表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
吾輩はゴブリンである  作者: 平木明日香
第一章 名はまだない
6/14

第二話 まずは衣服から



さて、もう少しゴブリンという生態について、吾輩なりに調べてみる必要がある。


この結論は、考えてみればきわめて当然である。人がどこかへ引っ越したならば、まず近所の道筋と八百屋の位置くらいは覚える。まして吾輩は、引っ越したどころの話ではない。死んだと思ったら、まるごと種族ごと別のものへ転居していたのである。新天地における生活案内が役所から届けられるわけでもなく、隣近所が回覧板を持って挨拶に来るわけでもない以上、自分で調べるほかない。ことにゴブリンというものは、人間世界においてたいそう評判が悪いらしく、その悪評のせいで吾輩自身の首まで危ういのだから、ここは学問的好奇心などという上等な動機でなく、切実な生活防衛のために調査を進めねばならぬ。


吾輩はこれまでの観察によって、ゴブリンが小柄で、群れをなし、食に貪欲で、なおかつひどく臆病な生き物であることを知った。そこまではよい。しかし、では彼らはどこまで知恵があるのか、どのような上下関係を作っているのか、何をもって敵とし、何をもって味方とするのか、その辺りがまだ曖昧である。生きていくには、曖昧というものがよろしくない。文学では余韻にもなるが、飢えと追跡の前では、余韻はたいてい腹の足しにならぬ。


もっとも、この「調べる」という行為にも、さっそく障害がある。先日のようにうかうか外へ出れば、人間どもに見つかって追われる危険があるのだ。吾輩としては、ただ道端を歩き、風景を眺め、できればどこかの民家の軒先に干してある洗濯物でも借りて帰りたいだけなのだが、先方は吾輩を見るなり槍を持ち出す。人間とは、未知のものを理解する前にまず棒でつついてみる習性があるらしい。文明の発達というものが、案外その程度の衝動に高級な名前を与えただけのものではないかと疑いたくなる。


では外で活動するにはどうするべきか。結論は一つである。せめて、ゴブリンであることを隠し通さねばならない。


だが、これがまた実に難しい。


鏡がないから、吾輩は正確に己の顔つきを知らぬ。知らぬが、知らぬなりに不都合は十分承知している。手を見れば、青緑色をした皮膚がある。足を見れば、膝から下の形がどうにも人間のものより細く、曲がり方に貧相な特色がある。耳の先は尖っているらしいし、鼻は短い。背丈も低い。総じて言えば、吾輩は「どうにか布を巻けば町に紛れ込める異国人」ではなく、「どうやっても怪しい小鬼」である。これを隠せというのは、ちょうど猫に学帽を被せて書生に見せろと言うようなもので、できなくはないかもしれぬが、よく見ればやはり猫である。


しかし、だからといって諦めるわけにもいかない。人間の生活圏に近づけねば、衣服も道具も情報も得られぬ。吾輩がゴブリンとして森の中で一生を終える覚悟を持つなら話は別だが、現時点ではまだ、そうきれいに人間を捨て切れていない。いや、捨て切れていないどころか、食事のたびにますます懐かしくなってくる。先日など、群れの若い一匹が得意顔に、半ば腐った木の根元から白く肥えた虫を摘み出して吾輩へ差し出した。親切といえば親切である。親切であることは疑わぬ。だが親切の内容が問題なのだ。吾輩は礼を言う代わりに、曖昧な唸り声と微笑の中間のような表情を作って受け取り、見えないところへそっと埋めた。文人の社交術も、まさか虫の辞退に用いるとは思わなかった。


そういう次第で、衣服の調達は急務である。


幸いといってよいのか、吾輩にはまだ人間の言葉の記憶がある。木陰に潜み、人間どもの会話を盗み聞きしていると、少なくとも彼らの話していることはおおむね理解できた。さらに、以前に討伐隊の後をつけていった折、道端に立つ板切れのようなものに書かれた文字も読めた。読めた時、吾輩はちょっと感動した。死んでも文字が読めるというのは、思えばありがたい。人の世には、地位も財産も、死ねばたいてい持って行けぬものが多いが、読書癖だけは案外しぶとくついてくるらしい。


