15
「榎木、奥で例の修繕やってて?」
図書室のカウンター当番で柏木君と二人で座っていたら、にっこり笑ってそう言われた。
はて…、例の修繕…? 考えてると、笑顔のまま、兎に角奥に行けば判るからと言われ、席を立つ
「えぇ? 当番さん居なくなっちゃうの?」
背後から聞いたこともないようなセリフがかかり背中がざわりとするけれど
「はいはい、御用は僕が受けますから」
明るく声をかけて居る柏木君の声にホッとしつつ準備室に入り、知らず零れた溜息に自分がいっぱいいっぱいだったのを自覚しつつ、やはり見当たらない修繕すべき本にもしかしてと思う。
「庇ってもらっちゃった…?」
最近、私の周りが騒がしい。
本が目的とは思えないような生徒が頻繁に第一図書室に来ることが増えた上に、何かと話しかけられたり、廊下を歩くと妙に視線を感じる事もあって…、最初は自意識過剰かと思ったけれど、早苗と有紀ちゃんにもそんな事はないと言われて、多分あの体育祭のせいかと考えてしまう。
眼鏡を取って準備室の鏡を覗くと、最近また母に似て来た感じがして…、遣る瀬無い思いに唇を噛む。
記憶の中の母は美しい人だった、…姿だけは。
けれど、優しさや柔らかさ母という温もり、其れらはみな叔母に教わった…
子どもだった私は、其れでも母に振り向いて欲しくて必死に話しかけていて、あの頃の自分を思い出すと、今でも気分が悪くなり…、だから私は自分の顔が好きにはなれず、こうして大きめの無骨な眼鏡を使って居る。
それに、昔から母に似たこの顔を見られると、厄介な事が起こりやすくて…。
体育祭のあの日、極力顔は伏せて居たし、短い時間だったけれど、相手が目立つ柏木君だったのも有って、見ていた人は多かったんだろうか…? そう考えて、眼鏡を掛け直して溜息を着くと、カチャリと音がして準備室の戸が空いた。
「委員長…」
「やぁ、ちょっと第一の事で話し合いたくてね」
愛海先輩が心配して居た通り、委員長はあの日、前期の副委員長だった柳先輩に決まった。
人当たりも頭の回転も悪くないこの人は、しかし古くて目新しさの無いこの第一にはまるで興味がなく、図書の整理なども第一に関してはここを愛してやまない上に、人が良い愛海先輩一人にやらせても何とも思わず、人員を自分の担当する第二に集めるなどやってのける人間で、私は苦手として居た。
「それで、どんな要件ですか?」
「うん、それでなんだけどね…」
話し出したのは、古い資料を整理して処分し、最新式の書架の導入をする等と第一が第一で無くなる様な荒唐無稽な話で、如何にこの人が此処に愛が無いかを知る。
第一、そんな事は一介の生徒が言い出しても予算が下りるはずも無い。
一応先輩だからとオブラートに包んでそんな事を言うと
「君だって此処が変わるほうが素晴らしいと思うだろ? 一緒にやらないか?」
そんな事を言われて
「いえ、私は此の儘の此処が好きですから」
答えると、少し拍子抜けしたような詰まらなそうな顔をして
「まぁ、何れにせよ第一と第二は一緒にやって行くべきだ、だから、今後はもっと話をして行こう」
何て言ってやっと準備室を出て行った。
興味のなかったはずの第一と私に突然寄ってきたこの先輩も、もしかしたらこの顔が引き寄せた…? そう思うと心が重くて…。
「榎木、大丈夫?」
先輩が去った扉が再び開いて、今度は柏木くんが顔を出す。
その明るい声にほっとして、そんな自分に気がついておかしくなる。
変われば変わるものだ、昔は女の子にしか興味のない軽い人間だと苦手に思っていたくらいなのに、今ではこの明るく柔らかな雰囲気に救われて、重かった心がふと軽くなっている。
「ありがと、庇ってくれたんだね」
「ううん…でも、あの後委員長まで入ってきて、カウンターに榎木が居ないのを見てさっさと準備室に行くのが見えたんだけど、流石に止められないし…、カウンターにはお客さんが居るしで焦ったよ、何の用だったの?」
「それがね…」
まくし立てられた第一の勝手な改造案と、もっと第一と第二は一緒にやらないとなどと言い出したことを話すと
「何それ…」
絶句した後、突然頭を下げて
「ごめんっ! あの時俺が眼鏡取ったりしなければ…本当に、俺っ…」
謝られてしまい絶句する。
「や、やめてよ、君は私を助けてくれただけでしょう? あの時助かったのは本当だし、私こそ、なんだか妙な騒動に巻き込んでごめんね、今日も庇ってもらって…」
「謝らないでよ、この騒動は完全あの時のせいだし、俺が出来ることならなんでもするから…、今日みたいな時は、準備室に逃げて? ただ、委員長はなぁ…」
困ったように柏木くんが呟いていると…
「柏木? 榎木…ここにいたのか」
準備室を覗き込む瀬名先輩と愛海先輩と、少し久しぶりに感じる木田先輩が居た。
「どうしたんですか?」
勉強に専念するという事で、このところ当番以外ではここに顔を出すことは少なかった二人に思わずそう言うと
「今日は、ちょっと息抜き、私もここで少し当番していい?」
「で、悪いがちょっと柏木を借りていく」
「それは構わないですが…」
「ちょ…ちょっと先輩? 俺当番が! それに最近…」
慌てる柏木くんに
「愛海がいるから大丈夫だ、それに木田も居る、良いからちょっと付き合え」
柏木くんの方が背は高いのだけれど、愛海先輩と同じくらいの身長の瀬名先輩に正面から真顔で言われると、その整った顔つきもあって非常に迫力があり、そのままずるずると図書室から引きずられていく柏木くんに
「行ってらっしゃい」
苦笑して手を振るしか無かった。