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いちばんめ!

「……っと。それじゃ、真下くん。最後に何か聞いておきたいことはある?」

おそらく三〇歳前後である、お兄さん……と呼ぶにはそろそろキツい、でもまだまだ歳は感じさせない微妙なお年頃の男性に尋ねられた。

「えっと……はい。特には、ないです」

「そっか。はは、まぁ、実際やってみないとわからないよな」

俺は控えめに笑って首をすくめた。

「じゃぁ、来週から頼むよ、真下直哉くん」

「はい、よろしくお願いします」

そう言って深々とお辞儀をし、部屋を出た。



俺の名前は真下直哉ました なおや高校二年生になったばかりの青春絶賛謳歌中のDKだ。……DKとはディープキ―――男子校の高校生のこと、つまり男子校に服役している我々は自分たちのことをそう呼ぶのだ。他では知らないけど。とりあえず卑下してさ。まぁ、もちろんJK(死語になりつつある? というか死語って言葉自体がもう死語?)ほど需要や価値はないのは知っている。同列に並べるのはおこがましい。月とすっぽん、ってそれだとすっぽんに失礼だ。月と川原の石ころ、くらいだろう。贔屓目に見て。いや、でも最近は腐女子なるものが増加傾向にあると聞く……我々のアッーな学園生活を息を荒げながら興味を示している女子が少なからずいるとの情報がある。ということはやはりすっぽんレベルに留めておくか。まぁ、実際のところ男子校に通っててアッーなことってないけどな。いや、ないよホント。むしろ女に飢えてギラギラしてるくらい。間違っても女がいないから男でいいや、なんて奴はいない。いない。……多分。え? いないよね?

何ていうか、青春絶賛謳歌中ってのは紛れもない嘘です。はい。色で例えるなら、共学のリア充どもの青春カラーは澄み切った水色、萌える黄緑、そして時々頬が染まったような薄桃色なんだろうな、ケッ。一方、俺らDKはというと、くすんだ灰色、どんよりした群青色、そして寂れた古工場の裏のような黄土色……。そんなもんよ、実際。幼稚園児が卒園を前に必ず大量に余す絵の具の色トップ3を余裕で占めているだろう。


あ、これだけは言っておく必要があるな。俺は中学も男子校という生え抜きの存在なんだ。サッカーで言ったらユース上がり。今まで制服で女子と授業を受けたことがございません。携帯の電話帳に女子の名前はありません。(母親は含まず)俺という個人を認識している女子はこの世にいません。あ、小学校は地元に通ってたから、まだ覚えててくれている人はいるかも? ……そんなレヴェルですわ。出会いなど皆無。中一から高一までの四年間、女の子と出会うイベントやフラグなんかひとつとしてなかった。俺が見過ごしたわけじゃない。むしろしらみつぶしに……でも一度たりとてなかった。俺×青春ゲームはひどいクソゲーだ。レビューにも「こんなゲームありえない、金返せ!」「時間の無駄でした、やらないことをおすすめします」「男子校、と期待して買ったのですがガチムチイベントもなく、ただ友達たちと生ぬるい環境で平穏に過ごしているだけ。製作者の意図がわかりません」こんな感じで酷評だろう。

しかーし! このドブ川のような暗澹とした日々に終止符を打つために! 俺は始めるのだ。学校がダメなら他で出会いを求めたらいいじゃない、的なアレ。甘くておいしいケーキが食べたいんです。本当に。


……前置きが長くなってしまったが、とどのつまりはアルバイトを始めることにした、ということだ。先週、学校帰りに何気なく寄ったコンビニの店頭に張り紙がしてあったのだ。

〝夕勤できる方募集中! 初心者・高校生大歓迎!〟

高校生歓迎ということはその夕勤の時間に働いている人は高校生の可能性が高い……のだろう。コンビニのレジって女子のイメージがある(勝手な思い込み)―――これじゃね?

俺は電話番号を携帯にメモり、急いで連絡をした。もちろん、少しばかりは緊張したが、それよりもこれから待ち受けるユートピアへの思いを馳せ、胸をときめかせながら電話したのだった。

結果、募集中と銘打っているだけあってすぐに面接の日取りが決まった。さくっと面接を受けた。何か受かった。採用された。とんとん拍子に事が運んで俺はいささか戸惑ったが、店長(先ほどの三〇前後の男性)は笑いながら、

「まぁ、心配しなくていいよ。よっぽど変な奴以外はいちばん初めに応募してきた子を採用するつもりだったから」

と言った。あ、俺……先着一名に当たっただけ……。まぁ、でも俺がよっぽど変な奴じゃなかったってことだから、まぁいいか。いいのか。いいか。

そんなこんなで、採用の連絡をもらった数日後、軽い店の説明や仕事内容をまとめたDVDを見たり、労働契約なるものを交わしたり、とオリエンテーション的なことをしてもらった。

応募してからオリエンテーションの日までだいたい一週間。たった一週間で俺はリア充への扉に確実に手をかけた。女の子と知り合う土俵に上がった。あとは俺次第。よし、頑張る。頑張って早く仕事を覚えて、女子たちとキャッキャウフフな毎日を過ごし、(あわよくばと一応は言っておくが)彼女をゲットし、俺の日常のカラーを変えたる!

「つーか、俺って接客とかできんの!?」

……………………。

だ、大丈夫だよな、うん。誰だって初めてはあるし、うん。習ったことをしっかり覚えていけば自ずとできるようになる……はず。真摯な気持ちで臨むことが肝要だよな!

俺はおもむろに手帳を広げた。いや、そんなことはしなくてももう頭にインプットはされてるんだけど。

「初出勤は……月曜か―――」

俺はわざとらしくひとりで呟いた。




月曜日――― 「俺の初めて///……三二〇〇円也」


アルバイト初日。適当に学校を済ませ、俺は時計を見た。まだ一六時ちょっと過ぎ。バイトの時間である一七時まではまだだいぶある。学校からバイト先(というか自宅の最寄駅)までは電車で三駅、時間にして約一〇分といったところだった。もし電車が止まったら、なんて最悪の想定も考慮しつつ、一応最寄りの駅まで移動しておく。まぁ、そんなリスクマネージメントとは裏腹に電車は通常通りに運行し、駅に到着したときは一六時二〇分だった。

「初出勤だし、早めに行くかな」

なんて少し思ったが、このまま向かっても一六時半少し前には着いてしまう。ここはやっぱりやる気アピールのために早めに行くか、いや三〇分前行動はやる気を見せる以前に痛い感じかもしれん。俺はとりあえず駅前の自販機でコーヒーを買い、ベンチに腰掛けた。缶を開け、コーヒーを喉に流し込む。緊張感で火照った身体を清涼感が染み渡った。行き交う人々をぼんやり眺めながら缶コーヒーを飲みきったのは、わずか二分後だった。

「さて、行くか」

少しの時間つぶしにもならなかったが、他にすることもないので結局店へ向かうことにした。ちなみに俺がバイトを始めるコンビニは「シィマート」というチェーン。首都圏に住んでいる人なら誰しもが知っている、いわゆる普通のコンビニ。店舗数、売上数ともに業界第三位、らしい(某ペディアより)最近はスウィーツ特化やコスメ充実化を図り、女性層に支持されている、らしい(某ペより)そのシィマートのフランチャイズ店舗である、「水元西店」ってのが俺の桃源郷になるところ。……気は早いが。シフトは「夕勤」つまり一七時から二一時までで時給は八〇〇円。固定の曜日(シフトっていうんだろ?)はまだ決まっていない。研修という形で様々な曜日に入って、独り立ちするまで学べ、ということだった。

駅から歩いて数分、件のシィマート水元西店に到着した。ゆったりと歩いていたつもりだったが、時刻は一六時三三分。うーん、早すぎだろうな。ええい、もういいわ!

「いらっしゃいませー」

入店するとすかさず声がかかった。普段は客の立場だから全く意識していなかったが、このレスポンスの速さはいささか目を見張るものがあった。入り口付近でキョロキョロとしていると、

「おっ、来たな! 早いな、おい」

レジカウンター内から声が聞こえた。面接や研修をおこなってくれた微妙なお年頃の店長だった。

「あっ、どうもです、お世話になります」

「うん、おはよう。あっ、この前研修やったとこが控え室だから、そこで着替えて待ってて」

「あっ、はい。わかりました」

「ユニフォームはデスクの上に置いてあるから。あと名札も」

「はい、わかりました。ありがとうございます」

「それと、夕勤の子があと二人来るから、その子達と一緒に来てね。それまではゆっくりしてて」

店長から矢継ぎ早に指示を受け、俺は会釈をして控え室に向かった。何かオラ、緊張してきたぞ!

恐る恐る控え室のドアに手をかける。取っ手がない、銀色の前後に開くタイプのドアだ。(スーパーとかでたまに見るようなあれ)一応のノックをして、ゆっくりとドアを開ける。「失礼しまーす……」と小さい声で言うも、中には誰もいなかった。店長の言う、夕勤の子二人はまだ出勤していないようだった。小狭い空間にいくつもの棚があるその控え室。とりあえず俺はデスクに目を向けた。すると真新しいユニフォームが綺麗にたたんで置かれていた。シィマートお馴染みの黄色地に黒と赤のストライプが入ったあのユニフォーム。俺はそれを手に取って広げた。ほほう、これが俺のユニフォーム……これ着れば店員じゃん! どれ……早速着てみるか。

俺は制服のブレザーを脱ぎ、ハンガーにかけた。えーと、これは使っていいんだよな? 少し疑問に思ったが、特に誰の名前が入っているわけでなく何の変哲もないハンガーだったので使用することにした。俺はユニフォームを羽織ろうとしたが、一瞬躊躇った。これはワイシャツの上から着るものだろうか? ごわごわしないだろうか? ネクタイは外すべきなのだろうか? 勝手が全くわからない。店長に聞くか? いや、そんなくだらない質問をいきなりするのはどうか。さて、どうする? ユニフォームの下のことだからいずれにせよバレないはバレないはずだ。だったら……。

「フォルム重視でいくか」

俺はネクタイを外し、ワイシャツも脱ぎ始めた。ちなみに俺はワイシャツの下にTシャツなど着ていない。暑い時は第四ボタンまで開けるからだ。これは男子校唯一のメリットといっていいだろう。半裸に近い状態でも別段問題はない。というか男子校は何故か暑いのだ。一般的な表現でいったら、教室はむさい。(むさいって、蒸してると臭いの造語なのか?)女子校の教室内との気温差はおそらく四度はあるだろう。特に昼休み明けの教室なんて……いや、この話はやめよう。

俺はワイシャツを脱ぎ捨て、上半身露わの状態でユニフォームに手をかけたその時。

「おはようございまーす」

女子の声がした。いやいやいや、こんなご都合主義のタイミングある!? なんて思いながら慌ててユニフォームを手に取った。

「えっ………………!?」

女子は俺の姿を見るやいなや、驚いた声を上げながら壁面を向いた。

「すっ、すっ、すみませんっ! すみませんっ!」

俺は急いでユニ不フォームを羽織った。おいおい、何てハレンチはたらいてんだ、俺。

「あっ……あの……もう大丈夫、です―――」

その言葉に女子はためらいがちに振り向いた。

「あ……あの、すみませんでした。お見苦しいところを……」

「い、いえ。……それより今日から新しく入る人ですか?」

「は、はい。真下直哉っていいます。高二です。よろしくお願いします」

「私は今百合子こん ゆりこです。私も高二だから同い年ですね。よろしくお願いします」

今さんは頭を下げてきた。思わず俺ももう一度頭を下げる。心なしか頬が赤い気がする。彼女は慣れた手つきで皆のユニフォームがかけてあるところから自分のものを手に取った。思わず俺は後ろを向く。

「あは、大丈夫ですよ。上から着るだけなんで」

「やっぱりシャツは脱がない感じです……よね」

「うーん、そうですね。みんな上から着てるだけかな?」

「はは、やっぱりそっちでしたか」

苦笑いしながら俺は振り返った。そう、振り返った。えええええええええええええええっ!?

