。
コウは、そんな《シェルベイル》のーーーたった六人しかいない人体改造型の、最新最後の六人目。
しかし非常に残念な事に、コウ自身は他の《シェルベイル》に比べて、悲しいほどに弱いのだった。
「大体その制服、整備士のだろうが! 戦闘員用のはどうした!?」
「いや、さっきまで他の人の装殻の整備してたんで……」
「だーかーら、何でお前がそんな事やってんのかって聞いてんだよ!」
「……得意だから、ですかね」
「知ってるよ! めちゃめちゃ知ってるよ! だからって今、この基地で、やる必要ねーだろ!?」
「情報部長、一応、人目があるので……」
上司がひかえめに進言すると、ジンは右手で頭を掻きむしった。
そんな仕草もサマになるよなぁ、とコウがぼんやり考えていると。
「とにかくだ。幹部戦闘員のくせに装殻もマトモに装着出来ない、戦闘では軽く逃げ腰、あげくに一般戦闘員と仲良く……なるのは、良いとして」
「良いんですか?」
「良いとして! 俺も仲良くしてるから! てゆーか茶化さずに聞け!」
「すいません」
話をそらしたのはジンさんなのに、というツッコミは心に秘めた。
「まぁとにかくだ、基地で整備ばっかやってるお前に幹部待遇で給料払ってやるほど、俺らもお人よしじゃねー……ではない。てな訳で、ハジメさん……じゃなくて総帥からの伝言だけど……伝言だが」
「ああ、もう取りつくろってもムダみたいなんで、いつも通りで良いですよ。ジン部長」
コウの一歩後ろで控えている同僚を見ながら、上司が再び、ため息と共に言った。
「あ、そう?」
元々だいぶユルかった化けの皮を完全に脱いで、ジンはデスクに手をついて座り込み、机の端に顎を乗せた姿勢で、ぴ、とコウに指を向けた。
「て訳で、だ。ハジメさんがこう言ってたの。『一度ヒラに降格して、整備士兼警備員として研究所に勤務させろ。その間に装殻の扱いを覚える事』だってよ」
「モノマネ、似てますね。ジンさん」
「まーよ。特技の一つだ。……じゃなくて、お前マジでしっかりしろよー。俺がちゃんと教育しろとかって怒られんだからよー」
「……ホントすいません」
ジンの本音に、申し訳なくなってコウは頭を下げた。
「元々、非適合者だったせいで、装殻の扱いに慣れてないのは分かるけど。お前に内蔵してるのは『最強の装殻』なんだから、絶対使いこなせよ?」
「……分かりました」
少し真剣な目で言うジンに、大人しくうなずく。
コウだって別に、好きで弱いわけではないのだ。
強くなれるなら強くなりたい。
「ああ、それと」
「まだ何かあるんですか?」
「お前のちょっと後ろに居るそいつも、一緒に異動だから」
「へ?」
我関せずな態度で気配を消して突っ立っていた同僚が、思わず声を上げる。
「ちょ、何でなんすか? 俺、普通に働いとったっすよね!?」
直接ジンに言う度胸はないのだろう、上司の方に話す同僚に、上司は非情な声で告げた。
「ミツキ君。せっかく仲良くなった相手が、一人で左遷先に行くのは、カワイソウだと思うだろ?」
「思いますけど、左遷に巻き込まれんのが俺ってなったら話は別っすよ!」
すいません、普通に左遷って言わないで下さい。
悲しくなるから。
「安心しろ。お前は元々ヒラだから、給料はそのままだ。手当てもな」
「そりゃ良かった……ってなる訳ないっしょ!?」
「だよな。でもな、【黒殻】では総帥の命令は絶対だから」
哀れみの目を同僚……ミツキに向ける上司に、ジンが、うんうん、とうなずいて賛同する。
「普段あんま命令しない分、一回命令が出たら皆、ハジメさんに従うしなー。だからお前も従え」
「うぐっ……」
ミツキも総帥に会った事があるらしく、名前を出されると黙るしかないようだ。
コウは、せめて慰めようと、ぽん、と彼の肩に手を置いて言った。
「残念だったね。一緒に頑張ろう」
「他人ごとみたいの言うてんちゃうぞ、このアホが! 元はと言えば、お前が戦闘員として使われへんかったせいやろがあああああ!」
ミツキの絶叫と共に、コウは頭をはたかれた。