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聖女の姉に婚約者を奪われましたが、今更、後悔しても遅いです!私にはユニコーンの加護で聖女以上の力があります!

作者: 山田 バルス
掲載日:2026/08/27

第一話 聖女の姉に、婚約者まで奪われました


「あなたの婚約者、私にちょうだい」


 姉のエレノアは、まるでお菓子でも欲しがるような気軽さで言った。


「……え?」


 私は思わず聞き返した。

 王都の大通りから少し離れた、王立学院の中庭。

 春の柔らかな風が吹き、白い花びらが舞っている。

 そんな穏やかな昼下がりだった。

 なのに。

 私の胸の中だけが、凍りついたように冷たくなった。


「だから、あなたの婚約者を私に譲って」

「何を……言っているのですか?」

「聞こえなかった?」


 エレノアは笑った。

 黄金色の髪が陽光を浴びて輝いている。

 誰もが振り返るほどの美貌。

 そして何より、彼女は『聖女』だった。

 神殿から聖なる力を授かった、王国唯一の聖女。

 国民から愛され、王族からも一目置かれている。

 対して私は、妹のリリア。

 姉と同じ伯爵家に生まれながら、特別な力など何も持たない。

 そう、誰もが思っている。


「フェリクス様は……私の婚約者です」


 震える声で言った。


「ええ。知っているわ」

「でしたら――」

「だから、譲ってと言っているの」


 エレノアは当然のように言った。


「私、フェリクス様のことを好きになったの」

「……」


 言葉が出なかった。

 フェリクス・グランディス侯爵令息。

 私の婚約者。

 幼いころから家同士の約束で婚約していた。

 優しい人だった。

 私が学院で一人になっていると、必ず声をかけてくれた。

 体調を崩したときには、わざわざ薬を届けてくれた。

 婚約者になってから三年。

 私は、いつしか本当に彼を好きになっていた。


「フェリクス様は、私を愛しています」


 私はそう言った。

 するとエレノアは、くすりと笑った。


「そうかもしれないわね」

「……え?」

「でも、それは昨日までの話よ」


 背後から足音が聞こえた。

 振り返る。


「リリア……」

「フェリクス様……?」


 そこには、私の婚約者が立っていた。

 いつもの優しい顔ではなかった。

 苦しそうに眉を寄せている。


「どうして、ここに……」


「エレノア様から話があると呼ばれたんだ」


 フェリクス様が姉を見る。


「エレノア様。本当に私との婚約を望んでいるのですか?」

「ええ」


 姉は迷いなく答えた。


「私は聖女ですもの」

「……」

「あなたも、聖女の夫になれば王国中から祝福されるわ」


 その言葉に、フェリクス様が黙り込んだ。

 私は嫌な予感がした。


「フェリクス様……?」


 彼は私を見た。

 そして。


「リリア」

「はい」

「すまない」


 胸の奥で、何かが崩れた。


「僕は……エレノア様を選ぶ」

「……え?」

「聖女である彼女を支えることが、僕の使命だと思ったんだ」


 耳鳴りがした。

 何を言っているのか、理解できない。


「でも……私たちは婚約者です」

「分かっている」

「三年間……ずっと一緒にいたではありませんか」

「……」

「私が何か悪いことをしましたか?」

「違う」

「では、どうして……」


 フェリクス様は答えなかった。

 代わりにエレノアが私の肩へ手を置いた。


「リリア」


 優しい声だった。

 だからこそ、余計に腹が立った。


「あなたは妹でしょう?」

「……」

「姉の幸せを祝ってくれるわよね?」


 私は姉の顔を見た。

 美しい笑顔。

 けれど、その瞳には明らかな勝ち誇った光が浮かんでいる。


「婚約を……破棄するのですか?」


 私が尋ねると、フェリクス様は苦しそうに目を伏せた。


「ああ」

「私との婚約を破棄して……姉様と婚約するのですね」

「そうだ」


 その瞬間。

 私の胸の奥で、何かがぷつりと切れた。


「……分かりました」

「リリア……」

「お幸せに」


 それだけ言って、私は二人に背を向けた。

 泣いてはいけない。

 ここで泣いたら、姉の思うつぼだ。

 そう自分に言い聞かせる。

 けれど。

 歩き出した瞬間。

 一粒だけ、涙が頬を伝った。

 私は知らなかった。

 この日を境に。

 私の人生が、大きく変わることを。

 そして。

 私から婚約者を奪った姉が、後になって激しく後悔することになるなんて。

 このときの私は、知る由もなかった。

 自室に戻った瞬間。


「……うっ……」


 私は扉を閉め、その場にしゃがみ込んだ。

 もう、我慢できなかった。


「……ひどい……」


 両手で口元を押さえる。

 それでも、涙は止まらなかった。

 ぽろぽろと頬を伝って、床に落ちていく。

 婚約者を奪われた。

 しかも相手は、実の姉。

 私の姉、エレノア。

 聖女として誰からも愛されている、大切な姉。

 私はずっと姉のために我慢してきた。

 姉が聖女に選ばれたときも、心から祝福した。

 姉のためなら、自分が少しくらい我慢するのは当然だと思っていた。

 姉のドレスが汚れれば洗った。

 姉が疲れていればお茶を淹れた。

 神殿へ行く朝には、姉が好きな焼き菓子を用意した。

 婚約者のフェリクス様だって、私にとっては大切な人だった。

 幼いころからずっと一緒だった。