「ちょっ!? 今さん!?」

俺が振り返った時には今さんはまさにワイシャツを脱ぎかけていたところだった。水色の魅惑のアレが見えた。確実に。俺は慌てて再度後ろを向いた。

「あっ、えっとその……後ろを向いていたからつい……。私も今日はワイシャツ脱いでやろうかなって急に思って―――」

「そっ、そうすか……」

一応言ったものの、もちろんすぐに事態を消化できるわけはない。おいおい、何だいきなりのこのラッキースケベは。女の子と生活をともにするとこういうことが日常的にあるんか!? なぁ、そうなんか、リア充ども!!

「あっ、もう本当に大丈夫ですよ」

恥ずかしそうに言った今さんの言葉に俺は振り返る。若干期待感があったが、そんなことをおくびにも出さずに。しかし、そこにあったのはいわゆるシィマート店員スタイルの今さんだった。だよねー。何回も続くならそれはラッキースケベじゃなくてただのエロイベだよな。

今さんの身長は一六〇センチくらいだろうか? ちょうど俺の肩くらい。透き通るとうな真っ白い肌にさらっさらの真っすぐの黒髪が腰のあたりまである。顔は小さいが目は大きい。まつげも長い。全体的に細く、華奢な感じ。胸は……うん、まぁ、全体的に華奢な感じだしノーコメ。っつーか、よく見たらマジモンの美少女じゃねーか!

「……そんな、舐めるように全身見ないでください……」

「いっ、いや! 違います!」

俺は慌てて否定した。その姿を見て、今さんは笑った。ああ、笑顔かわええ。神様、今さんを僕にいただけませんか?

「緊張、してますか?」

「えっと……そうですね。バイト自体初めてなんで―――」

「最初は覚えること多いですけど、すぐに慣れますよ」

「だといいんですが……」

俺は終始無難な応答をした。だって緊張すんだもんよ。女の子の免疫ないんだもんよ。いきなりこんな超絶美少女は俺の経験値じゃ対処できねぇっつーの! あれ? 初バイトよりも今さんとのやりとりのが緊張するで?

「あ、そういえばもう一人、夕勤の人が来るんですよね?」

同級生に敬語を使うっていうことに慣れていないため、違和感マックス状態だったが、後輩ってか新人の俺がいきなりタメ口を使う場面ではないため、この口調で続行した。

「そうなんです。でも時間ギリギリじゃないと来ない子だから―――」

時間ギリギリじないと来ない〝子〟! つまりもう一人も女の子の可能性が高いんじゃ? ちょっとちょっと、また美少女来ちゃったらどうすんねんなぁ。

俺は控え室に設置された時計に目をやった。一六時五五分。うん、五分前。

「あ、あの、もう五分前ですけど……」

「ふふ、あと二分以内に来ますよ」

程なくしてどたどたと走る音が聞こえてきた。やがてその音が近づいてきて、控え室のドアが勢いよく開いた。

「おっはよん!」

息を切らせながら控え室に飛び込んできたのは、やはり美少女だった。背格好は今さんと同じくらい。ほんのり茶色に染めたボブ(っていうんだよね)に小麦色の肌。それがスポーティな出で立ちにバッチリ合っている。何かスポーツをやっていたような感じ。目鼻立ちははっきりと整っていて、今さんとは系統こそ違うもののまごうことなき美少女だった。

「おはよう、有沙。またギリギリじゃない」

「へへ、学校終わって一回家帰ったらさー、ついのんびりしちゃって」

「……もう。早く着替えなきゃ、時間ないわよ」

「わかってるって」

………………。自己紹介のタイミングを完全に逸してしまった俺は立ち尽くしていた。

「ほら、行くわよ」

「ああ、だるーい」

二人は控え室を出た。慌てて俺も二人の後を追う。二人の後を追ってレジカウンターへ向かうと、店長があくびをしていた。

「おはようございます!」

「おざっーす!」

「おっ、おはようございます……」

「おう、おはよう。三人とも」

「何か引き継ぎはありますか?」

今さんが尋ねた。引き継ぎ? まぁ、文字通りの意味だろう。

「んー、と。今日から入った真下くんね。二人ともよろしくしてね」

店長に紹介され、俺は頭を下げた。

「まっ、今日は初めてだから軽い感じで教えてやってよ」

「レジ周りとかでいいですかね?」

今さんは尋ねた。一方で有沙と呼ばれたギリギリガールはそっぽを向いていた。

「うーん、そうだね。まっ、軽い感じでさ。任せるよ」

店長はあくびをもう一度して、言った。あれ? 随分ふんわりな感じ。

「わかりました」

今さんは頷いた。一方で有沙と呼ばれたギリギリガールは全く話を聞いていない。

「じゃ、俺は休んでるから適当にやっといて」

「はい、お疲れ様です」

「あっ、そうだ。酒井!」

「えっ!」

有沙と呼ばれた(略)がびっくりした声を上げた。なるほど、この子は酒井有沙さかい ありさというのか。

「今日は三人いるんだから暇だろ? トイレ磨いとけ。美人になれるぞ?」

「何であたしが! い・や・で・す!!」

店長が笑いながら控え室へと消えていった。えっ、店長の仕事の指示に拒否権とかあるの? てか店長も笑ってたぞ? この職場はゆるいのか!? い、いや俺は新人。ペーぺーもペーペーだ。気を引き締めて臨まんと。

「ぷっ、緊張してんの? 顔が険しいよ」

酒井有沙さんが横で声を掛けてきた。

「あ、はい。一応……。初めてなもんで」

「てゆーかあたし、まだ自己紹介してもらってないけど」

つーんとした表情で酒井有沙さんは言った。おっと、そうだった。この人ギリギリに来たから。

「あっ、そうですね。自分は真下直哉って言います。高二です。よろしくお願いします」

俺はちょこっとお辞儀をした。会釈に近い感じだろうか。

「…………六三点かな?」

「え?」

何のこと? 自己紹介の内容? 無難過ぎたか?

「そうかなぁ? 七〇点はあげてもいいんじゃないかな?」

横で聞いていた今さんが口を挟んだ。

「あ、あの……何の点数ですか?」

「顔」

おおっと。いきなりキタコレ。俺品定めされてたんか。

「あっ……そうっすか」

「やっぱり七〇点はあげてもいいと思うわ。世間的に見て」

「いや、百合子。甘い。いいとこ六五点っしょ」

「ええ、身長も割と高いし、髪型はちょっとアレだけど、でも―――」

「身長は関係ない。基準は顔じゃん! 顔で判断しなよ」

「うーん、そうなると……六五点……なのかなぁ?」

「いや、よく見ると六五点って甘い評価なのかも……? 百合子の点数に引っ張られて上になっちゃったけど、再審議してみなきゃ」

二人の女子は俺から少し距離を置いてヒソヒソと密談を始めた。うん、色々突っ込みたいけど、まずは仕事教えて?

俺はレジの前に居心地悪く立っていると、お客さんがやってきた。えっ、いや……俺まだ何もやったことないんですが。助けを乞うような目で二人を見たが、何故か微笑んでいる。酒井有沙さんは頷きながらウインクをして親指を突き立てている。……いや、大丈夫じゃねーから。

俺は緊張感が既にマックス地点に到達していたが、何でかわかんないけど落ち着いた。一周回って、っていうアレだろう。先日オリエンテーションで見た研修DVDの内容が克明に蘇ってきた。

「いらっしゃいませ」

俺は頭を下げ、商品のバーコードをスキャンした。ピッピッと小気味良い音が鳴る。幸い商品数も多くなかったため、難なくバーコード打ちは終了。レジの液晶画面に目を向ける。

「以上で六一三円です」

DVD通りに液晶画面の情報をお客さんに伝える。お客さんは財布を取り出し、小銭を探している。さて、俺は……袋詰め。パン二つとペットボトルのジュースを二本を袋にしまう。そうそう、入れ終わったら持ち手をこうしてクルクルッとね。するとお客さんが一〇一五円をカウンターに置いた。

「一〇一五円、ああず……おあず……お預かりします」

しまった、噛んだ。チラッとお客さんの顔を見る。まったく気にしていない。いじってもらえないのは寂しいなと思いながら(当たり前だが)レジキーを『一〇一五』と打ち、客層ボタンを押す。ええとこの人は多分二〇代男性! ポチッ! ここまでくればもう終盤、だいぶ余裕も出てきた。レジが開き、俺は画面に表示されたお釣りの金額を手に取る。

「四〇二円のお返しです、ありがとうございます」

ぎこちないながらもレシートとお釣りを手渡しし、お客さんは軽く会釈をして帰っていった。

「ありがとうございましたー」

DVDのお姉さんが言っていた〝お客様の背中に向けてお声がけしましょう〟を実践したぜ。ふぅ、何とか乗り切れた。

すると酒井有沙さんが近づいてきた。おや、お褒めの言葉でもいただけるのかな?