ただし、読めることと話せることとは別問題である。吾輩の最大の不便は、声を発することができぬという一点にある。正確に言えば、発せられぬわけではない。発せられるのだが、その内容がひどい。「待ってくれ」と言うつもりで喉を震わせても、「ギャ」か「グゥ」になる。これでは交渉も弁明も成り立たぬ。仮に吾輩が立派な外套を着込み、頭巾を被り、夜道に紛れて村へ入れたとしても、宿屋の主人に「一晩泊めていただきたい」と頼んだ瞬間、ただの怪物であることが露見するであろう。文明社会というものは、言葉を失うと急に敷居が高くなる。


そこで吾輩は、巣穴の片隅で腕を組み、しばらく考えた。考える場所としては不適当である。足元には骨が転がっているし、すぐ横では仲間の一匹が鼻を鳴らして眠っているし、奥では誰かが何かを噛んでいる。にもかかわらず、思索だけは驚くほど前世のままである。環境が変わっても、人間は――いや今は人間ではないのだが――厄介な癖だけはなかなか改まらぬものらしい。


まず、衣服をどうやって手に入れるか。


一つには、人間の住処から盗むという方法がある。これは手っ取り早いが、危険も大きい。洗濯物を失敬する程度ならまだしも、見つかればまた槍で追われる。もっとも、吾輩は今や小柄で身軽であり、窓の下や物陰を這って移動する技術だけは日ごとに向上しているから、泥棒としての素質は前世より高まっているかもしれぬ。作家が死んで盗人になるとは聞こえが悪いが、衣服一枚のためなら、背に腹は代えられぬ。


二つには、死人や旅人の落とし物を拾うという方法がある。森の外れや街道沿いを探れば、捨てられた布切れや古着の類が見つかるかもしれぬ。これは倫理的には比較的穏当である。だが問題は、そう都合よく外套一式が木の根元に落ちているとは考えにくい点にある。神はゴブリンに対して、そこまで親切ではあるまい。


三つには、仲間のゴブリンどもがすでに何かしら人間の遺物を持っていないか調べる方法である。これは意外に有望である。巣の奥には、石だの骨だの木片だのに混じって、時おり金具や紐のような、明らかに自然には生えてこぬ品が紛れている。彼らはそれらを用途もなく集めている節がある。子供がガラス玉を宝物にするのに似ている。実利というより、ただ「なんとなく面白いから持ち帰る」のだろう。その中に衣服の切れ端でもあれば、継ぎ合わせて何とかなるかもしれぬ。


ここで、吾輩はふと一つのことに気がついた。ゴブリン社会における吾輩の立ち位置である。


この群れの中で、吾輩は決して強くはない。体格も並で、牙も爪も、とりたてて立派ではない。では弱いかと言えば、単に弱いとも言い切れぬ。なぜなら吾輩には、彼らにない種類の注意深さがある。彼らが食べ物を見れば食べるところを、吾輩はまず周囲を見る。彼らが音を聞けば驚いて走るところを、吾輩はその音の数や方向を数えようとする。彼らがただ集団の流れに従うところを、吾輩は「なぜこちらへ行くのか」を考える。この差は、すぐには目立たぬが、積もれば案外大きい。


実際、見張りの真似事をしてみると、仲間どもは吾輩の示す方向へ素直に動くことがあった。もちろん彼らは吾輩の思索を理解しているのではない。ただ、吾輩が耳を立て、身を低くして唸ると、「何かあるらしい」と受け取るだけである。しかしそれでも、群れの中では「こいつは少し妙だが、妙なりに危険を嗅ぎつける奴だ」と思われ始めている節がある。これを地位と呼ぶには粗野すぎるが、少なくとも無意味ではない。


つまり吾輩は、怪物社会の中で、怪物らしからぬ注意力によって位置を得つつあるのかもしれぬ。


この事実は、少々複雑である。吾輩は本来、群れの先頭に立って牙を剥くような性分ではない。書斎の隅で他人の滑稽を観察している方が性に合う。だが今いる場所には書斎も机もない。あるのは湿った土と、火の消えかけた灰と、妙に距離の近い同族だけである。この中で生き延びるには、観察者であるだけでは足りぬ。時に観察の結果を行動へ移さねばならぬらしい。文豪にも、そんな日が来るのである。