 いつか結婚して。

 二人で領地を訪れて。

 小さな家を建てて。

 そんな未来を、私は勝手に夢見ていた。

 それなのに。


『僕は……エレノア様を選ぶ』

「……どうして……」


 胸が痛い。


「どうして私なの……?」


 誰も答えてくれない。

 ベッドに顔を埋める。

 涙で枕が濡れていく。


「私だって……好きだったのに……」


 声が震えた。


「ずっと……好きだったのに……」


 そのときだった。

 突然。

 頭の奥に、鋭い痛みが走った。


「――っ!」


 私は頭を押さえた。

 ぐらり、と視界が揺れる。


「なに……これ……」


 知らない景色が浮かんだ。

 青い空。

 どこまでも続く緑の草原。

 遠くに連なる山々。

 そして――。


「……牧場?」


 自分でも知らない言葉が口からこぼれた。

 次の瞬間。

 頭の中に、たくさんの記憶が流れ込んできた。

 私は――。

 この世界に生まれる前。

 別の世界で生きていた。

 高原にある小さな牧場。

 そこで、私は牧場主の娘として暮らしていた。


「……私……」


 呆然と呟く。

 名前も。

 家族の顔も。

 牧場の風景も。

 全部、思い出せる。


 朝。

 まだ空が薄暗いうちに起きる。

 冷たい高原の空気を胸いっぱいに吸い込む。


「おはよう」


 厩舎の扉を開ける。

 すると、馬たちが一斉に顔を出す。


「待ってて。今、ご飯を持ってくるから」


 大きな栗毛の馬が、私の肩に鼻を寄せてくる。


「もう。朝ご飯を待ちきれないの?」


 私は笑いながら、その鼻先を撫でる。

 少し離れた場所では、牛たちがのんびり草を食べていた。

 子牛が私を見つけると、嬉しそうに駆けてくる。


「こらこら。そんなに走ったら転ぶよ」


 私は笑いながら、その子の頭を撫でる。

 牧場には犬もいた。

 私が歩けば、いつも後ろをついてくる。

 羊たちは鳴きながら私の周りに集まってきた。

 鶏小屋へ行けば、卵を拾う。

 父と一緒に牛の世話をして。

 母と一緒にチーズを作って。

 夕方になれば、高原の向こうへ沈んでいく夕日を眺める。

 何も特別なことはない。

 でも。

 私は幸せだった。


「……あ……」


 涙が、また頬を伝った。

 今度の涙は、さっきまでとは違った。

 悲しいだけではない。

 懐かしかった。

 胸が締めつけられるほど、懐かしかった。


「みんな……」


 牧場の動物たちの顔が浮かぶ。

 栗毛の馬。

 いつも私の後ろをついてきた牧羊犬。

 人懐っこい子牛。

 少し意地悪な羊。

 朝になると大騒ぎする鶏たち。

 みんな、私が大好きだった。

 そして私も。

 みんなが大好きだった。


「……楽しかったな」


 小さく呟く。

 高原を吹き抜ける風。

 動物たちの鳴き声。

 家族と囲む食卓。

 焼きたてのパンの香り。

 夕暮れの牧場。

 どれも、今の私には眩しいくらい幸せな思い出だった。

 私は枕を抱きしめた。


「私……あんなに幸せだったんだ」


 そう思った瞬間。

 ふと、疑問が浮かんだ。

 どうして私は、今まで思い出さなかったのだろう。

 どうして私は。

 この世界で、姉に嫌われないように。

 姉に認めてもらえるように。

 ずっと我慢していたのだろう。

 前世の私は。

 もっと自由に笑っていた。

 動物たちに囲まれて。

 家族に愛されて。

 毎日を精いっぱい生きていた。


「……そうだ」


 私はゆっくり顔を上げた。

 涙で濡れた瞳を、窓の外へ向ける。


「私……前は、ちゃんと笑ってた」


 そして思う。

 もう一度。

 あんなふうに笑える日が来るだろうか。

 姉の顔色をうかがわず。

 誰かに幸せを奪われることもなく。

 自分が好きだと思えるものに囲まれて。

 そんな人生を――。


「……もう一度、生きてもいいのかな」


 窓の外では、夕暮れの空が赤く染まっていた。

 私はまだ知らなかった。

 この記憶こそが。

 私の人生を取り戻すための、大切な鍵になることを。

 そして。

 この世界にも――。

 前世の牧場で培った、私だけの『力』を生かせる場所があることを。



第二話 傷ついた私を、動物たちが慰めてくれました


 翌朝。

 食堂へ向かった私は、いつもより少しだけ足取りが重かった。


「おはよう、リリア」


 父が笑顔で声をかけてくる。


「おはようございます、お父様」

「聞いたぞ。エレノアとフェリクス君の婚約が正式に決まったそうだ」

「……はい」

「いやあ、めでたいことだ!」


 父は嬉しそうに笑った。

 隣に座っていた母も、満足そうに頷いている。


「これで我が家は聖女と侯爵家を結びつけることができるわね」

「本当にそうですわね」


 二人とも、心から喜んでいた。

 私の胸が、ずきりと痛む。

 昨日、私から婚約者を奪った二人の婚約を、両親は祝福している。

 それだけならまだ耐えられた。

 けれど。


「リリア」


 母が私を見る。


「あなたも、姉の幸せを祝ってあげなさい」

「……はい」

「エレノアは昔から苦労してきたのですから」


 私は思わず顔を上げた。


「苦労……ですか?」

「ええ」


 母は当然のように頷いた。


「以前の婚約者との婚約が解消されたときも、エレノアはとても傷ついていたのよ」


 私は何も言えなかった。

 姉には、フェリクス様と出会う前にも婚約者がいた。