「審議の結果、六二点に決まりました」

下がっとるやないかいっ!! なーんてベタな突っ込みをしようと思ったが、やめた。「そうっすか……」と苦笑い程度に留めておいた。

「何さー、ノリ悪いんじゃない?」

酒井有沙さんは頬をふくらませた。「緊張してるだけっす」と俺は小さく答えた。

「ねぇ、真下くんのこと何て呼べばいい?」

今さんが尋ねてきた。さっきとは違ってタメ口で話してきた。二対一の図式になり、余裕が生まれたのか。まぁ、酒井有沙さんはいきなりタメ口だったけど。やはり敬語(っっーか丁寧語)よりタメ口の方が気が楽だな。

「ええ……っと。お好きなように……」

「普段学校で何て呼ばれてるの?」

「真下、とか直哉、とか普通です」

「何かつまんないな。お前、ないのかあだ名」

酒井有沙はもう『お前』と呼んできやがった。ふふ、俺も心の中じゃもうさんはつけないぜ。

「いやぁ、ないっすね……」

「じゃぁ、こうしよう。あたしが真下って呼ぶから、百合子は直哉って呼ぶ。……どう?」

「はぁ、何でも大丈夫っす」

俺は平然を装って頷いた。しかし心の中では、ウヒョォォォォォ、超絶美少女の今さんが俺のこと下の名前で!! キタよ! キタンダヨ! 親密度途端にアァァァップ!!

「じゃぁ、これからよろしくね、直哉」

ドッキーーーーーーン!! いささか古臭い表現だが気にしない。何だろう、酒井有沙さんありがとう。俺、頑張れるよ。六二点の俺だけど頑張れるよ。……さん付け復活!! てか今さん……抵抗とかないのかい!! ねーわな、六二点だもんな、俺。意識するかって話だよな。

「あと、真下」

「は、はい?」

「お前、敬語やめて。背中がチクチクするから。ここにいる三人は同い年なんだし」

へぇ、そうなんだ。酒井有沙さんも高二だったんだ。

「わ、わかった。わかった!!」

ドキドキしながら俺は言った。

「じゃぁ、今度は真下があたしらのこと何て呼ぶか決めよう」

「何て呼ばれたい?」

「あたしはそうだな……神様とか?」

「わかった、神様」

「い、いや、ホントに呼ぶなし!! 冗談だよ、有沙でいいよ」

「わかった、有沙」

俺は平然を装って言った。しかし心の中では(略)

「ねぇ、直哉。私のことは何て呼ぶのかしら?」

「あ、そうだな……どうしようか」

「別に百合子のことも百合子でいいんじゃない?」

……有沙!! キミって子は本当にもう、何て素敵なパスを出してくれるの!? 

「そうね。じゃぁ、百合子でよろしく」

「わかった、百合子」

俺は平然を(略) しかしまぁ、出会って二〇分足らずでよくもここまでフランクな感じになれたもんだ。何だか壮大なドッキリにかかってる気分。そろそろ裏から店長がやってきて、『ドッキリ大成功!』ブラカードを掲げるのではないか? そんなことをつい思ってしまった。なので、聞いてみた。

「でも。二人ともコミュ力高いね。俺、初対面の人にそんな喋れないタチだからさ、すごいと思う」

「そうかな? 一応先輩だし、後輩の面倒は見ないとね」

有沙が胸を張って言った。アクティブ系女子(知らないが想像)だからか、張った胸がいささか寂しい。いや、嘘です。ユニフォーム着てるからだよね?

「……で、あの俺は何すればいいんだろう?」

ふと思い出した。合コン(行ったことないけど)みたいなノリでいたけど、仕事しに来てるんだった。ちなみにお客さんはあれから来ていない。

「そうね……、はい。これ」

百合子が分厚い冊子を手渡してきた。『オペレーションマニュアル』と銘打った、重厚感ある代物だった。……つまり、これを―――。

「読めば全部わかるわ」

百合子はニコッと笑って言った。あれー、いささか不親切な気がしないでもない気がする。

「あ、レジは任せるわね。そろそろ納品が来るから、有沙。パッと片付けるわよ」

「えー……だるいなぁ。真下にやらせればいいのに」

えっと、二人はそんなに真面目じゃない子たち? い、いや俺は新人なんだから気を引き締めて―――。

「真下ー。顔が怖い。それだと五五点だぞー?」

俺は意識的に首を斜めにし、ニコッと笑った。

「真下―。顔がキモイ。それだと三〇点だなー」

くっ……。最近の女子というのは歯に衣を着せない物言いなのか……。ふふ、まぁ、いい。

それから俺はキャッキャ言いながら納品された商品の陳列をしている女子二人を尻目に、悪戦苦闘しながら何人ものレジをひとりでおこなった。


「へぇ!! 直哉って男子校なのね!!」

それぞれの仕事がひと段落し、カウンター内で再びおしゃべりが始まっていた。

「そうなんだよね。しかも中学から男子校だから、もう生粋って感じ」

「偶然ね! 私らも中学から女子校なのよ!! あ、学校は違うけど」

えっ? そうなの? 超偶然じゃん! 

「てか、他の夕勤メンバーもみんな女子校だし、こりゃ店長何かあるな……」

有沙は控え室に疑惑の目を向けて言った。おいおい、ってーことは俺以外の夕勤は女子!?  さらっと素敵な情報が舞い込んできたぞ。

「へぇ、そうなんだ、偶然だね」

「いや、偶然じゃないな。店長は女子校マニアだと思っていたのに、ここに来て男子校のお前を採用……におうな」

「有沙。考えすぎよ」

「そうだよ。俺なんていちばん初めに応募来たから採用したって言われたし」

「……へぇぇぇ」

有沙と百合子は互いを見合った。俺はわけがわからず首を傾げた。

「まぁ、いいや。それより真下、男子校ってホモが多いってホント?」

「いや、いないよ」

「嘘!! 絶対いるっしょ!!」

「いないって」

「直哉、彼氏はいるの!?」

「だからいねぇって言ってんだろ!!」

やべっ、思わず学校の奴宛てみたく突っ込んじゃった。

「じゃぁ、彼女は?」

「おっ、真下。聞かせろよー」

「いや、いないよ」

「ええ? ホントはいるんじゃないの?」

「どうなんだ、真下。吐きなよ」

「いや、マジでいないって」

「じゃぁ、友達は!?」

「そりゃいるわ!!」

二人はケラケラと笑い出した。何だろう、ちょっと悪い気はしない。

「どれくらい彼女 or 彼氏いないの?」

「どっちも生まれてこのかたいねぇわ!!」

二人の美少女はお互いの目を見合って言った。

「DTですな……」

「DTですわ……」

…………………………あのー。もしもーし………………。

「この殿方はきっとヒトリアソビにふけってらっしゃるのよ」

「そりゃまぁ、なんていとをかし」

二人は俺の顔を見て、ニヤニヤして視線を下にずらした。……ちょっと、どこ見てんのよ!!

「あ、あの……?」

俺はたまらず声を発した。

「俺、二人のキャラがつかめてないんだけど……? どした? 急に下品な感じに―――」

「ふふ、直哉。女子校生なんてこんなもんよ」

「そそ。女子だけの中で生活してるとね、何かどうでもよくなっちゃうんだよね。下品上等!! あはははは」

「直哉だって学校で下ネタばっかりでしょ? 話の九割は下ネタでしょ?」

「そんなに割合占めてねーわ!!」

「百合子、ウチの学校じゃ九割八分だよ?」

「お前の学校大丈夫かよ!!」

「ねぇ、聞いて有沙。直哉ね、私が来たとき全裸だったのよ」

「ちょっ……上だけ!! 下は脱いでない!!」

「……ボディ判定は?」

「……八六点ぽっ

「俺のカラダ、意外に高いな、おい」

「おおう、いいやんいいやん。真下、今すぐ脱げ」

「脱げるか!!」

「……私は、脱いだわよ?」

「可愛く言うんじゃねぇ!! てかありゃ事故だろ!!」

「……事故、かぁ―――」

「そんな眼するんじゃねぇ!!」

「しょうがない、ここはあたしが―――」

「志願すんな!!」

何だ、こいつら……いきなり堰を切ったように―――俺はついていけないぞ……。

「あっ、百合子。そろそろ時間じゃない?」

有沙の言葉に俺もふと店内の時計に目を向けた。二一時をちょうど回るところだった。

「そうね、あがろうかしらね」

「……いつもどうだか知らないけど、今日、ろくに仕事やってない気がするんだけど」

心配になって俺は尋ねた。レジやってしゃべってしゃべってしゃべって、だった気がする。

「いつもこんなもんよ、ね? 有沙」

「そうそう、仕事は休み休みやるもんよ。ウチはホワイトなバイト先だから」

えええ。いいんかい? お金が発生してるのに忍びないぞ、何か。

「さぁ、あがるよ、真下」

「初めてだったから、疲れたでしょ。ふふ、脱童おめでとう」

「………………」

何だかどっと疲れが出てきた。早く家に帰って休もう。そして、リフレッシュした脳で今日の出来事を振り返ろう。そうだ、それがいい。


「お疲れ様でした……」

…………。控え室で着替えの際、二人から脱げ脱げコールを食らったのは言うまでもないだろう。




水曜日――― 「真面目に仕事する人ってまぶしいね!」


前回……初出勤の際は早く店に到着し過ぎてしまったため、俺は巧みな時間コントロールを行なった。今日は一〇分前、一六時五〇分に店に到着する逆算で行動した。が、やはりビビリというか万一のことを考えてしまい、結局店に着いたのは一六時四三分だった。

「おはようございまーす」

レジカウンター内でぼうっとしている店長に声をかけ、控え室へと歩を進める。二回目とはいえ、前回の出勤では百合子や有沙と打ち解けることができた(え? そうだよね?)そのため、足取りも軽かった。まぁ、肝心の仕事面はというと、放置プレイのほぼ個人戦であったが気にしない。いや、少し気にする。今日は仕事教えてくれるといいなぁ。やっぱり仕事のできる男は魅力的だからな。そのためにはまず早く一人前にならないとな。てか今日は誰と一緒なんだろう。夕勤メンバーは全員女子校に通う子たちって聞いたから……まぁ、女子なんだろう。さて、今夜のお相手は……? なんて考えながら軽くノックをし、静かに控え室のドアを開け、おそるおそる言った。

「……おはようございまーす……」

「寝起きレポートか!!」

中に入ると、椅子に腰掛けた有沙がいた。俺は思わず携帯電話の時計を確認した。一六時四五分。うん。

「あれ? 有沙? 随分と早いね」

「なにおう? この前がたまたまギリギリだっただけだよ。今日は学校が早く終わったから余裕の出勤」

「へぇ、パンくわえたまま家を飛び出すタイプかと思ってたよ」

「出会い頭にぶつかりたいタイプ?」

「さぁ、それはどうかね?」

俺は軽く有沙をいなしながらバッグを床に置いた。前回勝手に拝借したハンガーから、自分の名札がついているユニフォームと手に取り、ワイシャツの上から羽織った。おっと、そうそう。

「今日は有沙の他にどんな人が来るの?」

「ああ、水曜のシフトはあたしとほぼ同時期に入った女の子。真面目な子だよ」

真面目な子か。メガネとかかけてんのかな? って俺の発想はいささか安直すぎるか。

「仲良くなれるかな?」

「それはどういう意味で?」

「いや、普通にそのままの意味で」

俺はそう返答したが、まずかったか? 有沙は下品な子のようだし、変な意味に捉えられたらまずいかな? 俺はそんなことをぼんやり考えていると、カッカッとかかとを擦るようなおそらくローファーが聞こえてきた。控え室の前で音が止まり、バンッと勢いよくドアが開いた。

「おはーす」

『おはようございます』をひどく気だるく言ったような発音? まさか『お箸』をなまった言い方で言ったわけじゃないよな? 

