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深夜テンションの短編集

思い出と積乱雲

作者: asutarisuku

 


 あの積乱雲を、僕は覚えている。

 あの日の悲劇は、僕の永久の思い出として、今ものこっている。

 僕はそらを見上げて、あの日と同じ積乱雲を見上げる。


「なあ、まりか。あの日のことを、お前は覚えているか? あの空に、僕が飛んだ日のことだ。そして、僕の時間が一度、止まった日でもある。なあ、お前は覚えているか?」


 声は夏の蝉の声のかき消されて、響くことなく、目の前のそれに、届くことなく。

 僕は、ただずっと、積乱雲を見ていた。





「まりゅう、おきてるんです? ねえ、まりゅう!」


 その声は、聴きなれたまりかのものだ。相変わらずなので、僕はいつもの言葉を投げかける。


「いいか、僕の名前はまたつだ。真に竜って書いてまたつだ。確かに読み難いが間違えるんじゃねえよ。お前は知ってるだろうが。妹だろう?」

「ええっ? まあ、そんなことはいいからさ。ご飯だよ。まりゅうのんきにしてるけど母さんいい加減怒るよ? 私は知らないからね」

「そんなことじゃないんだがなあ」


 頭をかいて、僕は立ち上がる。窓からは朝日が差し込んでいて、それがまぶしかった。


 一階では母さんが仁王立ちで立っていた。


「げっ」

「げっ、じゃないでしょう! 何回起こせば気が済むの?」

「だって、今日は休日じゃん。寝てたっていいだろう?」

「よくないっての。ほら、さっさといつもの席に付く。みんなで食べるのがうちの唯一のルールなんだからね」


 母さんは、いつもの調子でそういう。僕は手を挙げてお手上げポーズを作り、それに従うしかなかった。


「ほらまりゅう。やっぱりおこられた」


 まりかはドヤ顔でそういった。


「はいはい僕が悪うござんしたよ」


 手をひらひらさせながら僕がそういうとまりかはいつもむっとした表情をした。


「もうっ、いつもかわらないんだからまりゅうは」

「ほめ言葉として受け取っとくよ」


 こんな会話からいつも朝食は始まっていた。思い出は色あせることなく、楽しかったシーンを映し出す。


 つぎに映し出されたのはまりかが夢を宣言した日だった。

 その日は珍しく父さんが早く帰ってきていて、夕食にみんなが揃った。まりかが高3の時のことだ。

 何事もなく進んでいた夕食はその声によって邪魔された。


「………私、海外の大学に行きたい」

「やめとけ」


 僕は即座にそういった。父さんも険しい表情をしている。母さんに至っては泣き出しそうだ。


「やめておけ、父さんは反対だ」


 その言葉に、まりかは目をぎらつかせ答える。


「私、もう決めた。これは報告。だから、反対されたって関係ない」

「お前は母さんのことは考えないのか」


 父さんはそういって母さんのほうに目を向ける。まりかは母さんが大好きだったから、そういえば多少は聞くとおもっったんだろう。

 でも、僕にはわかった。これは、きっとねじ曲がらない思いだと。

 僕のその予想通りに状況は進んでいく。

 まりかは一瞬息を詰めるがその瞳のぎらつきが消えることはなかった。


「………考えない。母さんも心配しすぎなんだよ。私は大丈夫。私は夢を決められたんだ。医者になって人を救う。全部まりゅうのおかげ」


 まりかは僕の方向に顔を向ける。医者、それは僕が挫折した夢だ。僕はそれに何も言うことはできない。


「………本当に、本当に海外の大学に行くっていうの?」


 母さんが涙目でそういっていた。まりかはうなずく。

 すると、母さんは自分の服の袖で涙をぬぐい、精一杯であろう笑顔をまりかにむける。


「本当に、あなたは頑固ね。またつだって確かに頑固だったけどそこまでじゃなかったわ」

「………母さん」


 僕は思わずそうつぶやいた。父さんは隣で目をつぶっている。


「うん、行ってらっしゃい。母さんはもう止めないわ。そうよね、私たちも前を向かなくちゃ。ね、あなた?」


 父さんはゆっくりと目を見開く。その目は僕の方向を見ている。


「そうだな、きっと、そうじゃなきゃいけない。………わかった、私たちはお前を全力で応援する」


 まりかはその言葉に力づよくうなずいた。


「よかったな、まりか」


 僕にはそんな言葉を投げかけることしかできなかった。


 それから数か月後、空港。

 まりかは無事海外の大学に行くことに決まり、これから本格的に海外に移り住むことになる。

 旅行鞄を持ったまりかを僕はなんとはなしに見ていた。


「ちゃんと定期的に帰ってくること。母さんとの約束ね」


 その言葉にまりかはうなずく。


「あきらめるなよ、まりか。これは父さんとの約束だ」


 その言葉にもまりかはうなずく。


「行ってらっしゃい。くれぐれも気を付けろよ」