 けれど、その婚約者との婚約は解消されていた。

 理由は――。

 エレノアの度重なる我がままだった。

 婚約者の家に突然訪問しては予定を変更させる。

 贈り物が気に入らないと投げ捨てる。

 婚約者の妹が挨拶をしなかっただけで、身分をわきまえるよう叱りつける。

 ついには相手の両親にまで、「聖女である私にもっとふさわしい待遇を」と要求した。

 相手側が我慢できなくなり、婚約解消を申し出たのだ。

 それなのに。


「エレノアは可哀想な子なのよ」


 母は言った。


「聖女という重責を背負っているのだから、多少の我がままは仕方がないでしょう?」

「……」


 私は黙ってスープを口に運んだ。

 味がしなかった。


「それに、フェリクス君はエレノアを幸せにしてくれるはずよ」


 父が笑う。


「リリアも喜んでくれるだろう?」

「……はい」


 私は笑った。

 上手に笑えているかは分からない。


「おめでとうございます」


 それだけ言った。

 食事を終えると、私は誰にも何も言わずに学院へ向かった。

 学院では、昨日の噂でもちきりだった。


「聞いた? エレノア様とフェリクス様が婚約したんですって」

「聖女様と侯爵令息なんて、お似合いよね」

「でも、元々はリリア様の婚約者だったのでしょう?」

「……まあ、仕方ないわよ。聖女様だもの」


 ひそひそとした声が聞こえる。

 私は聞こえないふりをした。

 教室に入っても、誰も私に近づいてこない。

 昨日までは「フェリクス様の婚約者」として扱われていた。

 でも今日は違う。

 私はもう、誰かの婚約者ですらない。


「……少し、外へ行こう」


 私は教科書を閉じた。

 向かったのは、学院の外れにある厩舎だった。

 ここには学院が所有する馬や、騎士団の訓練用の動物たちがいる。

 人間と話す気にはなれなかった。

 でも。

 動物たちなら。

 扉を開ける。


「こんにちは」


 すると、一頭の栗毛の馬がこちらを向いた。


「……覚えていてくれたの?」


 私は近づき、その首をそっと撫でた。

 温かい。

 柔らかい毛。

 規則正しい呼吸。


「今日はね……ちょっと悲しいことがあったの」


 もちろん、馬に話したところで意味などない。

 そう思っていた。


「婚約者を……姉に取られちゃった」


 馬の耳がぴくりと動いた。


「私、フェリクス様のことが好きだったの」


 言葉にすると、また胸が痛くなった。


「ずっと……一緒にいたのに」


 私は馬の首に顔を埋めた。


「なのに、姉様が欲しいって言ったら……譲らなきゃいけないんだって」


 涙が落ちた。


「……私、何だったのかな」


 その瞬間だった。


『そんなの、おかしいよ』

「……え?」


 私は顔を上げた。

 誰もいない。

 周囲を見回す。


『リリアは、悪くないよ』

「……今、何か聞こえた?」


 栗毛の馬が、じっと私を見ていた。


『昨日からずっと悲しそうだった』

「……」

『だから、心配してた』


 私は目を見開いた。


「あなた……?」

『そうだよ』

「……馬が……喋ってる?」

『喋ってるよ?』


 当たり前のような返事だった。

 私は呆然とした。


「私……おかしくなったのかしら」

『おかしくないよ』


 栗毛の馬は、私の肩に鼻先を寄せた。


『リリアは優しいから好き』

「……っ」


 また涙が溢れた。

 でも今度の涙は、悲しみだけではなかった。


「ありがとう……」


 私は馬の首を抱きしめた。


『悲しいときは、ここに来ればいいよ』

「……うん」

『僕たちがいるから』

「……うん」


 そのとき。


「わん!」


 背後から大きな声がした。

 振り返ると、学院の厩舎で飼われている牧羊犬が走ってくる。


「あなたも……?」

『リリア!』

「……!」

『僕もいるよ!』


 尻尾をぶんぶん振りながら、私の足元に飛びついてくる。


『昨日、泣いてたよね!』

「見てたの?」

『見てた!』

『僕も見てたよ』


 馬が答える。

 さらに、隣の小屋から顔を出した羊まで、


『リリア、元気ない?』

「……ふふ」


 思わず笑ってしまった。

 昨日、あれほど泣いたのに。

 今は少しだけ、胸が軽くなった。


「みんな……優しいね」

『だってリリアが優しいから』


 その言葉に、胸が温かくなる。

 人間には認めてもらえなかった。

 姉には利用された。

 婚約者には捨てられた。

 両親にも、私の気持ちを理解してもらえなかった。

 それでも。

 ここには私を必要としてくれる存在がいる。


「……ありがとう」


 私は笑った。


「私、もう少しだけ頑張ってみる」

『うん!』

『明日も来てね!』

『絶対だよ!』


 動物たちの声が重なる。

 私は久しぶりに、心から笑った。

 そのときだった。

 厩舎の奥から、小さな鳴き声が聞こえた。


『……リリア』

「どうしたの?」


 一番奥の馬房。

 そこには、誰も世話をしていない痩せた白馬がいた。


『お願い……』

「……?」

『僕を助けて』


 私は息を呑んだ。

 白馬の身体には、いくつもの古い傷が残っている。


「あなた……」


 私はゆっくり馬房へ近づいた。


『ずっと痛いんだ』

「……」

『でも、誰も僕の言葉を聞いてくれなかった』


 私は白馬の首にそっと手を置いた。


「もう大丈夫」


 自分でも不思議なくらい、自然に言葉が出た。