「あっ、おはようございます」

「おーはー」

「……誰だっけ?」

『お箸』が俺に視線を向けた。俺は一瞬ビクッとしたが、頭を下げ、

「は、初めまして、真下直哉です。お世話になります」

と言った。『お箸』は小さくぶっきらぼうに「ども」と答え、ユニフォームに袖を通し始めた。

……あれ? 真面目? メガネ? どこ? 俺は『お箸』の顔、というか姿を改めて見る。

身長はやや高め。一六五センチくらい? すらっとスマートでモデル体型だ。ちなみに胸もボリューミー。文句なしに抜群のプロポーションと言っていい。差し支えは全くない。一方、フェイス審査はというと(前回の二人が伝染ったか?)……ファサァっとした明るめの茶髪のロングヘアに(わかる? 綺麗なお姉さんが気だるそうに髪をかき上げるときにしている定番の髪型! わかりにくいか)切れ長の目。目つきはそんなに良くはないけど。あ、鼻も高い。全体のバランスがすごく良い。美人美人アンド美人。んー、でもちょっとだけヤンキーも入ってる? ちょっと近寄りがたいオーラを感じる。その雰囲気が、この人デルモさん? 的な感じ。そうそう、何とかロード……まではいかないけど、ギャル系の雑誌にはいそう。えっと点数? そうだなぁ、九〇点は文句なしにあげてもいい(by 六二点の男)

「……何か?」

『お箸』は怪訝そうな顔で俺を見た。ハスキーがかったヴォイスが妙にマッチンしている。

「あ、いえ」

やべっ、観察しすぎたか。俺は慌てて目線を逸らした。

「コイツ、きららに興味深々みたいだよ」

「ちょ、有沙!」

俺は有沙に向けて手をかざした。やめろ、余計なことは言うな。

「『有沙』?」

『お箸』は入ったばかりの新人の俺が『有沙』と呼び捨てで呼んでいることが気になったのか、ちらりとこちらのやりとりを見た。まぁ、そりゃそうだろう。俺だって下の名前で呼ぶのはまだ抵抗はある。ってやぶさかではないけどね。

「前回、あたし真下と一緒に働いたんだ。こいつ男子校らしいよ」

「ふぅん」

俺にまつわる話題では『お箸』は興味を示さなかった。って『お箸』の名前は? きららって有沙は呼んでたみたいだけど? きらら?

「あ、あの。お名前は―――?」

「……時間だ、行くぞ」

『お箸』はカッカッとやはりローファーのかかとを擦らせて控え室を出て行った。それを見て有沙はケラケラと笑っていた。俺はというと名前すら教えてもらえなかったショックで心の中では群青色の絵の具が絶賛大活躍中であった。幼稚園児には使われなくても俺がふんだんに……。

店長がだるそうに控え室に戻るのと入れ替わって、俺たち三人はレジカウンター内に入っていった。

「んじゃ、あたしはフェイスアップしてくるわ!」

有沙はビシッと敬礼をし、売り場へと散って行った。フェイスアップ? 初めて聞く用語だった。聞くは一時のなんちゃらってことで、俺はそばにいた『お箸』に尋ねた。いつの間にか『お箸』は長いキレイな髪を一本に結んでいた。先程の気だるそうな印象とはガラッと変わった。

「あの、フェイスアップって何ですか?」

「え? ああ、商品の前出しのこと。お客さんが商品を買ったら棚が空くじゃん? そういう時に後ろの商品を前に出してお客さんが手に取りやすくすること、だな」

「へぇ、なるほど」

つれない態度をとられるかと身構えていたが、意外にも丁寧に説明をしてくれた。

「まぁ、普通はそれやりながら後ろ向きになってたり、斜めになってる商品もキレイに前を向くよう並べたりもするんだけど。……前回聞いてないの?」

「え、あ。はい。レジしかやってないっす」

「ふぅん。フェイスアップは基本なのにな。ってことはレジはもうある程度できる?」

「さぁ、どうなんでしょう……ほぼ自己流ですし」

「自己流? 何だ、それ。コンビニ経験者?」

「いえ、バイト自体初めてっす。前回はマニュアル渡されて『これ見てやってろ』って」

『お箸』は、陽気に鼻歌を歌いながらフェイスアップをしていた有沙を睨みつけた。

「おい、有沙!」

「え? 呼んだ?」

「呼んだ? じゃないだろ。ちゃんとトレーニングしなきゃダメだろ! 新人は放ったらかしにすんな」

「えーだってコイツできてたよ?」

「もしうろ覚えとか生半可な知識で任せてミスしたらどうすんだ。迷惑がかかるのはお客さんだぞ!」

あらら。『お箸』さん、こんな見た目してとっても真面目なお方。メガネじゃなくても真面目な人もいるんだね(感心)などと傍観者として二人の会話を眺めていた。ちなみに『お箸』に出勤時のような気だるい表情はない。まるで別人のようにキビキビしている。

「よし、今日はあたしがしっかりついて教えるから。有沙、あんたは陳列とか清掃やってて」

「えー……だるっ」

有沙は口を尖らせながら作業に戻った。清掃……思い返すまでもないが、前回奴らはやってなかったな。

「で、真下……っていったっけ? 今日はレジをメインにやってもらうから。わからないことがあったら何でも聞いて」

あの、あなたの名前がわからないのですが……。と思ったが、そうだ名札を見りゃいいんか。えっと、どれどれ……? って名札してねぇじゃん、この人!!

「あ、はい……よろしくお願いします。あの早速ですが―――」

「何だ?」

「あの、お名前は……?」

俺の質問に『お箸』は下を向いた。それを見た有沙は代わりに答えた。

「きららだよ! あたしらとタメの高二。だから真下も敬語使うことないよ!」

きらら…………。えっ、本当にきらら!? おうっと。俗にいう―――。

「お前、『うわぁぁぁぁ、コイツ、キラキラネームじゃん!』とか思っただろ!!」

「い、い、いえいえ!! そんな!! 思ってません!! 絶対思ってません!!」

「嘘つくな。絶対思ってる」

「まさかそんな!! 滅相もございません!!」

「じゃぁ、キラキラネームではない、と……?」

「……はは」

「ほら!!」

「い、いや。僕は違うと思いますけどねー」

「棒読みだぞ、真下」

気づけば有沙もフェイスアップをほっぽり出して、完全に会話に参加していた。俺はちらりときららを見ると、逆に俺を見てきた。とても恨めしそうな顔で。

「いや、べ、別に他にいくらでもいるでしょ、きららって名前なんて」

「他にいる? お前の知り合いにか? 嘘をつくな。なら言ってみろ、誰だ?」

「え、えーと……俺の知ってる…………お米とか―――」

「……お前、バカにしてるだろ」

「あははははは」

「い、いやいや、バカにしてないって、本当に。人の名前をバカにする趣味はないし」

この(割と)追い込まれた状況下でさりげなく俺はタメ口への移行を図ってみた。

「……本当か?」

「もちろん!!」

俺は胸を張って言った。手に力も込めて。だから安心しろ! と言わんばかりに。

「……じゃぁ、あたしの『きらら』の漢字、教えてあげようか?」

「漢字あるのか? 是非ご教授願いたい」

「絆に星で絆星きらら

「まぶしすぎんだろ、おい!!」

「あはははははははははははは」

……あっ、やっべ。つい、突っ込んじった。これはやらかした―――。いや、でも突っ込みたくなるでしょうよ。てか有沙は笑いすぎ。

「あっ、いや……今のはその―――」

俺はドキドキしながらきららに声をかけた。

「……ふっふっ」

きららは下を向いて短く息を漏らした。やばい、怒りに震えてらっしゃる?

「……真下。あたしには弟がいるんだ。……名前、知りたいか?」

「……俄然、興味が―――」

「………………ユウジ」

「おい、いたって普通じゃねーか!!」

ダメだよぉ、突っ込んじゃうよぉ。スルースキルは俺にはないみたいだよぉ。にしても姉がきらら、弟がユウジって。親御さんは一体―――。

「もしかして、長女?」

「そうだよ。弟と二人姉弟だ」

「……ははは、そっかぁ」

親御さん、初めての子供の誕生に必要以上に舞い上がり過ぎちゃったんだろうな、などと俺は勝手に思った。もちろん、尋ねたりはしない。

それから俺はきららからアドバイスを色々もらいながら、来店するお客さんのレジをこなしていた。きららの指導はなかなか的確で、するすると頭に入っていく。教えるのが上手い。気づけば二時間近く仕事に没頭していた。

「おーい、山田―」

お客さんの流れも落ち着き、一息ついていたところ、ふと店長が控え室から顔を出し、声をかけた。ん? 山田? 俺は真下、有沙は酒井。え? ということは?

