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剣と魔法の義経記

剣と魔法の義経記 裏話 ~魔王 玉藻御前~

作者: 久手史郎
掲載日:2026/09/15

本作は拙作の「剣と魔法の義経記」制作過程の裏話となっております。

本編を読んでいる方のほうがわかりやすいと思いますので、ご了承ください。


ちなみに本編はこちら。

https://ncode.syosetu.com/n1604mi/


なお、本編はAIを使ってませんが、この裏話は「ボケとツッコミ」が欲しかったので、一回、全部書いた後、AIに書き直してもらいツッコミもらっています。

ご承知おきください。


さて、この「剣と魔法の義経記」ですが。


「平安武将って、もっと格好いいのいるよね」

「なんか、三国志や戦国武将と比べてマイナー感あるよね」

「なんか悔しいなぁ。もうちょっとスポットライト当たってもいいのに」


という動機と、


「平安武将の魅力って、半分神話が混ざっていることだよね。バトルさせたら面白そう」

「鵺退治とか普通に平家物語に出てくるし、だったら史実優先じゃなく、伝承優先で書いたらどうなるだろう?」


という動機で書き進めております。


ですから、皆様からいただいたありがたい“感想”でもご指摘いただきましたが、本作は歴史小説でも時代小説でもなく、伝奇小説となります。

たぶん。


さて、それでもリアリティは求めたいじゃないですか。

ですから、いろいろ調べます。


でもね。


調べていくと矛盾が出てくるんですよ。


特に伝承を元にすると。

どの矛盾をどう整理しようかという、そんな裏話です。


今回は、その中でも魔王・玉藻御前の話です。


ゲームとかで「よいちのゆみ」は有名ですよね。

その元となった那須与一様を活躍させたかった。


そんで那須つながりで、なんか無いかなと思ったら、あるじゃないですか。


那須の殺生石。

つまり妖狐・玉藻御前です。

九尾の狐とかは有名なので、聞いたことがあると思います。

その妖怪です。


それでね。

調べてみました。

玉藻御前を。


鳥羽上皇の寵姫というキャラ設定です。

いいじゃないですか。


ちなみに鳥羽上皇は崇徳天皇のお父さんです。

「剣と魔法の義経記」では崇徳天がヴィランとして登場するので、つながりができそうです。


後白河天皇や近衛天皇のお父さんでもあります。


少し話が逸れますが近衛天皇が伝承のキーパーソンになるのではないかなと筆者は考えています。


彼は玉藻御前のモデル 藤原徳子の子供です。

そして、徳子LOVEの鳥羽上皇は、徳子の子である近衛天皇を即位させるため崇徳天皇を退位させます。

当然、崇徳天皇は恨みますよね。しかも近衛天皇はこのとき3歳児です。

そして、近衛天皇は17歳でなくなります。


呪いの伝承のベースがこれでできあがります。

崇徳天皇が呪って近衛天皇が早死したとか、玉藻御前が国を傾けるため呪ったとかですね。

なにか物語ができそうじゃないですか。


きりがないので余談はここまでにして、話を鳥羽上皇に戻します。


伝承では、玉藻御前は鳥羽上皇を呪い殺そうとしたようです。

しかし陰陽師に正体を暴かれ、逃走しました。


そして那須に逃げ込みました。

そこでも玉藻御前は悪さをするんですね。


そこで那須の領主、藤原資家が救援要請をします。


その救援要請に応じたのが、


三浦義明。

千葉常胤。

上総広常。


この三人。


ちなみに、この三人は源頼朝の挙兵時に大きな役割を果たします。


簡単に書くと、源頼朝は挙兵後、負けちゃうんですね。

で、このままゲームオーバーになるかと思いきや、彼らが助けて復活します。

ここでも伝承と史実がクロスオーバーします。

ここが平安武将の魅力だと思うのですが、いかがでしょう。


玉藻御前を倒した勇者が、源頼朝を助ける。

物語として面白いと思うのは、筆者だけでしょうか?


でもね。


伝承は伝承ですので、ここでね。

悩んだんですよ。


ここからが裏話です。

伝承上、玉藻御前を倒したと言われる三人。(※注:これも諸説あります)


三浦義明は1091年~1180年。

千葉常胤は1118年~1201年。

上総広常は ? ~1184年。


このあたりに活躍しました。


そんで、救援要請した藤原資家なのですが……

藤原資家→資通→資満→資清→資房→宗資→資隆→那須与一。

諸説ありますが、仮にこのように仮定した場合。


有名な那須与一の、ひいひいひいひいひい爺ちゃんとなります。

そんで、源頼朝挙兵時の那須家の当主は、与一のお父さん、那須資隆さんが最も合っているでしょう。


そして、三浦義明、千葉常胤、上総広常も源頼朝挙兵に携わっている。


つまり、

「那須資隆さんと、玉藻御前を倒した3人は、同世代に近いんじゃないかなぁ」

と考えたわけなんですよ。


ところが、玉藻御前の伝承では、那須資隆さんのひいひいひいひい爺ちゃんが救援要請しています。


これはどう考えたらいいのでしょう?


思いっきり藤原資家が高齢のときに玉藻御前が那須で悪さして、

思いっきり年が若い三浦義明、千葉常胤、上総広常が玉藻御前を退治して、

那須家は代々短命で……

となるのでしょうか?


ちなみに、玉藻御前が追い出される原因となった鳥羽上皇ですが、

病に倒れ、逝去されました。

この時が1156年。


上総広常は生年がわからないのでなんとも言えませんが、

三浦義明さんは65歳。

千葉常胤さんは38歳。


つまり、玉藻御前が都で悪さしていたとき、三浦さんは65歳のお爺ちゃん??

この整合性を無理やり合わせるとしたら、


玉藻御前が鳥羽上皇を呪い、鳥羽上皇が病に倒れる。

玉藻御前、陰陽師にバレて那須に逃げる。

那須の領主・藤原資家に那須でも悪さしているのがバレる。

前期高齢者の三浦義明さんと、壮年の千葉常胤さんと、年齢不詳の上総広常さんに玉藻御前は退治される。

そして那須家では代々短命で代替わりし、源頼朝挙兵時に那須資隆さんが当主だった。

そんで那須家では代替わりが激しかったが、三浦家、千葉家、上総家では代替わりがなかった。

こんな感じでしょうか?


そもそも玉藻御前伝説自体が、史実の年表にそのまま置けるような話ではありません(笑)

これは伝承をむりやり歴史に合わせているので、考察でもなんでもない“遊び”の範疇ですが……


本作は、こんな伝承と歴史のパズルで遊びながら、伝承優先で書いております。


本稿を読んでいただき、少しでも神話の混ざったことが魅力の平安武将に光が当たればうれしいです。


挿絵(By みてみん)

【ガイダンス】

「剣と魔法の義経記」の本編はコチラ

https://ncode.syosetu.com/n1604mi/

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