「私が聞いてあげる」


 白馬が静かに目を閉じた。


『……ありがとう、リリア』


 私はその白馬を撫でながら思った。

 もしかすると。

 私がこの世界で生きていく意味は――。

 姉やフェリクス様のためではなく。

 この子たちのためにあるのかもしれない。

 そして私はまだ知らなかった。

 動物たちの言葉を理解できるこの力が。

 やがて私の人生を大きく変えていくことを。


第三話 子馬を助けたら、ユニコーンの加護を授かりました


 白馬の首に触れたまま、私はじっとその子を見つめた。

 近くで見ると、やはり痛々しい。

 白い毛はところどころ汚れ、細い身体には古い傷がいくつも残っている。


「ずっと……痛かったの?」

『うん』

「どうして、こんなところにいるの?」

『分からない……』


 白馬は寂しそうに目を伏せた。


『気がついたら、ここにいたの』

「……そう」


 私は胸が痛くなった。

 前世の牧場では、怪我をした動物を放っておくことなんてなかった。

 父はどんなに忙しくても、傷ついた動物がいれば必ず手当てをした。

 私も父の隣で何度も手伝った。

 だから――。


「少し待っていてね」


 私は立ち上がった。


「薬草と水を持ってくるから」

『……え?』

「傷をきれいにしてあげる」

『でも……』

「大丈夫」


 私は笑った。


「私、こういうことには慣れているの」


 前世の記憶が戻った今なら分かる。

 動物の世話は、私にとって特別なことではない。

 むしろ――。

 ずっと大好きだったことだ。

 私は急いで水と薬草を取りに行った。

 学院の厩舎に置かれていた薬草を使い、傷を一つずつ丁寧に洗っていく。


「痛かったら言ってね」

『……うん』

「ちょっとだけ我慢して」

『リリアは優しいね』

「そんなことないよ」

『優しいよ』


 白馬は嬉しそうに目を細めた。

 私は傷口に薬草を当てる。

 すると。


「……あれ?」


 傷口から、淡い光がこぼれた。


「何……?」


 白い光が私の指先から流れ込んでいく。

 傷が、ゆっくりと塞がっていく。


「……え?」


 私は目を見開いた。

 さっきまで赤く腫れていた傷が、みるみるうちに消えていく。


『……あったかい』

「私が……治してるの?」


 信じられなかった。

 私は聖女ではない。

 神殿で祝福を受けたこともない。

 魔法だって、ほとんど使えなかった。

 それなのに。


「……傷が、消えてる」


 最後の傷が消えた。

 白馬はゆっくりと立ち上がる。

 そして――。


『痛くない』

「……!」

『リリア、痛くないよ!』


 白馬が嬉しそうに首を振った。


「よかった……」


 私は思わず、その首に抱きついた。


「本当によかった……!」

『ありがとう、リリア』

「ううん」


 私は笑った。


「元気になったなら、それでいいの」


 その瞬間だった。

 厩舎の空気が変わった。

 風もないのに、白馬の周囲で白い光が渦を巻く。


「え……?」


 白馬の身体が、まばゆい光に包まれた。

 そして。

 額から――。

 一本の角が伸びた。


「……え?」


 私は呆然とした。

 白い毛並み。

 銀色に輝くたてがみ。

 そして、額に生えた美しい一本の角。


『リリア』


 声まで変わっていた。

 どこか澄んだ、優しい声。


『僕はユニコーンなんだ』

「ユニコーン……?」


 伝説上の聖獣。

 癒やしの力を持つ、神聖な存在。

 そんなものが――。


「どうして、こんなところに……?」

『母さんとはぐれたんだ』

「お母さんがいるの?」

『うん』


 ユニコーンの子が嬉しそうに笑った。


『母さんはきっと、僕を探してる』


 そのとき。

 厩舎の外から、地面を震わせるような蹄の音が聞こえた。

 ドン。

 ドン。

 ドン。

 動物たちが一斉に静かになる。


『……母さんだ』

「え?」


 扉の向こうから、巨大な白いユニコーンが姿を現した。

 その美しさに、私は息を呑んだ。

 真っ白な身体。

 月光のような銀色のたてがみ。

 額には長く美しい角。

 そして、その瞳は深い紫色をしていた。

 母親は私を見ると、ゆっくりと頭を下げた。


『この子を助けてくれて、ありがとう』

「……!」


 言葉が出なかった。


『この子の傷は、普通の治癒魔法では治らなかった』


 ユニコーンは静かに続ける。


『だから、もう助からないと思っていた』

「そんな……」

『あなたがこの子を見捨てず、手を差し伸べてくれた』


 母親の角から、淡い光が溢れ出す。


『その優しさに、私たちの一族から礼を』

「礼……?」


 光が私の胸へと入っていく。


「――っ!」


 身体の奥が熱くなった。

 けれど、不思議と苦しくない。

 むしろ――。

 温かい

 まるで春の日差しに包まれているようだった。


『ユニコーンの加護を授けます』

「加護……?」

『あなたが望む限り、あなたの癒やしの力は人も動物も救うでしょう』


 母親のユニコーンは優しく微笑んだ。


『その力は、聖女の力を遥かに超えるもの』

「……え?」


 私は聞き返した。


『この国の聖女が持つ癒やしの力よりも、あなたの力のほうが強い』


 そんなこと――。

 今までの私には、想像もできなかった。


「私は……聖女じゃないのに」

『聖女である必要などありません』


 ユニコーンは言った。