「何ですか?」

予想通りの人が返事をした。

「ちょっとこれなんだけどさ、来週からセールやるから棚割り考えといてくんない?」

「ああ、また三〇円引きセールですか。わかりました」

店長ときらら(山田さん)が真面目に仕事の話をしている。その傍らで我関せずの表情をしている有沙に俺はそっと話しかけた。

「きらら……さんって仕事に真面目な方なんだね」

あくまでジャブを繰り出す。核心を突くのはまだ早い。

「そうだねー。きららはホント真面目だよ。だから初めに言ったじゃん」

「いや、そん時は勝手に根暗系をイメージしちゃってたからさ。あれ、話が違ぇぞ、みたいな」

「あは、きららは見た目ちょっとヤンキー入ってるからね。お父さん、金髪なんだよ」

「……そう、なんだ」

俺は苦笑いでその場をごまかす。はは、素敵なお父様じゃないか。はは……。

「でさ、きららさんって……苗字は―――」

「山田」

「はは、そっかぁ」

「……山田で悪いか?」

山田さんが眼光鋭く俺の前に立ちふさがった。どうやら店長との打ち合わせは終わっていたようだった。

「あ、あれ……? 誰かと思ったら、はは……山田さんじゃないですか」

「お前……『コイツ、きららのくせに山田かよ!?』って思ったんだろ?」

「そ、そんなことないじょぉー」

「お前、殺す!! 絶対に殺す!!」

「や、やべでぐでよぉー。おいら、怖いじょぉー」

「あははははははははははは」

「真下……お前……」

ははは、全力でふざけちまった。ふざけることにより、その場の空気を打開したかった、などと供述しており、みたいな。

「お前……こんなの初めてだ」

「えっ?」

「大体みんな、あたしの名前を『カワイイ名前だよ』とか『珍しくていいじゃん』とかぬかすんだ」

「さ、さようですか……」

「そんなの見え透いた気遣いだろ? 反吐が出る」

「反吐が出るってアンタねぇ……」

やべぇ、口調があの世界から戻らない。ズバリ、やりすぎはよくないのでしょう!!

「でもお前は平気でバカにしてくる」

「あ、いや……そのようなつもりは毛頭ないですが」

「いや、いいんだ。それが普通の反応なんだから。ウチのマンションの表札はな、山田 宏、涼子、絆星、雄二なんだぞ。一人だけ浮いてるだろ?」

「確かに、異世界の者がひとりだけいるな」

「だろう? だからお前が普通の反応をしてくれて、その……嬉しいんだ」

「えーと、これは新手の説教方法じゃない、よね……?」

こくりときららは頷いた。こいつ、名前だけじゃなくて人間性も変わってるのかも。

「というわけでお前はあたしのことを堂々ときららと呼んでくれていい」

「あ、そう……ですか」

何だかよくわからないうちに下の名前で呼ぶ女の子が増えたぞ? どこぞの三年B組みたいに下の名前で呼ぶのがデフォみたいな感じだな。

「じゃぁ、さ。きらら?」

「おっ、何だ?」

きららは若干嬉しそう(俺にはそう見えた)に返答をした。知らぬ間に好感度が上がっていたみたいだ。

「って、きらら!」違う、そんなことはどうでもいいんだ。(どうでもよくはない)

「だから何だって?」

「仕事……もっと教えてくれないかな? さっきから俺、手止めて働いてない」

「でもお客さん来ないしさー。やることないからしゃべってようよ」

レジカウンターにもたれかかりながら言った有沙を華麗にスルーして(スルースキルあんじゃん、俺)両手を広げてきららに見せた。

「……そうだな。やることはいっぱいあるけど、それをやろうともしないバカは放っておいて、清掃でもするか」

「何だとー? 陳列はあたしが全部やったもん!」

「清掃は手空き作業の基本だ」

「清掃って、どこを?」

「そうだな、まずはトイレだな、ついてこい」

「うっす」

「きららは心をまずはキレイにしろー」

トイレへ向かって歩き出したきららは急に踵を返し、レジカウンター内に入っていった。そして箱に入っていた丸めたポスターを一本手に取り、有沙の頭に振り下ろした。そして何事もなかったかのように再度トイレへ向かった。……こいつのスルースキルは低そうだな。

「いいか、真下。清掃用具は全部トイレ内にある。ここだ。この収納に入ってる」

「なるほど」

小さなスペースに洗剤やブラシ、トイレク○ックル的なものが所狭しと置かれていた。

「おっと、そうだった。トイレ清掃するときは必ず鍵を閉めろ。途中でお客さんが入ってきたらお互いに気まずいからな」

そう言ってきららはがちゃりと鍵を閉めた。狭いトイレの個室に高校生の男女が二人きり。邪な妄想がはかどりそうだ。

「まずはこの雑巾を濡らして―――」

「お、おう。まずは濡らすわけだな!」

「で、こする。ゴシゴシと―――」

「おおう、ガ……ガンガンこすればいいんだな?」

「? まぁ、そうだな。で、この洗剤を便器の中、全体にかける」

「おおおう!! 中にぶちまけるわけですな」

「そうそう、濡らして、こすって、ぶちまける…………はっ!! ……お、お前!! ちょっと外出ろ」

俺は言われるがままに外に出た。トイレから出たのと同時刻に俺の目からは星が出た。

「お、お前!! 次、そ、そんないかがわしいこと言ったら、殺すからな!!」

どうやら俺はきららに殴られたようだった。後頭部がひどくズキズキしている。さすがに調子に乗りすぎたか。せっかくさっき上がった好感度を無に返してしまった感じ。デートの約束をバックレてしまったあの感じ。(はいはい、ゲームの中の話ですよ)

以降はしおらしく真面目に清掃手順を聞き、実際におこなって、俺は無事にトイレ掃除をマスターした。清掃完了後、レジカウンターに戻ってきららの目を盗んで有沙に話しかけた。

「なぁ、さっきトイレの中できららに下ネタを咬ませてみたんだけど―――」

「マジで!? きらら、どうだった!?」

「どうって……俺は素敵なパンチをもらったよ」

「あはは、だよねー」

「ん? だよねって?」

「きららね、下ネタ嫌いなの。いや、嫌いっていうのとは違うかなー? 恥ずかしくなっちゃうタイプなの」

「……あらまぁ、見た目と違って純な感じ?」

「そうそう。でも好奇心はある……むっつりタイプなんだよね」

「ったく、お前が女子校の奴はみんな下品だって言うから、つい」

「あは、そんなわけないじゃん。てか夕勤の子の中でも下ネタ好きは百合子くらいだよ?」

「お前は違うの?」

「あたしも別に。ただ、百合子とのときはあの子が好きだから合わせてる感じ。きららとは別の話題、美樹とはまた別の話題って感じにそれぞれ違うね」

美樹って子がまだ見ぬ夕勤の子か。

「てか、お前すげぇな。一緒に働く人の色に合わせられるのか」

「えっへん。あたしの色は無色透明!! 誰の色にも染まれるのさ!!」

「……自分がないってことと紙一重だな、それ」

「むぅう。あ、そういえばきららがいきなり真下のことを気に入るとは思わなかった! やるじゃん」

「……別に何もやってないけど」

「ニヤニヤ」

「口でニヤニヤ言うな!!」

「おーい、二人とも! 時間だからもう上がるぞー?」

「お、おう、わかった!」

きららはその後特に引きずって怒っているわけではなさそうで、とりあえず俺はほっとした。「これから楽しくなりそうだね」と有沙が小さく言ったがこれには反応はしなかった。

何だかんだで今日はちょっと仕事した気がする。初歩も初歩だけど。とりあえずこれからは(最低でも)きららは仕事を教えてくれるということがわかったので一安心。


「お疲れ様でした!」

……退勤後の控え室で何となく携帯番号を交換する流れになった。〝流れさん〟(酒井・流れ・有沙様)ありがとう。これにより俺の携帯電話は親族以外に初めて女の子の名前が加わった。ああ、言うさ。白状するさ。家帰って二人の電話帳のページを三〇分はニヤニヤしながら眺めてたわ、ちくしょうめ!!


 


木曜日――― 「ケツのケツは二つある!?」


今日は雨が降っていた。ちょうど昼休みあたりから降り出したのだが、放課後になっても止むことはなかった。ここ最近は心地よい春の陽気に包まれていたため、久々の雨は気持ちがどんよりする。若干ブレザーの肩元が滴る雨に濡れてしまったが、さほど気にせず俺はシィマートへと到着した。時間は一六時五〇分。イエス、最高にちょうどいい。

レジカウンターから外の雨の様子を眺めていた(暇なんだろう)店長に軽く挨拶をし、控え室へと入った。百合子がいた。

「おはよう、雨すごいな」

「あっ、直哉おはよう! 雨やまないわね。ぐちょ濡れよ」

俺は目の前の美少女の完全に狙って言っている発言を無視し、ユニフォームを羽織った。

「そういや、今日は百合子とあとは誰?」

「美樹よ。ねぇ、見て。制服がこんなに透けちゃったわ」

「わーすごいすごい。って美樹ちゃんって人はどんな人?」

「おっぱい大きい子」

「ふーん」

俺はそう言って百合子の胸元に目を向けた。うーん。残念! 

「私は形勝負なんだからね。……見る?」

だったら見せてみやがれ! なんて言うはずもなく俺は苦笑いにとどめた。冗談なのは重々承知していたが、実際見せられても困る。

「おはよう!」

その時、やはり雨に濡れた美少女が控え室へとやってきた。俺はまじまじと顔を見た。

……あれま。

「あれーっ? もしかして……なおやん?」

「お、お前……佐川……さん?」

「うそー? 超久しぶり!! 新しく高校生が入ったって聞いたけどなおやんだったのー!?」

佐川美樹さがわみき彼女は俺が最後の共学生活(小学生の時分)でクラスメイトだった子だ。一年生と五年生、六年生の頃に同じクラスだったはずだ。

「なおやん、変わってないねー?」

「そうかな? お前は変わったなぁ……」

「え? 二人とも知り合い?」

百合子が目を丸くしていた。

「そうなのー。小学校の頃に同じクラスでー」

「何年ぶりだろうな? 卒業して以来だもんな」

「えーうそー。信じられないー」

久々の再会でもう少し話したい気持ちもあったが、出勤時間になっていたため、とりあえず控え室を出た。店長と交代して、再度話が始まった。

「えー? いつから働き始めてるのー?」

「ん、と。先週からかな。今日で三回目」

「何曜日に入るの?」

「いや、研修の間は不定期に入るみたい。店長が入れって言った日に来る感じ」

「そうなんだー。一緒の曜日になれるといいねー」

「二人は随分仲がいいのね」

横にいた百合子が言った。そう、そうなんだよ。俺も疑問に感じていた。当時は佐川とそんなに話してなかったし。どちらかと言えば佐川はスクールカーストでいったら下の方だった。いや、何ていうか言葉悪いけど。

