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吾輩はゴブリンである  作者: 平木明日香
第一章 名はまだない
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第四話 怪しまれぬ方法



吾輩が住んでいる周辺の状況は、このところの夜歩きによって、ある程度まで調べることができていた。


もっとも、「ある程度まで」とは便利な言葉である。何しろ吾輩の調査方法は、月明かりを頼りに森の縁をそろそろと進み、茂みの陰から人間どもの暮らしぶりを盗み見し、見つかりそうになれば葉陰に伏せてやり過ごす、というひどく後ろ暗いものである。役所の測量官のように正確な地図が描けるわけでもなく、旅の学者のように由来や戸数まで記録できるわけでもない。だが、それでもまるで分からぬよりはよほどましだ。死んでゴブリンになってみると、世の中のたいていのことは「よほどまし」で十分にありがたいと知る。


周辺には、どうやら町と呼ぶには少しばかり小さな場所が多いらしい。麦畑の傍らに家が十数軒寄り集まっただけの集落もあれば、木の柵に囲まれ、荷車の出入りする門を備えた、それなりに栄えた場所もある。とはいえ、その「栄えた」というのも、あくまでこの辺りにしては、の話である。吾輩が生前暮らしていた街に比べれば、どれもずいぶんと小さく、夜になると灯の数も心許ない。店らしきものが二、三軒まとまっているだけで、人の往来といっても昼間に少し賑わうくらいであろう。あちらの世界でなら、ちょっと裏通りへ入ればありそうな規模である。


しかし、その小ささをもって直ちに貧しさと断ずるのは早計であるらしい。小さいながらに、どの場所にもそれなりの秩序がある。柵の直し方一つ見ても、誰が器用で誰が大雑把かが出る。井戸の周りの踏み固められ方を見れば、そこが人の集まる中心であることが分かる。干された布の数、家畜小屋の匂い、子供の声の響き、夜更けの戸締まりの音――そういうものが、小さな世界なりの厚みを作っている。大都市の喧騒には喧騒の事情があるが、こうした集落には集落の凝縮した生活というものがある。要するに、人間はどこへ住んでも、狭いなりにきちんと面倒くさく暮らすらしい。


ただ、こちらの世界の人間の暮らしを眺めていて、吾輩がまず強く感じたのは、文明の規模よりも自然の大きさであった。


これは実に見事である。


生前の吾輩が知っていた風景にも、もちろん山河はあった。季節ごとの趣はあり、庭木の葉色や夕暮れの光に心を動かされることもあった。だが、この世界の自然は、それらを一段どころか二段ばかり大きくしたような具合なのである。森はただ木が生えているのではなく、まるで夜の海が立ち上がってそのまま根を張ったようにうねり、谷には霧が沈み、岩肌を割って落ちる水は月光を砕いて銀色に光る。夜でさえこれなのだから、明るい昼間に見ればどれほどのものかと思う。もっとも、昼間にうかうか出歩けば吾輩の首が危ういので、あまり気軽に見物というわけにもいかぬが。


先日も、少し高い尾根へ上がって遠くを見た折、吾輩はしばらく本当に言葉を失った。谷あいの向こうに湖とも大河ともつかぬ水面が広がり、その向こうに重なる山々が、月に照らされて青白く浮いていたのである。あまりに大きく、あまりに静かで、しかも不思議なほど輪郭が明るい。生前の吾輩なら、何とか気の利いた比喩をひねり出そうとしたであろうが、その時ばかりは比喩より先に口が閉じた。景色が壮大すぎると、文学は一瞬、礼儀正しく黙るよりほかなくなるらしい。


しかし、そうして感心してばかりもいられぬ。美しい景色というものは、腹の足しにはならぬし、ましてゴブリンを人間の町へ通してくれる通行証にもならぬ。自然が豊かであるということは、同時に隠れ場所が多いという意味で、吾輩のような身にはありがたいが、他方で人間の生活圏がそれだけ点在し、目立たぬ危険も多いということでもある。森が深ければ逃げやすいが、迷いやすくもある。川が美しければ水は得られるが、橋の近くには人がいる。世界が雄大であるほど、小さなゴブリン一匹の行動には慎重さが要る。


向かうべき場所は、おおかた決めていた。


森の東の縁に、小さな川沿いの町がある。町、と言ってよいかどうか少し迷うが、周辺の集落の中ではもっとも人の出入りが多く、柵も門もあり、荷車も集まる。川があるから、上流や下流から品が流れてくるのであろう。何より、二晩ばかり様子を窺った限りでは、旅人らしき者がちらほら出入りしている。農夫ばかりの閉じた村より、よそ者が紛れ込みやすい。吾輩のような者にとって、「よそ者が珍しくない」という条件は非常に重要である。珍しいというだけで人はじろじろ見る。じろじろ見られれば、そのうち耳の形か手の色か、何かがばれる。ばれれば終わりだ。