『あなたは、あなたのままでいいのです』


 その言葉に、胸が熱くなった。

 ずっと。

 私は姉と比べられてきた。

 聖女ではない。

 特別な力がない。

 エレノアより劣っている。

 そう言われ続けてきた。

 けれど。

 私にも――。

 私だけの力がある。


「……ありがとう」


 私は涙を拭った。


「私、この力を大切にするね」

『ええ』


 ユニコーンは微笑んだ。


『あなたなら、きっと多くの命を救えるでしょう』


 その日。

 私は初めて、自分自身のことを少しだけ好きになれた。

 けれど――。

 その頃、王都では異変が起きていた。

 街のあちこちで、人々が高熱を出して倒れ始めていたのだ。


「医者を呼べ!」

「子供が苦しんでいる!」

「薬が足りない!」


 王都を覆う、不安。

 それは瞬く間に広がっていった。

 そして。


「アンナネット様がお倒れになりました!」


 王宮にも、悲痛な知らせが届いた。

 幼い王女、アンナネット。

 まだ八歳。

 王妃に抱きしめられながら、苦しそうに息をしている。


「アンナネット……!」


 国王が青ざめる。


「聖女を呼べ!」


 すぐにエレノアが王宮へ呼ばれた。


「私にお任せください」


 聖女であるエレノアは、自信を持って王女の寝室へ入った。


「必ず治してみせます」


 両手を胸の前で組む。

 白い光が部屋いっぱいに広がった。


「癒やしの光よ――」


 けれど。


「……っ」


 エレノアの顔から、みるみる血の気が引いていく。


「どうして……?」


 何度、力を注いでも。

 アンナネットの熱は下がらない。

 むしろ――。


「うぅ……」


 王女の苦しそうな声が響いた。


「アンナネット!」


 王妃が泣き崩れる。


「聖女様……どうか……この子を……」

「私の力では……」


 エレノアは震える手を見つめた。


「治せない……」


 王宮が絶望に包まれた。

 そんなときだった。


「……待ってください」


 一人の少年が部屋へ入ってきた。

 黒髪に青い瞳。

 王国の第二王子――エリオット。


「僕の使い魔が、気になることを言っているんです」


 エリオットの肩には、小さな白いフクロウが止まっていた。


『王子様』


 フクロウが小さく鳴く。


『この病を治せるかもしれない人がいる』

「誰なんだ?」

『学院にいる女の子です』

「名前は?」


 フクロウは翼を広げた。


『リリアという名前だよ』


 エリオットの瞳が揺れた。


「……リリア嬢?」

『うん』


 エリオットはしばらく黙っていた。

 そして、決意したように顔を上げる。


「僕が学院へ行きます」

「エリオット……?」

「アンナネットを助けられる可能性があるなら、僕は何だってします」


 その頃。

 学院の厩舎で。


「……なんだろう?」


 私は突然、胸元に手を当てた。

 ユニコーンの加護が、淡く光っている。


『リリア』


 動物たちが一斉にこちらを見る。


『誰かが助けを求めてるよ』

「……誰?」


 私は立ち上がった。

 そして――。

 遠く王宮から、馬の蹄の音が響いてきた。

 やがて学院の門が開く。

 一台の王家の馬車が、まっすぐこちらへ向かってきた。

 その馬車から降りてきたのは。

 第二王子、エリオットだった。


「リリア嬢」


 彼は私の前まで歩いてくると、深く頭を下げた。


「突然、申し訳ありません」

「エリオット殿下……?」

「妹のアンナネットが、病に倒れました」


 私は息を呑む。


「聖女様の力でも、治すことができない」

「……」

「だから――」


 エリオットは真っ直ぐ私を見つめた。


「あなたにお願いがあります」

「私に……?」

「アンナネットを助けてください」


 その瞬間。

 私の胸の奥で、ユニコーンから授かった加護が強く輝いた。

 まるで――。


「行きましょう」


 私自身が答えを知っているかのように。

 私は静かに頷いた。


「王女様を、助けに行きます」


第四話 聖女の力でも救えない王女を、私が救います


 王家の馬車に乗り込んだ私は、エリオット殿下の向かいに座った。

 馬車が動き出す。

 窓の外を流れていく王都の景色を見ながら、私は胸元に手を当てた。

 そこには、ユニコーンから授かった加護が宿っている。


「リリア嬢」

「はい」

「本当に……妹を助けられるのでしょうか」


 エリオット殿下の声には、不安が滲んでいた。

 当然だと思う。

 アンナネット王女は、王国中の医師や神殿の治癒術師が治せなかった病に倒れている。

 聖女であるエレノア姉様でさえ、治せなかった。

 私に何ができるのか。

 私自身にも分からない。


「私も、まだ自分の力を完全には理解していません」

「……そうですか」

「ですが」


 私は胸元を握った。


「助けられる可能性があるのなら、行きます」


 エリオット殿下が、驚いたように私を見る。


「怖くはないのですか?」

「怖いです」


 私は正直に答えた。


「でも……」


 頭に浮かんだのは、昨日の白馬だった。

 傷ついていたのに、誰にも助けてもらえなかったあの子。

 もし私が見捨てていたら。

 きっと、今も苦しんでいた。


「助けを求めている人を見捨てるほうが、私は怖いです」

「……」


 エリオット殿下はしばらく黙っていた。

 やがて。


「あなたは……不思議な人ですね」