「そうかな? 久々だからじゃないかな? てか佐川、痩せたな」

当時の佐川はクラスにたいていひとりはいるふくよか(とても)な女の子。最も親が何かの社長って話だったから裕福に大切に育った証だったのだろう。ただね、小学生の言動・行動は無邪気が故の切れ味鋭いナイフだから、男どもは平気でいじってたわけよ。そのわがままボディ(精一杯のオブラート)とおっとりとした話し方を。しかし、どうだろう? 現在、眼前にいる佐川は昔ほど太っていない。てか太っているというくくりには絶対入らない。まぁ、百合子やきららのようにスマートな痩身というわけではないが、程よい女の子のやわらかさが感じられるようなスタイルだった。そこを遺憾なく発揮していたのが胸元。小学生の頃の脂肪が一極集中したのではないかというくらいの豊満な二つの膨らみ。

「昔は太ってたからねー」

相変わらずゆっくりで語尾を伸ばす話し方は治ってないんだな、と俺は当時を懐かしんだ。

髪型も当時と同じくセミロングをひとつに結んで横に流している。真っ白い肌にほんのり赤みがかった髪色、そしてまつげの長いはっきりとした目鼻立ちは北欧系の人種を想像させる、紛れもない美少女だった。

「直哉、美樹は小学生の頃どんな子だったの?」

「えー、と。どんな子って言われてもなぁ」

「男子に悪口ばっかり言われてたのー」

美樹があっけらかんと一石投じた。それを聞いて百合子はキッと厳しい視線を俺に向けた。い、いやぁ……はは。そんなことありましたっけ……。

「ううん、なおやんは悪口言わなかったよー」

「そうなの?」

今度は疑惑の目を向けてきた。俺は大きく首を縦に振った。

「私ねー、小学校の頃、何故か『急便』って呼ばれてたのー」

何故か、ってそのままやん! と俺は思ったが自重した。百合子は神妙な表情でうんうんと頷いている。

「それだけでもやだったのに、『急便』は長いからって今度は『便』になったのー」

「ウンコじゃないの、それ」

おい、ためらいもなく「ウンコ」なんて言うなや……。

「違うのー。『ベン』じゃなくて『ビン』」

俺は頭を掻きながら、二人の会話を聞いていた。いやぁ、よく覚えてますわ、それ。

「でねー、今度は『ビン』から『ケツ』になったのー。卒業まで『ケツ』って呼ばれてたの……」

「何で『ケツ』に変わったの?」

眉間に皺を寄せて百合子が尋ねた。この子は正義感溢れる子なのだろうか、真剣な表情だ。

「それがわからないのー。ねぇ、なおやん、何で?」

「え? さ、さぁ? ちょっとわからないな―――」

言えねぇ。『ケツ』の発信源がかくいう俺だなんてマジ言えねぇ。『ビン』が定着し始めた頃、下校途中に悪友たちとたまたま例の『ケツが印象的な飛脚のトラック』を見て、「もうケツでいいんじゃね?」なんて言ったのが広まったなんて、この流れでは言えねぇ……。

「なおやんはわからないかもねー」

「何でよ?」じろっと百合子に見られた。

「ふふ、なおやんは最後まで私のことを『佐川』って呼んでくれたんだもん。一回も変な呼び方しなかったー」

「……ふーん」

「あ、あれ? そうだったっけ?」

「むしろ、男子たちが『ケツ』って呼んでくるの嫌だなぁって思ってたら、『もうそれくらいにしとけよ』って言ってくれたのー」

佐川はにぱっと笑った。ああ、確かにそんなことあったわ。そうそう、こいつのことを男どもがこぞって『ケツ』って呼んでさ、もし先生にチクられて『誰が言い出した』ってなったらまずいなっていう保身の為の言葉だったのに……この流れでは言えねぇ。はは、クズじゃん俺。

「……ふーん。なかなかやるのね、直哉」

「ははは……」

俺は何となくレジ周りの備品の補充を始めた。割り箸やらフォーク、スプーンやらを。早くこの話題終わらないかな? って。

「じゃぁ、直哉の小学生の頃はどうだったの?」

「うん、かっこよかったよー。頭も良くて、スポーツもできて、おもしろくてー」

「はは、そんなことないだろ」

いや、そんなことあった、かも。俺の栄光は小学校の頃だった。女子からの目を常に気にしていた俺は結構何でも頑張った。クラスでも中心にいたし、俺に密かに好意を寄せる女子も少なからずいた。最高のリア充時代だった。まぁ、男子校に入ってからは言わずもがなだけどな。やかましいわ!!

「へぇぇ。……でも、それは何となくわかるかも」

ん? 百合子の言葉に一瞬俺の手が止まったが、自分の中で気のせいだと消化した。

「しかし、お客さん全然来ないな。この雨の影響なのかな?」

小学生の頃の話題から一刻も早く離脱したかったために俺は言った。そういえばさっきからまれに来るお客さんのレジをこなすだけで仕事らしいことは何もしていなかった。もとい、褒められた状態で小学校の頃のネタは終わらせておきたかったのが本音。いつボロが出るかわからんし。

「そうね。暇だから、私はPOPでも作ってこようかしら」

「ポップ? 何それ?」

「こーゆーやつだよー」

薄い下敷きのようなものを佐川はペラペラして見せた。手に取ると、スウィーツ三〇円引きと銘打ってイラストが添付されている。

「販促物……販売促進の為のツールね。こういうの貼って、お客さんに訴求するのよ」

「ハンソクブツ、ソキュウ……」

「宣伝よ。私、こういうの作るの任されてるから」

百合子は胸を張った。お寂しい胸だったが、形は良いのだろう。やはり見せてもらうべきだっただろうか?

「百合子ちゃんはセンスあるんだよー。店長も一任してるしー。お店のPOPは全部百合子ちゃん製なんだー」

「そうなんだ、へぇ、すごいじゃん!!」

百合子はあまり仕事に真剣に取り組まないタイプかと思っていたが、こういう特技があったのか。ちょっとだけ見直した。

「じゃぁ、私作ってくるから二人でやってて。……久々の再会に燃え上がるわね」

「?」

佐川は首を傾げた。ふふ、と百合子は笑い控え室に消えた。

「……カメラあるからね」

「うるせぇ、早く行け!!」

消えたはずの百合子がちょこんと首だけ出して言った言葉をかき消し、俺も仕事モードに切り替えた。が、肝心のお客さんがあまり来ない。

「……何すればいいんだろう?」

「んー?」

佐川はにこにこ笑ってる。そいうや、こいつはいつもそうだったな。いつも笑顔で、愛想が良くて。……わがままボディだったけど(←言いたいだけ)

「お話してながらお客さんの対応してればいいんじゃないかなー? あっ、いらっしゃいませー」

佐川は笑顔でお客さんに声かけをした。お客さんは商品を手に取り、俺が立っているレジではなく、佐川の方へ向かった。……俺のレジのが近いじゃろ。

佐川は終始笑顔で応対し、お客さんも佐川の笑顔につられてか、笑顔で帰っていく……こんなやりとりが五人連続で続いた。

「……お前、接客素晴らしいな」

新人のくせに随分と上からだな、と思ったがつい俺は言った。

「えへへ。そうかなー? 接客好きだし」

「何つーか、笑顔がまぶしいよ、ホント」

「えへー、褒められた! やった!!」

佐川は嬉しそうに両手でピースを作った。こいつは昔からこんな感じだったんだ、あざといとか思っちゃいけない。

「俺は真似できそうもないな。お前はかわいい顔してるから笑顔も映えるけど、俺がやっちゃぁ気持ち悪いだけだろうしな」

「あはは」

「いや、少しくらい否定してくれても―――」

「でも、なおやんイケメンだと思うよ?」

………………えっ?(チラッ)

「で、でも俺なんてここでの公式記録は六二点だからな」

「んー、六七点はあげてもいいと思うけど?」

「あ、あのー。それでもそんなに高いような気はしないんですが」

自分では贔屓目と内面の部分を考慮して七〇点はいってるかなー(自分が傷つかないようにあえて低めに設定)と思っていたが、下回る結果だもんなぁ。

「まぁ、いいや。男は顔じゃないし。器量より気前って言うしな」

俺は窓の外に目を向けた。雨はいくらか弱まっていた。

「でも有沙ちゃんが六二点って言ったんでしょ? ならいいと思うよ」

「そうなの? 有沙は辛口評論家なのか?」

「インド人並にねー」

「……よくわかんねぇよ」

「そういえば、有沙ちゃんのこと『有沙』って……」

「ああ、流れで」

「きららちゃんは?」

「きらら」

「百合子ちゃんは?」

「百合子」

「私は?」

「佐川」

「……えー!!」

「だってお前は佐川だろ? あいつらは最近出会ったけど、お前の呼び名は昔からだから変えられないだろ」

「美樹って読んでみてー」

「美樹」

「もう一回」

「美樹」

「定着したー?」

「するかよ」

「私だけ『佐川』じゃ疎外感……固定して」

「……善処する」

佐川改め美樹がふふと笑った。ついに夕勤美少女呼び捨てコンプリートだな、ってこいつだけは何か別の違和感が拭えない。

「ふぅぅぅ、今日のところはこれでおしまい!!」

百合子が作業を終えたのか、晴れやかな顔でレジカウンターへと戻ってきた。

「……ふぅ」

「ああ、お疲れ、もうできたの?」

「……ふぅ」

「パソコンに向かってると疲れるよな」

「……ふぅ」

「おい!! 何の真似だ!! ティッシュ丸めてんじゃねぇ!!」

くそうぅ、突っ込まないつもりだったのに。

「百合子ちゃんお疲れー。今、呼び名の話してたのー」

「……そういや、話をぶった切って申し訳ないけど、美樹は何でバイトしてんの? 超絶金持ちって噂だったじゃん?」

中学から名門私立の女子校に通っている美樹。まぁ、中学から私立は俺もそうだが、ウチは普通の中流家庭。母さんはパートしているし。美樹のオヤジさんは社長なんだから、バイトなんてする必要は……あ、金持ちの社会勉強的な?