ゆえに、行くならあそこだ、と見当をつけていたのである。


問題は、どのように接触するかに尽きる。


町へ辿り着くことと、町の者に受け入れられることは別問題である。いや、「受け入れられる」とまで言うと、少し欲が深いかもしれぬ。せめて即座に殴られたり斬られたりせぬこと。まずはそれだけで十分だ。文明社会の敷居というものは、怪物の身になってみると恐ろしく高い。生前には、宿屋へ入るにも店へ立ち寄るにも、それほど深く考えたことはなかった。人の形をして、人の言葉を話し、人の金を出せば、たいていの場所では人として扱われる。しかし今の吾輩は、その肝心の「人の形」が怪しい。


敵意がないことを、どうすれば明白にできるか。


これについて吾輩は、昨夜からずいぶんと頭をひねっていた。武器を持たぬ。動きをゆっくりする。両手を見せる。そういう手段は思いつく。だがそれだけでは足りまい。相手の側に「これは人間か、少なくとも人間に近い何かだ」と思わせねば、そもそも交渉の土俵に上がれぬのである。問題は、吾輩の顔と声が、その土俵への入場を激しく妨げている点にある。


ここで、吾輩は一つの考えに行き着いた。


行商人のような小道具を作るのである。


なるほど、我ながらいささか芝居がかっている。だが芝居というものは、世の中において案外大事だ。人は相手を中身より先に役柄で見る。長衣を着て本を抱えていれば学者に見えるし、杖をついて咳でもしていれば病人に見える。荷を背負い、小さな袋や紐をぶら下げ、旅慣れぬ身なりをしていれば、少なくとも「何かしら物を売り歩く者」の範疇には入るかもしれぬ。もちろん、近くでまじまじ見られれば苦しい。だが第一印象というものは、世の多くの誤解と同様、最初の一歩ではたいへん有力なのである。


そもそも行商人というのは、少し胡散臭くても成立する職業ではないか。いや、実在の行商人諸氏に失礼かもしれぬが、少なくとも旅から旅へ品を運ぶ者は、土地の言葉に訛りがあっても、顔立ちが多少異なっても、「ああ、よそ者なのだな」で済まされる余地がある。吾輩にはこの余地が必要だった。まともな町人に見せるのは無理でも、得体の知れぬ流れ者くらいには見せられるかもしれぬ。もっとも、得体の知れぬ流れ者が実際にはゴブリンであるという点で、事情はさらに一段ややこしいのだが。


問題は、小道具をどうやって用意するかである。


行商人ならば、荷が要る。籠か袋か、あるいは背負子のようなものが欲しい。中身も、まったく空では不自然だ。何か適当な品を詰めて、いかにも売り物らしく見せる必要がある。ここで吾輩は、巣に溜まっている拾得物の山を思い出した。錆びた金具、革紐、砕けた器の欠片、妙に光る石、骨でできた何か、どこから持ってきたのか分からぬ木彫りの塊。これらは正直、商売になるのかどうか甚だ怪しい。しかし世の中には、商売になりそうもないものをもっともらしく並べて金に換える者もいる。要は見せ方である。


そう考えると、吾輩の前には二つの道があった。一つは、実際に売れそうな品を森から集めること。珍しい茸、香りのよい草、形の面白い石、色鮮やかな羽根、そういうものなら、少なくとも旅の土産物らしくは見えるかもしれぬ。もう一つは、売る気はないが「商人らしく見える」ためだけに荷を作ること。つまり中身より印象である。これはいささか詐術に近いが、吾輩の目的は真っ当な商売ではなく、まず人間社会の入口に立つことであるから、多少の曖昧さは許されたい。


もっとも、この計画を一通り考えたところで、吾輩は重大な難点に気づいた。行商人というものは、たいてい客と話す。少なくとも「これは何だ」「いくらだ」と問われる。吾輩はそこに致命的な欠陥を抱えている。いかに荷を背負い、布で顔を隠し、神妙な旅人の姿を装っても、口を開けば「ギ」である。値段交渉どころではない。下手をすれば、珍妙な動物が布をかぶっていると判断されかねぬ。


ここで吾輩はしばらく膝を抱えて考え込んだ。策というものは、立ててみると必ず穴がある。穴がない策は、たいてい現実の方に穴を開けられる。ではどうするか。声を使わずに商人らしく見せるにはどうすればよいか。


病人のふりをする、という案が浮かんだ。


これは我ながら少し情けないが、悪くない。喉を患っていて話せぬ、という設定である。身振りと筆談で用を足そうとする旅商人。多少無理はあるが、全くありえぬ話でもなかろう。問題は、筆談には筆と紙が要ることである。筆はともかく、紙はまだない。ないものを前提に計画を立てるのは、文学では許されても実生活では危険だ。しかし、もし最初の目標を「町へ入り、紙の切れ端と炭を得ること」に定めるならば、以後の行動はずっと楽になる。つまり最初から完璧な商人になる必要はない。まずは遠目をごまかせればよいのである。


このあたりを考えていると、ふと吾輩は、自分がいま何をしているのかを客観的に眺めておかしくなった。生前、文壇の人間関係や世間の虚飾については、あれこれ批評めいたことを考えたものだが、いまや吾輩自身が布切れをつぎはぎし、商人の真似事を考え、どうすれば怪物でないように見えるかを思案している。人間は外見にだまされるとよく言うが、だます側に立ってみると、その準備は予想以上に惨めで地道である。虚飾というものは、なかなか骨の折れる作業だ。