とはいえ、まずは衣服だ。


吾輩は巣の中を改めて捜索することにした。何しろここへ来てからというもの、目につく物の大半が「見ない方が精神衛生によい品」であったため、あまり真面目に調べていなかったのだ。骨、石、臭い葉、半ば齧られた何かの脚、そういうものの間を爪先で分けていくと、案の定、奥の方に人間由来と思しき品が幾つか見つかった。切れた革紐。錆びた留め具。穴の開いた袋。布切れ。それも一枚ではなく、三枚ほどある。色は判然とせぬ。もともとの色が土色だったのか、使い古されてそうなったのか、あるいはゴブリンの巣で数日を過ごした結果、文明の色彩を忘れたのか、その辺は不明である。


吾輩はそれらを引っぱり出し、しげしげと眺めた。すると近くにいた年かさのゴブリンが、吾輩の手元を見て、低く鼻を鳴らした。取るなというのかと思ったが、そうでもないらしい。やがて彼は、どこから持ってきたのか、さらにぼろ布を一枚放り出してよこした。親切なのか、あるいは「そんなものが欲しいならこれもくれてやる」ということなのか。いずれにせよ、会話が成り立たぬ社会では、贈与の意味も半分は推測である。


吾輩は慎重に布を広げてみた。破れてはいるが、肩から被れば頭巾のようにも見える。穴の位置によっては、顔をかなり隠せるかもしれぬ。さらに革紐で締めれば、遠目には小柄な旅人、近くで見れば怪しい旅人、至近距離ではやはりゴブリン、という段階的な偽装が可能となる。完璧ではない。だが完璧を待っていては、たぶん一生洞穴で虫を選別して暮らすことになる。


問題は、その先である。服を得たとして、どこへ行くのか。人里へ忍び込み、さらに何を目指すのか。


読み書きができるのなら、いっそ紙と筆を手に入れたい。話せぬなら書けばよい、という理屈である。もっとも、ゴブリンがいきなり板切れに「私は危険ではない」と書いて差し出したところで、相手がその文学的試みに感動してくれる保証はない。むしろ「最近の魔物は字まで書くのか」と余計に恐れられるかもしれぬ。それでも、声なき吾輩にとって、文字は唯一まともな橋である。橋が細かろうが傾いていようが、ないよりはましだ。


こう考えてくると、衣服の調達は単なる防寒や羞恥の問題ではない。これは、吾輩が再び言葉の世界へにじり寄るための第一歩なのだ。肉体はゴブリンでも、言葉に手を伸ばすことだけは諦めたくない。諦めた瞬間、吾輩はただの一匹になってしまう気がする。むろん、一匹であることに何ら罪はない。だが吾輩には、生前からの因業というものがある。見たことを言葉にしたい。感じた不条理に名をつけたい。滑稽なものを滑稽だと書き留めたい。その悪癖を捨ててしまえば、たしかに生存は楽になるかもしれぬが、代わりに吾輩である意味も薄くなる。


そんなことを考えているうちに、巣の外で夕方の風が鳴った。仲間のゴブリンどもは、いつのまにか入口近くへ集まり、そわそわと落ち着きなく鼻を動かしている。どうやら夜が近づくと、彼らは活動的になるらしい。人間を避けるには、たしかにその方がよい。暗がりは醜さを多少なりとも隠してくれる。夜というやつは、怪物にも平等である。


吾輩は拾い集めた布切れを腕に抱え、巣の壁にもたれた。これからどうするべきか、その答えはまだ出ていない。出てはいないが、少なくとも次にやるべきことは見えてきた。まず布をつなぎ、身を隠す工夫をすること。次に夜の森を少しずつ歩き、人間の生活圏の縁を探ること。できれば声の代わりになる筆記の手段を手に入れること。そして、その過程で、ゴブリンという種族の中で吾輩がどのように振る舞えば、生き延び、かつ吾輩自身であり続けられるのかを見極めること。


まったく、死んでからの方が、人生設計はよほど忙しい。


しかし忙しいというのは、案外悪いことでもない。生きる理由がはっきりしない時、人は――いやゴブリンは――とりあえず次の用事を作っておくに限る。用事があれば、明日まで生きる口実になる。吾輩にとって今夜の用事は、ぼろ布をどうにか衣服らしく見せる工夫をすることである。文豪の第二の生涯が裁縫から始まるとは、我ながら予想しなかったが、世の中というものは、たいてい予想しなかった形でしか先へ進まぬものらしい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