「そうでしょうか?」

「はい」


 殿下は小さく笑った。


「とても強い人だと思います」


 胸が、少しだけ温かくなった。

 以前の私は。

 誰かに認めてもらいたくて仕方がなかった。

 姉より劣っていると言われないために。

 フェリクス様に愛されるために。

 両親に褒めてもらうために。

 けれど。

 今は違う。

 私はただ、目の前にいる人を助けたい。

 それだけだった。

 やがて馬車が王宮へ到着する。

 扉が開いた瞬間。


「リリア様!」


 王宮の侍女が駆け寄ってきた。


「どうか、アンナネット様を……!」

「案内してください」

「はい!」


 私は侍女に連れられ、王女の寝室へ向かった。

 扉の前には、国王陛下と王妃殿下。

 そして――。

 エレノア姉様とフェリクス様がいた。


「……リリア?」


 姉様の顔が歪んだ。


「どうして、あなたがここにいるの?」

「王女様を治すためです」

「……あなたが?」


 エレノア姉様が笑った。


「冗談でしょう?」

「冗談ではありません」

「だって、あなたには治癒魔法なんて――」

「あります」

「……え?」


 姉様の笑顔が止まった。


「私には、ユニコーンの加護があります」

「ユニコーン……?」


 その言葉に、周囲がざわめいた。


「まさか……」

「伝説の聖獣……?」


 エレノア姉様だけが、信じられないものを見るような目をしている。


「そんなもの、嘘よ!」

「姉様」


 私は静かに姉を見る。


「今は、王女様を助けることが先です」

「……っ」


 エレノア姉様が唇を噛んだ。

 私は扉の前へ進んだ。


「入ってもよろしいでしょうか?」

「頼む」


 国王陛下が頷いた。

 私は王女の寝室へ入った。


「アンナネット様……」


 小さな身体が、ベッドの上で苦しそうに横たわっている。

 顔は真っ赤。

 呼吸も浅い。


「お母様……」


 か細い声。


「アンナネット!」


 王妃殿下が駆け寄る。

 私は王女の手を握った。


「大丈夫です」

「……お姉さん、誰?」

「私はリリアと申します」

「リリア……?」

「はい」


 私は微笑んだ。


「少しだけ、目を閉じていてくださいね」

「うん……」


 王女が目を閉じる。

 私は胸元に手を当てた。

 ユニコーンの加護。

 お願い。

 この子を助けて。

 すると――。

 白い光が指先から溢れ出した。


「……!」


 部屋にいた全員が息を呑む。

 光は王女の身体を優しく包み込んだ。

 そして。


「……あ」


 王女の頬から、赤みが少しずつ消えていく。


「熱が……!」


 王妃殿下が驚きの声を上げた。


「下がっています!」


 侍女が叫ぶ。


「そんな……」


 エレノア姉様が後ずさった。


「私の力では……何度やっても……」


 私は何も答えなかった。

 ただ、王女の手を握り続ける。

 白い光がさらに強くなる。


「もう少しです」


 胸の奥が熱くなる。

 ユニコーンの力が、王女の身体の奥へ流れていく。

 やがて。

 王女がゆっくり目を開けた。


「……苦しくない」

「アンナネット!」


 王妃殿下が泣きながら娘を抱きしめた。


「お母様……お腹が空いた」

「……!」


 王妃殿下の目から涙が溢れた。


「ええ……ええ……! 好きなものを何でも食べさせてあげるわ!」


 国王陛下も、深く息を吐いた。


「……助かった」


 そして。

 陛下は私の前へ歩いてきた。


「リリア嬢」

「はい」

「娘を救ってくれて、本当にありがとう」

「私は……」


 言葉に詰まる。

 すると、国王陛下が私の肩へ手を置いた。


「いや。礼を言わせてほしい」


 その言葉を聞いた瞬間。

 胸がいっぱいになった。

 今まで。

 私はずっと誰かに必要とされたかった。

 けれど今。

 私は初めて、自分の力で誰かを救えた。


「……ありがとうございます」


 涙が一粒、頬を伝った。

 その様子を。

 フェリクス様は、黙って見つめていた。

 彼の顔から、血の気が引いている。


「リリア……」


 小さな声。

 私は振り返った。


「何でしょうか?」

「君が……こんな力を……?」

「はい」

「どうして……」


 フェリクス様は言葉を失った。

 昨日まで。

 私は彼の婚約者だった。

 彼は私を捨てた。

 聖女である姉を選んだ。

 けれど今。

 彼の目に映っている私は。

 昨日までとは、まったく違う存在だった。

 エレノア姉様が震える。


「ありえない……」


 そして。


「聖女である私より、強いなんて……」


 その呟きは、部屋中に響いた。

 誰も答えなかった。

 ただ。

 国王陛下だけが、静かに姉様を見た。


「エレノア」

「……はい」

「先ほどまで、そなたの治癒魔法では娘の病を治せなかったな?」

「……」

「しかし、リリア嬢は治した」

「……はい」

「ならば、調べる必要がある」

「何を……ですか?」


 陛下の目が鋭くなる。


「本当にそなたが、我が国唯一の『聖女』なのかをな」

「……っ!」


 エレノア姉様の顔が青ざめた。

 そして私は知らなかった。

 この日を境に。

 姉様がこれまで隠してきた秘密が、一つずつ暴かれていくことを。

 そして。

 私からフェリクス様を奪った二人が。

 自分たちの選択を、心の底から後悔することになるのは――。