とはいえ、こうした虚飾は人間だけの専売特許でもないらしい。吾輩の属するゴブリンの群れを見ていても、彼らなりの見せ方というものがある。大きな骨を持った者が威張る。光る石を持つ者が得意になる。先日、鍋の取っ手を兜にしていた年長の一匹など、その最たるものであろう。彼は取っ手を頭に乗せたあと、やけに胸を張って歩き回っていた。つまり権威の演出である。文明の程度が違っても、他者にどう見えるかを気にする精神は、案外どこにでもあるものらしい。そう考えると、吾輩が布切れと袋で商人らしさを演出しようとするのも、種としてはそう突飛な行為ではないのかもしれぬ。


むしろ重要なのは、その演出がゴブリン社会の中での吾輩の立ち位置に何をもたらすかである。


このところ、群れの連中は吾輩の奇行にだいぶ慣れてきた。夜な夜な一匹で出歩いては妙な布や紐を持ち帰る、食い物でもない草の匂いを真剣に嗅ぎ、土に線を引いては何か考えている。普通のゴブリンであれば、少なくとももう少し単純な生き方をするだろう。にもかかわらず、彼らは吾輩を排斥しない。変わった奴だ、くらいには思っていても、敵とは見なしていないらしい。これは、群れにおける吾輩の役割が少しずつ定まってきたからだろう。吾輩は力の強い頭目ではないが、危険を先に察し、道を選び、時に拾い物を見分ける。彼らにとって、それはそれで使い道のある能力なのだ。


もし吾輩が本当に人間の町へ出入りできるようになれば、この役割はさらに奇妙なものになるかもしれぬ。人間の情報を持ち帰る者。人間の遺物を集める者。あるいは、人間とゴブリンとの境目をうろつく者。これは少々不穏で、少々滑稽で、しかし生き延びる術としては悪くない。少なくとも、ただの一匹の雑魚として埋もれるよりは、吾輩に向いている気がする。


もっとも、その前にまず、行商人の荷を作らねばならぬ。


吾輩は巣の奥の拾得物を選り分け、森で見つけた珍しい木の実や乾いた薬草めいた葉を集め、小さな袋に詰めてみた。袋、と言っても穴だらけの布を縛っただけのものだが、何も持たぬよりは雰囲気が出る。細い枝を組み合わせて背負い枠のようなものも作った。肩に当たる部分がどうにも痛いが、文句を言っても仕立屋は来ない。仕方がないから、苔を挟んで誤魔化す。こうして出来上がった吾輩の商人装束は、端的に言えば「非常に怪しい」。だが、怪しいことと即座にゴブリンだと見破られることとの間には、大きな隔たりがある。世の中には、人間でありながら十分すぎるほど怪しい者がいるから、その点ではまだ望みがあった。


最後に残る問題は、最初に誰へ近づくかである。門番は避けたい。門番という職業は、怪しい者を怪しいと思うことで飯を食っている。市場の真ん中も避けたい。人目が多すぎる。となれば、町の外れ、家畜小屋の近く、あるいは荷の整理をしている者などがよいだろう。忙しい人間は、暇な人間ほど他人の顔を細かく見ない。これは生前の経験からしても、だいたい当たっている。仕事のある者は実利を優先し、暇な者ほど道徳と好奇心にうるさい。


そういうわけで、吾輩の方針はだいぶ固まってきた。東の川沿いの町へ向かう。夜更けではなく、夕暮れから宵の境目を狙う。行商人めいた荷を背負い、顔は深く隠す。できる限り人目の少ない外れから近づき、必要以上に口を開かぬ。まずは敵意がないこと、こちらがただの獣ではなく、少なくとも何らかの秩序を持った存在であることだけでも伝える。そのうえで、紙と炭、もしくはそれに代わる筆記の手段を得る。それができれば、次の一手が開ける。


計画としては、いかにも慎重で、いかにも小心である。だが吾輩は今や英雄を気取る身ではない。生き残った臆病者だけが、次の章を書けるのである。


巣の外に出ると、空には薄い雲が流れ、その合間から月が覗いていた。森の梢は静かに揺れ、遠くの川の音がかすかに聞こえる。美しい夜である。こういう夜に、人間であれば散歩でもして詩情に浸るところだろうが、吾輩の場合は布切れをかぶって怪しまれぬ方法を考えるのであるから、やはり人生というものは公平ではない。


しかし、不公平であることと、つまらぬこととは別である。


吾輩は背負い枠を肩に掛け直し、袋の口を確かめた。森の中で拾った色石が、荷の中でこつりと鳴る。実に商売らしくない音だが、今はそれでよい。どうせ吾輩の売るものは品物ではなく、第一印象なのである。


さて、では行くとしよう。


願わくば今度こそ、槍の穂先と追いかけっこをせずに済むことを祈るばかりである。もっとも、そういう願いが最もあてにならぬことは、これまでの経験が十分に教えてくれているのだが。


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