 僕がそういったとき、ちょうど時間になる。まりかは慌てたように駆け出し、


「行ってくるねっ!」


 と、周りのすべての人に聞こえるような大声で言った。


「行ってらっしゃい」


 母さんがそう答える。きっとその言葉ははっきりまりかには届いていないけれど、まりかは遠くからでもわかるように深くうなずいた。そして、手を振り走り去っていく。

 僕と父さんは、それをじっと見ていた。





 あの日、僕が住んでいた家の前で僕はあの日々に思いをはせていた。

 ガチャ、という音がして玄関から父さんが出てくる。恰好は黒いスーツで珍しく会社に遅れそうなのか忙しそうだった。


「行ってくる」


 短くそういって僕の横を通り過ぎていくお父さん。いつものことだ。あの時から。あの日から。




 夕食、高3の僕はそこで夢を発表した。


「僕、医者になる」


 いきなりのカミングアウトに場が凍る。


「えっ、まりゅう医者になるの?」


 中学二年のまりかの言葉に僕はうなずく。


「それで、海外の大学に行きたいんだ」


 父さんと母さんは互いに互いを見ている。どうしたらいいか困っているようだった。それでも、意見を変えるつもりはない。

 僕がじっと待っていると母さんがしゃべりだす。


「母さんは別に構わないわよ。あんたの好きなようにしなさい」


 父さんもそれに続ける。


「父さんも別に反対はしない。ただ、あきらめるなよ。父さんからはそれだけだ」


 僕はこの家族に生まれて本当に良かったと思った。


「ありがとう、僕、頑張るよ。絶対に医者になる」


 まりかは、ちょっと不服そうだった。



 空港、僕が海外に移り住む日。

 みんなは見送りに来て、気を付けろよとか気をつけなさいとか、そんな言葉ばっかり投げかけられた。

 まりかだけは、絶対に定期的に帰ってくること、と僕に約束させるという見送りになった。

 まだ見ぬ大学生活にワクワクしていてもたってもいられなかった。僕は興奮冷めやらぬなか、飛行機に乗り込んだ。

 まもなく、飛行機は空に飛び立つ。僕はそこに希望しか見ていなかった。

 そこには絶望しかなかったのに。今となっては、いや、たとえあの時の僕に今の僕がなったとしても、結末は変わらなかっただろう。


 一時間後くらいだっただろうか。急に衝撃が襲い、疲れから寝ていた僕はそれにたたき起こされた。

 周囲では悲鳴と、乗客を落ち着かせようとする客室乗務員の声がぐちゃぐちゃになっていた。

 それからはすぐだった。強烈なGで僕の体は席に押し付けられ、死ぬと覚悟した。

 瞬間光が僕を覆い、意識は彼方に吹き飛んだ。

 最後に窓から見た景色は、きれいな積乱雲だった。


 気が付いたらそこにいた。自分の家の中、みんながニュースを見て泣いていた。瞬間、僕は死んだと理解した。


「帰ってくるって、帰ってくるって………っ」


 まりかがそう嘆いて、母さんと父さんがまりかに抱き付いていた。


「ごめん」


 僕は………


「ごめん」


 僕は、そんな風にずっと謝り続けていた。



 それからは、ずっと見ていた。

 まりかが医者になるといったときはたいそう驚いたけど、まりかは今、その言葉通りに医者になって活躍している。

 ちょっと、嫉妬してしまいそうだ。


 僕は、相変わらず積乱雲を見ていた。

 まりかがあの日のことを覚えているか………。


「まあ、覚えているだろうな。まりかは、だから今そこにいるんだもんな」


 声は、やっぱり蝉にかき消されて。


 父さんと入れ違いに、見慣れた姿が僕の視界の隅に移る。

 夏休みだと滅多に取れない有給をとって、母さんとの約束を守るまりか。その姿を僕は確かにとらえた。父さんはまりかに軽く声をかけてまた駆け出していく。母さんはまりかが来るのをわかっていたから、玄関の前で、まりかを待っている。


「ただいまっ!」


 そんな元気な声が、驚くほど響いて、蝉の声が邪魔することもなくて、それに、母さんは答える。


「おかえり」


 こちらは大きな声とは言えない。けど、やっぱり確かに聞こえた。


「おかえり、まりか。僕は行ってくるよ。きっと、もう心残りなんてないんだ。だから、行ってくる。………くれぐれも、こっちにはゆっくり来いよ」


 そんな声は、当然のように蝉にかき消される。それでも、最後に、まりかがこちらに振り返るのが見えた。


「まりゅう………?」


 そんな声も聞こえて、ああ、僕は、ほんとに幸せ者だった。

 上を見上げて、天を仰いで、最後に見えた積乱雲は、やっぱりきれいで、でも歪んでいて。


「がんばれよ、まりか」


 最後に、そんな声が、今度は蝉にかき消されることなく、はっきりと届いた………そんな気がする。

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