 もう、すぐそこまで迫っていた。


第五話 私を捨てた婚約者が、今さら戻ってきました


 王女アンナネット様が回復してから、三日が経った。

 王宮では、ある噂が広がっていた。

 ――聖女エレノアの力は、実はそれほど強くない。

 神殿が改めて調査した結果。

 エレノア姉様が持つ治癒の力は、確かに聖女として認められるものだった。

 けれど。

 歴代の聖女と比べると、あまりにも弱かった。


「これは……」


 神殿の大神官が、測定結果を前に言葉を失う。


「聖女として最低限の力はあります。しかし……」

「しかし?」

「王女殿下を救えるほどの力ではありません」


 その言葉を聞いたエレノア姉様の顔が、真っ青になった。


「そんな……」

「そして、リリア嬢の力は――」


 大神官が震える手で別の測定結果を見る。


「比較になりません」

「……え?」

「これほどの治癒能力は、記録に残っている聖女の中にも存在しません」


 神殿が騒然となった。

 私は、その話を後から聞いただけだった。

 正直。

 あまり興味はなかった。

 私にとって大切なのは、アンナネット様が元気になったこと。

 そして。

 厩舎にいる動物たちが元気でいること。

 それだけだった。

 ところが。

 そんな私のところへ、一人の男性がやってきた。


「リリア」


 聞き慣れた声。

 振り返る。


「……フェリクス様」


 元婚約者だった。

 フェリクス様は、以前とはまるで違う顔をしていた。

 疲れ切ったような顔。

 そして。

 どこか焦っている。


「少し、話をしたい」

「何でしょうか?」

「二人きりで話せないだろうか」


 私は少し迷った。

 けれど。


「分かりました」


 学院の庭園へ移動した。

 春の花が咲いている。

 以前なら、この場所でフェリクス様と並んで歩くことが嬉しかった。

 でも今は。

 不思議なくらい、何も感じなかった。


「リリア」

「はい」

「……僕は、間違っていた」


 突然。

 フェリクス様が頭を下げた。


「君に謝りたい」

「……」

「婚約を破棄したこと」

「はい」

「君を傷つけたこと」

「はい」

「そして……エレノア様を選んだこと」


 私は静かに彼を見た。


「後悔しています」


 その言葉を聞いても。

 胸は痛まなかった。

 以前なら。

 どれほど嬉しかっただろう。

 ずっと聞きたかった言葉だった。

 けれど。


「そうですか」

「リリア……」

「後悔しているのですね」

「ああ」


 フェリクス様が一歩近づく。


「君が、あれほど素晴らしい力を持っているなんて知らなかった」


 その言葉に。

 私は少しだけ悲しくなった。


「……そうですか」

「僕は愚かだった」

「そうですね」

「エレノア様の力が、これほど弱いなんて知らなかったんだ」

「……」

「僕は聖女の夫になることが、家のためになると思っていた」


 フェリクス様が私を見る。


「でも、違った」

「何が違ったのですか?」

「君だ」


 彼の目が熱を帯びる。


「僕が本当に愛していたのは、君だったんだ」


 私は黙った。


「だから……」


 フェリクス様が手を伸ばす。


「もう一度、僕と婚約してほしい」

「……」

「エレノア様との婚約は破棄する」


 私は思わず目を伏せた。

 やっぱり。

 この人は。

 何も分かっていない。


「フェリクス様」

「何だい?」

「一つ、質問してもよろしいですか?」

「ああ」

「もし私に、ユニコーンの加護がなかったら?」

「……」

「もし私が王女様を治せなかったら?」

「……」

「もし姉様の聖女の力が、今まで通り強いと思われていたら?」


 フェリクス様の顔が固まった。


「それでも、私を選びましたか?」

「それは……」


 答えがない。

 私は静かに笑った。


「それが答えです」

「違う!」


 フェリクス様が慌てて首を振る。


「僕は本当に君を――」

「では、もう一つだけ」


 私は彼の言葉を遮った。


「私が何の力も持っていなかったとしても、私を選びましたか?」

「……」


 やっぱり。

 答えは返ってこなかった。

 私は胸の奥で、静かに何かが終わるのを感じた。


「フェリクス様」

「……」

「私は、あなたを許します」


 彼が顔を上げた。


「本当か?」

「はい」

「では――」

「でも」


 私は首を横に振った。


「二度と、あなたの婚約者にはなりません」

「……え?」


 フェリクス様の顔から笑顔が消える。


「どうして……」

「私はもう、あなたを好きではありません」

「リリア……」

「昨日までの私は、あなたに捨てられたことで泣いていました」


 私は自分の胸に手を当てた。


「でも、今の私は違います」


 厩舎で笑う動物たち。

 私を必要としてくれる小さな命。

 そして。

 王女様を救ったときに感じた、温かな光。

 私はもう。

 誰かに選ばれるために生きる必要はない。


「私は、自分の人生を自分で選びます」

「……」

「ですから、フェリクス様もご自分の人生を選んでください」

「僕は君を選ぶ!」

「遅すぎます」


 その言葉に。

 フェリクス様が息を呑んだ。


「あなたが私を選ぶことを決めたとき、私はもうあなたを選ばないことを決めていました」

「……っ」


 フェリクス様の目に、初めて絶望が浮かんだ。

 そのとき。


「リリア嬢」