「えっとね、今、ウチ貧乏だからー!」

あれま。地雷踏んじゃった。ごめん、和気あいあいとしたバイトの時間。それも終盤に差し掛かって場を凍りつかせてしまうとは―――ってそんなこと全然なく、美樹は笑いながら言った。

「お父さんが事業に失敗して、会社が倒産しちゃったんだ」

「父さんが倒産ね」

「お前、黙れ」

あまりにベタすぎて不快感を通り越してもはや若干の清々しさすらを感じる百合子の発言を無に返し、俺は「なるほど」と小さく頷いた。

「……うーん、パパがパッパと―――?」

「だからお前は黙ってろって言ってんだろ!!」

「でね、学校は辞めたくなかったけど、学費が結構かかるから、よし!! だったら自分で稼ごう!! ってー」

「……お前、偉いな」

「店長が言ってたけど、美樹ちゃん、中学の卒業式終わってその足で履歴書片手にお店に来たらしいわ」

「だってあの時は中学卒業したらバイトできるもんだと思ってたんだもん」

「そうなんか。しかし、あれだなぁ……。お前もそうだけど、お父さんも大変だな……」

「栄枯盛衰、ってやつだねー」

「お前、あっけらかんとまぁ―――」

「盛者必衰ね」

「うーん、散らない花はない!!」

「諸行……無常」

「うーん…………Viva la Vidaッ!!」

「クッ……八月三一日の夜ね……」

「け、結婚生活!!」

「むぅぅぅ……ア……アベ○ミクス……」

「んんん……」

……こいつら何言ってんだ? うなって険しい顔をしてる。

「んんん……万事休す!!」

「ふふ、私の勝ちだわ」

「あ、あのー……?」

「負けたぁー。百合子ちゃん国語得意だからなー」

「……何やってたんだ?」

「えっとね、『いいことばかりは続かないよね』ゲーム。百合子ちゃん急に仕掛けてくるんだもん」

「前回、『私って勝ち組』ゲームは負けたから、リベンジよ」

「もう、百合子ちゃん気が抜けないなぁ。あーあ、もっと語彙力を上げないとなー」

「ふっ、いつでもかかってきなさい」

……なるほど、同義語合戦やってたのか。あのー、一応三人で働いてるので俺を置いてかないでください。てか大した勝負じゃないな、こいつら。

「まぁ、てなわけで今は必死に学費を稼ぐコンビニ店員の私なんだけど、よろしくねー」

「お、おう。よろしくな」

ひょっとして生活レベルが以前より下がったからこいつはこんなに痩せたんか? だとしたら容姿レベルに関して言えば相当いい結果といえる。不謹慎だが。

「さて、上がりましょ」

百合子の言葉に俺は頷いた。雨もいつの間にかあがっていた。佐川……もとい美樹とこんなところで再会するとは思わなかったが、何だか少し嬉しい気持ちもあった。それは何故だろう? 美少女に変貌を遂げていたから? けど中身は当時のままあまり変わってない安心感から? それともおっぱいが大きいから? 俺は答えを見い出せなかったが、それでも前回の勤務で有沙が言ったとおり、今後楽しくやっていけそうかなと淡い期待(薄桃色も混じる)を感じつつ、勤務を終えた。


「お疲れ様でした!」

……これで夕勤メンバー全員と対面したんだよな。百合子、有沙、きらら、美樹。四人とも系統は違えど極上の美少女ときたもんだ。……店長め、顔で選んでるんじゃないか? 俺はそんな店長についていきます!! 俺の中で店長の好感度が急上昇したのだった。




日曜日―――  「おい、オスカー! 泣くんじゃないよ」


今日は休日のため、自宅からの出勤となる。ちなみに自宅からシィマート水元西店は自転車で約一五分。時間的には学校からとさほど変わらない。が、自転車という自力本願の移動手段のため、俺はぎりぎりまで自宅でのんびりしていようと決めていた。が、その目論見はすぐに崩れ去った。ヴヴヴヴヴヴヴと携帯が震えたのだ。どうやらメールのようだ。俺はおもむろに中身を確認すると、

『至急来てくれ、面談やるよ』

店長からだった。面談? 何だろう。まだバイトまでは一時間くらいある。

『わかりました』

俺は短くそう返信し、家を出た。店に着いたのは一六時二〇分だった。

「おはようございます」

「おう、来たな。暇なんだよ、相手してくれ」

「相手、ですか?」

「そうそう、仕事しなくてユニ着て立ってるだけでいいから」

「は、はぁ……」

俺は控え室に一旦入り、ユニフォームを羽織ってレジカウンターへと向かった。

「……ほい」

店長が缶コーヒーを差し出してきた。お礼とともに会釈をして受け取る。

「さて、真下くん。うちで働き始めていくらか時間が経ったが、どうだい?」

あ、本当に面談なんか。缶コーヒーをあけてもいいのかどうか迷い、とりあえず握り締めたまま俺は答えた。

「楽しくやらせてもらってます」

「そうか。もう夕勤の子たちとは全員会ったんだよな?」

「あ、はい。会いました」

「……どうだ?」

「何がですか?」

「質的なものだよ。俺は結構自信があるんだが……」

「……そりゃ、もう。店長にずっとついていくと決めましたから」

店長は豪快に笑った。俺はそれを見て缶コーヒーをあけて一口飲んだ。

「だよな!? 『俺オーディション』を勝ち抜いた精鋭たちだからな」

俺オーディション? ああ、面接のことか。

「しかも全員女子校に通う子たち、ってのが店長の並々ならぬこだわりを感じるというか」

「……それなんだよ」

店長の顔が急に曇った。何だろ? 何か問題でも?

「……実はな、初めのうちは四人ともいじらしく、つつましくあったんだよ。それが―――」

「それが?」

「それが最近おっぴろげになってきたというか。パンツが見えても気にしない、胸チラしても気にしない―――」

「はは……」

羨ましいじゃないか。むしろ結構なことじゃないか。その現場に俺も呼んでくださいよ。

「あ、勘違いするなよ? 俺ももう二七だし、手を出そうとかそういうつもりで女子校生を囲っているわけじゃないんだよ」

「はは、そうですか」

「俺な、兄弟は兄貴だけだから、可愛い妹がずっと欲しかったんだ。だからここでその思いを叶えてる。まっ公私混同だが、でもお客さんにもすこぶる評判はいい」

……まぁ、動機としては不純かもしれないが、可愛いは正義っていうからな。

「……とそうそう、その可愛い妹たちがな、だらしなくなっていくのが嫌なんだ。『女としての恥じらい』をもった大人になって欲しい」

「なるほど……」

俺はグイッと缶コーヒーを煽った。何だか酔っぱらいの愚痴を聞いているようだった。

「俺の誤算だったんだ。ウブな男慣れしていない子たちを積極採用したんだけどな、それが間違いだった」

「間違い?」

「そうなんだよ。あの子たちは普段女子だけの中で生活してるだろ? 聞くと女子校ってなかなか乱れてるそうじゃないか」

「ああ、そんな話よく聞きますね」

「ここでも女だらけだろ? 夕勤って。……乱れるのが早かった―――」

何だろう、話がよく見えず、もどかしい。

「だから、真下くん。君には期待してる」

「……期待って言いますと?」

「真下くん、彼女は?」

「いえ、いません」

「だったら……ほら、好きな子を選べ!」

「ちょ、ちょっと……そんな」

「はは、真下くんの評判はなかなかいいぞ? みんな言ってる」

「そ、そうですか」

内心ちょっと嬉しい。六二点だろうとな!

「あの子たちも出会いがない中、もがいている。街中のカップルを見て、はぁとため息をついている」

「ホントですかね?」

「当たり前だ。年頃の女の子たちだぞ? 恋愛が唯一の関心事だ」

「唯一って……」

「そんな中、そこそこ顔の悪くない、そこそこ身長があってそこそこの進学校に通ってる君が現れた」

「…………ええ」

まぁ、ここは甘んじて受け入れよう。

「こりゃ、意識しないはずがないだろ」

「……でも、店長の大事な可愛い妹たちにそんな真似はできないっすよ」

「いや、さっきも言ったろ? 乱れたりだらしない姿の妹たちを俺は見たくないんだ。何とか君の目に映ろうと努力を重ね、女を磨く様を俺は静かに見ていたいんだ」

「……そ、そうっすか」

「それにな」

店長は遠い目をした。俺は手に持っていた缶コーヒーを置き、店長の言葉を待った。

「俺は迷える童貞の男子校生を救うことも使命だと自負しているんだ」

「……店長」

「はは、気持ちはわかるぞ。かくいう俺も男子校出身だからな」

「……店長!!」

「……若人よ、力の限り楽しむんだ。恋愛を、な」

「俺は店長と出会えて本当によかったです!! これからもよろしくお願いします!!」

「はは、苦しゅうない」

「……なにやってんの?」

いつの間にか出勤してきた有沙が俺と店長のやりとりを呆れながら見ていた。

「おお、酒井、おはよう」

「おはよう、有沙」

「おはよう……って真下早いね。一七時からじゃないの?」

「ああ、真下くんなら俺の話し相手に早く来てもらったんだよ。それよりお前も早いな」

店長の言葉に俺はふと時計に目をやった。一七時まではあと一五分もある。

「べ、別に?」

「ははーん、真下くんがもう来てると思って早く来たんか?」

「そ、そんなことないです!!」

「真下くん、ここはいいから酒井の相手してやってよ」

「来なくていい!!」

ぷんすか怒って有沙は控え室に入っていった。俺はどうするべきか迷っていたら、店長に「行け!」と合図をされた。

「俺はゴール決める選手よりもアシストする選手の方が好きなんだ」

店長はそう呟いていた。よくわからなかったがとりあえず頷いておいた。

俺が控え室に入ると有沙は壁に向かって座っていた。

「……おはよう、有沙。いやぁ、店長と面談してたんだ」

「ふーん」

「なぁ、少しは興味示してくんない?」

「別にあたしに関係ないから」

「何だよー、冷たいなぁ」

「……メールでもくれるかと思ったのに」

「ん?」

「この前連絡先交換したから!!」

「ああ、メールとかしてもよかったのか?」

「当たり前じゃん!! じゃなきゃ交換しないし!!」

「そっか。まぁ、そうだよな。でも何送ればいいのかわかんないしなぁ。これっていう用件がないとなぁ」

「だからモテないんだよ、お前」

「な、何おう?」

「おっはよう! あ、なおやん!」

美樹が笑顔で登場した。胸元が大きく開いたシャツを着ていた。思わず目が行く。

「おう、今日は美樹と有沙の日なんだな」

「そうそう!! 有沙ちゃんもおはよう!」

「おはよ」

有沙とは対照的に鼻歌混じりにご機嫌で美樹はユニフォームを羽織っている。俺はそんな美樹の胸元ばかり見ていた(おい)

「……そういえば美樹って真下と同じ小学校だったんでしょ?」

「うん、そうだよー」

「仲良かったの?」

「うんーよかったー!」

…………そうだったか? お前、そりゃ思い出補正がだいぶかかってるぞ?