 後ろから声がした。

 振り返る。

 そこには。

 エリオット殿下が立っていた。


「殿下……」

「探しました」


 エリオット殿下は私の隣まで歩いてくる。

 そして。

 何も言わず、私の少し前に立った。

 まるで私を守るように。


「フェリクス卿」

「……エリオット殿下」

「妹を救ってくれたリリア嬢に、何か用がおありですか?」

「……」


 フェリクス様が拳を握る。


「僕は……リリアに謝っていたのです」

「そうですか」


 エリオット殿下は淡々と答えた。


「それなら、もう十分でしょう」

「ですが……」

「彼女は、あなたの謝罪を受け入れました」


 エリオット殿下が私を見る。


「違いますか?」

「はい」

「ならば、それで終わりです」


 フェリクス様は唇を噛んだ。


「殿下は……リリアを?」


 その問いに。

 エリオット殿下は一瞬だけ私を見る。

 そして。


「はい」


 迷いなく答えた。


「私は、リリア嬢を大切に思っています」

「……!」


 胸が大きく跳ねた。

 フェリクス様が目を見開く。


「彼女が泣いているなら、そばにいたい」

「……」

「彼女が笑っているなら、その笑顔を守りたい」


 エリオット殿下の声は静かだった。

 けれど。

 その言葉は、私の胸にまっすぐ届いた。


「そして、彼女が選んだ道を尊重したいと思っています」


 私は、思わず殿下を見上げた。

 以前。

 フェリクス様は私を選ばなかった。

 聖女だから。

 家のためだから。

 王国のためだから。

 そんな理由で。

 でも。

 エリオット殿下は違う。

 私の力ではなく。

 私自身を見てくれている。


「……リリア」


 フェリクス様が、最後に私を見る。


「本当に……僕を選ばないのか?」

「はい」


 今度は迷わなかった。


「もう、戻りません」


 フェリクス様の瞳が揺れる。


「僕より……殿下を選ぶのか?」

「違います」


 私は静かに答えた。


「私は、まず自分自身を選びます」

「……」

「そのうえで」


 私はエリオット殿下を見る。

 殿下は何も言わず、ただ優しく微笑んでいた。


「私のそばにいてくれる人を、大切にしたいと思います」


 フェリクス様は何も言えなくなった。

 やがて。


「……分かった」


 小さく呟いて、背を向けた。

 その背中は。

 かつて私が憧れた婚約者の姿とは、別人のように小さく見えた。

 彼が去ったあと。


「リリア嬢」

「はい?」

「……大丈夫ですか?」

「はい」


 私は笑った。


「もう、大丈夫です」


 エリオット殿下がほっとしたように微笑む。


「それならよかった」

「殿下」

「はい」

「さっき……私を大切に思っていると」

「あれは本当です」

「……」


 顔が熱くなる。


「どうして……?」

「王女を救ったからではありません」


 エリオット殿下は、まっすぐ私を見る。


「あなたが傷ついた動物を見捨てなかったからです」

「……!」

「あなたが泣いているのに、それでも誰かを助けようとしたからです」


 胸がいっぱいになる。


「私は、そんなあなたを知っています」


 エリオット殿下が微笑む。


「だから、あなたの力がなくても、私はあなたのそばにいたい」


 涙が溢れそうになった。

 今まで。

 私はずっと。

 誰かに選んでもらおうとしていた。

 姉より優れようとして。

 婚約者に愛されようとして。

 家族に認めてもらおうとして。

 でも。

 もう違う。

 私は私のままでいい。

 そう思わせてくれる人が。

 今、私の隣にいる。


「……ありがとうございます」

「こちらこそ」


 エリオット殿下は、そっと手を差し出した。


「これからも、あなたの隣にいてもいいでしょうか?」


 私はその手を見つめた。

 そして。

 小さく笑って、その手を取った。


「はい」


 春の風が吹く。

 花びらが舞う。

 その向こうで。

 白いユニコーンが、静かにこちらを見ていた。


『リリア』

「うん?」

『今度は、幸せになってね』


 私は微笑んだ。


「うん」


 もう。

 過去には戻らない。

 私から婚約者を奪った姉にも。

 私を捨てた元婚約者にも。

 振り返らない。

 だって。

 私の人生は、これから始まるのだから。

 そして――。

 この日を境に。

 エレノアは、少しずつすべてを失っていくことになる。

 聖女としての地位。

 王族からの信頼。

 そして。

 自分が当然のように手に入ると思っていた、フェリクスとの未来さえも。

 その一方で。

 リリアのもとには、次々と人々が集まり始めていた。

 傷ついた兵士。

 病に苦しむ子供。

 怪我をした動物たち。

 そして。

 リリアを心から慕う、たくさんの人々が。

 彼女はまだ知らない。

 自分がいつか。

 この国で誰よりも多くの命を救う存在になることを。

 そして。

 その隣にはいつも。

 一人の王子が寄り添っていることを。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。感謝です。(*- -)(*_ _)ペコリ

 また次の物語でお会いできる日を、心より楽しみにしております。


 山田 バルス(*^_^*)

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