「何かこいつの恥ずかしエピソードとかない!?」

「んーとねぇ……」

「こら、やめなさい!!」

「いろいろあるけどねー……何がいいかなぁ」

「おい、時間だぞ? もう行くぞ?」

「……じゃ、続きは向こうでってことで!」

有沙はニヤリと笑った。……まぁ、機嫌は直った? みたいだな。

「……で、恥ずかしエピソードを羅列するんだ、美樹」

「御意!」

店長と交代で店に立つと、早速有沙は切り出した。美樹も美樹でノリノリのご様子。俺はそんな二人を無視してレジ周りを整えた。……もちろん、耳は大きくなっていたが。

「まずはねぇ……音楽会の練習にて」

「ほう? どんな?」

「なぁ、やめてくれ!! 美樹!!」

それはやめろ……頼む!!

「音楽会の練習を学年全員でやってたときのことねー。本番の予行演習ってことで全員が壇上に上がって歌ってたのー」

「ほうほう、それで? 全員がドミノのように崩れて―――?」

「そんなん恥ずかしエピソードじゃなくて大事故だろうが!!」

「違うよー。それでね、先生たちは客席側に立ってその様子を見てたのー」

「なるほど……でっ?」

「でねー、歌ってる途中に急に私たちの担任の先生……男の先生なんだけど、が急に中断させたのー」

やめて……忘れたい過去なのに―――。

「で、全員がただならぬ雰囲気を感じてシーンとしてる中、『真下、ちょっと来い』って言って、なおやんだけ壇上から下ろしたの―――」

「でっ? でっ?」

「そしたらいきなり『お前、出てけ!』って怒鳴ったのー」

「も、もうその辺にしないか? な? 美樹ちゃん」

「怒られた少年真下の運命は!?」

ダメだ、終わらない―――。客、来てくれ! 死ぬほどお客さん来て俺たちを忙しくさせて、お願い……。

「そしたらね、少年なおやんはね…………泣いちゃったのー」

「あはははははははははははははははは」

「くっ…………」

「学年全員が見守る中でぽろぽろとー」

「あはははははははははははははははは」

「でね、『や、やだ……』って言ってまた壇上によじ登ったのー、許可されてないのにー」

「あははははははははは、あはははははははははは」

「美樹、てめぇ……」

「何だ、真下。大人に怒鳴られて怖くなっちゃたのか? あはははははは」

「……くそぅ」

「泣くなよ、真下。ほら、涙拭けよ」

笑い転げながら、有沙はポケットからハンカチを出し、差し出した。

「今は泣いとらんわ!!」

「学年全体の前でで大恥かいたな、お前」

「ああ、忘れらんねーよ、あれは。未だに許さない。絶対にだ!」

「でも、そういえば何であの時、なおやんだけ壇上から下ろされたのー? 何したのー?」

「ああ、あれは隣の奴と小競り合いしてたんだよ。ゲームの話から発展して。先生の位置からはよく見えたんだろうな」

「……至極くだらないな、お前」

「そうだったんだぁー。あの後なおやんだいぶ塞ぎこんでたよねー」

「そりゃ、心に傷がついたからな。完全なる公開処刑だよ、あれは」

「それって何年生の時? さすがに低学年とか、だよね?」

「……………………」

「えっとー、小六の秋だよー」

「あはははははははは、何だお前! 最高学年じゃん!! 小学校生活も残りわずかのところでみんなの前で泣いちゃったのか!! 大丈夫か、お前のメンタル」

「でっ、でも! しょ、小学校の頃だろ! まだ子供だったんだよ!!」

「有沙ちゃん、このエピソードのキモは『や、やだ……』にあると思うのー。泣きながら声を震わせて……怯えた表情で―――」

「お前、うるせぇよ!!」

「……もういい、真下。辛かったな」

有沙は肩をポンポンと叩いた。

「……ゆっくり休め。もう、帰っていいぞ?」

「は?」

「お前そこは『や、やだ……』だろ!? あははははははははは」

「あははははははは」

美樹まで笑っている。ちくしょう、お前のあだ名バラしてやろうか?

「ねぇ、美樹。他にはないの?」

「うーん、他はなぁ。牛乳こぼしたとかゲロ吐いたとか、ボールが当たって鼻血出したとか……あ、一年生の頃におもらししたとか、割と普通の話だなー」

「……お前、俺の六年間の生活で集まった恥部を一文にまとめんじゃねぇよ」

しかし何でこいつ俺の話をこんなに覚えてるんだ? おもらし事件は確か同じクラスだったが、それ以外は五年と六年しか同じクラスになってないし。同じ疑問を持ったのか、有沙も尋ねた。

「アンタ、やたら真下に詳しいね。単なるクラスメイトじゃないの?」

「えへへ、私、ずっとなおやんのこと好きだったから」

「……おっとぉ?」

有沙は変な声を上げた。てか、ええええええええええええええええええ!?

「お前、今すっげぇナチュラルにすごいこと言ったな」

「えへ、そうかな?」

何だか急に三人の空気がおかしくなった。しばらく沈黙が続いたあと、いちばん初めに声を発したのは有沙だった。

「おっ、納品が来たみたい。真下、納品教えてやる! 美樹、レジ頼む」

「わかったー」

爆弾発言をしたあとなのに、当の本人がいちばん普段と変わらないとはいかがなものか。俺なんてまだちょっとドキドキしている。この美少女が俺のこと―――い、いや。違う。当時の話、だよな。はは。当時のあのふくよかな少女が、大人に怒鳴られて泣いちゃうピュアな少年のことを好きだった、って話だよ。うん。……でもこいつは中学から女子校、つまり生粋の出会いがないタイプ。俺と同じく。出会いがないということは今もその思いを少なからず持っていたり……? ないか。良いように捉えすぎか。いいや待て待て、でもここで突然の再会を果たした、当時のことを鮮明に覚えている―――これはあの時の恋心が再燃してもおかしくない。おかしくないぞ? ふひひ、ともすればあの巨乳を―――。

「真下、ぶち殺すよ?」

「ヒッ!?」

なかなかの激しい言葉が飛んできて俺は我に返った。こんな美少女に『ぶち殺す』と言われたらそれはご褒美だという人もいるかもしれんが、俺にはあいにくそんな趣味はなかった。

「まったく。人がせっかく仕事を教えてやろうとしたのにお前は何かキモイ顔してた」

「キ、キモイ顔って失礼な」

「ケッ」

おいおい、お前は女の子だろう。ケッとか言うんじゃないよ、まったく。しかし、いかんな。仕事中だ。集中せねば。……男子高校生は敏感で多感すぎるな、気をつけろ。

「おはようございまーす」

配送のおじさんが台車にたくさんの商品を乗せてやってきた。俺ら三人はそれぞれ挨拶をして迎えた。おじさんは光の速さで台車から積荷を下ろし、颯爽と去って行った。その姿にプロ魂を見た。

「……で、真下。このスキャナを持って」

「うい」

「スイッチオンにして、納品されたバーコードを読み取る。これが検品って作業ね」

「なるほど。レジと同じ要領だな」

「そゆこと。で、全部検品が終わったら商品を陳列棚に並べる。『先入れ先出し』ね。わかるよね?」

「新しいのを奥に入れるってことだよな?」

「そうそう。じゃぁ、こっち半分はあたしがやるからそっちはお前がやって」

「わかった」

えーとどれどれ? バーコードを読み取って―――並べる、ってこりゃ単純作業だな。でも難しいことじゃないからもう覚えたぞ。はは、レジと陳列をマスターした俺はまた一歩一人前に―――。

「真下、終わったぁ?」

「そんな早く終わるわけなかろう―――えっ?」

有沙の足元には空になった状態のコンテナが重なって置いてあった。

「お前、早くね? 俺、まだ検品終わったところで―――」

「何だらだらやってんの? 時間かけてやるもんじゃないんだよ? パッとやって遊ぶ時間作らないと―――」

「ごほん、パッとやって早く冷蔵ショーケースに並べないと商品悪くなっちゃうから」

……初めからそう言えば真面目なてきぱきとしたバイトだと思ってもらえるだろうに。てか俺が遅すぎるのか? 初めての作業とはいえ、これは反省しなきゃな。

「有沙ちゃんの陳列スピードは日本トップクラスだからねー」

美樹がレジカウンターから身を乗り出して言った。おおう、その大きなクッションが潰れちゃってるよぉ、っておい。

「そんなことないっしょ」

有沙は照れくさそうに苦笑いしたが、まんざらでもなさそうだ。

「じゃぁ、真下。あたしのスピードについてこれるよう練習なさい」

そう偉そうに言い残して有沙は美樹の元へ言った。

「……ねぇ、アイツの残念エピソードとかないの?」

「……残念かぁー、ちょっと待ってねー」

そんな会話が聞こえたが、俺は無視して陳列作業に集中した。多少時間はかかったが、綺麗に並べることができた。

「……ふぅ、終わった」

俺はレジカウンターに戻ると二人はニヤニヤ笑って俺を迎えた。

「な、なんだよ?」

「……いやぁ、ね。あはは」

「美樹!! お前また余計なことを言ったのか!?」

「えー。ううんーそんなことないー」

こいつ、目が泳いでやがる。……何か言ったな馬鹿野郎め。

「真下、誕生日いつ?」

「え? 七月だけど?」

「ふーん。あと三ヶ月くらいか―――」

「何の話だ? ……あっ!!」


ぼくの夢    

                         真下 直哉

ぼくの夢ははいゆうになることです。映画やドラマにたくさん出て、いっぱいお金をかせぎたいです。ハリウッドの映画に出て、アカデミー賞をとりたいです。おそくても一七才までにはとりたいです。そしてかわいいじょゆうとけっこんしたいです。

……………… たくさんえいごを勉強してどんなことがあってもアカデミー賞はとります。だからみんなぼくのことを忘れないでください。               おわり


「……真下、もういいんだ。もう……戦わなくて、いいんだよ」

有沙は肩を叩いた。……こっ、これは相当恥ずかしいぞ、おい……。

「美樹っ!! 何で卒業文集をネタに持ち出すんだよ!!」

「えへへーだってー。てっきりなおやん俳優やってるのかと思ったら、普通にコンビニでバイトしてんだもん」

「ガキの戯言だろうが……」

「あはははははは、真下。アカデミー賞は難しかったな。夢破れたり、だなぁ」

くっ……くそぉ―――何たる屈辱。この思い、忘れはせんぞ!!

「あっ、そろそろ時間だよー」

「そうだな、あがるか。オスカー」

「オスカー言うな!!」

「『や、やだ……』じゃないのか、あはははははははははは」

「うるせぇ、バーーーーカ!!」


「……お疲れっした……くっ」

その後、俺の二大恥ずかしエピソードは瞬く間に夕勤メンバーに広まり、『や、やだ……』は一時の流行語となってしまった。また『オスカー真下』の通り名も俺を揶揄する際の定番の謳い文句になってしまったのだった―――。


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